第32話 『ありがとう』


 入院生活にも慣れ、健康的な朝食を終えて窓の外を眺める。今日も雲一つない快晴で蝉がけたたましく鳴いていた。


「業! おはよう! 体調はどう?」


 勢いよく病室の扉が開き、千織のハツラツとした声が響く。


「おはよ、千織。絶好調すぎて退屈だ。もう、ばっちり回復したから退院させてくれないかな~」

「毎日言ってるね。もう少しの辛抱だよ」

「そう言って二週間が経ったんだけど……」

「本当にもう少しだってば」


 千織は、困ったように笑い、オレの隣に椅子を持ってくる。赤いリボンがふわりと揺れる。


「りんご持ってきたよ! 食べる?」

「食べる」


 バッグからタッパーを取り出し蓋を開ける。『いただきます』、そう言って、体をねじり左手を伸ばすと、千織はサッとリンゴをオレから遠ざけた。


「左手の固定は外れたけど、重い物は持っちゃダメって言われてたよね?」

「りんごはセーフだろ」

「だーめ。リンゴも十分重いです。と言うわけで……はい、あーん」

「…………お前、それがやりたかっただけか」


 ニコッと意味ありげに笑い、つまようじに刺さったリンゴを口元まで持ってくる。途中から羞恥心も薄れ、すべて千織の手から食べさせてもらった。

 オレにりんごを食べさせ終えると、千織は忙しなく病室の中を動きまわる。花瓶の水を替えたり、窓を開けて空気の入れ替えをしたりと、ここ二週間で見慣れた光景になってしまった。


「なぁ、千織」

「ん? なにー?」


 こちらを見ず、売店で買ってきた水を冷蔵庫に入れながら返事をする。


「その……毎日来なくても良いんだぞ。夏休みも終わっちゃうし、友達に遊びに誘われてたりしてるんだろ?」

「はぁ……。業ってほんと、馬鹿だよね」


 パタンと冷蔵庫の扉を閉めて、ため息をつきながら立ち上がる。腰に手を当て呆れたようにオレを見下ろす。


「私がやりたいからやってるの。言ったでしょ? 業が私を守ってくれるなら、私は業を支えるって」

「……そうだったな。じゃあ、遠慮はしない。よろしく頼むよ」

「まっかせて!」


 ムンと力こぶを作って見せた。千織が落ち着くまで、オレは静かにせっせと動く彼女を目で追っていた。



※※※



「ふぅーこんなもんかな」

「ありがとう。助かったよ」


 清々しさを感じる千織の表情が、すべてやりきったと物語っていた。ようやく二人だけの落ち着いた空気が流れる。

 今までは千織が来ても眠ったままだったり、全身が痛くてまともに会話なんて出来なかった。だが、今はこうして会話が出来るようになるまで回復した。ようやくずっと気がかりだったことを聞ける。


「千織……平気か?」

「……もしかして、アルヴィスのこと?」


オレは頷いた。千織も気にしていたのだろう。僅かに表情を曇らせる。


「結構ショックだったかも。民からも団員からも慕われていたから……ワタシも信頼していたし……。それに、すごく申し訳ない気持ちになった。アルヴィスの気持ちに気付いてあげられてたら、少しは違ったのかなって」


 千織は、目を伏せて静かに胸の内を語る。かつての仲間が自分を想うあまりに取った裏切りともいえる行動。オレに対する復讐心も混ざり合ってそれが肥大化した結果、今回の事件に繋がってしまった。

 が、千織は一転してスカートを握り締める。


「でも! 業を傷つけたことは絶対に許せないっ! 少しでも話し合えば分かり合えたはずなのに!」


 目に見えて怒りを露わにする。その言葉をオレは首を横に振って否定した。


「多分……無理だったろうな」

「え? 今のあなたならできたでしょ?」

「無理だったよ。だって、自分のことしか考えてなかったんだから」


 千織の視線を正面から受け止める。


「オレは……一度、アリシアのことを諦めようとした。それが贖罪だって言い聞かせて逃げようとしたんだ」


 あの時の絶望を思い出して、意図せず身体が震えた。


「けど……あの時のお前の表情を見たら……失うことが怖くなった。アリシアがいなくなった世界で生きていける自信がオレには無かった。他の何かを捨ててもお前だけは失いたくなかった。そんとき気づいたんだ。オレには、他人の気持ちに寄り添う心が欠けていたって」


 いまさらになって思い出す。オレが葬ってきた人たちの絶望に染まった表情。


「オレが弱いと言っていた奴はみんな……自分の捨てられるものを全て捨てた。それは、勇気と覚悟が必要な行動だったんだ。そして、最後に残ったものを守るためにオレに命乞いをした。その覚悟をくだらないと切り捨てた」


 過去の冷酷非情な行動に怒りを覚え、左手を握り締めた。


「弱かったのはオレだ。捨てる覚悟、どちらか一つを選ぶ強さを知らなかったくせに与えられた強さの上で王様気分に浸っていた」


 まるで、オレが憎んでいた国王のように……。遅れて罪悪感が濁流のように押し寄せてきた。


「お前を裏切っちまった。信じろとかでかい口叩いたくせに……」

「裏切ってないよ」

「……え?」


 視界が急に真っ暗になった。フワッと花の香りが一層濃く感じた。


「あなたはワタシを裏切ってない。だって助けてくれたもの」

「でも——」

「もし、裏切っていたならあなたを抱きしめられていないわよ」


 ギュウッと抱き止められ、顔がさらに深く胸に沈む。


「守ってくれてありがとう。助けてくれてありがとうっ。ワタシを諦めないでくれてありがとうっ! 自分の大事なものよりワタシを選んでくれてありがとうっ‼」


 たくさんのありがとうの雨が降り注いできた。息苦しさを感じるくらいに強く強く抱きしめられる。オレの選んだ選択が間違いじゃなかったとそう思わせてくれる温かい抱擁。あのとき、失うのが怖いと感じたからこそ、アリシアの存在を一層強く感じる。アリシアは……オレを獣から人間にしてくれた


「オレ……本当にお前と出会えてよかったよ」

「いまさらなの? ワタシはずっと前から思ってたわよ」


 オレも左手をアリシアの背に回し、力強く抱きしめる。この熱い抱擁は、看護師がオレの様子を確認しに来るまで続いた。

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