鋼鉄のサマー・イリュージョン

 青い空。かがやく太陽。せんぺんばんする波の色。

 砂浜を、一人の少女が歩いている。

 きよらかな後ろ姿すがたこしまでとどくろかみと、しにえる白の水着。西瓜すいかの入ったぶくろを三つほど持ち、よたよたと歩く。彼女の髪がれるたび、やさしいしおかぜがその場にそよぐ気がした。

「会いたい……」

 小高いしきのバルコニー。ぼうえんきようから目をはなさず、はぽつりとつぶやいた。

「どなたに、で、ございますか?」

 はいひかえていた男が、彼にたずねた。

「あのひとだよ。ぜひ……」

「しかし、まさたみさま──」

わしぼくは会いたい、と言ったんだ」

「……はっ」

 いちれいし、男は屋敷の奥へと下がる。

「ああ……。まるで、さわやかな海風のようなひとだ……」

 彼は小さなため息をついた。


    ●


 自分の姿を『清らか』だの『さわやか』だのと思っている人間がいるとも知らず、どりかなめはうめき声をらした。

「あっつい……」

 全身あせだく。目もうつろ。

 スイカ三つを引きずるように、やっと目当てのビーチ・パラソルへたどり着く。六人分のもつほうされ、人の姿はなかった。

「ったく。人に買い出しまかせといて、みんなどこ行っちゃったのよ……」

 腰を下ろしたところで、ような笑い声が近付いてきた。見ると、いつしよに海に遊びに来た、じんだいこうこうのクラスメートたちがぞろぞろともどってくるところだった。男女が半々。どれも水着姿だ。

 かかえた常磐ときわきようが、真っ先にけ寄ってきた。

「カナちゃんおそ~い! もう、ひと泳ぎしてきちゃったよ! スイカは買ってきた?」

 かなめはスイカをポンポンとたたき、

「ここ。……それにしても、ちょっとようじんじゃない? ばんもなしに、荷物をほったらかして。さいとかも入ってるのよ?」

「それなら心配はない」

 恭子たちの後ろで、さっきからだまっていた相良さがらそうすけが言った。むっつり顔にへの字口。めいさいがらのボクサー・パンツ姿。身体からだはきりりとまり、きんにくいつさいない。

「心配ないって、どういうこと?」

 彼は手荷物の山に手をばし、奥から野球ボールほどのたいじんしゆりゆうだんを取り出した。

「な……」

てんてきなトラップだ。かばんを動かせばばくはつする。とうなんこころみたはんにんは、手痛いきようくんを学ぶことになっただろう」

 宗介はおさなころから海外の戦場で育ってきた。じゆうの戦争ボケで、平和な国でのじようしきがまったく身に付いていない。

 かなめは、こめかみのあたりを押さえつつ、

「そのどろぼうと一緒に、あたしたちの財布や荷物が吹き飛ぶとは考えなかったわけ?」

 宗介はひたいあぶらあせを浮かべ、押し黙った。かなめはそのちんもくこうていと受け取った。

「あんたね……」

「……だが、こうして『盗難こうは高くつく』と見せしめれば、いきぼうはんたいさくにもこうけんできるだろう。いわば大事の前の──」

 かなめは彼の頭をはたき倒した。

 ……が、きょうは暑さとけだるさのためか、スイングの切れがいまいちだった。

「ヘリクツはやめなさい」

 突っ込む声にもがない。

「むう……」

「……だいたいね、あたしが引っかかったらどうする気だったの? 危ないじゃない」

「その点はかりない。君には分かるよう、目印を付けておいた」

 そう言って宗介は、手荷物の上に置いてあった手榴弾の安全ピンを手に取った。どうやら、このピンを見て『気付け』とでも言いたいらしい。

「そんなので気付くわけないでしょっ!?」

「そうか。では、以後注意してくれ」

「ああっ、もう……」

 そんな二人のやり取りなど気にもせずに、あくまで恭子はハイテンションで、

「じゃあ、さっそくスイカ割りしよ! ね、ねっ、カナちゃん」

「はいはい。よっこらしょ……っと」

 かなめは手ごろな砂上に古新聞をくと、スイカをあんした。恭子がかばんからきんぞくバットを引っ張り出し、

「じゃ、だれからやる? 相良くんは?」

「やってやって! おもしろそう」

 恭子たちは宗介のうでを引いた。

「なにをするんだ?」

「スイカを割るの。ばしゃーん、と。かくししたままでね!」

「それだけか。かんたんすぎるな」

「へえー、言うね。だったら、ほらほら、目隠し、目隠し! そしたら回す、回す!」

「むっ……」

 恭子たちははしゃぎ立て、宗介の身体からだをさんざん回転させてから、

「これくらいやってもいいよね。簡単なんでしょ? じゃあスタート!」

 宗介はバットを引っさげ、スイカとはまったく見当違いの方角へと突き進んでいった。みんなの荷物が置いてある、ビーチ・パラソルの方だ。恭子たちはしのび笑いをらし、『もっと右』だの『そのまままっすぐ!』だのとせきにんにはやしたてる。

 一方でかなめは、喜ぶ恭子たちのからはずれ、スイカのかたわらにぼうちしていた。

「やれやれ……」

 どうも面白くない。

 この砂浜に来てからというもの、宗介は恭子たちに引っ張り回されて、まったくかなめを気にかけていないのだ。彼女の水着姿にも、まるでかんしんを示そうとしない。

(けっこうしんあるのに……)

 すべすべのはだ。すらりとしたきやくせん。きゅっとまったウェスト。ほどほどにゆたかなバスト。わくてきなプロポーションに、白いレース地の水着がよくっている。先週、店でさんざんなやんだ末に選んだもので、かなり気に入っていたのだが──

 どかんっ!!

 とつぜんごうおんと共に、すぐそばのスイカが爆発した。もうれついきおいでぶちまけられたへんと水しぶきが、横からかなめをなぐりつけた。

「…………っ!」

 目隠しのままビーチ・パラソルまで歩いた宗介が、自分のかばんからショットガンを取り出し、スイカめがけてはつぽうしたのだ。

 ぜつした恭子たちの見守る中、宗介は目隠しを外した。

めいちゆうおれにはちょうど、これくらいのなんが──」

 言いかけ、だまり込む。ひようてきとなりにいた、かなめのように気付いたのだ。

 全身、スイカまみれ。白の水着は見る影もない。流れるような黒髪には、スイカの皮がべったりとこびりついていた。

「…………」

 気まずいちんもくの中、かなめはごんでビーチ・パラソルまで歩くと、自分の鞄からタオルを取り出した。

「……考えがおよばなかった」

 宗介はコメントした。

「だが、スイカはどくだ。そもそも水着姿でもあるわけだし──」

 その一言でかんにんぶくろが切れた。

 かなめはバットをひろい上げると、宗介のわきばらめがけてフルスイングした。身を折ってくずおれた宗介を、彼女はなみだでにらみつけ、

「最っっ低!」

 Tシャツを引っつかむと、早足でその場を立ち去った。


 その三〇分後。人通りの少ないぼうていの上で──

「ねえねえ、ちょっといい? キミさ、ひとり? どっか遊びに行かない?」

 そこけに陽気な男の声。かなめはゆっくり、さつむき出しのせんを相手に向けると、そこえのする声で、

「消えなさい」

「……………………はい」

 男はしたがい、立ち去った。かなめはぬるくなったドクター・ペッパーを一口すすり、

「ふん……」

 てるようにつぶやく。

 あんな風に飛び出して、恭子たちには悪いと思っていたが、宗介のそばにいるのがうとましくて仕方がなかった。

 あいつがああいうやつなのは、わかる。

 水着姿をめろだとか、どぎまぎしろだとか、そういうたいなのも、わかる。

 だが、感情はなつとくしてくれない。

 きのうのばん、自宅でこの水着をちやくしてみた。なんとなくうきうきしながら、姿見の前で、グラビア雑誌のアイドルみたいな、バカなポーズを取ってみたりもした。

 そういう自分がひどくこつけいで、どうしようもなくみじめに思えてきて、人前にいるのがいやになるのだ。

(あたし、なにしに来たんだろ……)

 そんな調子で、防波堤の上でうつうつとしていると──

「おじようさん、おひまですか」

 かなめに声をかける者がいた。またか、とうんざりしながら振り向き、

「ったく、いいげんに……し、て?」

 おもわず声がうらがえる。

 そこに立っていたのは、思い切りあやしい『なぞの東洋人』だった。身体からだは大きく、丸々と太り、ナマズのようなくちひげやしている。このえんてんで黒のスーツを着て、ほとんどあせをかいていない。

「お茶でもいかがです」

 謎の東洋人はずいっと進み出て、ようはくりよくのある声で言った。

「あ……あたし、そーいうの、ちょっと」

「そこを曲げて、ぜひ。貴女あなたことわられれば、私ははらを切らねばなりません」

 むんむんとただよってくるあつくるしいオーラに、かなめは『うっ』とされながら、

「は、ははは。変わったもんで、お、おもしろいとは思うんですけど。その、あたし、どっちかっていうと、細めの男性の方が好みだったり……」

「ならば問題ありません。私の主人あるじほそです」

「は、はあ?」

 男はみさきの方角を指さした。目を細めると、高台に大きなていたくっているのがわかる。

「ぜひ。貴女にお会いしたいと申しておりまして」

 

『ぷっ』とスイカのたねを飛ばすと、恭子は浜辺をぐるりと見回した。

「なかなかもどって来ないね、カナちゃん」

 肉厚のグルカ・ナイフでスイカを切りきざんでいた宗介は、恭子の言葉に小さくうなずいた。

「ああ。長いシャワーだ」

「うーん。ほかに理由があるんじゃない? やっぱり」

「どんな理由だ」

 恭子はこまったようながおで、

「相良くん、ホントに分からないの?」

「む……」

 宗介ののうで、さまざまのうせいけんとうされた。

 きゆうせいしつかんけいさつとうたいらいんだ。きゆうてきを発見しこうちゆう。あるいはぎやくに尾行をいている。そして……ゆうかい

 いちばんありそうなのは──

「やはり地雷か……?」

「頭のどこをどーいう風に使ったのか知らないけど……。違うでしょ。カナちゃんは、相良くんにおこってるの! あたしとかにも責任あるけど、やっぱり相良くんが悪いんだから。行ってさがして来てあげなよ」

「そうそう」

「相良、お前が悪い」

 他のメンツも口々に言う。

 それなりになつとくするものはあったようで、彼は目を閉じ、何度かうなずいた。

「よし。では、そうしよう」

 宗介はヨットパーカーにそでを通し、すっくと立ち上がった。

 

 岬の邸宅で──

『謎の東洋人』の案内で、かなめは白いリビングに通された。せいけつで、てんじようは高く、窓からの光が室内に満ちあふれている。

「しばしお待ちを」

 男は告げて、リビングを出ていった。

 こうしんからしようたいに応じた彼女だったが、内心では『ヤバそうだったらすぐ逃げよう』とも思っていた。しかし──

(これはホンモノの金持ちね……)

 ここに来るまでの間、かなめは庭の広さにおどろき、邸宅の大きさに驚き、ガレージのこうきゆうしやに驚いた。内装のしゆも良く、イタリアの現代けんちくの雑誌にでも出てきそうなふんだ。

 ここまで来たら、自分を呼び付けた物好きなオッサンの顔くらいは見ておいてもそんはなかろう……かなめはそう考え、リビングのソファーにちょこん、とすわっていた。

 五分ほど待っていると──

 リビングの戸口に一人の少年が現れた。

 年は一三、四歳くらいか。身ぎれいなワイシャツ姿で、はだは雪のように白く、きやしやせんさいいんしようの持ち主だった。

 彼はティーセットの乗ったぼんを手に、かなめを見てぽかん、とした。

 めし使つかいの一人だろうか? かなめはそう思いながら、ひとこと、

「あの……」

 言ったしゆんかん、少年が盆をがしゃりと落とした。見るからに高級そうなとうが割れ、ゆかにお湯がぶちまけられても、少年の目は彼女にくぎけのままだった。

「ああ、貴女あなたは……」

 なにかにかれたように、少年は一歩前へと踏み出した。そしていきなり、

「うわあぁ~~~~っ!!」

 ティーカップのへんを踏みつけた痛みと、ねつとうの熱さに身をよじり、床をごろごろころげ回った。彼はそのままかべげきとつして、ドレッサーをひっくり返し、それきりぱたりと動かなくなった。

(な、なんなの、この子……?)

 かなめはなかせんりつしながら、おそる恐る少年に近付いた。

「だ、だいじよう……?」

「は、はい。お……お見苦しいところをお見せしました」

 少年はむくりと身を起こし、

「僕はひゆうがまさたみという者です」

「はあ」

「このような形でお連れしたことを、どうかおゆるしください。本来なら、僕が直接おさそいにうかがうべきだったのでしょうが、しゆから外出を止められているのです。やまいわずらい、この別荘でせいようちゆうの身でして」

「……って、え? じゃあ、あなたが」

 少年──日向柾民は顔を赤くして、小さくこくりとうなずいた。

 お金持ちの病弱なぼつちゃん。

(へえー。本当にいるんだ、こーいうの)

 かなめはみように感心し、初めて出会ったちんじゆうでも見るような目で、柾民をしげしげとかんさつした。彼は落ち着かないようで、

「い、いきなりの話で、ごとうわくなさってらっしゃるかもしれませんが……よろしければ、その、お茶でもいかがでしょう? いますぐわりを持たせますので……」

 ようするに、これもナンパの一種である。

「ふむ。どうしようかなぁ……」

 かなめの言葉に、柾民はかたんだ。いたいけな顔はしんけんそのもので、見ていてどくに思えてくるほどだった。

(おお。かわいいじゃない)

 ちょっとたれの大きな目が、そこはかとなく彼女のせい本能をくすぐる。とうそう本能としんあんのカタマリみたいな、どこぞの戦争バカとは大違いだ。

 どうせヒマなわけでもあるし──

「ん。いいよ。ごちそうになります」

 かなめがにっこりと答えると、柾民の顔がぱっと晴れた。

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます。それじゃあ、ええと──」

「かなめ。千鳥かなめっていいます」

「かなめさん。ああ、なんててきな名前なんだろう。まるで、まるで……なめくじのようにしっとりとした……」

「………………」

 そのとき、かたすみのインタフォンがでんおんかなでた。柾民はスイッチを入れて、

「なんだ?」

ほうもんしやです』

 スピーカーからひびいたのは、例の『なぞの東洋人』の声だった。

 えきしようめんかんカメラのえいぞううつし出される。正門前に、ヨットパーカーを着た若い男が立っていた。

(ソースケ?)

 見間違えるはずもない。するどい目が、カメラをじっと見上げている。

『「千鳥かなめというむすめが、ここにいるはずだ」などと申しておりますが。いかがいたしましょう』

 スピーカーしにめし使つかいが告げた。どうやってこの場所を突きとめたのかは知らないが、宗介は自分をさがしに来たらしい。

「お知り合いですか?」

「え? あいつは……」

『学校の友達』と言いかけて、かなめは思いとどまった。宗介となんか、口もききたくない……そう思ったとたん、

「あ、あいつはよ。ストーカーみたいに付きまとわれて、こまってるの。追い払って!」

 深く考えもせずに、口からでまかせを言ってしまった。

きようあくへんたいですか」

「そう、凶悪な変態」

「なるほど。そのようなやからに、うちのしきをまたがせるわけにはいきません。……おい、鷲尾。そいつを追い払うんだ。そんな娘はいない、と言ってな」

『かしこまりました』

 柾民はインタフォンを切って、

「これでよし。さあ、かなめさん、こちらへ。ながめのいい部屋があります」

「え……? あ、うん」

 すこし後ろ暗い気分を感じながら、かなめは柾民の後に続いた。

 

『そのような方はおりません』

「それはおかしい。もう一度かくにんしてくれ。身長一六五センチ強、ねんれい一六歳の日本人女性だ。髪は長い。白、レース地の水着姿で、体格はそうてきけんこうたい。出産けいけんはない。きょうのそうしよくひんは赤いリボンとピアスだ。つめをマニキュアでさいしよくしており、その色は──」

 宗介はすらすらと説明した。見てないようで、しっかり見ているところがあなどれない。

 だが返事はそっけないものだった。

『おりません。どうかお引き取りを』

 近所の聞き込みでられたしようげんでは、かなめがこのしきに連れていかれたのは明らかだった。この男はうそをついているのだ。

「…………」

 彼はそれ以上、あえてめなかった。正門前から立ち去ると、しきを取りかこへい沿ってぶらぶらと歩いてみる。

(さて、どうするか……)

 塀のあちこちにかんカメラが見えた。敷地内には、おそらくせきがいせん式の動体センサーがせつされているだろう。たいじんらいもあるかもしれない。

(正面からしんにゆうするのはこんなんだな)

 ……などと考えているだけあって、すでに屋敷に乗り込むつもりでいる。

 彼はぐるりと屋敷の周囲を歩いてから、け足でかいすいよくじようへともどっていった。

(とにかく、そうととのえねば……)

 

かんきんされてるぅ?」

 恭子がとんきような声をあげた。

「そうだ」

 宗介はせんとうふくそでを通し、コンバット・ブーツをはくと、バックパックから次々にたいのしれないどうを取り出した。

くわしいじようは分からんが、間違いない。急いできゆうしゆつしなければ、千鳥の身が危ない」

「でも、だって──」

「君が手伝う必要はない。アマチュアが付いてくれば、むしろ足手まといだ」

「いや、そーいうことじゃなくて。いくらなんでも、そんな、だの監禁だの……」

 宗介は装備をてきぱきと身に付けながら、

ぼうてきかんそくけんだ。のんかまえていたら、彼女は──」

 言いかけ、口ごもる。

 はた目には冷静に見える宗介だったが、その実、心中はおだやかではなかった。

 かなめが監禁されている。が何者かは知らないが、手ひどいを受けているかもしれない。

(いかん。いかんぞ……)

 宗介ののうで、ほうしきそうどういんしたいちだいごうもんシーンがてんかいされた。

 三角きんかぶったぼうかんたち。かなめはあらなわしばられて、火責め、水責め、電気責め。しまいには、薬物で理性をぎ取られ……。

「くっ。どもめ……」

 そんな彼を、恭子は冷ややかな横目でながめた。

「相良くん……。なんか、カナちゃんをダシにして、ものすごくエッチなコト考えてない?」

 

 かなめに出された紅茶の香りは、ごとなものだった。なんでもインド直送の葉を使った、この家でんのブレンドなのだそうだ。

「うーん。おいしい」

「喜んでいただけてこうえいです」

 柾民はにこにこしている。

「ほんと最高。ながめもいいし……」

 大きなガラス戸しに、この付近の海岸一帯が見渡せる。ぼうえんきようがあれば、恭子たちの姿すがたもここからはんべつできるだろう。

(ソースケはどうしたかな……)

 ふと、思い出す。いまごろは、ふたたび恭子たちのオモチャにされて、ほいほい遊んでいるのだろうが──

 いや。あの宗介が、そうあっさりと引き下がるだろうか?

 かなめがむっつりだまっていると、

「どうしました、かなめさん?」

「え? いや……」

「あのへんしつしやのことでしたら、ご心配にはおよびませんよ。この屋敷には、二重三重のけいそうめぐらしてあります。なみの人間では決して忍び込めません」

「並の人間、ね……」

 少なくとも、宗介が並のバカでないことだけは確かだった。

 そこで部屋の戸口に、例の『なぞの東洋人』が現れた。柾民はややげんがおになって、

「なんだ? 鷲尾」

がけがわしんにゆうしやの反応です。いかがいたしましょう?」

「変質者め。さっそく来たな……」

(やっぱり。あのバカ……)

 宗介だ。何のつもりかは知らないが、どうあっても自分に用があるらしい。

 かなめが頭をかかえていると、柾民はそれをなだめるように、

「どうかご安心を。……さめじま! ひようどう!」

 さけび、手を打ち鳴らすと、五秒と待たず、新たに二人の男が姿を見せた。一人はのっぽで、もう一人はちび。どちらもいんな顔で、どこか危ない目つきをしている。

「運転手の鷲尾にはもうお会いになっていますね。背の高い方がコックの鮫島、低い方が庭師の豹堂と申します」

「はあ……」

 三人のめし使つかいは、そろってかなめに一礼した。柾民はほこらしげに、

「彼らは僕のボディーガードもねているのです。鷲尾は中国けんぽうの使い手で、鮫島はナイフのたつじん、豹堂はボウガンを使います。三人とも、フランス外人部隊にいたけいけんを持つ、せんとうのプロですよ」

「うげぇっ……」

 本来なら『まあ、たのもしいわ!』とか言う場面だったのだろうが、かなめは場違いなうめき声をもらしてしまった。

「うげえ?」

「え、いや……。あははは」

「? まあいいや。……では、鷲尾、鮫島、豹堂!」

『はっ』

「すみやかにくせものはいじよして来い! あの男は、かなめさんを付けねらっているへんたいだ。ぬかるなよ!」

『ははっ!!』

 召使いたちがに満ち満ちた声で答えた。かなめは思わぬ雲行きにうろたえながら、

「いや、あの、実はね──」

「実は、なんです?」

『なんです?』

 柾民とその召使いたちが、いつせいにかなめをぎようする。彼女は『実はウソなの、ごめんなさい』と言おうとしたのだが、その場のふんされて、けっきょく、

「実はその……がんばってください」

 などと、変なせいえんを飛ばしてしまった。

『おまかせ下さい、かなめさま!』

 三人の召使いたちはんで、部屋から飛び出していった。柾民はそれをじようきげんで見送り、

おどろきましたね。鷲尾たちは、かなめさんのことを気に入ったようです」

「そ、そうなの?」

「ええ。ほかの客には、いつもそっけないのですが。気合いが入ってますね」

「う、うう……」

 ばっちりと、火に油をそそいでしまった。

(こうなったら……どうかあの三人が、しゆよくソースケを撃退してくれますように!)

 かなめは天にいのらずにはいられなかった。

 

 身のすくむようなだんがいを、宗介はロープ一本ですいすいと登っていく。

(むっ……)

 断崖の中ほどを過ぎたあたりで、がけのてっぺんにがらな男が姿を見せた。手にはボウガン。れいこくな笑みを浮かべ、こちらに向かってねらいを定める。

「ひっひっひ。くたばれ、変態めっ!」

 さけぶや、頭上から矢が飛んできた。吹き上げる風のおかげか、あやうい所で矢ははずれる。

(変態。だれのことだ……?)

 しんに思いつつ、彼は背中からグレネード・ランチャーを抜いた。ようにロープをあしはさみ、両手でランチャーをかまえると──

 しゅぽんっ!

 ずんぐり大きなグレネードだんが、じゆうこうから飛び出し小男の顔面にちよくげきした。くんれん弾だったので、爆発はなし。ただ、相手にとってはサガットのタイガー・アッパー・カットを食らったに等しかった。

「ごがっ! う、うわああぁぁぃ……」

 小男は前のめりに倒れ、崖から海へとてんらくしていった。はるかがんで水しぶき。

 宗介は何事もなかったかのように、ふたたび崖を登りはじめた。

(待っていろ、千鳥……!)

 

 かなめの落ち着かないようを見て、柾民は笑った。

だいじようですよ、かなめさん」

 そう言われても全然安心できないのだが、彼女としては、無理に作り笑いでもしているしかなかった。

「そ……そういえば柾民くん、病気でせいようちゆうって言ってたよね。いまでもあい、悪かったりするの?」

「いえ。いまはそれほど……。病気といっても、しんいんてきなものでして。いわゆるりつしんけいしつ調ちようしようというやつです」

「あ、それ知ってる。なやごとやストレスで、便べんやらやらになるアレでしょ?」

 柾民は少したじろぎながらも、

「ぼ、僕の場合は、おもへんつうと息切れです。おかげで勉強にも集中できず……」

「ふーん。立ち入ったしつもんかもしれないけど、柾民くんって、なんで悩んでるの?」

「そ、それは……。かなめさんだからお話ししますが……」

「うん」

『ゆーてみ、ゆーてみ』とまねきする。

「僕には、六つ年上の従姉妹いとこがいまして」

「そーなの」

「ええ。その従姉妹と僕は、おさなころからよくいつしよに遊んでいました。そうそうあいで、『大人おとなになったらけつこんしよう』と、五歳の時にちかい合ったほどの仲だったのです」

「はあ……」

「美しい女性でした。ところがその従姉妹が、二カ月ほど前……とつぜん、交通事故で……」

 柾民は言葉をみ込んだ。白いほそおもてに、じゆうの色が浮かび上がる。

 それを見て、かなめははっとした。

くなったのね……)

 なぐさめのことも見付からず、彼女がちんもくしていると、柾民は半分なみだごえで、

「彼女は突然……交通事故で知り合った花屋の店員と、ちしてしまったのです」

「…………は?」

 

 敷地内の松林を進んでいくと、宗介の眼前にひょろりと背の高い男が現れた。

「ホーホッホッホッ! ここまで来るとは、見上げた変態ですね。だが、この私を倒すことはできるかな?」

 男はへびのような身のこなしで、小ぶりなナイフを二本、ぬらりと両手に構えた。

「この長いリーチを生かした、ムチのようなざんげきからのがれえた者はかつていません。私はコックの鮫島。ようへい時代は『きサミー』のみようで恐れられ──」

 しゅぽんっ!

 宗介のったグレネード弾が、男のどてっぱらに直撃した。やはり訓練弾で、爆発はない。それでもナイフ使いはきりもみして倒れ、松の木にげきとつして動かなくなった。

「ま、待て……こら……」

 けいれんする男をみつけて、宗介はていたくめざして走った。

(待っていろ、千鳥……!)

 

「いきなり、駆け落ちですよ?」

 うらみがましい声で、柾民は言った。

「つい先日、彼女からオランダのがきとどきました。『私はとっても幸せです。マーくんもそのうち遊びに来てね』と。僕をうらっておきながら! よくも抜けぬけと……!」

「…………はあ」

 要するに、かつに恋心をいだき続けて、相手にもされないで終わったということらしい。たぶんその年上のイトコさんは、柾民を傷つけたかくさえないだろう。

「あのー。心因性の病気の理由って、もしかして、それだけ?」

 かなめがたずねると、

「『それだけ』ですって!?」

 柾民は力いっぱいうでを振り上げ、テーブルを『どげんっ!!』とたたいた。

「僕はもっともしんらいしていた女性に裏切られたんですよっ!? もうだれも信じられない──決定的な人間しんに追いつめられたんです!」

「でも、五歳の時のやくそくなんでしょ?」

「それでも約束は約束ですっ! 彼女は僕をだました。傷つけたんだ、この僕を! 絶対に許せない! 今度会ったら、必ずきにしてやるっ!」

「お、おいおい……」

 そのキレあいが、いささかじんじようではない。柾民はぜいぜいと肩で息していたが、やがて落ち着いてきたらしく、

「……も、もうわけありません。この問題を考えると、ついついこうふんしてしまいまして。

 かなめは思い切りたじろぎながら、

「まあ、思い出すだけでムカつくことはだれにでもあるし。べ、別にいいんじゃないの?」

 柾民はほっと胸をなで下ろした。

「そう言っていただけると助かります。ああ、やっぱりかなめさんはてきな人だ!」

 一気にゆめ心地ごこちへともどっていく。かなめが引きつった笑顔でいると──

 しきかいぶつそうな物音がした。

 

 宗介が邸内にしんにゆうすると、今度はヌンチャク使いがおそいかかってきた。丸々としたたいひようだが、その身のこなしはえらくばやい。

「ヒュウッ!!」

 うなるヌンチャクを、宗介は二度、三度としのいだ。飛びすさってきよをとると、グレネード・ランチャーを腰だめに構え──

 しゅぽんっ!

 はつぽう。が、おどろくべきことに、ヌンチャク使いはグレネード弾をごとにかわした。ちようじんてきどうたいりよくはんしやしんけいである……!

「ふっ、鹿め。そんな飛び道具など──」

 どぱぁんっ!!

 男のはいで、かべに当たったグレネード弾が爆発した。爆風がけんざいをまき散らし、邸宅をはげしくさぶる。そのしようげきで、てんじようせつこうボードが落ちてきて、男の禿とくとうちよくげきした。

「どはっ!!」

 倒れた男は、驚きに両目を見開いて、

「く……恐ろしいやつ。まさか、これをねらってグレネードを撃ったというのか!? 建材の落下する位置まで計算して……」

 だが、宗介はにがにがしい顔で自分のランチャーをながめるばかりだった。

「いや……。ついうっかり、訓練弾と間違えて実弾を使ってしまっただけだ」

 こうぼうふであやまり、である。

「おのれ……へんたい……め」

 がっくりといきえた男をえ、宗介はなおも前進する。

(待っていろ、千鳥……!)

 

「な、何事だ……?」

 柾民はろうばいをあらわにした。爆発音は一度だけで、それきり邸内は静かになる。

(ああ、ダメだったか……)

 かなめはテーブルにした。

「わ、鷲尾っ!!」

 返事はない。

「鮫島っ!!」

 応答なし。

「豹堂っ!?」

 なほどのせいじやく

 柾民はごくりとつばを飲み込み、

「か、かなめさん。ここを動かないで」

「え?」

「僕だって武器は持ってるんです。これさえあれば……」

 柾民はポケットから最終兵器を取り出した。だった!

「ま、柾民くん!? はいろんな意味でヤバいわっ!」

 かなめがいろんな意味で青くなっていると、とびらが『ばしんっ!』とはじけて、せんとう服姿の宗介が踏み込んできた。

「ここにいたか……」

 宗介はガラスの破片を踏みつけて、一歩、また一歩と近付いてくる。かなめが止めるより早く、柾民はを振りかざし、

「う、うわああぁぁぁぁ~~~~~っ!!」

 宗介めがけてとつしんした。

「ふっ……」

 宗介は腰から特大グルカナイフを引き抜き、ぞういつせんした。たちまち柾民の手から刃物が弾け飛び、てんじように突き刺さった。

「そ、そんな……!」

 うろたえる柾民。宗介は静かな声で、

しろうとか。おまえのナイフは、片手でのぎようのためにせつけいされたものだ。戦闘に使うのなら──」

 牛の首でも一撃でせつだんできそうなグルカナイフを、柾民にぴたりと突きつけて、

「──こういう武器を選べ」

 おごそかに告げる。その宗介のよこつらに──

 ごすっ!!

 かなめのこぶしがクリーンヒットした。

「千鳥。痛いじゃないか」

「うるさいっ! エラそうなゴタク並べて、中学生をおどしてんじゃないわよっ!」

「なにを言う。俺は君を助けに来たんだぞ」

「あーそう。あやまったりしに来たわけじゃないのね。ほんっと最低のネクラ男ね……!」

「それより、ごうもんはなかったのか?」

「だから何の話よ、それは!? あたしは彼とお茶してたの! だからじやしな──ん?」

 二人のやりとりを見てぼうぜんとしている柾民に、かなめはやっと気付いた。

「かなめさん。これは……? 貴女あなたはこの人にねらわれてるんじゃ……」

「あ、あのね。説明しようとは思ってたんだけど……その、本当は……友達なの……」

 自分のついたうそが急にずかしくなってきて、かなめの声はみるみる小さくなった。

「ひどいや……」

「ご……ごめんなさい」

「貴女だけは違うと思っていたのに。けっきょく僕をからかってたんですね……」

「そ、そんなつもりは……」

「だってそうじゃないですか。貴女を助けようと張り切ってた僕を、内心であざ笑って!裏切り、だましていたんでしょう!?」

 かなめはまったくはんろんできなかった。

「最低だ……。信じていたのに。貴女は僕のごころを踏みつけて──うわあっ!」

 いきなり宗介のげを食らって、柾民はゆかたたき付けられた。

「ソースケ!?」

「……なんだかよくわからんが、騙されるさまが悪い」

「う、ううっ……」

のうな部下に守られ、はんだんくもらせた貴様自身のしつさくだ。ここがアフガニスタンなら、貴様はすでに一〇回以上死んでいる」

「そういう問題じゃ……って、あ」

 宗介はかなめの手をひき、バルコニーの手すりに足をかけた。その先は、海に面しただんがいぜつぺきだ。

「ちょっと、まさか飛び降りる気じゃ……」

 彼はかなめの問いには答えず、

「だが──ナイフ一本で俺に立ち向かったきようみとめてやる。見上げたガッツだ」

『え……?』と、柾民は顔を上げた。

「いまの貴様にりないのは、感情をせいぎよする心構えだ。騙すな、騙されるな。すきを見せずにはくを見せろ。以上。さらばだ」

 ばっ!

 宗介はかなめをごういんに抱きかかえ、断崖絶壁へと身を投げ出した。

「っっっきゃああぁぁぁ~~~~~!!」

 自由落下にぜつきようする、かなめの声が海岸にひびき渡った。

 

 痛む頭をさすりつつ、鷲尾は三階のリビングへと入っていった。柾民がバルコニーにぼうちしているのを見て、胸をなで下ろす。

「柾民さま、ごで!? あのくせものは?」

「あそこだよ……」

 彼が指さした先、はるか彼方かなたの海上に、ゆっくりとこうしていく黒い風船があった。

「鷲尾。たしかに僕は、あまかったのかもしれない」

「は?」

「隙を見せずに気迫を見せろ、か。そうでなければ、愛する女性さえ守れないんだ。きっと……」

 などと、わけの分からんうちになつとくしている柾民だった。

 

「おわびの手紙くらい、送らないとね……」

 宗介の腕に抱かれたまま、かなめは言った。二人は直径数メートルのバルーンにぶら下がり、じよじよに海面へと近付いていくところだった。

「なぜびる必要がある」

「だって、きっと落ち込んでるもん。あのとしごろの子って、すごい傷つきやすいんだよ?」

「そうなのか」

「そうよ。あたしだって……。ソースケは、そーいうのなかったの?」

ならしたぞ」

「言うと思った。……ところでソースケ。なんだかんだ言って、けっきょく、あたしを助けに来たんだったよね?」

「そうだ」

「……心配してくれたんだ」

「ああ」

 かなめはすこしだまったあと、

「ごめんね」

なら、いい」

「うん。ふふ……」

 かなめは彼の肩にほほをのせ、気持ちよさそうに微笑ほほえんだ。

 

〈鋼鉄のサマー・イリュージョン おわり〉

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