世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません~
ミラ
幽霊に呪われた大福
いつもの定食屋
『その幽霊事件、私に解かせてください』
秋の夜も更け、店仕舞い時間が迫る。行きつけの古い定食屋のカウンターで、私は項垂れていた。だが、SNSに届いた一通のダイレクトメールを見て目が点になる。思わずがばっと身体を起こしてスマホに食い入った。
「本当に?!」
「どうした、心葉(ここは)ちゃん。また嫌なこと言われたか?」
時間を重ねてどっしりした木のカウンターの向こう側から、定食屋のご主人が憐れむ視線を送ってくれる。壁には手書きのメニューが並び、懐かしい雰囲気の店内にはもう私しか残っていない。静かな店内で、私はつい声を張ってしまった。
「呪いの大福事件を、青井さんが解いてくれるって!」
「青井さんって?」
「私の大福屋の、常連さんです」
「あーそういえば前に言ってたな」
私はブラックな企業で働く薄給の派遣OL。副業で、大福屋を営んでいる。私の大福屋はこの定食屋のように実際の店舗を持っているわけではなく、ネットショップだ。
きちんと法律を守った環境で作ったお菓子類ならをネット販売できる。大福を作るのが好きなので、趣味の傍らネットで販売してみたら意外な副収入になったのだ。
とは言っても、購入してくれるお客さんはほぼ決まっていて、ダイレクトメールをくれた青井さんが私の大福屋の収入の8割を担う。
彼は一ヶ月で200個くらい買ってくれる。一日で6個くらい食べる計算だが、一人で食べているのかは定かでない。買い始めてくれて一年になる超太客だ。
ふさふさの眉毛が特徴の定食屋のご主人が、コンロに鍋を置いて湯を沸かし始めた。
「俺は心葉ちゃんの大福が呪われてるなんてありえねぇってわかり切ってる」
「ありがとう、ご主人……!そう言ってくれるだけで救われる!」
「俺には炎上なんてわかんねぇけど……心葉ちゃんが困ってるのは見ててわかるからな。可哀想で仕方ねぇよ」
バズるわけでもなく低空飛行の大福屋運営であるが、趣味と実益を兼ねた大福屋を私は気に入って続けていた。
しかし、二週間前に大福屋のSNSに書きこみが入ったのだ。
『ここの大福を食べたらお腹を壊した』
『俺も』
『制作動画見てるとたまに白い影がちらつくの知ってる?』
『みたみた幽霊動画!』
『あたしもお腹を壊しました。まさか幽霊に呪われてるとか?』
『マジ白い影ちらつくじゃんおもろー弱小企業廃業確定おつ』
『呪われた大福爆誕』
個人販売のお菓子は製造過程に不安感がある。私は安全性を担保するために制作中の動画をSNSにアップしていた。その動画の一つに白い影がちらついているというのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、どういうこと!しかも絶対、幽霊は関係ないよ?!」
私はスマホの中のSNSの画面に言い放った。だが、誰にも聞こえない。私も動画を確認してみた。
菓子製造許可のあるシェアキッチンの監視カメラを抜粋した映像だ。シェアキッチンの許可を得て、映像をもらっている。
銀色のステンレスがピカピカの広いキッチン。私があっちこっちと動いて調理している様子が淡々と流れていて加工など一切していない。
私がキッチンの端のコンロに置いた寸胴鍋の前で、ことこと小豆を煮込んでいると。もやもやした白い影がすーっと画面の前を通るのだ。そこから時間を置いて何度も白い影が画面を通る。
「なにこれ……」
確かに白い影が映っている。しかし私が大福を作っていたときに、そんな白い影などどこにもなかった。
「もし幽霊なんていたら、私が見逃すわけがないのに……」
私は握り締めたスマホを額に押し当てて、何度もつぶやいてしまった。
普段なら誰も見ていないような弱小SNSアカウントだというのに、幽霊動画と呪いの大福の投稿だけは伸びに伸びてバズってしまった。悪い噂だけはすぐに広まる。
「幽霊に呪われた大福」と称され、私の大福屋はどんどん叩かれてしまい、あっという間にお客さんは離れてしまった。噂が噂を呼んで、もう誰にも止められなくなる現象を目の当たりにした。
定期的に注文をくれたお客さんからキャンセルをもらい、残っている常連は青井さんだけ。
この状況の中、青井さんが事件を解いてくれるというメールをくれたのだ。定食屋のご主人がたっぷり湯気をあげるお湯を急須に注ぐ。
「たしか、その常連客ってのは海外に住んでるんじゃなかったか?」
「そう。いつも冷凍で大福を送ってたんだけど、今度日本に来るからって」
「そいつが幽霊事件を解いてくれるってか?いいじゃねぇか頼ってみたら」
「でも会ったこともないのに、迷惑かけるのはどうだろうって思って……」
定食屋のご主人は、急須から湯呑に熱々の茶を注いだ。備え付けのピッチャーに入った水ではなく、わざわざあったかいほうじ茶の入った湯呑を差し出してくれる。
「心葉ちゃん、大福屋やめるわけにはいかねぇんだろ?」
「うん……ただでさえ収入が少ないのに、これ以上、仕送りが減ったら困る……」
私には大学に通う妹がいる。
妹は私よりずっと頭が良くて医学部に在学中だ。授業料にはもちろん奨学金を使っている。
だが、大学の近くに下宿するための生活費、教材代、雑費。いくらあっても足りない。妹が勉強する大事な時間に、バイトなんてさせられない。他に頼れる親族はいないのだ。
長時間労働をしても薄給の中から仕送りをして、大福屋の収入だって送っていて、それでも足りなくて借金を重ねている最中。
そんな切羽詰まった暮らしの中で、大福づくりは私の唯一の息抜き。ことこと小豆を煮るときに遅くなる時間の感覚や、柔い求肥餅を捏ねて餡子を包む瞬間だけ、私は私に戻れるのだ。
大福づくりが好きで、副業のお金も必要だ。こんな誤解で、このまま大福づくりから手を引くのは嫌だった。
「俺は食べ物で繋がった縁ってのは好きなんだよ。俺と心葉ちゃんだってそうだろ?本当の常連ってのはあったけぇよ?」
ご主人の大きな笑顔に背中を押してもらう。離れて行った人もたくさんいるが、青井さんだけは残ってくれた。手を貸してくれるとまで言ってくれている。そんな縁に縋ってみても、いいのかもしれない。
私はご主人の淹れてくれたほうじ茶を飲んで、覚悟を決めた。
「青井さんに、会ってみる!」
私がご主人に向かって顔を上げると、ご主人がにっと笑う。
ご主人の後ろで、向こう側が透けて見える美人の女性が同じようににっと笑った。
透ける彼女はもうこの世にいない、ご主人の奥さんだ。私が知る限りずっとご主人の側にいる。けれど視えない彼女の存在を、ご主人は知らなくて。私だけは知っている。
私は店を出てから、青井さんに会いたいと連絡を取った。
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