荷の男

@akitanoyosei

1.

ウルル……当時はエアーズロックと呼ばれていた、その巨大な一枚岩を、何故か十九歳の時のビアトリスクは見たくなった。

そのためにビアトリスクは休暇をとっていた。彼女はアメリカの大学の通信教育らしく、家庭教師と共に勉強に励んでいたが、特に夢があるわけでもない。ヴィクトリアン時代の固い教育を受けている。それほど頭のいい大学ではないのだが、このまま彼女は数年学校の先生かなんかになり、金持ちの男と結婚し、自分では掃除が仕切れないメイドが3人くらいいるお城のような家に暮らすのだろうかと、この時は思っていた。


しかし、それが起こらなかったのは、いいことなのだろうか、気の毒なことなのだろうか。彼女の目の前には火花がちらちらと見える。眩しいものを見た後に出る残像が酷くなったようなものだ。

オーストラリアの土地を舐めてはいけない。四割は生活に適さぬ土地であり、一九八〇年になって誰も知らなかった先住民が見つかった話もある(『ピントゥピ人』、とてもユーモアに溢れた強く凛々しい方々である)。


「女の子の方は意識がある」

「ああ、運転手はこりゃ即死だな……」

「おばさんの方はとりあえず止血して!」

「あんまり子供たちには見せないで! クランシー、あんたも来なさい」

最初はなんだか体がただ動かない感覚のみあったが、次第にその痛みに目を覚ますビアトリスク。浅黒い肌の先住民……南インド系が共通の祖先という説が高いらしい。と、明らかにみずぼらしい姿をした若めの白人の男だ。

先住民のばあちゃんが、ビアトリスクに言う。

「あんた、何歳?」

「十九です」

「ああ、良かったね。だったらすぐに骨もくっつくよ」

「すみま……お、折れてるとは……?」

「脱臼もいくらかしてるね、死ぬほど痛いかも知れないけど早く付けないとまずいから、ちょっと我慢してね」

徐々に事の重大さに気づく。しかし、ふと横を見ると自分は変わり果てた姿のだいぶ痛々しいメイドのサマーほどではない。血はかすり傷程度しか出ていないらしくもある。

その為か、白人の男が持ち主らしいお世辞にもいい匂いとは言えない、独特の臭いのするスワッグテントに入れられた。この臭いも慣れるだろうとじっと我慢する。まあ、耐えられないものではない。屋根は低く丈夫な帆布で、床にも帆布が敷いてある。優しげな薄い毛布をかけてくれている。ビアトリスクは痛みについ涙がちょちょぎれる。

グスグスしばらく泣いていると、また男が入ってきた。しばらく剃ってない髭で、年齢があまり分からないが、よく見ると若いので20歳前後であろうか。

「どこが外れてるか分かる」

「左腕と左足、手の親指もやってるっぽいです」

男は掴み掛かってくると、

「かなり痛いけど我慢してね」

と、まずは足を力任せとしか言いようのない力でくっつけようとした。隕石が落ちたような痛さ、頭が原子の世界になり、もはや言葉が出ない。ポロリ落ちる涙を、男はどうとも思わん目で一瞬見た。足はハマったらしい。骨折した所も痛みがあるが、脱臼のはめる時の痛みに比べるとそこまでではなかった。

その調子で腕と指もはめた。目玉が裏返りそうになる惨めなビアトリスクを、男は無表情で見る。

「脱臼は付けないとまずいから。他にはないよね?足の指動く?」

「動くけど動かすと折れた所が痛い」

男は責任者?のおばあちゃんを呼びに向かう。ビアトリスクは大きくため息をする。そもそもここは何処だろうか?


しばらくすると、男とおばあちゃんがやってきた。おばあちゃんは

「お嬢さん、怖かったでしょう。残念ながら、女の人の方はそろそろダメかも」

メイドのサマーのことだ。ああ、可哀想なサマーと運転手のルーカス。

男はスワッグテントの屋根を取り払ってくれた。崖に正面衝突したフォードは潰れていて、三分の二? ほどの大きさになっていた。

男は充血した目をこすり、

「大丈夫、僕ら何も触らない。でも、このまま放っておくと輩がフォードを残骸も無く持っていっちゃうかも。色々荷物があるんだよね?」

「まあ……あるよ。わかったわかった、いらない物とか、あなたたちにあげるから。……とりあえず、残骸以外の物は全部持ってきてくれないかな」

男と九人の先住民は優しかった。ちゃんと金目の物一つたりとも盗まずビアトリスクの寝るスワッグに持ってきた。

「あっ、まずこれは私の荷物だよ」

「うわ、小さい……」

誰かが言った。カバンを開くと、四つあった香水瓶のうち二つが割れていて重い匂いが立ち込めて、スワッグの男の独特な臭いを消した。またため息が出る。

ビアトリスクは、自分とルーカスとサマーの財布からもお金を取り、いくらあるか数えた。

十二ポンドと小銭がちまちまと。帰り賃くらいにはなるだろうか?

「あの、皆さんありがとう。よかったらこれ、足しにしてください。あと、フォードの残骸も自由にしていいですから」

先住民には、代表しておばあちゃんに1ポンド、男にはフローリン硬貨を軽い気持ちで手渡し、スワッグの中で物を選別し、一部を先住民や男にあげたりした。

「本当にこれは貰って大丈夫なものなの?」

「大丈夫ですから……」

「これが無きゃ帰れなくないか?」

「そんなもんですかね?」

口々に言われ、ビアトリスクの頭の上に不穏な風が流れる。とにかく、この状態で帰ることはできない。足が動かないのだから。おばあちゃんは足に布を巻いて、出来るだけ真っ直ぐな枝で骨折を固定した。ビアトリスクは今にも泣き叫んで誰か助けてくれと言いたいが、優しくしてくれた彼らに申し訳ないので、言えないのである。

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