第29話 邦栄市の昼と夜


「何で貴方までいるんですか?」

 いの一番に文句を言ったのは高御堂だった。

「心外だな。わざわざ、かつての教え子たち達の顔を見に来たのに」

「あっ、鈴木先生、お久しぶりです」

 そう言って内海は一礼した。

「久し振り!元気そうで良かった」

 毛利が二人に声を掛けた。

「聡子じゃない!すっかり先生してるね」

「夕紀と聖もチャンと警官やってるみたいね」


 念の為言っておくが、ここは森小路警察署の受付である。

 森小路区の急激な人口増加に伴って、以前の警察署では手狭になったので、新しく建てかえられて、今年の春に開署した。

 新しい庁舎は、病院か銀行と見間違いそうな解放的な作りだった。


 それはともかく、周りにいた署員達が場所もわきまえずに、キャッキャッと騒ぐ彼女達を、珍しそうに見ていた。


「「再開を喜ぶのは良いが、場所をわきまえろ!」」

 図らずも小言がハモってしまい、かつての担任と今の高御堂と内海の上司は、思わず顔を見合わせた。

 周囲の署員達は笑いを堪え切れず、クスリと笑った。

 美杏がこっそりと彼等と距離を置いたのはここだけの話である。



 花沢剛(たけし)と名乗った高御堂と内海の上司はパーティーションで仕切られた別室に一同を案内した。

 そこには、あの岩下警部と、上品さを感じさせる老婦人が待っていた。


「やあ、またお会いしましたね。そちらのお嬢さんが痴漢を一人でやっつけた功労者だね」

 彼はそう言いつつ、老婦人と共に立ち上がって挨拶して美杏に名刺を渡した。

岩下の名刺には、所属とフルネームが印刷されていた。

 岩下英二、それが彼の名前だった。


 ここで、内海がお茶を人数分持ってきた。

 お茶を置いて立ち去る時に毛利と美杏にウィンクしながら敬礼して行った。


「君も2年Ⅾ組の生徒だったね。私も9月に入ってから君のクラスとは何かと縁があってね。おかけでうちの管轄の留置場が万杯になってしまったよ」

 嫌味で言ってる訳ではなさそうだった。

「まあ、それは置いといて……実はこちらの婦人が君に謝りたいとおっしゃっててね、こうして彼女からも詳しい調書を取るついでに、ここに来てもらったという訳だ」


「初めまして、私はÐFR社の代表取締役社長、二ノ宮浅子と申します」

 老婦人はそう言って彼女達に名刺を渡した。

 大陸耕作と比べると、シンプルで顔写真も無かったが、高校生でもそれとわかる上質な紙を使っていた。


「まずは私共の社員がこの様なご迷惑をおかけし、かつかかるご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございません」

 彼女はそう言って美杏に頭を下げた。

 その態度は一切の弁明もなく、美杏が大陸耕作の両人差し指を折った事は一言も触れず、素直に自分達の非を認める物だった。


 美杏もその一種の威厳すら漂う態度に、思わず頭を下げた。

「い、いえ……こちらこそ……」

「貴女が頭を下げる必要はないのよ。女として当然の事をしただけだから」

 それは大陸耕作の件を、それ以上持ち出す事は、お互いに為にならないと遠回しに言っていた。そして彼女はこう宣言した。

「関係者には厳正な処分を行いますので、その辺は安心してください」

 そう言った彼女の目には、断固たる決意と、それとは別の何かが宿っていた。

 美杏は自分に向けられた物ではないにせよ、思わず身震いした。


 その後、美杏は毛利は内海にまた別の部屋に連れて行かれて、美杏は更に詳しい内容の調書を取られた。

 内海の口調は穏やかで、聞く者に一種の安心感を与えた。美杏も彼女が邦栄高校の卒業生ということで、緊張せずに話せた。


 彼女はここだけの話と言って、大陸耕作の詳しいプロフィールを彼女達に教えてくれた。

 彼は所謂ボンボンで、ÐFR社の邦栄支社長の息子だった。

 プロジェクト推進部課長という大層な名前の役職も、彼を祭り上げるための物で実際の仕事は彼に付けられた派遣社員にナゲッパで、実績は全部自分の手柄にしてたらしい。


 実際、彼自身の実力は御粗末もいい所で、支社長の息子という立場に胡坐をかいて社内では若くて綺麗な社員に片っ端からアプローチしてる始末で、最近はSNSで知りあった痴漢仲間と怪しげな薬をさばき始めていたらしい。


 どうやら大陸耕作はその方面の才能には恵まれていた様で、架空の会社をでっち上げて、そこと取引してる様に見せかけて、売上の半分を着服していた。

 父親たる支社長も当然その事は把握していたが、採算が黒字になっていたのをいい事に敢えて見逃していた。


 発覚が遅れたのも、支社長が違法薬物の売上の一部を口止め料にしたり、違法薬物そのものを与えて薬漬けにしたりして口封じをしたからであった。


 一連の不祥事は美杏が大陸耕作の指を折らなければ、発覚は遠い先だっただろう。

 実際、彼はそのまま近くの病院に駆け込んだのだが、そこが警察病院だったのだ。

 そして当然治療が終わった後に医師の通報を受けて病院に来た警官の事情聴取を受けた。

 事情聴取をした警官は彼の証言の矛盾を容赦なく追及し、更に森小路警察署からも彼の肩掛け鞄を持った刑事が来た事が決め手となって、めでたく逮捕となった。


 その意味でも警察と二ノ宮は美杏に感謝していたのだ。

 勿論全てをマスコミにそのまま伝えるわけにはいかなかった。

 美杏は被害者であり、未成年である。例え顔を隠して取材に応じたとしても、見る人が見たら特定は容易だし、日本では何故か痴漢やレイプ魔より被害者を誘っているとか防衛意識が低いと言って槍玉にあげる。


 そうでないとセンセーショナルな記事にできないからだ。

 それが明治時代から羽織ゴロと呼ばれ、現在第四の権力と言われ、マスゴミと呼ばれている大半のマスコミの実像だった。


 その意味では、後に記者会見で二ノ宮が見せた態度は語り草となったが、今はその話は置いといて、場面を美杏が連れて行かれた後の別室に移す。




「邦栄市にかなり大規模違法薬物の販売組織が入り込んでいます。小は大学や高校みたいな学校で一部の生徒が売ってたり、大は企業で半ば堂々と取り扱ってたり……邦栄学校やÐFR社の件はその一部が不意の事態で露呈した感じですね」

「「……」」

 鈴木と二ノ宮は無言で岩下の話を聞いていた。


 特に鈴木は迷信めいた物を感じていた。

 彼自身は幽霊も信じておらず、正月に神社にお参りし、盆に先祖を祭り、墓参りにお寺を訪れ、家族と共にハロウィンやクリスマスを祝い、年末に紅白歌合戦を見ながら晩酌を楽しむ典型的な日本人だったが、彼が勤務する学校で生徒に死傷者があれだけ出て、今また被害者が出れば悪霊の存在も信じたくなるという物だった。


 逆に二ノ宮は、企業の経営者らしくÐFR社の株価の動きや、今後の経営方針、地方の他の支社の状況の現状の洗い出し、代表取締役社長としての役割を果たした後の自分自身の身の振り方などについて考えを巡らせていた。

 ÐFR社は彼女の夫と立ち上げた会社で、三年前に先代社長たる夫が癌で亡くなってから彼女が切り盛りして業界3位のコンサルティング会社に育て上げた。

 3人いる息子は武者修行として、他のコンサルティング会社で修行中である。


 それはともかく、岩下は更に話を続けた。

「特に碧陵高校は校長を始めとする教師と一部の生徒が結託して、邦栄高校に存在したバイヤーから違法薬物を購入していたようです。更にそのバイヤーに薬物を卸していたのがÐFR社の大陸耕作のようです」

 

 この情報は碧陵高校のジャージネクタイ男=坂井充とÐFR社の大陸耕作から聞き出した。両者とも自分の罪を少しでも軽くしようと取調べにあたった刑事達が呆れるほどの饒舌ぶりを発揮して彼等が知る限りの情報を提示した。


 弘明と司が碧陵高校の生徒に襲われ、美杏が大陸耕作からの痴漢に遭ってから一週間と経っていなかった。

 夏の暑さが残る中、森小路警察署の敷地内に植えられたクヌギの木でツクツクボウシが独特の声で鳴いていた。



「クソッタレが!」

 伊奈垣が毒づいて近くにあったビールの空き缶を踏み潰した。

「販売ルートがこんな形で潰れるなんて予想外だな」 

 須和がなだめる様に言った。


 彼等4人組は邦栄高校から放校された後、邦栄クライムという地元のカラーギャングが半グレになった集団に『就職』していた。

 今は違法薬物の販売の一旦を担っているのだが、彼等が任されていたルートが一瞬にしてパーになってしまった。


「取り敢えずÐFR社の大陸と邦栄ルートを任せていた3年生がまとめていなくなったんだ。キングにどう報告するんだ?」

 貴龍がジャックナイフを弄びながら言った。

「ありのままを伝えるしかないだろう」

「まあ、仕方ねえな。」

 伊東が同調する。


「それよりも、奴らに卸していた薬はどうする?まだサツには見つかってないはずだ」

「そうだな、それだけでも回収しておいた方がいいだろう」

「隠し場所は分かるのか?学校の中だと手出しできないぞ?」

「大丈夫だ。前に同行した事がある。学校の裏の伏見城だ」

 須和が答えた。正確には伏見城に似せた模擬天守閣だが、そんな事は彼等にはどうでもいい事だった。

 しかも既に佐伯凜々花と北島笑美子に持ち去られた事も当然知らなかった。



「クソッタレが!」

 伊奈垣が毒づいて近くにあったガラスケースを蹴った。意外と大きな音がしてガラスケースが粉々に砕け、積もっていた埃が舞い散って鼻孔に侵入して不快な思いと共に彼等をむせさせる。


薬は文字通り綺麗さっぱり持ち去られた後だった。


「サツか?」

「いや、だったら鍵を掛け直すはずだ。だとしたら……」

 須和は考えこんだ。4人組の中では彼が比較的口が上手くて頭が回る。

「彼ら以外でここの事を知っている奴がいたって事だ」

「羽黒の奴か?」

「可能性は無きにしも非ずだが、今回は違うだろう。何しろ園芸部なんぞで土いじりに明け暮れてる奴だ。こんな大それた事なんて出来ないだろう」

 彼の言葉には忌々しさと同等の恐れがあった。

 何せ彼のせいで邦栄高校の番長になるという彼なりの”夢”が文字通り夢に終わった挙句、学校から放校されたのだから。


 しかも、風の噂で金髪碧眼美少女を彼女にしたとか、彼のクラスを学校公認のハーレムにしたとか、裏番として学校を思いのままに支配しているとか、彼等が羽黒の力を背景にやりたかった事を羽黒が直にやっていると思っていた。

 

 まあ、金髪碧眼美少女を彼女にした以外はすべて出鱈目だったが……

 それはともかく、自分達以外で此処の隠し場所を知っている者がいると結論付けた一同は、日頃サラリーマン言葉とバカにしていたホウレンソウ=報連相をキングにせざるを得なかった。



 彼等からキングと呼ばれている男は邦栄クライムがカラーギャングだった頃からの古参の一人で正確にはダイアのキングと呼ばれていた。


 邦栄クライムの古参の中でも最も力のある5人は港区に本拠地を置き、それぞれの得意分野で邦栄市に勢力を伸ばしていた。


 スペードのキングは暴力全般を担って配下の暴走族やヤクザ崩れを束ね、

 クローバーのキングは違法カジノ全般を担い、

 ハートのキングは風俗やスナック全般を担い、

 ダイアのキングは違法薬物や対外勢力との交渉事を担い、

 そして、彼等の上に立つダークビッグワンと呼ばれる男が全体をまとめている。


 因みにⅮビッグワンにはアイアンクロー(鉄の爪)と呼ばれる直属の処刑部隊がいるともっぱらの噂である。


 それは置くとして、ダイアのキングは下との繋ぎを任せている部下から名邦区のルートが壊滅したとの報告を受けて頭を抱えていた。

 名邦区のルートを任せている4人組は自分達は何も悪くないと、必死に乏しい語意を一生懸命使って訴えて電話口の部下をウンザリさせる事に一役買って自らの評価を大いに下げたが、別ルートで調べた結果、嘘はついてないと分かったので「余計な事をするな」と念押しして指示待ち状態にしている。


 今彼はハートのキングが経営する港区のスナックの奥のVIP席にいた。

 今日は月に一度の会合の日なのだ。

「浮かない顔ね、こっちまでブルーになっちゃうわ」

 そう言ってわざとらしくシナを作ってハートがダイアに寄りかかる。

「よるな」

 ダイアは静かに、そして断固として拒絶の意思を示した。

「つれないわね、折角慰めて上げようと思ったのに……」


 ダイアは辛うじて怖気を抑え込んだ。

 ハートは5人の中では最も年少で、最も危険な人物だった。


 見た目は20代後半の可憐さの中に妖艶さを秘めた妖女だが、実は10年前まで別の性別だった。元々ナヨナヨしていた所はあったが、ある出来事を機に〇ン〇ンを自らの手で切り落とし、全身に魔改造を施してある目的を達成したという、色々な意味でイロモノの中のイロモノと仲間内では呼ばれている。


 その後は港区内を中心にスナックや風俗を束ねて、邦栄クライムのオアシスと呼ばれる一大性産業を築いている。



 そうしている間にスペードのキングとクラブのキングが店に到着し、最後にⅮビッグワンが威風堂々あたりを払うの体で、左右にアイアンクローと呼ばれているボディーガードを従えて入店して来た。

 

 アイアンクローに「俺がいいと言うまで誰も入れるな」と言って奥のVIP席へ向かう。アイアンクローが重厚な作りのドアを閉めた。








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