第24話 毛利の過去
翌朝、弘明はいつも通り7時に起きた。
やや頭がボーッとしている以外はいつも通りだ。胸のひび以外は……だが。
いつも通り制服に着替えて一階に降り、顔を洗って歯を磨いて勇樹と朝食を食べ、身だしなみを整えて一緒に玄関に行く。
外で司が玄関の前で、すまなそうに待っていた。
「朝練は休んだのか?」
司は無言で頷いた。
「お前の日頃の態度がいいからこの程度で済んだんだ。ちっとは喜べ」
多少大袈裟に言ったが、相変わらず無言で頷いた。
勇樹は司の肩を無言でポンポンと叩くと自転車を漕いで、学校に行った。
暫し彼の後ろ姿を二人で見送って、お互いに無言で歩いたが、程なく近くに住んでいる大貫修一と出会った。
「よう、昨日は災難だったな」
「なんで知ってるんだ?」
「もう噂になってるぜ、詳しくは知らんがな、お前らが杉田外科医院に担ぎ込まれたって、うちのオカンが近くの知り合いから聞いたって言ってたぜ」
近所に知り合いが多いって、ある意味で恐ろしい。
司を見たら耳まで真っ赤になっていた。多分俺も同じような顔をしているだろう……と弘明は思ったが、修一はいい感じで勘違いしたようだった。
「まあ、気にするな。お前たちは暴漢に襲われた被害者なんだし」
「そ、そうだね」
司は調子を合わせてうなずいた。
*
邦栄高校は時ならぬ大事件の話題で持ちきりだった。
一つはここの生徒が星ヶ丘公園で暴漢に襲われた事件。
そしてその犯人の平和公園の向こう側にある碧陵高校の生徒が出刃包丁で複数の同級生を殺した事件。
校門の前にはテレビ局の中継車が何台か乗り付け、レポーターが深刻そうな表情を装って司会をしていた。
そのレポーターの後ろで登校して来た生徒達が珍しげにテレビカメラに目をやりながら校内に入っていく。中にはカメラに向かってVサインを送る生徒もいた。
弘明達はそれを遠目で見て、遠周りになるが、裏の平和公園に通じている、運動部が良く使っている裏門から入る事にした。
幸い裏門にはマスコミはおらず、同じ様にマスコミを避けて遠周りして来た生徒が何人かいた。
*
「ちょっといいですか?」
いきなり声をかけられ、古田正信は声の主の方に向き直った。
そこにはカメラマンを従えた若い女性レポーターが、作り笑いを浮かべて彼にマイクを突きつけていた。
「昨日、この近くの星ヶ丘公園でここの生徒が襲われた事件はご存知ですね?」
正信の返事も聞かず、一方的に用件を切り出す。
「は、はあ……」
「その襲った犯人が碧陵高校の生徒で複数の同級生を殺したのですが、そのことについて、どういう感想をお持ちですか?」
星ヶ丘公園でここの生徒が襲われたという事も、碧陵高校で生徒が複数の同級生を殺した事件という事も初耳だった。
彼は、昨日はテレビもスマホも見ずに早く寝てしまったのだ。
彼はレポーターに逆に質問した。
「すいません、昨日は早く眠ったもんで、今が初耳なんですよ。もっと詳しく教えてもらえますか?」
レポーターは、しばしキョトンと正信を見ていたが、それでも順を追って詳しく説明してくれた。
「そうだったんですね。被害に遭われた方々が早く治るよう、お祈りいたします」
正信は定型文を読み上げる様に言って、そのまま正門に向かった。
レポーターは徒労感に襲われて立ち尽くしていたが、すぐに我に返ると、他の生徒にインタビューするために再び近くの生徒の集団に向かって歩いていった。
*
弘明と司は教室に入り、平静を装って席に付いた。
星ヶ丘公園で襲われた高校生が弘明と司だという事は、クラスメイト達はまだ知らないようだった。
司と仲が良い高木理恵が話しかけてきた。
「ねえねえ、昨日の事件の事聞いた?」
「え、事件って?」
大体の予想は付いていたが、わざととぼけてたずねる。
「星ヶ丘公園でここの生徒が襲われたんだって、で、襲った暴漢が平和公園の向こう側にある碧陵高校の生徒だったんだって」
「へー!そうなんだ」
「私ね、碧陵高校に進学した友達がいるんだけど、昨日大変だったみたいよ」
「どんな風に?」
「別のクラスで虐められてた人が虐めっ子を包丁で刺し殺したんだって。しかも5、6人くらい。おまけに止めに入ったクラスメイトや先生たちにも重症を負わして星ヶ丘公園まで逃げて、そこで偶々居合わせた、ここの生徒に手傷を負わせたんだって」
「……」
あそこで出会うまでに、そこまで大事を起こしていたなんて……
司が何か答えようした時、予鈴のチャイムがなった。
入ってきたのは担任の織田の他に珍しく副担任の毛利聡子もいた。
この学校の卒業生で、かなりモンスター級の問題児だったらしく、司達が図書室にある卒業アルバムで見た当時の姿は、かなりイッテいた。
それはともかく、HRでは織田から昨日の一連の事件の概要と、表のマスコミにはなるべく近寄らないよう注意があった。HRが終わってから、弘明と司は毛利から校長室の隣にある応接室に来る様に言われた。
(昨日の事だろうな……)
司はうんざりした表情で弘明と毛利の後について応接室に向かった。
後にした教室から、微かにさざめく声が聞こえてくる。
応接室には学年主任の鈴木と、岩下警部が待っていた。
「あ、昨日はどうもありがとうございました」
岩下の顔を見ると、司は弘明と共に遠慮がちに挨拶した。
「いやいや、気にしなくていいよ。まあ楽にしていいよ、楽にね」
岩下は気さくに手を振って司に笑いかけた。
司もつられて笑った。
この初老の刑事には人の緊張を和らげる不思議な魅力があるようだった。
それでも鈴木は緊張しているのか、固い表情が和らぐことはなかった。
逆に毛利は平然として、岩下に挨拶を返し、その節はお世話になりましたと付け加えた。
全員が席に付くと、岩下はやや厳しい表情になって用件を切り出した。
「実は君達に見てもらいたい物があるのだが……」といいながら岩下は写真を取り出して、彼等の前に5枚並べた。
「君達はこの顔は知っているかね?」
それは、彼らはまだ知らないが平和公園で殺されたDQN共の写真だった。
「この人とこの人は見た事があります」
弘明達が指差したのは小羽と、阿藤の写真だった。
一度昼休みに怪しげな商売モドキをしに来た事があったのを覚えていたのだ。
「そうか…念の為聞くけど、昨日君達を襲った男の他に、この写真の人達はいなかったかな?」
弘明と司は改めて写真に見入って「はい、いません」……と短く答える。
「そうか……」
岩下は少しがっかりしたように肯いた。
反対に鈴木と毛利はやや安堵したように見える。
どうやらこの5人が一連の事件に関わっているのではないかと疑われているようだ。司は思い切ってきいてみた。
「ひょっとしてこの人達が一連の事件に関わっているかも知れないんですか?」
「いやいや、まだそうと決まったわけじゃあない。今日学校を休んだ生徒は彼等を含めて全部で8人いるが、他の2人までは所在が確認されている。それにこの5人が一連の事件に巻き込まれている可能性の方がむしろ高いかも知れないんだ」
岩下は写真をしまいながら答えて、新たに数枚の写真を取り出した。1人の人物のスナップ写真や、生徒手帳用と思われる正面写真だった。
「ではこの写真の人物に見覚えはあるかな?」
「えーと……見た事がある様な無い様な……」
「……?」
2人共デジャヴーを感じていたが、今一思い出せなかった。
「これは昨日君達を襲った碧陵高校の生徒だ。まだ1年生だが、この付近で見かけたこととかはないかな?」
「いえ、全く」
「ないですね」
2人同時に答えた。
昔からこの辺に住んでいるのだ。オートロックの大きなマンションに最近弘越してきたとかでなければ同世代の人は小学校から知っている顔なじみばかりだ。
そして2人の頭の中のデータファイルには一致する顔は無かった。
岩下は何か隠してないかと彼等の表情を注意深く見ていたが、何も隠していないと判断したらしく「そうか」……と一言言って写真をしまった。
先ほどの厳しい表情は消え、柔和な顔付きに戻っている。
「それと、この事はまだ友達とかに話しては駄目だよ。まあ昨日の今日で辛かっただろうが、すまなかったね」
「いいえ、こちらこそ余りお役に立てなくて……」
口数も少なく弘明と司は挨拶を返した。
その時、岩下の胸の辺りから携帯電話の呼び出し音が聞こえた。
「失礼」
一言断って、携帯電話を取って外に移動する。
「もしもし、それで、そちらはどうだった?……うん、うん、それで、……そうか。……うん、わかった」
さらに幾つかの指示を与えて岩下は電話を切って戻ってきた。
同席していた鈴木と毛利は不安そうに顔を見合わせている。
その後、岩下は鈴木に話があるからという事で、弘明と司は教室に戻るように指示された。
二人は岩下に礼を述べると応接室から退出した。
毛利も一緒に退出する。
彼女らが出て行ったのを確認すると、岩下は表情を改めて、鈴木に先程彼等に写真を見せた5人が平和公園で、死体で見つかったと言った。
*
「毛利先生って、あの刑事さんと知り合いなんですか?」
「ちょっとね……」
司の問いに毛利は言葉を濁して1時間目が終わるまで20分程あると言って1階の自動販売機が並んだエリアに彼等を誘った。
毛利は紙パックのココアを買い、奢りで弘明はコーヒーを、司はミックスジュースを買った。
毛利は簡単にだが、自分が教師になった理由を語った。
それによると、毛利は彼等の予想どおり、かなりの問題児で上級生の不良グループや他校の不良と喧嘩騒ぎをたびたび起こして警察の世話になる事もしょっちゅうだった。
しかし、弱い者虐めは絶対にやらず、相手にするのはそういう連中で、対外1対数人だったので、殆どは軽い処分で済んだが、何度目かにナイフを持って襲ってきた相手を半殺しにして何度目かの警察の世話になり、その時に自分を担当した岩下に身の上話をした。
毛利は小・中学校と虐められっ子だった。
そんな自分を変えようと親の転勤を機に、強くなろうと独学で喧嘩のやり方や護身術を研究し、独自の喧嘩術を身に着けた。
その一方で、元々勉強はそこそこ出来たし、英語は特に得意だったので、それだけは気を入れて勉強した。
それを聞いた岩下は、彼の知り合いのいる山向こうの教育大学を紹介して、ここを受けて合格するか、鑑別所に入るかの二者択一を迫った。
彼女は勿論、前者を選んだ。
そして紆余曲折を経て今に至ると言うわけだ。
……と彼女が語り終えたのと、1時間目の終了を告げるチャイムがなったのはほぼ同時だった。
「今話した事は内緒にしてね。私の取って置きの話だから」といたずらっぽく笑うと「次は私の授業だから遅れたらダメよ」と言って一旦職員室に戻った。
弘明と司は慌てて半分以上残ってる飲み物を飲み干すと、教室に戻った。
*
教室に戻ると、落ち着く暇もなく質問攻めにあった。
一度に大量の質問に答えることは、聖徳太子ならぬ彼等には無理だったのは言うまでもなかったので、昼休みに榊麗香が代表して話を聞く事でようやく話がまとまったのだが、そこで2時間目を告げるチャイムがなった。
お陰で弘明と司は昨日の事件で、伝えていい事と伝えなくていい事を分ける時間が出来たし、休憩時間に質問攻めから逃れられた。
毛利はその日は早々に授業を打ち切って、今日来た刑事が自分が過去に関わり合いがあると言って、先程、弘明と司にした話を披露した。
「ま、そう言う訳だ」……と言った所でチャイムがなって、毛利は啞然茫然とした一同を尻目に教室から出て行った。
4時間目が終わってから、ようやっと一同を代表して麗香から昨日のことについて質問があった。
弘明が順を追って話し始めた。
「実は司から剣道部の練習方法を見直したいから、意見を聞かせてくれって言われてな、学校だと色々と気が散るから」
司から愛の告白をされた事は流石に話せない。
「公園で話してたらアイツがいきなり現れて、俺に突っ込んで来たんだ」
ゴクッと誰かが唾を飲み込む音が異様に大きく響いた。
「俺はソイツを抑えたんだが、意外とソイツが力持ちでな、司が後ろから司が缶コーヒーをソイツの頭にぶつけたから、そのスキに蹴りを入れてソイツを倒せたんだ、後で医者からひびが入ってるって聞いた時には驚いたけどね」
弘明は胸を抑えながら言った。
オーッというざわめきが上がった。
司が話を引き継いだ。
「で、私に近くの交番に行って警官を連れて来てって言って、その警官が近くの病院を手配してくれたのよ」
司は今朝の落ち込みぶりが嘘の様にふるまっていた。
元々気分屋な所はあるが、今は何か喋っていないと途端に落ち込む気がする様な気がしたというのもある。
弘明にしても下手に隠し立てするよりも、こちらから話した方がまだマシという判断もあった。
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