第23話 杉田外科医院での信じられない騒ぎ
「ぐっ……」
弘明は胸を押さえて、痛みを堪えていた。
「痛むのか?」
年かさの警官が聞いてきた。
「はい……」
「骨折してるかも知れない。ちょっと待ってろ」
彼はそう言って、走り去っていき、程なく戻って来た。
「この近くの外科医院が見てくれるそうだ。歩けるか?」
「何とか……」
弘明は胸を押さえつつ立ち上がった。
「君も来なさい」
年かさの警官は司にそう言って同行を求めた。何処からか野次馬が集まって来たので、気を聞かせてくれたのだ。
*
「ひびが入ってるな」
レントゲンを見て外科医の杉田はそう言った。長らく一ツ社で外科医院をしている初老の医師で、弘明も小学生の頃に足を骨折して世話になった事がある。
「まあ、入院する程でもないからコルセットと鎮痛剤で十分だろう。一週間しても痛みが続く様なら、また来なさい」
「はい……」
「しかし、あのヤンチャ坊主にオテンバ娘が暫く見ない間に大きくなったなあ。まあ、ここにちょくちょくお世話になっても困るがな」
「はは……」
弘明は丁寧に礼を言って診察室を出た。
診察室を出ると司が刑事と思しき初老の男性から事情聴取を受けていた。彼女はスマホでこの近辺の地図を表示して、出来るだけ事細かに状況を説明していた。
勿論、練習方法の見直しにかこつけて、弘明に抱き着いた事は言ってない。
岩下と名乗った刑事は人のよさそうな顔をした男性で、弘明を見ると声を掛けてきた。
「やあ、お手柄だったね。傷の具合はどうかね?」
「お陰様で骨折はしていませんでした」
「それは良かった。ところで君からも事情を聴きたいんだがいいかな?」
「あ、はい」
彼は自分達を襲った男が、見かけによらないパワーの持ち主だった事、司が注意をそらしてくれなければ、どうなっていたか分からなかった事、石を拾って男を殴って気絶させた事を正直に話した。
岩下は真剣に弘明の話を聞いていた。その態度には真摯さと同時に、何らかの嘘をついていないか見極めている刑事としての目を感じさせた。
「ふ~む、返す返すも信じられない本当の話という奴だなあ……」
「というと?」
聞いたのはいつの間にか診察室から出て来た杉田だった。
「先程、救急車のサイレンの音がしたでしょう。あれは全部碧陵高校に向かっていたんですよ。もしかしたら此処にも何人か運び込まれて来るかもしれないですよ」
岩下がそう言い終わるや否や、受付の電話が鳴り響いた。受付の看護師が電話を取って定型文を棒読みする様に応対するが、その声に僅かに緊張感が走る。
「杉田先生、警察からです」
杉田が緊張気味に電話に出た。
「変わりました、杉田です。……はい、はい……分かりました、お待ちしております」
彼は受話器を置くと、奥でカルテの整理をしている息子の源内に患者の受け入れ態勢を整えるように言って、自らも診察室に戻った。
岩下も警察署に携帯電話で連絡を取って、ここで患者から事情聴取を行う許可を取っていた。
弘明と司はどうしていいか分からずに、待合室の隅っこで小さくなっていたが、程なくして受付の看護師からコルセットと鎮痛剤を貰った。
岩下に帰っていいかどうか確かめようと、彼の下に行こうとしたその時、表が騒がしくなって直後、大勢の患者が運び込まれて来た。
窓から外を見たら救急車ではなく、バンタイプの民間救急車や、一般車両が病院の駐車場から溢れ出していた。全てが丸坊主におかっぱ頭の碧陵高校の生徒だった。
杉田は院内では裁けないと判断して、裏にしまい込んでいたテントを引っ張り出して、医院の前に臨時の待合室を作った。テントの設営には患者を運んできた運転手や弘明と司、岩下も手伝った。
杉田は息子の源内と共に、テントでトリアージを開始した。
どうやら、重傷患者を優先的に救急車で設備の整った大病院に運んで、比較的軽傷の患者を周りにある中小の外科医院に振り分けたのだろう。
トリアージを行いながら、杉田はそう判断した。
しかし……この数の多さはなんだ?
ここは邦栄市の外科医院でも比較的小規模なのに8人も運び込まれているぞ。重傷者が居ないとはいえ、この数は異常だ。
しかも、民間車両をも借り出して搬送にあてるとは、一体何があったんだ?
*
岩下は比較的軽傷者の生徒を選んで室内の待合室で事情聴取を行っていた。
「……すると、その少年は酷い虐めにあっていたと、そうゆう事だね?」
「虐めなんて生易しい物ではありません、犯罪です!」
その少年は今迄の鬱憤をぶつける様に、堰を切って話し始めた。
理不尽かつ細かすぎる校則、些細な事で教師や上級生から殴る、蹴るは日常茶飯事、自律的キャリア形成研修と名乗った自己批判の後、腐ったミカンと呼ばれて人格否定の発言をされた事、友達には引きこもりになった人もいる事、生徒同士の陰湿な虐め、推薦入学を得たいが為に体を要求された女子生徒が何人もいたこと、そんな中で複数の上級生が他所の学校の不良と組んで、校内で怪しげな薬をさばき始めて、下級生を幾人か実験台にして自分もその一人にされた挙句に金まで払わされた事を、一気に喋った。
折れた肋骨が再び痛み初めて、待合室の隅で休んでいた弘明は、司と一緒に一部始終を呆然と聞いていた。
そこへジャージにネクタイ姿の30前半と思しき男が、竹刀を手に靴も脱がずに入ってきた。ブラックの野暮ったいジャージの背面には、碧陵高校生活指導部とオレンジ色の刺繍ででかでかと書かれている。
「水野、お前も学校に帰るぞ」
周りの状態も確認せずに一方的に言って無理矢理立たせようとする。
あまりの事に岩下が割って入ろうとした時、彼の横を駆け抜けて、男の竹刀をもぎ取った影があった。司だった。
あまりの早業に、ジャージネクタイ男は一瞬呆気にとられた。
司は取り上げた竹刀の先端を、男に向けて言い放った。
「ここは土足厳禁ですよ。それにその人は手当もまだなんです。まずは靴を脱いで此処の人に無礼を詫びて下さい!」
誰もが、司の勢いに飲まれていた。
たっぷり10秒間呆気にとられたジャージネクタイ男は、やっと我に帰って彼女を怒鳴りだした。
「何だお前は?それは邦栄高校の制服だな。何年だ!何組だ!名は何と云う?生徒手帳を見せろ!」
男は場所もわきまえずに大声で怒鳴り散らして、そばにあった机を叩くなどして司を威嚇するが司は動じなかった。むしろジャージネクタイ男がヒステリックになる程、冷静になっていった。
「人の名を尋ねるなら、まず貴方が名乗るべきでしょう」
「この……」
ここで岩下が両者の間に入った。
「まあまあ、二人共熱くならないで、ここは私に免じて矛を納めてください」
岩下は特にジャージネクタイ男に諭すように言ったが、彼の落ち着き払った態度が逆に気に障ったらしく、唾を飛ばす勢いで彼に怒鳴り散らした。
「何だ爺、たまたま居合わせただけの癖しゃがって、しゃしゃり出て偉そうに仕切るな!隅っこで昆布茶でも飲んでろ!」
「……そうはいきません。その子や表の子達にも、聞きたい事があるんです」
後ろで一連のやり取りを聞いていた弘明は、岩下の声音が変わった事に気が付いた。顔は相変わらず、にこやかな笑みを浮かべて居るが、目が笑っていなかった。
ジャージネクタイ男は怒鳴ってる内にハイになったらしく、それに気づいていなかった。更に暴言を重ねる。
「なにデコ助みたいな事を言ってるんだ!ええ?お前みたいなただの老人に何ができると思ってるんだ!ええ?」
岩下が何か言おうとした時、外の扉が開いて弘明達をこの病院に案内した年かさの警官が入ってきた。
ジャージネクタイ男は警官を見ると、さっきまでの威勢が嘘のように低姿勢になった。
「丁度良かった、この二人をしょっ引いて下さいよ。この女生徒は私から竹刀を奪ったんですよ。更にこの老人は刑事の真似事をして私の邪魔をしたんです」
男は自分のした事を棚に上げて、手をもまんばかりの勢いで必死に訴えた。
年かさの警官は明らかにジャージネクタイ男を無視すると、岩下に声を掛けた。
「岩下警部、あの少年は警察病院に搬送しました」
「ん、それとそこの男も署に連れて行ってくれと碇谷に伝えてくれ。一応任意同行だ」
そう言って弘明と司の方を向いた。
「後日改めて話を伺う事になるかもしれない、今日はもう帰りなさい」
「あ、はい……」
ジャージネクタイ男は先程の威勢が嘘の様に、その場にへたり込んでいる。自分が何をやったか理解した様だった。
待合室に掛けられた時計を見たら、19時半を回った所だった。杉田と息子の源内は表の騒ぎにも拘わらず、治療に専念していたので、二人は岩下と受付の看護師に丁寧に例を言って杉田外科医院を後にした。
*
「……ごめんね。私が要らん事をしたから骨にひびが入っちゃって……」
「気にするな、あんなもん予測できる方がどうかしてるわ、それよりも久々に見たな、お前の勇士。あれが見れただけでも骨にひびが入った甲斐があるって物だ」
弘明は、わざとおどけて言った。
「……バカ……」
「しかし、どうしたんだ?確かにあのオッサンの態度は憤懣物だったが……」
「……私もわからないわ。あの態度を見てたら無性に腹が立って……」
「まあ、お前らしいと言えばお前らしいが」
喋る内に彼等の家が見えてきた。
玄関先で弘明と司のそれぞれの母親達が彼等を見て、安堵のため息を付いた。
「もうっ!心配かけて!」
司の母親の静子が彼女に抱き着いた。
「怪我は大丈夫なの?」
弘明の母親の真央が、彼に心配そうに言った。
「ああ、1、2週間は安静にしろって言われたけどね」
弘明は母親を安心させる様に笑いながら言った。
それを見た司は、ひきつった笑顔を向けた弘明の姿が脳裏に浮かんで表情が曇った。
*
静子は司が無理をして平静を保とうとしているのを察したのか、自分からそれ以上事件のことを口にすることはしなかった。
司は風呂に入り、あまり食欲はなかったが、静子が暖めてくれた夕食を僅かだが食べ、お休みの挨拶もそこそこに二階の自分の部屋に上がって部屋着からパジャマに着替え、ルームライトを消してベッドに潜り込んだ。
その瞬間、今まで張りつめていた物が急速に緩み、抑えていた感情が奔流となって押し寄せ、涙となって司の目からこぼれ落ちた。
司は枕に顔を埋めて泣いた。
シーツをぎゅっと握りしめ、体を小刻みに震わせて、喉をしゃくり上げるようにして嗚咽した。
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