怪しい薬
第22話 急変
翌日、司は昨夜の昂揚感が嘘の様に不安に襲われながら、学校に登校した。
計画という物は立てている間は、必ず上手く行くという一種の思い込みに捕われがちだが、翌日になって改めて見てみると、色々と粗が見えてくる。
上手く説明できるかとか、周りが容易く「うん」と言ってくれるかとか、肝心の弘明自身に他に用事が無いかとか、不安材料が山ほど出てくるのだ。
彼女は中学時代に初めて剣道の試合に出た時を思い出していた。
あの時も不安で仕方なかった。しかし、改めて彼の司に対する気持ちを聞きたいが為に計画した事だが、不思議と自分が弘明から見捨てられるという心配はしていなかった。
いつもの通り朝練に出て、シャワー室で汗を軽く流した後、司は麗香と恵子に話しかけた。
「今日なんだけどね、チョット休みたいの」
「……」
「どうしたの?」
問いかけた恵子を制して麗香は無言で頷いた。
「?」
恵子は目と目で語り合う二人を不思議そうに見ていたが、麗香が納得してるならいいかと思って「柳生先生にチャンと言うのよ」とだけ言った。
司、第一段階クリア!
原田陽大のいる2年G組は校舎の5階にある。司は一時間が終わったその足で、G組に行って陽大を呼び出して、手を合わせて頼み込んだ。
「今日一日だけ曽根君を貸して」
「……それはいいけど、あいつには了解はとってあるのか?」
「まだ、これから」
「?」
彼は順番が逆だと思ったし、休むなら何故曽根じゃなくて、神谷が来るのか疑問に思ったが、丁度トイレに行きたかったので、早々にOKして、そのままトイレに向かって駆け込んだ。
司、第二段階クリア!
後は顧問の先生達だが、柳生先生は兎も角、那須先生にはどう説明しよう?
三時間目が終わって柳生先生のいる職員室に向かいながら司は考え込んだ。
柳生先生は3年、那須先生は1年の受け持ちなので、職員室が違うのだ。せめて職員室が同じなら誤魔化しようもあるが……
そう考えつつ「失礼します」と言いつつ3年の職員室の扉を開ける。
職員室には、お目当ての柳生先生の他に、うまい具合に那須先生他2年と1年の担当が何人かいた。
「珍しいな、何か用事でもあるのか?」
柳生が声を掛けて来た。
「あっ、はい。出来れば那須先生にも聞いて頂きたいんですが……」
「?」
那須が不思議そうな顔で司を見る。
彼女はあらかじめ用意していた言い訳を言った。
「実は今度の大会に向けて、練習方法を見直そうと思って、曽根君と意見交換したいなぁっと思って……」
「それは構わんが、確か家が隣同士だろ、練習を休まなくても……」
那須がそこまで言ったところで、柳生が制した。
「まあ、いいじゃないか。幸い二人共副主将だし、但し意見を纏めて今週中にレポートにして持って来る様に。那須先生、それでいいかな?」
「そうですね。曽根にも伝えておいてくれ」
「はい……ところで何かあったんですか?こんな所に集まったりして?」
「いや、何でもない。それより四時間目が始まるぞ」
その声に司は弾かれた様に職員室から出た。
司、第三段階クリア!
これで外堀は埋まった。後はヒロ君を説得するだけ!司は知らず知らずの内にスキップしながら教室に帰った。
昼休みに司は弁当を食べ終わると、弘明の所に行った。
「チョットいいかな?」
「何だ?又実力テスト対策か?」
弘明は露骨に嫌な顔をした。一学期の件を思い出したのだ。
「いや、放課後に、剣道部の練習方法を見直そうと思ってるから付き合って欲しいの」
「はあ?」
「もう原田君には言ってあるよ。私も麗ちゃんに了解は取ってあるし、柳生先生と那須先生にも、ヒロ君と意見交換したいからって言ってあるから」
そう言って彼女は胸を張った。
本来なら、柳生や那須に言った事をそれらしく見せる為に、まずは弘明を説得してから関係各所を説得すべき所だが、その逆を行ってしまったのだ。
知らぬは弘明だけと云う状況に追い込まれた彼は、怒るより呆れ顔で胸を張った司を見た後、修一の方をみた。
そこには彼の予想通り、ニヤニヤしながらこちらを見ている修一の顔があった。
「で、何処で意見交換するんだ?進路指導室を借りるぐらいはしてるんだろ?」
彼がそう言った瞬間、司は胸を張った姿勢で固まった。
弘明はやっぱりそこまで考えてなかったか。詰めが甘いな……と思ったが、取り敢えずその場で考えた代案を披露した。
「取り敢えず、近くの星が丘公園で考えよう。学校の中だと色々と気が散ってしまうからな」
星が丘公園は平和公園の北東の森に繋がっている、学校から5分の砂場とブランコ、ベンチしかない小さな公園で、平日は地元住民が散歩ついでに休憩に来るぐらいで、大通りからも外れているため、一種の穴場スポットになっている。
二人はベンチに座って、途中で買った缶コーヒーを傍らに置いた。
「……で、本当の用事は何なんだ?」
「え?」
「え?……じゃない。意見交換だけなら練習後でも十分な時間が取れるだろうが」
「……」
「何か他に相談事があってわざわざ呼び出したんだろ?」
司は暫し下を向いて黙っていたが、意を決した様に弘明の方を向いた。
「ヒロ君っ!いや弘明君!」
そう言ってにじり寄る。
「な……何だ?」
何時に無い迫力で迫る彼女に押されて、思わず座ったまま後退した。
「私のこと好き?」
「え?」
突然の質問に弘明はどぎまぎした。
「な、なんだよ?いきなり……」
「答えてっ!」
司はベンチに座ったままの姿勢で、更に弘明ににじり寄った。
聞いた以上はどうしても返事が欲しかった。
弘明は耳まで真っ赤になりながら、やや上ずった声で答えた。
「好きに決まってるだろ。でなきゃ今の今まで付き合ったりしないさ」
「本当に?」
「本当さ」
そう答えてから、弘明は照れを隠すように、ベンチから立ち上がって顔をあさっての方向に向けた。
司のことを好きだという気持ちに噓偽りはないが、いざ口に出してみると、照れくささと気恥ずかしさで司の顔をまともに見られないくらいだった。
思えばこれが弘明と司が、隣同士の気の合う幼馴染から、正式なカップルになった瞬間だっただろう。
しかし、弘明は彼なりに疑問に思ったことを聞いてみた。
「しかし又何で今更そんな事を聞くんだ?」
司はそれには答えず、いきなり立ち上がって弘明に抱き着いた。
「わわっ!?」
完全に不意を突かれた弘明は、司を抱き留める形になった。
司はそのまま弘明の背中に両腕を回し、ぎゅっと抱き締める。
彼女の意外に豊かな乳房の感触が夏服の制服の薄い生地を通して弘明の体に伝わってくる。
「お、おい、なんだよ?」
弘明は完全に動転していた。
心の動揺を静めようと努力しつつ、辛うじてそれだけが言えた。
「だってさ、今迄一度も『好きだ』って明確に言ったこと無いじゃない……」
顔を弘明の胸に埋めながら、司は呟いた。
動揺が収まり、愛おしさが弘明の心に込み上げていた。
右手を司の後頭部にあてがい、左腕を背中に回して司をさらに抱き寄せた。
「んん……」
司が窮屈そうに身じろぎした。しかし、不快ではなさそうだ。
「そうだったな……俺も言葉足らずだったな……」
司は弘明の胸の中で、つかの間の恍惚感に酔いしれていた。
弘明もまた、戸惑いつつも幸福感にひたっていた。
お互いに幼稚園に入る前からの付き合いだが、こんな風に世間一般の恋人みたいな展開は初めてだった。
司の体から匂ってくる、甘い香りと微量の汗の匂いが弘明の鼻孔を心地よく刺激する。恋とはこういうものか、とふと考えた。
しかし同時にこうも考えた。
これが麗香やエミリアだったら尚抱き心地が良いだろうと、でも麗香の方は筋肉が多そうだから逆に背骨を折られそうだな……と。
大通りから救急車のサイレンの音が鳴り響いてくる。1台や2台ではなく5~6台は居そうだ。しかし幸せ感に浸っている二人には別世界の出来事だった。
一人の少年が二人の前に現れる前は……
*
ここで時間を少しだけ遡る。
邦栄高校の北から南東にかけて、平和公園の広大な公園に点在している森は不良たちの格好の溜まり場ともなっていた。
この日も邦栄高校きっての鼻つまみ者として嫌われているDQN共が、森の奥にたむろして、煙草を吸っていた。
「よう、小羽、おまえ2年E組の佐伯凜々花にふられたんだって?」
赤木という不良が長髪の不良に声をかけた。周りにいた他の三人が下卑た笑い声を上げて小羽と呼ばれた不良を嘲笑う。
「うるせぇ!」
小羽は仲間に吸いかけの煙草を投げつけた。よほど腹が立つのだろう。殺意のこもった目で睨み付ける。
「ったく……むかつくぜ。けんもほろろに断りやがって。俺がモノにしてやろうと思ってたのによ」
「わかるわかる。美人だしグラビアアイドル並みにスタイルいいしなぁ。」
頭の中で佐伯凜々花と呼ばれた女の裸身でも想像しているのか、阿藤という不良が顔をだらしなく緩めて相槌を打つ。
「姦っちまえばいいんだよ ……」
会話には加わらずに黙々と煙草を吸っていた浅平という不良が、眉が他の不良より薄く、醜怪な顔を仲間に向けてぼそりと言った。
「?!」
ぎょっとして他の四人が浅平の方を見る。
「呼び出してやっちまえばいいんだ。なあにスマホで動画さえ撮っとけば先公にもポリ(警察)にもちくれねえさ」
彼はそこで言葉を切って仲間の反応をうかがった。
他の四人は、初めは、いきなり何を言い出すんだという顔で戸惑ったように聞いていたが、やがて一ように卑らしい笑いを浮かべた。
もう頭の中では、自分達が凜々花を嬲っているところを想像しているのだろう。
「やろうぜ!おい、面白いじゃねえか」
阿藤が我が意を得たり、といった風情で仲間に賛同を呼びかける。
「一番は俺だぞ。俺が最初に佐伯に目を付けたんだからな」
小羽が威嚇するように仲間を見まわす。
他の二人も口々に賛同の意を表した。
「へへへ……それじゃあ計画を練ろうぜ、盛大な強姦パーティといこうじゃないか」
「ロープと蝋燭も用意しようぜ」
「突っ込む瞬間をアップで写そう」
「場所はどうする?」
「学校の裏に有る、立ち入り禁止の城がいいな。あそこなら誰も来ないさ」
口々に明るくも正しくもない計画を真剣に練りはじめた彼らだったが、平林という不良が思い出したように言った。
「それより碧高の奴らはどうした?待ち合わせ時間を大分オーバーしてるぜ?」
碧高とは、この近くにある碧陵高校の事である。
邦栄高校と比べたら色々と校則が厳しく、管理教育華やかなりし頃は生徒に自殺者を出している。
彼等は碧高の隠れはぐれ者と組んで、脱法ドラッグ売買の末端を担っていた。
そこへ一人の少年が現れた。
それだけならドスを効かせて追い払うにとどめただろう。
実際そうしようと、この場で一番の巨漢の赤木と浅平が立ち上がって何か言おうとしたが、少年の出で立ちの異常さに度肝を抜かれた。
第二ボタンまで外したワイシャツには血の跡がまだら模様に付いており、顔には返り血がベッタリと付いていて、右手には血に濡れた包丁を握りしめ、目は血走っていた。
不良みたいに染めたり逆立てたりしていないだけに、かえって不気味だった。
そいつはいきなり叫んだ。
「きぃえええええええええええええええっ!!!!!」
男は人間の声とは思えないような、奇怪な雄叫びをあげ、丁度正面にいた赤木の顔面めがけて、包丁を突き刺した。
避ける間も無く赤木はあっという間に即死した。
更に余りの事に呆然としていた4人を文字通り、あっという間に4体の死体に変えて、男は酷使に耐え兼ねて折れた包丁をその場に捨てると、そのまま更に南の星が丘公園の方へ走り出した。
遠くで救急車のサイレンの音が鳴り響いていた。
*
「!?」
いつのまに現れたのだろうか?
正面に弘明達と同じくらいの歳の男がたたずんで、二人を見つめていた。背丈は弘明より小さく、司より大きいという所か。
不良という訳ではなく、どこにでもいそうな制服を着た彼等と同じ普通の高校生だ。血塗れで目が血走っている以外は……だが。
弘明と男の目が合った。その瞬間、弘明は悪寒を感じた。男の目は、ぞっとするほど陰惨な光を放っていた。目に映るもの全てを徹底的に破壊せずにはいられない……そんな荒んだ欲望を持っているように思える。
腕の中で司がびくっと身を震わせた。おそらく似たような印象を抱いたのだろう。弘明に抱きついたまま、金縛りにあったように動かなかった。
数十秒の間、弘明は司を抱き締めたまま、男は立ち尽したまま、睨み合っていた。
先に行動を起こしたのは男の方だった。
彼は二人に向かって突進してきたのだ!
反射的に弘明は司を突き飛ばし、身構えた。
「ぐぶっ……」
弘明は男の突進を正面から受け止めたが、異様な感覚に襲われた。
男は弘明より体格で二回り程劣っている筈なのに、スピードの乗った自転車と正面衝突したような衝撃を感じたのだ。
男は弘明に更なる攻撃を加えんとして身構えたが、急にバランスを崩した。何か硬い物が男の額を直撃したのだ。
ぼとっと地面に中味の入った缶コーヒーが落ちた。
「!?」
男は缶コーヒーの飛んできた方向を睨んだ。
そこには司が怒りと恐怖のごちゃ混ぜになった顔で男を睨んでいる。男は痛みに顔をしかめながら司の方に向き直った。
その眼は怒りと殺意に燃え、禍々しい光を放っている。
「ひっ……!」
司は悲鳴すら上げられなかった。
男の放つ目に見えない凶悪な波動に捕えられたように体が動かない。しかし、弘明から注意を逸らしたことが、男の敗北を決定付けた。
弘明は素早く手近に転がってた握り拳ほどの大きさの石を拾うと、男の後頭部を力任せに殴り付けた。たまらずに男は両手で後頭部を押さえてうずくまった。さらに追い討ちをかけるように男の腹部に3.4発ほど蹴りを食らわす。
男はそのまま動かなくなった。男は気を失っているようだ。弘明が近寄っても動く気配すらない。
「ひ……ヒロ君……」
見ると、司が今にも泣き出しそうな顔で弘明をみている。
「俺は大丈夫だ。それより、警察を呼んできてくれ」
努めて平静に話しながら弘明は司に笑いかけた。平然とした笑顔を作ったつもりだったが、痛みで顔がひきつってしまうのが自分でもわかった。
司は、まだショックから立ち直っていないのだろうが、それでもうんうんと肯くと、近くの交番に向けてよろよろと走っていった。
「くそっ、なんなんだこいつは……せっかくいいところだったのに……」
弘明は倒れている男に向かって忌々しげに呟いた。
口に出してみたら、余計に腹がたってきた。腹いせにもう2.3発蹴飛ばそうかと思ったがさすがに思いとどまった。
程なくして司と警官が3人駆けつけて来た。
一番年かさの警官は弘明をベンチに座らせて応援の警官の手配をした。
後の2人は、弘明が倒した男を押さえ込み目立った外傷が無いのを確かめると、手錠を掛けて応援が来るまで2人がかりで抑えていた。
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