第21話 司の気持ち

 夏休みが終わって大半の高校生にとって家と学校を行き来する、退屈で無難な日常が戻って来た。しかし部活、特に体育会系は練習時間が授業の分減るだけで、余り変化がないといえた。


 そんな中、神谷司は今一稽古に熱が入ってなかった。

 その日は一年生の練習を見ていたのだが、一年の市ノ瀬夏枝が声を掛けても全く無反応だった。

「神谷先輩、素振り終わりましたよ」

「……」

「神谷先輩、素振り終わりましたよ」

「……」

「バーカ」

「……ん、何か言った?」

 悪口に反応したと言うより丸っきり聞いていなかった。

「だからぁ、素振り終わりましたって行ったんです!」

「あ、ああ。じゃあ十分休憩して足捌きの練習をするわよ」

 そう言って彼女はストップウォッチのタイマーを押した。


「何か最近、神谷先輩おかしいと思わない?」

「元々可笑しい所はあったけど、最近特にね」

「お客でも来たのかな?」

「曽根先輩に振られたとか?」

「確か家が隣同士でしょう?そうだとしたら神谷先輩どうするんだろう?」

「どうしょっかな~」

「「「「「「!!!!!!」」」」」」

 いつの間にか司が一年生の輪に入っていた。

「さあ、人の心配はいいから足捌きの練習をするわよ、因みに振られてないしお客も来てないからね。無責任な噂を広めたら承知しないわよ」

 それからの司のシゴキは、いつもより激しかったのだった。


「全くもうっ!」

 司はシャワーを浴びて、着替えながらぶつぶつと文句を言っていた。

「珍しくスパルタモードに入ってたじゃない。まだまだ甘いけど」

 新井恵子がスラックスを履きながら寸評した。

「お客が来たの?珍しくイラついてたじゃない」

 まだ下着姿で髪をとかしている加古川伊織が半ば心配そうに尋ねる。

「あ……分かった。曽根君とケンカしたんでしょ?」

 すかさず既に着替えを終えた添田小道が茶々を入れる。

「そうじゃない!そうじゃないないけど……」

 そう言って彼女は考え込んでしまった。


 麗香は彼女達のやり取りを横目で見ながら、手早く着替えを済ませて駄弁っている司達に発破をかけた。

「ほらほら、早くしないと一年生が戻ってくるわよ、ただでさえここは狭いんだから効率よく回さないと」


 その声で、皆が弾かれた様に動き出した。

 特に伊織は、まだ下着姿だったので、慌てて制服を着てネクタイも着けずにロッカールームから出る。

 ちょうど片付けを終えてシャワーを浴びた一年生達と入れ違いになった。

 挨拶を交し合ってすれ違う。


 恵子達は自転車通学なので、校門で別れて司と麗香はいつもの道を歩き出した。

「麗ちゃん……私とヒロ君ってどんな風に見える?」

「どうって?」

「ただの仲良しか、恋人同士かってってことよ」

「どっちとも取れるわね。彼に何か言われたの?」

「全然。いつもと変わらないわ。それよりも知ってる?ミーちゃんって今月からヒロ君と同じ塾に通い始めたんだよ」

「それは初耳ね」

「ヒロ君が教えてくれたの、今迄の遅れを取り戻すんだって言ってたんだって。それにね、夏休みに海であった紫上祇園って子、私よりも積極的でヒロ君もタジタジだったじゃない。ああゆうのを見てると、ただの幼馴染ってアドバンテージにならないなって思ったのよ。だってさ、麗ちゃんもそうだけど、皆美人で頭が良くって何事に対しても積極的で結果を出してるでしょ?それに比べたら、私って一体何してるんだろうと思ってさ」

「……」


 麗香は司の自己評価は案外低いと感じていた。

 剣道の腕前に限って言えば、4強クラスの学校以外なら、先鋒か大将が務まるくらいにはなっているし、勉強も中の上を行ったり来たりで、決して悪くない。

 それに彼女は一見、体育会系に不向きな気分屋な性格だが、試合では意外と粘り強い試合運びをする。

 要するに彼女自身のスペックは普通よりもかなり高いのだ。ただ周りが更にスペックが高い人が多いので、それに気づいて無いだけなのだ。


「司って意外と自己評価が低いんだね、ホントは10点満点で7か8なのに、4か5だと思ってるじゃない。それに曽根君なら貴女が1でも見捨てないよ(と思う)。だからもっと自身を持たなきゃ」

「じゃあ麗ちゃんの自身の評価は?」

「剣道だけなら文句なしで10点満点、総合なら8か9って所ね」

 そう言って殊更胸を張る。

「……自己評価高っ!」

「そうでないと4強の一角の主将なんて務まらないし、試合では常に毅然としてないといけないからね。だから三年生が新しい幹部を決める時に、あなたを副主将に押したのよ。中学時代から以心伝心の仲だったし、あなたは私にはない物を持っているしね」


 話してる内に地下鉄一ツ社駅の前まで来た。

「じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日ね」

 司にとって大回りな帰り道になってしまったが、彼女の心は久し振り晴れやかになった。

「そういえば、私が持ってて、麗ちゃんが持っていない物って何だろう?」

 訝って、独り言ちながら歩き始めた司に声を掛けた者がいた。


「姉ちゃん!」

 一人っ子の彼女を、そう呼ぶのは一人しかいない。

 自転車を押しながら近づいて来る邦栄高校とは色違いのブレザーを着た高校生に声をかけ返す。

「あ!ユウ君!」

 ユウ君とは弘明の一つ下の弟で、勇樹という。市立名邦高校に通っている。

   

 私立邦栄高校に進まなかったのは家の経済的事情と言うより、弘明や司と同じ高校に行く事を避けたのだ。

 2人のオシドリ?振りは中学校から知られていたし、事あるごとに繰り広げられる夫婦漫才振りはその頃から有名だった。

 たとえ当人たちにその気がないにしても……

 その度に勇樹は彼らのお陰でよく揶揄われたものだ。

 当人たちは日頃からベタベタしている訳ではないが、幼稚園からの付き合いで、どことなく息が合っている所があり、それが周りが言う夫婦漫才に良くも悪くも生かされていた。

 

 それはともあれ、それを抜いたら彼にとって弘明と司はそれなりにいい兄であり、よき隣人であった。

 彼女を『姉ちゃん』と呼ぶのは子供の頃からの癖で、小学1年まで本当の姉弟だと思っていた名残でもある。

 二人は家に向かって歩きながら話をした。


「一週間振り位だな。買い物か?」

 隣同士だが司は剣道部の朝練で早くに出ているので、中々顔を合わせる機会がないのだ。

「いや、さっきまで麗ちゃんと一緒だったのよ」

「あの人か。美人だけど、何と無く苦手なんだよな」

「?何で?」

「何と無く。中坊の時に、たまに近寄りがたいオーラを出していたって皆行ってたからな」

「ふ~ん……ところでさ、部活はどうなってるの?」

 勇樹は演劇部で大道具、照明等の裏方仕事を主にやっている。力仕事なので、どんな筋力トレーニングをしたら良いかの相談を持ち掛けられた事もある。


「まあ、怒られたり、叱られたり、褒められたりだな。それなりに楽しんでるよ」

「そう、良かった」

「姉ちゃんこそ一年生を虐めてないだろうな?やり過ぎるとSNSに顔写真が晒されるぞ」

「虐めてないわよ、軽くしごいてるだけよ。……ところでさ、話は変わるけど、私と弘明ってどんな風に見える?」

 司はごく近しい者と話す時は、彼の事をあだ名でなく本名で呼ぶ。

「そりゃあ、オシドリ夫婦の漫才コンビだろ」

「一応、真面目に聞いてるんだけど」

「真面目に答えてるつもりだけど。それよりも兄貴なんか振って俺と付き合ってみないか?俺の方が、背が高くて将来有望だし」

 

 因みに彼の身長は176センチある。弟に背を抜かされたと知った時、弘明の落ち込みぶりは半端なかった。司が「私よりも15センチ高いじゃない」……と慰めたが、効果が無かったのは言うまでもない。


 それはさておき、司は「却下!」……と即座に切り捨てた。

「本気で言ってないでしょう。何その台本を棒読みするような言い方は?」

「俺にとっては何処まで行っても姉ちゃんだからな。それを本気で口説くのは近親相姦に等しいだろう」

「やっても無いのに近親相姦は無いでしょう!」

 親しい間柄だから、こんな会話をしても冗談で済むが、他人や互いの両親に聞かれたら、あらぬ誤解を招き兼ねない。

 しかし勇樹はどちらかというと、司に苦手意識を持っていた。

 年上だと云う事で、事あるごとに叱られたり怒られたりした事が星の数程あるのだ。

 だから年上年下コンビなど真っ平ゴメンというのが彼の本音だった。


 それはさておき……


「真面目に言わせてもらえば……」

 勇樹はそこで一旦言葉を切って、司を見つめて言葉を続けた。

「余り心配する事もないぞ。兄貴は将来就職して収入が安定したら、姉ちゃんに正式にプロポーズするって本気で考えているからな。だから今はまだ、このままでいいって思っているんだよ」

「……」

 司は、まじまじと勇樹を見つめた。長年の付き合いで、彼が演劇部に入って演技のコツを多少なりとも覚えたとしても、彼女には彼が嘘をついたら直ぐにわかるのだ。

 そして、彼女は勇樹が嘘をついていないと正確に判断した。

 頬を赤らめながら「それならそれでいいけど……」……と呟くように言った。

 その後で心の中でこう付け加えた。

『女心を分かって無いんだから……』


 弘明が塾から帰ってきたのは、勇樹と司がそれぞれの家に帰った1時間後だった。

「何かあったのか?」

 弘明は居間でスマホを見ながら、くつろいでいた勇樹が、晩御飯を食べるために台所に向かう彼を見てギクッとしたのを目ざとく見つけて問いかけた。

「え……いや帰りに姉ちゃんと一緒になってな……」

「ふーん。何か言われたのか?」

「……いや、別に」

「ふーん」

 そう言って彼はそれ以上追求するでもなく、台所に行った。また司に何か小言でも言われたかと思ったようだった。


 勇樹は早々に自分の部屋に戻った。

 帰り道で司に話した事は、彼女に内緒にしてくれと固く誓わされているのだ。破った事を知られたら、どんな目にあわされるか分かったもんじゃない。

 一応は家に着いた時に、司に打ち明けた事は内緒にしてくれとは言ったが、「取り敢えずメッセージだけは送っておこう」……と独り言ちて、スマホで司に重ねて黙っておくようにメールを送ったのだった。



「う~ん……何かの拍子に喋っちゃいそうだな……」

 司は勇樹からのメールを見ながら独り言ちてスマホを机の上におき、風呂に入る為に一海に降りた。スマホを風呂に持っていきたいところだが、前にそれをやって2時間も長湯をした挙句、のぼせ上ってしまい、それ以降禁止されてしまった。


 やはり湯船に入って手足を伸ばし、時間に追われる事なく一人きりで入るのが一番気持ちいい。合宿や部活では、どうしても時間を気にして行動しないといけないし、下級生の手本にならなければならないので、長湯やなど長シャワーなど、もっての他だった。

 これだけは昭和の時代から延々と続く、邦栄高校運動部全体の伝統だった。


 それはさておき……


「あの約束、やっぱり本気だったんだ……」

 湯船につかりながら、独り言が自然と出た。



 さかのぼる事五年前。


 中学校の入学式の帰りに、弘明は私に向かってこう言った。

「いつか、凄く立派になってお前を驚かせてやる!」

「立派って?」

「凄く立派は凄く立派だ。兎に角お前を驚かせる位、立派になるってことだ」

「はあ……」

 

 あの時は何を言ってるんだろうと思いつつ、曖昧な返事しかできなかった。

そんな私の戸惑いなど構いもせずに、こう続けた。

「だからお前もそんな俺に相応しい女性になれ。いいな?」

「う……うん」

 弘明の謎の勢いに、すっかり飲まれてしまった私は頷く事しかできなかった。

 最も当時は狐にでも憑かれたか、ぐらいにしか思ってなかったが……


 剣道部に入ったのも、当時出会ったばかりの麗ちゃんと同じ部活をしたいとゆうのと、ヒロ君の言葉の影響が少なからずあったのかもしれない。

 彼自身は部活こそやらなかったが、私があっと驚く暇もなく、勉強でトップ10に躍り出た。それだけではなく、更に上を目指しているようだった。

 果たして、私はそんなヒロ君にふさわしい女になれたのか?

 

 その思いは喉に引っかかったイガイガの様に、高二になった今日までずっと心の隅に引っかかっていた。


 そして海に行って、紫上祇園とかいう、京都のお祭りみたいな名前の女の子の積極的な姿勢を観たり、その後食事会で白女の面々とメールアドレスを嬉しそうに交換するヒロ君を見て、辛うじて顔には出さなかったが、自分から離れて行ってしまうのではと不安な気持ちに襲われた。


 しかし今日、麗ちゃんやユウ君と話して、自分に多少自信が持てたり、ヒロ君の本心の一端を聞けたりしたけど、やっぱり本人から直接聞きたいし、水臭いとも思った。

 

 好きなら好きでサッサと言えばいいし、プロポーズしてくれたら今は無理でも、共通の夢に向かって議論したり、頑張ったりできるじゃない……多分。

「ヨシッ!決めた!」

 そう言って湯船から勢い良く立ち上がる。

「明日、ヒロ君に直接聞こう、うん、それがいい」

 そこまで考えた所で、母親の静子の声が聞こえた。

「いつまで入ってるの?一時間過ぎてるわよ!」

「あっ、は~い」



「う~ん、明日いきなりってシチュエーションは逃げられるかもしれないから、根回しはシッカリやらないと……」

 司はノートの裏に根回しをする相手をピックアップしていた。

 まず同じクラスで主将の榊麗香、副主将の新井恵子、弓道部の部長の原田陽大、それぞれの顧問の柳生先生と那須先生。


 普通の日で普通に部活があるのに100%私の都合で休むのだ。しかも、剣道部のみならず、弓道部にも迷惑を掛けるので、午前中には根回しを済ませないといけないから、手回しよく行なわなくてはならないわ。

 

 司は勉強や試合よりも真剣に計画を練っていた。麗香や弘明がこの場に居たら、盛大な才能の無駄遣いと評しただろう。

 それはともかく、基本的なプランはまとまり、彼女は布団の中でシミュレーションと云う名の妄想に思う存分ふけりながら眠りについたのだった。


 

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