第18話 夏休み・後半4 美杏の回想

 海水浴当日、現地集合で早い時間だったが、皆が遅れずに集合した。


 早めに来たので、意外と人が少なかった事もあり、時間を掛けていい場所を探すことができた。早速、レジャーシートを敷いて、ピーチパラソルを立てて、サンシェードテントを組み立てる。

 それらの作業を全員で分担して行い、20分とかからず用意ができた。

 

 正信と美杏が荷物番を買って出たので、他の皆は近くの砂浜でピーチバレーに興じた。


「うーん、海水浴どころか市民プールにも行けなかったから解放感半端なーい!」

 伸びをした美杏の台詞に正信は聞き返した。

「前の学校は色々と規制が多いとは前に聞いたが、海水浴もダメだったのか?」

「ダメの筆頭。保護者同伴でもダメって言われてたから」

「何で?」

「間違いがあったら取り替えしが付かないからの一点張りで、生徒を守るためというより、学園のイメージを守るためって感じだったわ」


 彼女が東京で通っていた学校は、中高一貫のお嬢様学校で、日茶生女子学園という進学校だった。地元ではネタ的に東京のスパルタ学園と呼ばれていたらしい。

 

 勿論東京のど真ん中で全寮制ではないので、仕置き教師なんて変態教師はいないし、悪魔のコスプレをした変態の中年が校長をしている訳ではないし、6人姉妹の顔を隠して体隠さずの痴女が正義の為に戦っている訳でもない。

 ただ管理教育華やかなりし頃の校風が色濃く残っているだけだ。

 俺も付き合い始めた当初は、文字通り愚痴をたんと聞かされたものだ。

 

 それはさておき……


「だから男の前で水着姿を見せるなんて停学物の不祥事って言われてたわ。今は堂々と見せてるけどね」

 そう言って彼女は足を組み替えた。

 自然な動作だったので、誘ってる訳ではないのだろうが、やはり目の保養……いや毒だ。

 

 元々彼女は、白富女学園か燕子花高校に行くつもりだったが、転入試験に落ちて、滑り止めで受けていた邦栄高校に来た。

 元々この2校は転入試験の難しさが群を抜いていたが、本来の彼女なら余裕でクリアできただろう。

 しかし、この時期の彼女は母の死から完全に立ち直っておらず、環境の変化にも適応できていなかった。

 それでも彼女の父方の実家は、落ちた時に恥晒しだの面汚しだの言ったらしい。


 だから当初はよく体を壊したり、早退していた。

 それが変わったのは、前述の事が会って、俺と交際する様になってからだ。


 最初は実家や日茶生女子学園の校則に対する愚痴が主だったが、話していく内に突如泣き出したり、癇癪を起こして俺にぶつけたりした。

 俺の鈍さに憤っているというよりも、手近な人に今まで無理矢理抑えて来た感情をぶつけてる感じだった。


 最初はそんな彼女との距離感がつかめず、ぎこちなさばかりが目立って、正直申し訳ない思いでいっぱいだったが、それを過ぎて阿吽の呼吸みたいな物が出来てくると、彼女は堰を切る様というより、心の堰を壊す様に積極的になった。


 その一方で、そんな自分を持て余してしまう所もあって、一度など肉体関係を求められた事もあった。もっともその時は、自分がとんでもないない事を言った事に気が付いて、慌てて取り消したが……


 そんな彼女も夏休み前には大分落ち着いた……のはいいけど、夏休みに入って喫茶ヴァルキリーでバイトを始めてから、綾波レイがアスカ・ラングレーに変わった様な、劇的な変身を遂げた。


 『女は強し』と云う言葉の意味を改めて思い知らされた。

 


 小学校の頃は、まだ、父方の祖父母が母と顔を合わせない事に、それ程疑問を持っていなかった。

 

 しかし、高1の時に母親が交通事故で死んで、葬式で父方の祖父母と、その親戚一同が母方のそれと顔を合わせた時、私は彼等の正体を知った。

 彼等は形だけのお悔やみを言った後、母の悪口を人目もはばからずに並べ立て始めた。

 その内容は聞くに堪えない彼等の歪んだ価値観に基づく物で、母方の親戚一同は勿論、父親も耳を塞ぐ事も出来ずに黙って聞いていた。


 彼らにしてみれば、母が死んだ時点で、母方とは縁が切れたと思っていたし、そもそも父との結婚には、家柄が釣り合わないと言って親戚一同が反対だったのだ。


 因みに父方の祖父は地元の旧家(きゅうか)の家系で、父は後継ぎでは無かったが、同じ旧家か相応の社会的地位を持つ相手の娘と結婚させようとしていた。


 母の父は系図も無い、ありふれた地方公務員の課長クラスで、地位に対する責任を真面目にこなすタイプだった。

 父方から見たら、単なる一介の小役人に過ぎない。


 しかしながら孫が産まれたら、やはり相応に可愛いらしい。

 父方の祖父母にしてみれば、不義の子同然とは言え、(自分達の存在すら怪しい名誉のために)名の通った学校に行かせるのは当然と考えていたし、彼等なりに私に箔を付けようと、中高一貫の進学校の日茶生女子学園への入学を熱心に進めた時も、最初はさほど疑問に思わなかったし、そこの数々の厳しい校則も守るのが当たり前と思っていた。


 両親にしても、反対を押し切って、駆け落ち同然に事実を先行してしまった上に、父が母の実家の婿養子になるというウルトラⅭをかまして、祖母を泡を吹いて卒倒させてしまった負い目があったので、渋々日茶生女子学園へ私を入学させる事を承知した。


 しかし、そんな大人の事情なんて私の知った事じゃない。


 優しかった母の悪口を、よりにもよって母の葬式で声高々に並べ立てた挙句に、私の養育権は此方に有ると言って、いけしゃあしゃあと私に同意を求めてきたが、父方の祖父母と、その親戚一同の正体を知って、憤りが頂点を通り越して、宇宙の彼方の、その又向こうに達していた。

 私の怒りは心のマグマとなって、目から大粒の涙に、口から言葉となって溢れ出て、泣きながらあらん限りの罵声を彼らに浴びせかけ、その場で永久絶交を宣言した。

 17年の人生の中で、怒りに任せて他人を怒鳴り散らしたのはこの1回だけである。


 人を高所から好き放題に罵倒する事には慣れていても、その逆に全く慣れていない彼等は、一様にエサをねだる子燕の様にあんぐりと口を開いて、たっぷり5分間黙り込み、やっと事態を飲み込んだ。

 父方の叔父の一人が私に何か言いかけたが、父方の祖母が泡を吹いて卒倒してしまったため、救急車を呼ぶ騒ぎとなり、彼等は捨て台詞の一つも残さず立ち去った。


 泣きながら肩で息をしていた私を、父の貞光が優しく抱きしめた。

「とんだハプニングだったが、きっと母さんも喜んでいるよ……」

 母方の祖父母と親戚一同も私達が言ってやりたいことを、君が全部言ってくれたと言ってお礼と、私を悪者にしてしまったと謝罪の言葉があった。


 私はわざと明るい声で、事の成り行きを呆然と見ていたお坊さんに、涙をハンカチで拭きながら、母にお経をあげるよう依頼した。


 母のお葬式は、それからは滞りなく終わった。


 葬式が終わってからは、何をする気にもなれず、惰性で家と学校を往復する日々が続いた。一度だけ家に置いていた母の形見となった茶道具を手に取ったが、その途端に母との思い出が湯水の如く湧いて出て、その場にくずおれた。


 それ以来、引っ越しまで茶道具に触れず、部活でやっていた茶道部にも出る事は無かった。


 転勤した父について行ったのは、母が死んだ東京に居たくなかったのと、昭和を通り越して異次元の明治、大正時代かという、日茶生女子学園のやたら細かい規則にうんざりしていた事もあった。


 最初は白富女学園か燕子花高校に行くつもりだったが、勉強に本腰を入れてなかった事もあり、転入試験に落ちて、滑り止めで受けていた邦栄高校に来た。

 父方の親戚一同は、それを知った時、一族の恥晒しと言ったらしいが、永久絶交をしたあいつらが、何を言おうが私の心の琴線には、全く触れなかった。


 しかし、私にも自分の学力を過信していた部分もあり、その辺だけは素直に認めた。そして4月に邦栄高校2年Ⅾ組に、武田武光と共に転入した。


 正直、初めは日茶生女子学園とは真逆の雰囲気に、戸惑いを感じた。

 半数が男子というのもあったが、私が教室に入った瞬間、男子達が、私をはやし立てたのには驚いた。


 その時は女子学級委員長の北条恭子が騒ぎを収めたが……

 

 日茶生女子学園では、授業の合間の休み時間でも私語は厳禁で、一人でも私語をしたら連帯責任を取らされた。

 ところが、ここでは余程酷くならない限りは注意されない。

 あまつさえ、曽根と神谷の様に時間を忘れて口喧嘩しても、その場の笑い話で済ませてしまう。私にとって、ここは良くも悪くも一種のワンダーランドだった。


 しかし、矢張り知らない街で、一人も知っている人が居ないというのは、自分でも知らない間にかなりの負担を心身に掛けていた。

 そんな中でプリントを持って来てくれた正信に声をかけたのは、正に気の迷いだった。


 取り敢えず、家に上げた彼を茶の湯の練習の為に作った部屋に通して、自分の部屋でブレザーに着替えながら、いかがしようかなと考えた。

 まずは以前に母から教わった作法に従って、細かい事は気にしない事にして、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶を入れようと方針を決めた。


 引っ越し前は、碌に触れなかった茶道具に普通に触れた自分に内心で驚きながらも、一通りの作法に乗っ取って、最後に「お粗末でございました」と言って頭を下げた。


 それから場所をリビングルームに移し、彼と雑談をした。

 今思えば、喋っているのは私ばかりで、彼は頷いてるだけだったが、それでも真剣に耳を傾けて聞いてくれた。


 日茶生女子学園では、同世代の男は体目当てで近づいてくる獣と一緒な奴ばかりだから、近づく事は勿論、道を聞かれても無視しろと言われていた。

 伝統的に歪な処女信仰がはびこっていて、管理教育華やかなりし時は定期的に処女膜の有無を調べていたとか……


 それはさておき、彼は思わぬ長居をしたと言って、もてなしの礼を言って帰っていった。

 正直、私がわざわざ制服に着替えたのは、日茶生女子学園で必須となっていた護身術をいざとなったら使う為で、後日それを知った正信は、一時の感情に流されなくてよかったと、冗談交じりに行ったものだ。

 

 それから彼は、恭子のつてを頼って茶道部を紹介してくれたり、色々と気を使ってくれたりした。私もそんな彼の優しさに引かれて交際するようになった。

 しかし、その場の勢いで肉体関係を求めて、慌てて取り消したのは失敗だった。

 彼が私をいやらしい目で見るようになったとか、そうゆうのではなく、私の情緒が不安定だと知って、学校での接触を必要最小限にとどめようと提案して来たのだ。


 この時点で交際がバレたら、私達は男女問わず好機の目に晒されるし、そうなったら正信は兎も角、私の当時の精神状態では最悪、不登校になる可能性がある。

  

 彼はそれを心配していた。

 

 確かにあの頃は、周りの急激な変化に心も体も付いて行けずに、色々と一杯一杯だったし、正信以外の男子との距離の取り方が分からなかったので、自然と口数が少なくなり、しまいには、邦栄高校の綾波レイと呼ばれる程無表情になっていた。


 だから朝早くに出て、教室で今までの遅れを取り戻そうと一人で勉強するのが日課となっていったが、そんな中でも司とエミリアは私に頻繫に声をかけてくれた。

 特にエミリアは、転校する前から現国の成績が跳びぬけて悪かった事もあり、自然と教える仲となった。


 曽根君の事は、正信以外で気にはなっていた。男としてではなく、勉学面で、である。実際に燕子花高校に進んでも、かなり上の方に行けるのに勿体無いと思ったからだ。

 最初は、司や麗香と一緒の学校に行きたいからと思っていたが、それだけでなく、文武両道を程よくやる為だったと、合同デートの時に本人から聞かされた。


「何だかんだで、司や榊の影響を受けていると、自分でも自覚してるよ」

 彼はカラオケボックスで苦笑いを浮かべてそう答えた。

 その後、曽根君にマイクが回ってきて、私を含む皆が卒倒したので、それ以上は聞き出せなったが……


 そして今に至るというわけだ。



「以上、回想終わり!」

 私は脈絡もなく叫んだので、隣にいて、半ば眠っていた正信は眠そうな声で

「どうした?」と聞いた。

「別に、何も~」

……と私は答えて、ビーチバレーから帰った来た一同に手を振った。


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