第14話 夏休み・前半4 麗香のシゴキそして秘密

「ふーっ……」

 カレーを二杯お代わりして、暫し満足感に浸っていた麗香達は、竜子に声をかけられた。

「どうだったかな、羽黒は海上自衛隊のカレーレシピを参考にしたって言ってたけど……」

「うん、美味しかったよ。どの艦のレシピを参考にしたかまでは流石に判らないけど……」

 海上自衛隊のカレーレシピは艦や基地によって色々な種類がある。麗香はその中から比較的簡単な奴を選んだのだろうと推測した。


「それはそうとして、あなた武田君にどうゆう教え方をしたの?」

「?」

「あれから彼の手際が急に良くなって、私が口をはさむ余地が無かったのよ」

「そうなの?彼の前でお手本を見せただけだけど?」

「……それが本当なら凄い学習能力ね」

「そう言えばヒロ君が、夏休み前に戯れに練習用の弓を打たせてみたら、一時間でコツを覚えたって言ってたよ。今からでも弓道部に入らないかって勧誘したら、もう園芸部に入ったからって言われて振られちゃったって言ってたわね」


 その場にいた一同は離れた所で洗い物をしている武光をしげしげと見た。

「そんな逸材がなんで園芸部なんかに……」

 恵子が、ついうっかりと失言してしまったが、竜子は同調するように首を縦に振った。

「確かに。羽黒といい武田といい、運動部に行ったらいい線行ったのに、肌に合わないって言って園芸部に来たのよ。まあ、それはそれで色々と大助かりしてるんだけど。元々男手が足りてなかったし、男子の大半は幽霊部員だったからね」


 一学期だけじゃ分からないものだなあ……と麗香は武光を改めて見直した。

 そんな彼女の背後から司がファウスト博士を誘惑するメフィストフェレスの様に呟いた。

「逃したら一生物の後悔をするから、逃したら駄目だよ~」

 

 しかし、麗香はファウスト博士のように、悪魔と盟約して自身の魂を売るような女ではなかったし、司はメフィストフェレスほど悪辣な悪魔ではなかった。

「神谷……」

 司はビクッとした。

 彼女が名前ではなく、苗字で自分を呼ぶ時は、かなり怒ってる時だからだ。

「昼からは付きっ切りであなたの稽古を見てあげる」

 司は心の中で悲鳴を上げた。彼女のしごきは半端無い位厳しい上に、当の本人も終わった時にクタクタになる位激しいので滅多にやらないが、一度やったら文字通り、お互いに立てなくなるまで続けられる。

 こうゆう時は麗香の機嫌が物凄く悪いか、心の中の照れを隠しているのを看破された時で、平たく言えば、司は虎の尾をうっかり踏んでしまったに等しい事をしてしまったのだ。



 エアコンも無い道場で防具を付けたまま、二時間に渡って休憩無しで稽古をした二人は、同時にぶっ倒れた。脱水症状の半歩手前だった。


「ちょうどいいわ。こうゆう時の対処法を練習しましょう。男子も一緒に見てなさい」

 恵子は一年の女子に二人を道場の隅に運ばせて防具を外させ、冷えピタとコップに水を入れた物を持ってこさせた。

「二人とも呼吸が激しいから、水筒よりもコップに水を入れて直接飲ませるの。少しずつね。一年の男子、ボオッと見てないでタオルで二人を仰ぎなさい」


 一年の男子は弾かれた様に二年が渡した大きめのタオルで二人を仰ぎ始めた。

「全くもう、手間かけさせないでよね。後で柳生先生に何て報告するつもり?」

「……」

「……」

 二人とも目をつぶったまま、こるゆぎもしなかった。

恵子はもしやと思い、順に口元に耳を当てた。

二人からは規則正しい寝息が聞こえてきた。

 麗香も司も気持ちよさそうに眠っていた。


 恵子は二人を仰いでいた一年男子に、仰ぐのをやめさせて稽古に戻る様に言って、自らも稽古に戻った。



 どこか遠くで聞き覚えのある声がする……

 そういえば稽古はいつ始るんだろう……そういえば主将になったんだっけ……あたしが行かないと稽古が始まらないんだった……早く起きないと……え?

 麗香は覚醒してガバッと上半身を起こした。

 反動で額に張った冷えピタがずり落ちてしまった。


「あ!やっと起きた」

 一年生の市ノ瀬夏枝がやれやれといった風情で言った。

「今何時?」

「5時半になったばかりです。2時間半は寝てた事になりますね」

「そんなに?何故誰も起こしてくれなかったのよ?」

「気持ち良さそうだったし、柳生先生も寝かしとけっていうから……」

「はあ~」

 初日で主将がこの体たらくとは……

 隣を見ると司が気持ち良さそうに眠っている。

 レム睡眠状態らしく、夢を見ているようだ。何か呟いているので耳を傾けてみると……


「……ヒロ君、そうじゃないったら、下手くそね~……むにゃむにゃ……」

 麗香は無言で彼女に軽くケリを入れた。

「わっ!」

 司がショックで覚醒した。

 ガバッと上半身を起こした為に彼女の冷えピタも反動でずり落ちた。

「なになに、何があったの!」

「いけない夢を見てたから見てられなくてね」

「なにそれ?」

 蹴られたショックでどんな夢を見てたか忘れてしまったようだった。


「ピンク色のあま~い夢。曽根君とチョメチョメしてたみたいね」

「え?神谷先輩って弓道部の曽根先輩とそういう仲だったんですか?」

「いや、チョメチョメまではしてないけど……」

 司は即座にそこだけは否定した。

「むしろ対立してると思ってました」

「対立って……」

「だって顔見ただけで稽古中にどつきに行くなんて、まともじゃないですよ」

「それはまあ、色々あってね……」

「それよりも夕食は18時からでしょ。サッサと行きましょうよ」

 麗香はネタ振りをしたことも都合よく忘れて、合宿所に向かって歩き始めた。



「あ!寝坊助共が来た」

 恵子が目ざとく食堂に入ってきた三人を見つけて叫んだ。

「ぐっ……」

「むっ……」


 寝てたのは紛れもない事実なので二人とも、何も言い返せなかった。

「しかも神谷先輩は曽根先輩が出てくる夢を見ていたらしいですよ」

 夏枝が横から茶々を入れた。ジャンケンで負けて二人が起きるまで傍にいる役になった事を軽く根に持っていたのだ。

「え~」

「うそ~」

「ホントに~」

 瞬く間に周りがはやし立てた。


「憎いね、このこの~」

 陽大が隣に座っていた弘明を軽く小突いた。

「俺もよく司が出てくる夢を見るぞ」

 弘明の一言でみんなの関心が司から彼に移った。

「しかも、俺に向かって槍や刀を振り回したり、ガトリングガンを打ち込んだり、榊や他の女子を引き連れて鉈持って何やら叫びながら追いかけて来たりな。しかも、2・3日おきにそうゆう夢を見るんだ。俺知らん間にノイローゼになってるんじゃないか?」

「なんて夢見てるのよ!」

「そんなもん俺の勝手だろうが」

「ハイハイ、それくらいにして席に着きなさい。夕食の前に連絡事項があるんだから」


 園芸部の顧問で副担任の毛利聡子がその場を収めた。今年から学校に赴任して来た新米の教師でグラマーを教えている。

 柳生が後を引き継いだ。

「明日の朝は剣道部も弓道部も練習は中止だ」

 えーっと声が上がった。

「何でですか?」

「まさか何か不祥事でも起きたんですか?」

「静かにしろ!そんな物騒なことじゃない」

 弓道部の顧問の那須資孝が騒ぎを沈めた。30代後半の既婚者で小学生の男の子がいる。


「野球部の試合が明日有るから、合宿所にいるものは皆見るようにという理事長からのありがた~いお達しだ。皆心して応援するように」

 那須の口調はどこか投げ槍だった。

 どうでもいいと思っているのが見え見えだった。県の決勝戦で無理矢理応援に駆り出されて家族サービスが出来なかった事を根に持っていたのだ。


「しっかし怠いよな~」

 皿をキッチンに出しながら陽大が愚痴った。

「何がだ?」

 弘明は完全に義務感で訪ねた。

「何がってそりぁおめぇ何が悲しゅうて野球部の試合をわざわざ見なくちゃならんのだ」

「俺は同じクラスの仲田がピッチャーで出るから多少興味はあるがな」

「俺はそうゆうのが無いから尚更辛い。ビールでも出たら別だけどな」

「ここでそんなもんが出るわけないだろ」

「ノンアルコールでいいから欲しい」

「俺は要らん。あの独特の甘みが嫌でな」


 高校生とは思えない会話をしながら風呂の準備をするために部屋に帰る途中で、一階の部屋の入口付近で弓道部や剣道部の一年生同士が何やら相談事をしているのが見えた。

 

「どうしたんだ?」

 陽大が尋ねた。

「いや、大した事じゃないんですけど、ここじゃなんですから部屋の方で……」

「?」


 弓道部の一年生の成瀬川左門が代表していった。

「曽根先輩と神谷先輩は公認の関係じゃないですか」

「そうみたいだな」

 弘明は他人事のように言った。

「それでこの合宿でチョメチョメしてる公認のカップルをもう一組作ろうって事になって、そのお膳立てをしようって事になったんですよ。女子からの提案なんですけどね」

「ほう!」

 陽大がかなり乗り気な姿勢を見せた。

 逆に弘明は難しい顔をして考え込んでしまった。

「企画としては面白いが、訂正がある」

「?」

「初のペアだ。俺とあいつは偶々家が隣同士なだけで、チョメチョメしてる訳じゃない」

「でもいずれそうなるんでしょ?」

「そんなことはお前らの知った事じゃない!」

 弘明は耳まで真っ赤になって怒鳴った。彼は滅多なことでは怒鳴ら無いのでその場にいた全員が一瞬固まった。


 彼は息を整えると、怒鳴った事も忘れたように言った。

「明日だけで結果を出そうとするなよ。特に榊はこうゆうことをすると、かえって意固地になるからな」

「というと?」

「天邪鬼なんだよ。興味がある癖に敢えて知らん顔をする。特に恋話が絡むとな」



 実は麗香については弘明と司しか知らない秘密があった。

 遡ること入学前、司の家で入学祝いと称して麗香や修一他数名を招いて内輪のパーティをした事があった。

 弘明と司、麗香以外が帰った後、司が内緒で隠していたワインの大瓶を出してきた。

「やっぱり高校生になるからにはお酒の害毒がどの程度か、検証しないとね」

 彼女は時々突拍子も無い事をする。

 何時でも何処でも誰とでもという訳ではないが、彼女なりの信頼関係の現れだった。

 弘明と麗香もそれは分かっていたし、ワインの味に興味がないわけではなかったし、お互いに酔っぱらうとどうなるか興味もあった。



「わたしはねえ……おんななんかに……ヒック……うまれたくなかったのよ……」

「ええ~どうして~」

「だってさ~なにかというとおんならしくしろってうるさいし~うじこにたちのわるいのがいてやたらとけつをさわろうとするし~ひろあきはあたしらをじとっとみてるし~」

「じとっとみてるわけじゃない……ヒック……かんさつしてるんだ~……ヒック……」

「じゃあいまからでも……ヒック……せいてんかんしたらいいじゃない……ヒック……」


 この時点でワインの大瓶は1/4になっていた。


「むちゃいうな~かみさまでもできっこないぞ~だから……ヒック……あたしよりつよいおとこが……ヒック……いたら……かのじょに……なっても……いい……ぞ……」

 麗香そこまで言って突っ伏して寝てしまった。

 弘明にその気があったら絶好のチャンスだっただろう。

 しかし、彼も酩酊状態で、そこまで頭が回らなかった。

 手尺でワインを自分のコップに入れると、飲みながらこう言った。

「たぶん……こいつに……とうぶん……かれしは……できない……ぞ……」

 同じく司もワインを彼から受け取って手尺で自分のコップに入れて、同意するように言った。

「わたしも……そう……おもう……」

 そこまで言って同時に突っ伏した。

 その状態で夜まで寝ていたので、所用があって出掛けていた両親に見つかってしまい、散々怒られてしまった。



「段階を踏んだ方がいいだろう」

「どういう風に?」

「明日の朝は甲子園だろ?その時に二人をテレビの前に座らせるんだ。あそこなら皆から見えるし、上級生だから一番いい席に座っても不自然じゃないし。羽黒には俺から話をとうしとこう」


 こうして翌朝、麗香は自分の周りが嫌にピリピリしてるのに気付いた。


 最初は昨日司に対してやり過ぎたためと思ったが、食堂で皆が最前列を進めたあたりから、おかしいと思い始めた。

 そして自分の隣に武光が半ば強引に座らせられた時、今朝から感じていた違和感の正体を知った。

 習慣的にボッと顔面が熱くなった。武光を見たら同じような状態になっている。

 誰も囃し立てなかったのが、唯一の救いだった。これは羽黒が前日に厳重に注意したからでもある。


「囃し立てるなよ。早々に食堂から出ていきかねないからな」


 羽黒の思惑通り、出ていく理由もなく、彼等は諦めて試合を見る事に集中した。

試合は邦栄が先方で3回が終わった時点で両者0点だったが、4回に相手が1点入れた。

 仲田は後続の打者を抑えてその回を抑えたが、続く5回に1点を奪われた。

 そして8回表に仲田がホームランを打って自ら1点を返したが、後が続かず最終的に負けてしまった。


 麗香と武光にとって幸いだったのは、邦栄高校は負けたとはいえ、それなりに見応えのあるいい試合をしたことで、また、両校の応援合戦に皆の目が行った事であろう。

 特に男子の目が相手校のチアガールの際どいコスチュームに行ってしまい、女子から少なからず顰蹙を買って初期の目的を忘れてしまった事もこの際幸いだった。

 そんな彼等の侃々諤々の大騒ぎを麗香と武光は横目で見ながら、切り分けられたスイカを食べながら自然と笑みがこぼれたのだった。



 それ以降は大したトラブルもなく、合宿は無事に終わった。



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