#12 催眠で堕ちる王女さま


「――わたしって、王女さまだったの?」


 夜空の月が頂点を少し過ぎた頃。時計の秒針の音だけが響く部屋で、私の目の前に立つ少女がそう尋ねる。


「……私の知る限りでは、貴方こそが王国の第二王女であるユリカ・フィッツ・ウォレイン様のはずです」


 姫様よりも更に一回り小さいはずなのに、その立ち姿に圧された私の声が震えそうになった。

 それは敵意を向けられたからではない。私がただ彼女に得体の知れなさというか、不気味さを感じ取っただけの事。間違いなく彼女はユリカ王女であるのに、そう断言させてくれない何かが、そこにはあった。


「ふぅん、やっぱりそうなんだ……。もう察していると思うけどわたし、以前までの記憶とかないの。王女とか言われても、あまり実感が湧かないんだよね」


「それは、記憶を失っているという事ですか?」


「さぁね、分かんない。落としてきたのか、そもそも初めからなかったのか、それすらも曖昧なの。ごめんね」


「……いえ、構いません」


 全く悪びれる気のない調子のユリカ様だが、流石にその辺りに触れる事は出来なかった。ここまでの仕打ちでそうなったとしたら、それは地雷以外の何物でもないからだ。


「記憶が無いということは、どうして奴隷になったのかも……?」


 なので何故記憶がないかではなく、どこまでの記憶がないのかに話を切り替えた。ここにも地雷があるかもしれないが、知りたいポイントではあったからだ。


「うん、さっぱり。気付けばわたしはここにいて、この子がご主人様だって言われて。AVじゃあるまいし、何のプレイなんだろうと呆れていたの」


「呆れるだけで済ませていいものではないと思いますがそれは」


 おかしい。思ってたのとは違う地雷がそこには埋まっていた。

 それにふと目覚めたら奴隷になっていたとか、導入としても雑すぎる。それをすんなりと受け入れられるのは、やはり王族として器が大きいからだろうか。


「……ねぇアナタ。今わたしが言った言葉の意味、分かってたよね?」


「はい? 今言った言葉って…………あっ」


 そんな懐の大きそうなユリカ様に尋ねられて、先程の台詞を思い出す。

 それは、王女さまの口から決して出るはずのない単語だった。いや別にセンシティブすぎるという意味でもなければ、姫様なら言いそうだなという話でもなく。


「AVなんてモノはこんな中世風の世界にはまず存在しないはず。それを知っているのは、ここじゃない別の世界と繋がりのある人間だけだと思うんだけど?」


「……一応聞きますが、その別の世界というのは?」


「先に聞いたのはわたしなんだけど、まぁいいや。お察しの通り、わたしがの事だよ。アナタも、そうなんでしょう?」


「……はい、その通りです」


 あっさりと白状したユリカ様にそう問い返されれば、私も頷く他ない。

 それを見たユリカ様は、悪戯が上手くいった時のような笑みを作っていた。あの発言はコレを狙ってのものだったらしい。


「流石にこれは驚きかも。まさか他にも転生者がいるなんて」


「それは此方の台詞です。ユリカ王女にも前世の記憶があるだなんて……」


 互いに互いを興味深そうに見合うが、きっと私の方が驚きは大きい気がする。

 だってこれはいつか来ると思っていた転生者同士の邂逅だ。その相手がまさか隣国の王女で、そのきっかけとなったのが……!


「すみませんユリカ様。流石にAVって言葉から転生バレするのはちょっと嫌なんですけど。もう少しマシなシチュエーションはなかったんですか」


「そんな事を言われてもね。コンカフェって言った時の反応で思う所はあったけど、その時はまだ確証がなかったし」


 転生バレするキッカケがAVかコンカフェという二択。なんか危ないバイト先を斡旋されそうな感じになってしまったのが大変遺憾だった。


「因みにわたし以外の転生者には会った事あるの? この世界ではそんなに珍しいことではなかったり?」


「いえ、私もユリカ様が初めてです。何となく他にもいるような気はしていますが」


「そう。それならわたしがアナタの初めてを奪ってしまったことになるんだね、AVで」


「なんて語弊のありすぎる物言いをなさるんですか……?!」


 からからと笑うユリカ様を見れば冗談だと分かるが、内容が内容すぎて姫様を連想してしまった。この方もまさかそんな感じだったりしないですよね? 信じてますからね……?


「まぁそんな感じで、わたしが覚えてるのは前世の事だけ。この部屋から出る事も殆どなかったから、こちらの事を知る機会も全然なくてね。そういう意味では、やっと私を知れてよかったよ」


「ユリカ様……」


 先程は呆れていたと話していたが、きっとそれだけではなかったのだろう。

 己が何者かも分からず、先の展望もまるで見えないこの部屋で、彼女がどんな胸中を抱いていたか。私には想像する事しか出来なかった。


「……このままこの子の抱き枕として生きていくのも、悪くないかもしれないと思い始めていた所だったから」


「良かったです! 間に合ったみたいで本当に良かったです……!」


 ちょっと遠い目になるユリカ様に涙が止まらない私だった。というかダンテスからそんな扱いをされていたのかユリカ様。あれ、本当に間に合ってるかなコレ。

 安堵から一転して不安になる私を見てか、ユリカ様が弁解するように口を開く。


「言っておくけど、別にこの子と関係を持ったわけじゃないから。ただ寝る時とか暇な時とかにギュッと抱きつかれてるだけだから」


「だけと言っていいんですかそれ本当に?」


 さも健全だと言い張るユリカ様だが、ご自身が王女である事と生まれたままの姿でそれをされている事をどうか思い出していただきたい。


「この子、そういった知識が疎いんだろうね。だから『抱く』という行為を文字通りに受け取ってるみたい」


「そう、でしたか……。この場合においては幸運だったと言うべきでしょうか」


 一国の皇子がその程度の知識しか有していないというのも問題ではあるが、他国の王女と勝手に行為に及ばれるよりかはマシだろう。同衾されてる時点でアウトではあるが。


「だからさっきは焦ったなぁ。アナタがこの子に余計な事を教えそうになってて、慌てて止めたんだから」


「……すみません。私そんな事までしてたんですか?」


「あれ、やっぱり覚えてないんだ。アナタとあのお姫様、この子の言いなりになってたよ?」


「それ、は……」


 そう言われて頭を回しても、私の中にそれらしい記憶はない。けれどそれを見ていただろうユリカ様や、私のはだけた服という物的証拠がある以上はそうなのだろう。

 それに加えてもう1つ、思い当たる事があった。


「私が覚えているのはユリカ様を連れ出そうとして、ダンテス様が何かを見せつけてきた所までです。もしかしなくても、アレは……」


「うん。催眠アプリだろうね」


「やはり、そうですか……」


 どうやら最後に見たあの光景は間違いではなかったらしい。けどなんでそんなモノがこの世界にあるんだろうか。あとユリカ様もなんでソレを知ってるんですか。割と皆知ってたりするんだろうか……?


「アレを使われたアナタが、何も知らない初心なこの子に熱心なレクチャーをしかけていたの。いわゆるおねショタって奴だったね」


「マジで何言ってるんですかユリカ様!? アナタの前世そっち方面ですねさては?!」


 最早クロ確というか、自白としか思えない発言したぞこのお方。あとダンテス様の年齢と容姿でショタは無理があるだろ多分。


「そっち方面とは失礼な。レッキとした同人作家の一人として名を馳せていただけだよ」


「……因みに、なんてペンネームでした?」


「『名瀬なせバナル』だったけど、もしかして知ってたりする? アナタもこちらの界隈に詳しそうだし」


 そして明かされる衝撃の事実。

 嘘だろ。あの鮮やかな塗りと照り、そして女の子の混じり合った複雑な感情を顔という狭いキャンバスの中で幾重にも表現してきた、あの『名瀬バナル』先生だというのか……?!


「名瀬先生。ここから無事に出られたらサインをお願いしてもいいですか? 色紙を持参してくるんで……」


「アナタ、意外と余裕あるね……」


 しまった、つい前世が出てしまった。名瀬先生、じゃないユリカ様の眉をひそめた姿で我に戻る。


「……すみません、話を戻します。それではダンテス様の持つ催眠アプリで私と姫様が操られたように、ユリカ様もその影響下にあるという事でよろしいのですね?」


「……それが、ちょっと違うんだよね」


「え、違うのですか?」


 気を取り直してユリカ様の現状を纏めたつもりだが、何故か当人は首を横に振らんばかりの態度だ。どういう事だろう。


「わたしはこの子の催眠にかかった事がないの。そうじゃないと、催眠アプリを使っている所を目撃なんて出来ないでしょう?」


「催眠アプリが、効かない……?」


 思ってもない告白に、今度は私が眉をひそめる番だった。

 確かに私やその後ろにいた姫様が催眠にかかっている以上、あのスマホを見た時点でアウトなのだと予想は出来た。しかし同じくその場にいたはずのユリカ様は記憶と自我を飛ばす事なく、こうして目撃証言が出来ているという事実が私を困惑させる。


「…………ん? では催眠にかかって無理矢理抱き枕にされているわけではないのですか?」


「……そうなるね。ここでの生活が始まってからの事は全て覚えているし、あのアプリで無意識にされた事はないと思う」


 たらりと流れた一筋の汗と共に、目を逸らすユリカ様。余談のつもりで聞いてしまったが、何故だろう。風向きが怪しくなってきた気がする。


「因みになのですが、抵抗とかはされなかったのですか? ここから抜け出そうとしたとか、そういう企みとかは……」


「言わなかったっけ、わたしは何も分からないままだったって。碌な情報どころかマトモな服すらない現状で、そんな事出来るわけないよ。この子が皇子なら、例え逃げ出してもすぐに捕まってしまいそうだし」


 口数が増えた気がするが、間違った事は言っていない。けど何か隠し事があると踏んだ私は、先程の仕返しも兼ねて策を弄してみる事にした。


「そうですよね、ここでの生活も決して良いものではないでしょうし……」


「見れば分かるでしょ、そんな事。最低限しか身体も綺麗に出来ないし、髪もボサボサなんだから」


「その辺りは皇子がやってくれたのですか?」


「まさか、この子にそんな技能はないよ。だから食事と一緒に櫛とかも持ってきてくれるよう頼んだの。それ以外に出来る事もなかったし、慣れるまで大変だったなぁ」


「慣れるまでですか……。ならユリカ様にもスマホがあれば、もっと楽に暇を潰せたかもしれないですね」


「それはどうだろう。これ以上ゴロゴロすると体型を維持出来なさそうで……ってなに、その目は」


「……ユリカ様、ゴロゴロしてたんですか? というか本当に暇してたんですか?」


「うっ」


 割とあっさりボロを出したユリカ様の言葉が止まる。

 情報不足や逃亡困難というのも嘘ではないのだろうけど、そもそもの話として催眠にかかっていたわけでもないのならと、浮かんだ一つの可能性をぶつけてみる。


「もしかして、割と抱き枕生活をエンジョイされていたんじゃ――」


「違うから。そんなわけがないから。こんな軟禁状態の奴隷生活を好む人間がいるわけないから!」


 実はうちの主がそうなんです、とは言えなかった。

 けど今日一番の音量で否定するユリカ様を見るとその、なんだか姫様が被って仕方のない私だった。


「失礼致しました。ユリカ様の心労も考えずにこんな根も葉もない思いつきを口にしてしまって」


「分かればいいの、分かれば。催眠にはかかってなかったけど、それがバレたら何をされるか分からないから大人しく従ってただけなんだから」


「それならやはりここから出ましょう。催眠で操られていないのなら、留まる理由なんてないはずですし」


「……そうだね、うん。やっぱり、そうするべきだよね……」


「何故そこで躊躇いを……?」


 またも目を逸らすユリカ様を見ると、やはり思い出すのはいつかの姫様だ。流石に姫様と同じ趣向ではないと思うが、では何がユリカ様をこんな顔にさせるのだろうか。


「抱き枕にされて嬉しいとか、そんなんじゃないよ。ただ数週間も一緒にいれば多少の情くらいは湧くんだよ。この子が置かれてる状況も何となくは察せるし」


「ユリカ様……」


「まぁこれは王女云々じゃなくて、前世の経験から来る予想だったけどね。この子には健やかな成長や穏やかな幸せに必要な何かが足りてないんだろうなって」


 そう言って、寝ているダンテス様を見るユリカ様には確かな慈愛があるように見えた。

 私もダンテス様の生い立ちにそこまで詳しいわけではないが、そんなに的を外してはいないだろう。


「だからわたしとしては、もう少し位はこのままで面倒を見てあげても良いかなって思わないでもないんだ。抱かれるだけで済んでいるのならって前提ではあるけどね」


「もしかしてそれは、同情からですか?」


「どうだろうね。或いは、基本寝てるだけで3食出てくる生活に慣れて、その代価として抱かれるのを受け入れちゃっただけかもしれない」


「そんなかもしれないはあってはならないと思うのですが」


 冗談混じりなようでどことなく本音な気がするユリカ様だが、頼むので王女さまともあろうお方が自身の身体を売ることに慣れないで欲しい。というかあの躊躇いはそういう事じゃないだろうな。


「自分が王女だって実感もないから強く自己主張するのもまだ難しいってのもあるかな。身分の証明には、それが要るんでしょ?」


「……そうですね。出来れば記憶が戻ってからの方が好ましいでしょうね」


 前世の記憶しかない今の状態では万全とは言えないのは間違いない。なのでそれを取り戻してからでいいと告げているのと同義だった。


「ではせめてニトに会っていただけませんか? アナタの従者である彼女と顔を合わせれば、何か思い出すかもしれませんし」


「あれ、私を知っている人がいるんだ。それなら、いつかは会わないといけないか」


 そこで私たちが唯一知る手掛かりであるニトの事を話すが、ユリカ様の反応はあまり良いものではなかった。


「思う所があるかもしれませんが、よければ無事を伝えてあげてください。ニトはユリカ様の事をとても心配していましたから」


「うーん、だからこそと言うか、何というか。無事じゃないどころか、そのニトって人が会いたいのは多分わたしじゃないんだろうなって気がするからさ」


「それは、どういう……?」


 ユリカ様の言う事がよく分からず、私は首を傾げる。

 例え記憶が失われていても、ユリカ様はユリカ様ではないんだろうか。


「アナタとは初対面だから違和感がないんだろうけど、このわたしはでしかないんだよ? この世界で生きてきた記憶がなくて、前世の記憶しかないんだから」


「……今のユリカ様は、前世の人格と言う事ですか」


 それは言うなれば、以前までのユリカ様と今のユリカ様にはギャップがあるという話だった。その状態でニトと会っても、それは再会と呼べるのか。今のユリカ様が危惧していたのはそこらしい。


「それでも、私はニトの為にも会ってあげて欲しいのです。どうかお願い出来ませんか?」


「……いや、そうだね。もう少しとは言ったけど、いつまでもいられるとは限らないか。そのニトって人と会う位なら、きっと――」



「…………ん、なんだユリカ。もう起きてたのか?」



 諦めたような、憂いを帯びたような目で頷こうとしたユリカ様の動きがピタリと止まる。その眠気混じり声が、私たち2人の間の空気を一変させた。


「ダンテス、様……!」


「メイドもそこで何をやってるんだ? お前には大人しく待ってるように言ったはず……いや言ったっけな。言ってないかもしれんな」


 まだ夜も明け切ってないというのにまだまだ動こうとするダンテスによって、否が応でも現実を思い出してしまう。


 そうだ。この部屋からユリカ様を連れ出す為には、ダンテス様をどうにかしなければならないのは変わっていないのだ。何故か催眠アプリを持っている、この男を……!


「……ん? メイドお前、オレの言いなりではなくなってないか?」


 その手に再度握られるスマホのような何か。それによって起こされる結末を回避し、ユリカ様をこの部屋から救い出す。その為に私は、頭を回し始めるのだった。

 

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