ずっとそのままでいて

雲居晝馬

第1話

「あ゛っ」


 突然肩を触られて、わたしは変な声を出す。BL小説に夢中で彼が教室に入って来たことに気づいていなかった。わたしは恥ずかしくて、本を机の中に隠し、彼の方を向く。

「い、いたんですね」

「うん、ちょっと訊きたいことがあって」


 倉本先輩は数学のプリントをさっと机に置く。

「よくできてたよ」


 わたしが解いたプリントを先輩に添削してもらったのだ。わたしの粗末な字をなんとか読みとって、さらに、間違えたところには丁寧な解説もついていた。

「ありがとうございます!」

「ひとみちゃん実力ついてきててすごいよ。さすが俺の自慢の後輩」

「そんな…先輩のおかげです」


 一瞬の沈黙。わたしは話題を探すようにプリントに眼を落とす。先輩は「それじゃ」というように廊下の方に身体を向けたので、わたしは慌ててプリントを指差す。

「先輩、これどうやって解くんですか?」


 話が長くなりそうなのを察して、先輩は前の席に腰掛ける。「これはね、…」といつもの明瞭な、しかし公正な口調で説明する。枠の細い銀色の眼鏡。女も嫉妬するような長い睫毛に見惚れる。


「聞いてた?」

「あ、はい。もちろんです」


「そういえば訊きたかったんだけどさ、ひとみちゃんはどうして数学頑張ってるの?私文なら数学は使わないでしょ」

「それは…」

 先輩と話したいから…とは言えなかった。先輩が理系だから、という理由で頼ってきたが、そろそろ誤魔化せなくなってきた。


「それは、まあ、推薦枠のためです」

 先輩は「ふーん」と曖昧な返事をした。きっと嘘だって解ってるはずだ。うちの学校の推薦枠には大したものがないし。


 それから10分くらい黙々と残りの問題の復習を解いていった。放課後の教室にカリカリとシャーペンの音が響く。先輩は何も言わずわたしが書き連ねていく文字を眺めていた。


 わたしは数学の問題に集中しているようで、そうではなかった。


 ずっとこの時が続けばいいのに。そう願うけど、先輩との時間はあと3ヶ月もないだろう。一年の春、陸上部に入った時に一目惚れした。優しくて、公平で、そして笑った顔がかわいい。


 真面目で健気な後輩の女子生徒として振る舞ってきたけど、きっと先輩はわたし含め、どんな女子にも振り向かないだろう。ちくりと胸が痛む。でもそれでも良い。わたしは見ているだけでいい。


 わたしの復習が終わって、先輩は立ち上がった。

「そういえば先輩、さっき言ってた訊きたかったことって何ですか?」

「ああ、それね。佳奈を見てないかって訊こうかと思ったんだ」

「小川先輩ですか?見てないですけど…どうして?」


 先輩は少し頬を赤らめ、頸を掻く。


「付き合ったんだ」

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