新しい隣人
千草がコータローと同棲し、結婚してからもそのまま新居にしているマンションだけど、あれはコータローが買ったものじゃないんだよね。
「ああ、親父の遺産や」
コータローの親父さんが癌になる何年か前に別荘として買ったとか。これを聞いて、なるほどって千草は思ったかな。別荘って普通は山の中とか、海辺とか、もっと簡単に言えば田舎に持ちそうなものじゃない。
でもさ、田舎者にとって田舎は日常なんだよね。故郷はそこまでのド田舎じゃないにしろ、都会から見れば目くそ鼻くそぐらいの差だと思う。つうかさ、わざわざもっと田舎に別荘が欲しいかと言えば、それはあんまりないな。
よく別荘に行く目的に、都会の喧騒を離れてって枕詞が使われるけど、田舎者ならむしろ都会の喧騒を求めるぐらいだよ。だからわざわざ神戸に別荘代わりのマンションを買って、神戸の夜の街を楽しむ拠点にしたかったぐらいだと思う。
「老後はマンションで暮らすのも考えとったかもしれん」
そんな気もする。だけど癌が発症してしまったから、買ってはみたものの、殆ど使われなかったのか。コータローは遺産って言ったけど、あれも微妙に違って生前贈与なんだって。だからじゃないけど、既に十五年選手になっていて、それなりに傷んでいるところも出ては来てる。
「なんやかんやで、だいぶ入れ替わったで」
今のフロアは間取りが広い部屋ばかりみたいで、うちも入れて全部で六軒。それもうちを除いて子育て家庭ばかりになってるのよね。
「近所の小学校が人気やそうやねん」
らしい。いわゆる名門小になるのだと思うけど、名門と言っても普通の市立だよ。私立中学みたいに受験特化でカリキュラムが違うなんてないはずだけど、
「オレもその辺の感覚がわかりにくかってんけど・・・」
コータローが理解した範囲なら、環境だって。環境と言っても校舎が立派とか、設備が整ってるじゃなくて、集まる児童によって作られる雰囲気らしい。この辺は進学熱が高いみたいで、
「聞いた話やったら半分ぐらいが私学受験して、三分の一ぐらいが進学するそうや」
そんなに! さすが神戸だ。
「オレらの頃なんか学年に一人おるか、おらんかぐらいやったもんな」
そうだった、そうだった。そういう受験組の児童は進学塾にバッチリ通ってるから成績も良いし、受験を控えてるからお行儀も良いんだって。私学受験組じゃなくても公立の上位校を狙うのも多いから、
「そういうこっちゃ。右見ても、左見ても、そんなんばっかりやから環境がエエってことや」
なるほどね。周りが勉強していれば自然に影響されるはずよね。
「オレも高校ではそう思うた」
明文館ならそうなるだろうな。千草の東高は逆だったな。だからかもしれないけど、フロアの他の家もどこか上品かな。上品と言ってもスノブな金持ちの上品じゃなく、厚かましい人がいない感じ。
どこも子育て世代同士だから、世にいうママ友グループ的なものも出来てるよ。もっとも仲は悪くないけど、すごく親しいかと言えばちょっと違う。どう違うかだけど、田舎流のベタベタの付き合いじゃない。田舎流のベタベタって、
「家族構成から学歴、経歴、勤め先から、親戚関係まで筒抜けやもんな」
そうなんだよね、プライバシーなんてどこの世界だみたいだもの。いわゆる都会流のあっさりした付き合いって感じで良いと思う。互いに迷惑さえかけなければ、プライバシーには踏み込まずにホドホドに距離を取ってるぐらいで良いと思う。
もっともコータローも千草も根が田舎者だから、住むにあたってはキッチリ挨拶をしてる。だってさ、昔から向こう三軒両隣って言うぐらいで、近所付き合いで波風を立てるのは良くないって教え込まれてるからね。
千草が同棲を始めた時だって挨拶回りさせられたもの。一軒ずつコータローと一緒に訪ねて回り、
「もうすぐ結婚します」
そこまで言うかと思ったけど、コータローにしたら変な女を引っ張り込んでる訳じゃないってしたかったみたいなんだ。結婚、結婚って言われて照れ臭かったけど、お蔭でフロアの他の家の人ともすぐに仲良くなれた。仲良くと言っても、会えば挨拶をしたり、時間があれば立ち話をする程度だけどね。
「そう言うたら、誰か入って来たな」
その前に出て行ってるのだけど、内装屋さんみたいなのがしばらく出入りしていて、引っ越し屋さんが荷物を運び入れたものね。いくら神戸とはいってもフロアに六軒しかないから、誰が入って来たかはどうしたって注目される。そう言えば引っ越しの挨拶はなかったよね、
「向こうさんの都合やろ」
田舎で欠かしたら何を言われるかわかったものじゃないけど、神戸ならどっちでも良いって感じなんだろうな。それでもボチボチと情報は入って来た。田中さんって言って若い夫婦で四歳ぐらいの子どもがいるみたい。
「専業主婦やな」
コータローの方が仕事の関係で家にいる時間が長いから、会うことも多いみたいだけど、
「奥さんはちょっと派手な感じがするけど、あんなもんか」
千草もすれ違ったことがあるけど、ちょっとどころでないぐらい派手だ。この辺は当人のファッション嗜好によるだろうけど、子育て中の母親にしたら違和感があるね。旦那さんは大人しくて優しそうに見えたけど、
「エエとこ勤めてはるんやないか」
千草もそんな気がした。イケメンとか、ダンディじゃないけど、良い人って感じはしたからね。もっとも、
「そこはわからん。蓼食う虫も好き好きや」
あははは、千草のとこだってそう見られてるかも。そうそう、うちのフロアの他の家も変わってると言えば変わってるかも。だってさ、田中さんところも含めて三軒も専業主婦家庭なんだよ。今どきにしたら珍しい気もする。
「ここに住めるぐらいやからやろな」
良い意味でも悪い意味でもね。場所としたら良いところなんだけど、一方でかなり古くなってるじゃない。だから場所と広さの割にお手頃と言うか、割安物件になってるとか、なってないとか。
「周囲にエエのが出来てるしな」
それもある。子育て家庭に人気の土地柄みたいだから、次々って感じで新築マンションが出来てるのよね。その中ではちょっと見すぼらしいところであるのが逆に狙い目的な感じになってるぐらいかも。でもね、住むには良いところなんだ。とくに駅前は震災後の再開発地域にも指定されてるから、
「タワマンやけど公団みたいなもんらしいで」
周囲だってショッピングモールがあったり、スーパーだって片手にあまるぐらいは余裕である。銀行とか、郵便局もあって、
「区役所まであるもんな」
公園も広々して子どもがいつも遊んでるのよね。三宮に近いから高級店みたいなものはないけど、暮らすにはかなり便利なところだ。
「それはそうと、田中さんとこからエラい見られ方しとるみたいやな」
ああ、それ聞いた。
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