第40話 手に入れたいもの(凛花side)
自分で言うのもなんだけれど、私は人より恵まれた環境で育ってきたと思う。
幼い頃から、あれが欲しいと言って、買い与えられないものはなかった。
あれをやってみたいと言って、やらせてもらえない習い事もなかった。
この世のすべてが自分を中心に回っていると錯覚してしまうほどに、何もかも思い通りに事が進んでいた。――彼に出会うまでは。
「おい、嫌がってるだろ。放してやれよ」
自分より体の大きなナンパ男たちから、身を挺して私を守ってくれた彼。
女子校育ちで、男性との接点がほとんどなかった私の目には、そんな彼――絢斗さんは、とても勇敢で魅力的に映った。
即座に、欲しいと思った。
彼を自分のものにしたいと、気持ちが滾った。
同時に、そんなことは簡単だとも思った。だって、今までがそうだったから。
だけど、彼は一筋縄じゃいかなかった。
どんなにわざとらしいアピールを繰り返しても、まったく意識されていないわけではないにしろ、彼が私に靡いてくれることはなかった。
だから、美織さんから勝負の話を持ち掛けられた時は、逆にチャンスだと思った。
この勝負に勝てば、私は誰にも邪魔されることなく、絢斗さんを自分だけのものにすることができると、そう考えたからだ。
この時の私は、どこまでも自分のことばかり考えていた。
……その勝負に負けるなんてこと、想像もしていなかったんですもの。
***
「あ」
「……あら、絢斗さん♡ 偶然ですね?」
美織さんとの対決から一週間後。
私は街中で偶然、意中の人にばったりと遭遇した。絢斗さんに会うのは、あの日――ご自宅にお邪魔して料理対決をした時以来だ。ちょっと、ちょっとだけ気まずいような気もしなくもないけれど。でも、私は対決のあと、美織さんから正式な好敵手としてお墨付きをいただいている。大好きな絢斗さんを、わざわざ避ける必要はないのだ。
「り、凛花……」
「もしかして、寂しくなって私に会いに来てくれたんですか? それなら、せっかくですしこのままデートなんて……あら?」
冗談めかしてそんなことを口にしてみるけれど、いつもなら間髪入れず飛んできそうな絢斗さんの鋭いツッコミが、今日はその気配もない。
不思議に思いその顔を覗き込んでみると、絢斗さんは少しぐったりとした様子で、顔色も心なしか青白い。
「ど、どうしたんですか?! もしかして具合が悪いんですか?」
「あ、いや……ちょっとフラッとするだけ、大丈夫だよ」
「ぜんぜん大丈夫ではなさそうですが?!」
「そんなことより、早く買い出し終わらせて戻らないと……」
フラフラと覚束ない足取りで先を急ごうとする絢斗さん。しかしバランスを崩してその場に倒れそうになる。咄嗟に電柱に手をついて転倒は免れたようだが、もう見ていられない。
7月に入り、梅雨も明けて外はすっかり夏の日差しになっている。おそらく、今の絢斗さんは軽い熱中症になっているのだ。
「と、とりあえず…! このお茶飲んでください! さっき買ったばかりなのでまだ冷たいはずです!」
「う、悪いな……なんか気分が優れなくてさ」
「無理に喋らなくていいですから!」
絢斗さんの体を支えながら、辺りをキョロキョロと見回す。
ちょうど曲がり角を曲がってきたタクシーが目に入ったので、私は迷わず手を上げた。目の前で止まってくれたタクシーにぐったりした絢斗さんを無理やり詰め込むようにして乗せ、自分もその横に乗り込む。
「凛花……?」
「ここからだと絢斗さんの家より、私の家のほうが近いです。とりあえず、うちで少し休んで行ってください」
***
私は誰もいない自宅に絢斗さんを連れて帰ると、すぐさま自室のベッドに寝かせた。冷蔵庫から冷えた飲み物を持ってきて、熱中症予防のための塩分タブレットも横に並べる。だんだんクーラーが効いてくると、絢斗さんの顔色も少しは良くなったように見えて、私はほっと胸を撫で下ろす。
近頃急に暑くなったから、やはり軽い熱中症になっていたようだ。
「大丈夫ですか?」
「ん……うぅ。たぶん……」
絢斗さんははじめ、つらそうに眉間に皺を寄せていたけれど、だんだんと穏やかな顔つきになって、そのまま軽い寝息が聞こえてきたので、私はしばらく近くで様子を見ることにした。
「ハッ!」
それから三十分くらい経った頃。目を覚ましたらしい絢斗さんは急にガバッと体を起こそうとして、顔をしかめた。頭を押さえるようにしているので、まだ頭痛などの症状があるのかもしれない。
「もう、ダメですよ。急に起き上がったら」
「え……り、凛花?! なんでここに?」
「意識が朦朧としているのですね。絢斗さん、熱中症でフラフラしていたから、危険だと思って、とりあえずタクシーでうちに連れ帰ったんですよ。私が」
「え……そ、そうだったのか。悪いな、凛花」
事情を呑み込むと、申し訳なさそうに眉を下げる絢斗さん。
「いいえ、苦しんでいる人を放っておけませんよ。これでも医者の娘ですからね」
絢斗さんが変に気を遣うことのないよう、私はペロッと舌を出して、わざと茶目っ気たっぷりに答えた。
「ご気分はどうですか?」
「ああ、だいぶよくなったよ! ほんと、世話になったな」
「……ちょ、ちょっと、絢斗さん? 何、荷物まとめて帰ろうとしちゃってるんですか? ダメですよ、まだ安静にしてないと」
「え、そ、そうかな。もうよくなったし大丈夫かと思ったんだけど」
「もう……」
他人には優しいクセに、自分のこととなるとこの有り様なんですから。
……そういうところが、なんだか放っておけなくて、夢中になってしまうのだけど。
「飲み物も、ちゃんと全部飲んでください。水分補給、これじゃぜんぜん足りてないですよ」
「でも半分くらいは飲んだぞ?」
「もう、それじゃ足りないって言ってるんです。わからず屋」
私が頬を膨らませると、絢斗さんは珍しくタジタジな様子だ。ちょっと可愛いと思ってしまう。
「そんな悪い子には、こうですよ」
私は半分ほど残っているペットボトルのお茶を口に含むと、そうっと絢斗さんの体に触れて。そのまま優しく、唇を重ねた。
ゴクリと、絢斗さんの喉が鳴り、口移しでお茶を飲んでくれたことがわかる。
「な、ななな……な~~~~ッ……!!」
「ああ、もしかして……最初からこっちを期待していましたか?♡」
「んなワケ、あるかぁッッ!!」
みるみるうちに真っ赤になってしまった絢斗さんを見て、私はつくづくこの人が好きだなあと、改めて思う。
「ふふ……誰もいない自宅に二人きり。このシチュエーション、無駄にするワケにはいきませんよねぇ?♡」
「な、何言ってやがるッ」
「絢斗さんにちょっかいを出す許可は、美織さんにもいただいておりますし……大丈夫、優しくしますから♡」
「それは男側のセリフだろぉ……っ!!」
このまま少しずつ、少しずつ距離を詰めて……。
いつか絶対、私に振り向かせてみせますから。
「覚悟しててくださいね? 絢斗さん♡」
----
あとがき
だいぶ間が空いてしまってすみません……!
こちらのお話で、凛花がメインとなる第二章は終了となります。次章以降も、コンスタントに更新していければと思いますので、よければまた読んでいただけますと嬉しいです。
また、☆でのご評価などいただけると大変励みになります。よろしくお願いいたします!
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