第19話 ティア・ドロップ
――お前に、渡したいものが、あるんだ。
つい先ほど、これを渡すことはやめようと決意したばかりだったのに。
なぜか、その言葉は頭であれこれ考えるより先に、自然と口をついて出た。まるで、そうすることが当たり前だというように。
「えっ……私に?」
「うん。……気に入らなくても、怒るなよな」
「え、えっ」
突然のプレゼント宣言に混乱する神楽坂に、俺は鞄から取り出した水色の箱をぶっきらぼうに差し出す。
「こ、これ」
「ち、違うから。こないだ、政臣さんから初めてバイト代もらって、ほ、他に使い道ないから、気まぐれに買っただけだから」
「え……本当に私にくれるの?」
「いやだからホント、気に入るかどうかとか知らねえから。全然好みじゃないとか思っても、責任取れねえし……」
神楽坂が箱を開けて中身を確認する前に、色々と予防線を張って言い訳をする俺、たまらなくダサイ。ダサイことはわかっているが、なぜか止まらない。
こんな時ばかりバカみたいに饒舌になる自分が、心の底から情けなかった。
「……開けてみても、いい?」
神楽坂にそう聞かれたので、視線をそらしたまま頷く。
シュル、と箱にかけられたリボンをほどく音がしたが、それから数秒経っても、神楽坂の反応はなく。
……やばい、これ、あまりにも安っぽいとか、デザインが好みじゃないとかで、お世辞の一つすら出てこないパターンか?
ああ、やっぱり渡さないほうがよかったかもしれない。
途端に不安に押し潰されそうになりながらも、あまりにも何の反応もないので、俺は恐る恐る神楽坂のほうを見る。
「……え、」
すると、目の前の神楽坂は、声も出さずに静かに涙を流していた。
透き通った透明の雫が、白い頬を伝って、箱の中のネックレスに音もなく落ちる。
「……え、あの、泣くほど気に入らない?」
「そん、なワケ……ないでしょぉ……っ」
「あ、え、ごめん。俺、あんまり状況が掴めてなくて。気に入らなかったんなら、す、捨ててもいいから……!」
「バカ!」
珍しく強い口調でそう言うと、神楽坂は箱を持ったまま、衝動的に飛びつくようにして、俺に抱き着いてきた。
「?! ちょ、何……」
「……み、三崎くんが、私に、こんな可愛いネックレス、くれるなんて……さ、サプライズ……すぎるわっ、うっ、ずるいじゃない……っ」
ぐす、と鼻をすすりながら、涙声で神楽坂は言う。
「ちょ、ちょっと、落ち着けって」
「あ……、ご、ごめんなさい! 三崎くんの制服が汚れちゃうわね……」
はっと我に返ったらしい神楽坂は慌てて俺から離れ、さっとティッシュを何枚か取って、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭った。
「……どうして、こんな素敵なプレゼントを?」
「だから、たまたま、給料の使い道が浮かばなかったからだって」
「そうなの? ……でも、いいわ。理由なんてなんでも。あなたが私のことを思って何かを買ってくれたこと、それがいちばん嬉しいから」
「……っ」
ふわり、と微笑んだその表情があまりに美しくて、思わずまた目をそらしてしまう。頬は薔薇色に紅潮し、頬だけでなく、泣いているせいか目尻もすこし赤い。それがまた妙に色っぽく、彼女の魅力を引き立てていた。
「ありがとう、三崎くん」
「あー、まあ、気に入ってくれたならよかった」
「私、これ、毎日つけるわ」
「校則違反なんじゃないのか」
「いいのよ、制服のシャツのボタンを上まで閉めたら、ぱっと見はわからないわ」
そう言いながら、悪戯っ子のように笑う。
「大事にするから。絶対。絶対に肌身離さずつけるわ」
「そ、そこまでしなくても……」
「あ、早速、今つけてみたいのだけど。三崎くん、つけてくれる?」
「え、うまくできるかな」
「大丈夫よ」
くるりと後ろを向いた神楽坂に「ほら、早く」と促され、俺は彼女の持った箱からネックレスをそっと掴む。細いチェーンがちぎれてしまわないよう、細心の注意を払いながら、恐る恐る彼女の首筋にそれを這わせていく。
その間、神楽坂は俺がネックレスをつけやすいように、長い髪を手で上にあげて、邪魔にならないように配慮してくれていた。
普段隠れている神楽坂の白いうなじを前に、少し――いや、かなりドキドキしてしまったことは、どうかバレていませんように。
「……えっと、これでいいのかな。たぶん、つけられたと思うけど」
「ありがとうっ」
俺がそう言うと、神楽坂はまたくるりと向きを変え、上目遣いで楽しそうに俺のほうを見た。
「ど、どう? 似合ってる?」
「……あ、ああ、似合うよ。すごく」
雨粒のモチーフは、控えめながら洗練されていて美しく、神楽坂の白く華奢な首元にあっても、変に浮くことはない。むしろ、普段から愛用しているといわれても不思議ではないほど、ぴったり馴染んでくれていた。
なんだか俺のほうまで嬉しくなって、無意識に声のトーンが上がってしまう。
「……ふふ……嬉しい。三崎くんからこんな素敵なものをもらえるなんて」
「ま、まあ、普段世話になってるしな」
世話をしているのはどちらかというと俺なような気がしないでもないが、まあ、細かいことはいいだろう、この際。
「ど、どうしよう……ぐす、また、泣けてきちゃった」
「ああ、もう――」
再び神楽坂の大きな目に滲んだ雫を、自然な流れで人差し指で拭う。
しかし、反対の瞳に浮かんでいたほうはそのまま流れ落ちて、すっと薔薇色の頬を伝った。
――首元に煌めく雨粒は、確かに美しい。
けれど、神楽坂の頬を伝う雫のほうが、何倍も透き通っていて、何倍も美しく思えた。
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