短編①「朝練」

賀来リョーマ

「朝練」


 悔しさや悲しさから、どうしても "夢”を描いてしまう。それは悪いことではないのだけれど、やっぱり私には合わないと思っていた。



「麻衣、頑張って!」

「うん、ありがと。」

私は、落ち着いた表情作りに努めた。自分でもこの作り笑顔が嫌いだ。緊張しているのに、余裕そうな顔を見せる。負けるかもって思ってるのに、勝つことを疑っていないように見せる。

こうしていつもトラックに向かう。800mのスタートラインは好きだ。隣にライバルがいないから。平等な距離を走るはずなのに、真横に競う相手がいないのは不思議だけど、自然と自分の走りに集中できる。でも、800mのスタート姿勢は嫌いだ。姿勢が中途半端だからだ。クラウチングスタートとか、そういう分かりやすい型があれば気持ちが入りやすい。なまじ普段の姿勢と大きく違わないせいで、どうも落ち着かない。そして、震える足で位置につくんだ。



 号砲が鳴った。



 スタートは出遅れただろうか?フライングでのストップはかかってない。視界に入ったレーンの子との距離感に特に違和感もない。このレースではひとまず1位にならないと次に進めないんだっけか。この曲走路が終われば内側に入れる。兎にも角にも、このトラックを2周すれば良いだけの話だ。


あっという間だ。


全力で走れば、すぐに終わる。すぐに結果がでる。



 本当に、あっという間だった。



「麻衣、すぐ着替えてこい。彩音のレース見るぞ。」

「あ、はい。」


「うっすいなぁ。」

絶妙に不味いスポドリに苛立ちを覚える。「先生も薄情だな」と思いつつ、すぐにジャージを羽織ってギャラリー席に戻った。

「麻衣おつかれー。三高の子、やっぱめちゃ速かったね。」

「うん、うちのレースからはあの子だけかなぁ。」

「あ、彩音ちゃんのレース始まるよ。」

「うん。あ、ごめん優香。お母さんから電話きた。」

「そんなの後でいいじゃん。」

「いやでも、結果すぐ報告しろって言われたし。大丈夫、彩音が見えるとこで電話するよ。」


 電話をとり、「移動するから」と母には少し待ってもらった。人が少ない上の方の席に行って、再びスマホを耳につけた。

「もしもし、2着だったよ。三高の子がすごかった。」

「そう、残れなさそう?」

「うん、多分ね。」

「そっか。またちゃんと結果分かったら連絡してね。」

「わかった。」

「あと、他の子はどうなの?」

「みんなちゃんと良かったけど、残れるかは分からないかな。あ、今ちょうど彩音が...。」

「麻衣?ちょっと麻衣?」


 涙を流す時の感情は、そんな単純なものじゃない。ただ『自分が負けて』悔しいだけとか、『友達に先を越されて』羨ましいだけとか。もっとこう、泣くって複雑な感情行為だと思う。


 結果が出た。当然、私は全国に行けなかった。


「麻衣。次は絶対に全国行くよ。」

優香の言葉に、私は無言で頷いた。




 インターハイで悔しい思いをしてから暫くの間、私はかなり気合を入れて練習に励んだ。先生も、周囲の部員も、彩音だって私の本気さを感じていたと思う。

でもそのやる気は続かなかった。次の大会も負けて、そして私は怪我をした。

足首の怪我をした私は、当然走ることはできなかった。みんなが練習している間は、リハビリとウェイトトレーニングをして時間を潰していた。


怪我が治ったらまた頑張ればいい?ちゃんとストイックに練習すれば全国へ行ける?


暇だと、人は考え事をしてしまう。そして、考えれば考えるほど、現実主義になり、卑屈になる。

って、それは私みたいな性格の奴だけか。


私のやる気が続かなかったのは、陸上が嫌いだからでも、練習が面倒だったからでもない。

自分には無理だと思ったからだろうか?

ずっと考えていたけれど、答えは分からなかった。



 怪我が治って走れるようになるまで、2ヶ月ほどかかった。怪我明けからなかなかコンディションが戻らず、練習もみんなとは別メニューの期間が続いていた。


「麻衣!明日、文化祭準備あるからちょっと早く集合して行くよ、7時でいい?」

「あ、うん、分かった。」

練習終わりに優香が話しかけてくる。文化祭がもうすぐで、1週間前にもなれば部活は休みになる。

 優香に言われた通りに7時にいつもの待ち合わせ場所に向かい、いつもより少し日の角度が浅い通学路を歩く。田舎の道は、高い建物一つなく、電線と電柱を除いて視界を遮るようなものは何一つない。学校へ向かいながらも、数分経ったところで大して景色も変わらない。もちろん田舎だからといって何処もそうという訳ではないから、他地方の出身者には怒られるだろうか。

グラウンドの横を通りながら、正門へと向かう。ふと石灰で縁取られたトラックに目を向ける。


 一人の少女が走っている。


彼女はまだトラックの反対側にいる。少し目が悪くなってきたのに、眼鏡が似合わないからと裸眼で生活している私には、彼女の顔までは認識できなかった。でも、私はその走り方を知っていた。彼女の表情が見えるよりも先に正門に着かないように、歩くスピードを緩めた。

「麻衣、どうしたの?」

「あ、いや。彩音って、朝自主練してたんだ。」

「あうん、そうだよ?え?知らなかったの?」

「うん。」

「毎日してるよ、本当に毎日。」

「えっ、そうなの?私、知らなかった。」

「まぁでも、あんまり喋らないもんね、麻衣と彩音ちゃんって。」

「うん。」



 文化祭も終わり、また練習の日々が始まった。私のコンディションも徐々に良くなり、練習もフルでこなしながら、怪我明けから2ヶ月経つ頃にはタイムも怪我前と同じくらいに戻っていた。

それでも、なかなか自己ベストを更新できない。


 800mの練習は嫌いだ。タイムを測るとき以外は、いつも横並びでスタートする。私より速い誰かは、すぐに私の前で背中を見せる。そうなると、もう二度と追い越せない。

「あのさ、麻衣。」

「へっ!何?」

珍しく彩音が私に声をかけてきた。驚いて喉に何か詰まったような声が出てしまった。

「麻衣、最近変だよ。」

「え、そうかな?」

彩音の真意を汲みかねた。冗談じみた煽り文句なのかは分からないが、顔は至って真面目に見えた。

「ごめん、伝え方間違えたかも。でも、私が知ってる麻衣じゃない。」

「どうして、そう思うの?」

「麻衣は、諦めるようになったよ。」


こういう時、どういう表情をすればいいか迷う。心当たりがなければ、怒り心頭に発していたところだと思う。でも図星の時ほど、反応に困る。

彼女は私を責めているのだろうか?

それでも、彩音のその素朴さ丸出しの表情を見ていると、不思議と心がすっきりした。


「彩音はさ」

「ん?」

「朝練、してるよね、一人で。うちの部活って方針的にしないじゃん。」

「うん、そうだね。でも私は走るよ。」

「そっか。彩音はさ」

「なに?」

「どうして毎日頑張り続けられるの?」

「自分が成長できないと、嫌だから。」

「そっか...。彩音はさ」

「どうしたの?」

「大会で負けた時、悔しかった?」

「うん、悔しい。でも、練習で負けるのも悔しい。自分のタイムが伸びないのも悔しい。毎日悔しいよ。」

「そうだよね。彩音はさ...」

気づけば彩音の前で私はしゃがみ込んでいた。

彼女は私と目線を合わせて、両の手で頬を包み込んでくれた。


 部活後、たぶん初めて彩音と2人で帰った。少し腫れた瞼を擦りながら、街灯以外何もない道を歩く。

「彩音、私ね。」

「うん。」

「陸上やめようと思う。」

彩音は立ち止まって私の手をとった。心配そうに私を見つめる。

「ごめん麻衣。さっきはそんなつもりで言ったんじゃない。私、麻衣のことライバルだと思ってたから。だから...」

「私には、朝練はできないよ。」

「えっ?」

彩音は驚いている。何の意図を持って私がこう言ったか分からない顔だ。やっぱり彼女は、純粋だ。

「今まで悔しかったこと、数回しかないの。大きな大会で、惜しいところまでいって負けた時だけ。そのときはいつも決意するの、“夢”をみるの。次こそは全国へ行ってやる、って。」

「それの何が悪いの?良いことだよ。」

「悪くはないと思う。だけど、『悔しさ』は長続きしないんだよ。毎日悔しいと思える彩音には、あんまり分からないかな。」


どうして最後に、彩音を突き放すような言い方をしたのかは分からない。「あなたと私は違う」と伝えたかったからだろうか。



その3日後には、退部届を提出した。お母さんを説得するのには、本当に苦労したっけ。

新しい気持ちで学校に向かう。特に用事もないのに、早めの時間に家を出た。「先に行くね」と優香にメッセージを送り、いつもと変わらない道を通る。

よく晴れているのが分かる、開けた道。低い建物がつらつらと並んではいるが、私の目には一直線の地平線に見えた。

グラウンドの横を通る。立ち止まり、また彼女に目を奪われる。


「やっぱり、私には朝練はできないんだよ。」

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短編①「朝練」 賀来リョーマ @eunieRyoma

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