門出に乾杯

 着こんでいた上着もすっかり薄くなったある日のことです。陽成は、あたたかな光を浴びながら、スマホ画面に浮かぶ文字列に、息をつきました。


「受かってる」


 息の多い言葉が陽成の口から漏れ出ました。深呼吸でもしているかのように、陽成は多いきり息を吸い込んでから、息を吐き切りました。

 陽成の隣で、同じように自身の手元のスマホ画面を見つめていた志月は、何も言わずに画面を暗くしました。

 陽成と志月は、小学校に上がる前からの友人です。二人とも同い年で、つい先日、同じ高校の卒業式に、主役として出席したばかりでした。

 今日は陽成が受けた大学が、合格者を発表する日でした。一人で見て落ちていた時の衝撃を和らげられる気がしなかったので、友人を頼ることにしたのです。

 結果は、合格。スマホに映った画面は、華々しく、桜を咲かせていました。


「よかったじゃないか。努力した甲斐があったな」

「ああ」


 陽成の高揚した頬を、春のあたたかな風が撫ぜます。見間違いではないのかと、陽成は何度も何度も、画面を見返しました。


「家族に報告しなくていいのか?」

「あ、ああ。そうだな」


 陽成は志月の声にほんの少し冷静さを取り戻して、そうはいってもおぼつかない手で、母と父、そして兄のいるグループに、合格と表示された画面のスクリーンショットを送信します。

 不安だったのは陽成だけではなかったようで、母からはすぐに返信が来ました。おめでとう、の文字と、クラッカーを鳴らすクマのスタンプが、陽成の合格をお祝いしてくれました。兄もほんの少し後になって、親指を立てたスタンプを送ってくれます。


「はあ、よかった。ありがとう」

「俺は何もしてないがな」

「志月がいたから頑張れたんだ。お礼だって、一回じゃ全然足りないくらいには感謝してる」

「大げさだな」


 志月は苦笑いをこぼして、首を横に振りました。

 陽成と志月は志望校こそ違いましたが、毎日一緒に勉強していました。クリスマスであっても正月であっても、二人でこんな日に勉強なんて、と笑いながら、問題を解いていました。陽成は文系、志月は理系でしたが、お互いに教え合うことも多くありました。特に陽成は、数学や理科基礎に関して、志月によく教えて貰っていたのです。


「大袈裟なものか。何回助けられたと思ってるんだ」

「助けたつもりはない」

「頑固だなあ。感謝は素直に受け取っておいた方がいいぞ」

「……分かったよ。でも、助かったのはお互い様だ。そうだろ?」

「ああ。そうだな」


 陽成は立ち上がって、伸びをしました。志月は陽成を見上げます。風はやはり穏やかで、太陽の元で心地のいい安らぎを、二人に送ってくれました。


「ずっと、一緒だったけど……もう、簡単には会えなくなるんだな」


 陽成は晴れた空を見上げて、しみじみと呟きました。陽成の通う大学と、志月の通う大学には、新幹線で二時間ほどの距離がありました。


「寂しくなるな」

「おいおい。一生涯の別れって言ってるんじゃないんだ。それに、今は合格の喜びを噛み締めるときだろ。そう湿気た面をするな」

「それは……そうだけど」


 志月もまた立ち上がって、振り返る陽成の顔を見上げます。そしてそのまま、陽成をさながら探偵かのごとく指さしました。


「夢を叶えるために大学に行くんだろ。後ろを向いてたら、いつ目的地にたどり着くか分からないぞ」

「後ろなんか向いてないさ。ただ……感慨に耽っていただけだ。それに、こうしていられるのも、今のうちだけだろ?大学生活が始まったら、こんなことなんて考えていられないかもしれない」

「考えなくていい。会えなくたって、連絡ならいつでも取れる。二百年前の時代に生きているわけじゃないんだ。今はこれ一台で、聞きたい時に声が聞ける」


 志月はそう言って、スマホを掲げました。陽成は志月の手元を見やって、肩を竦めました。


「これだからムードのない男は……。お前、好きな女にはそういうこと言うなよ。嫌われるぞ」

「余計なお世話だ」


 風が強く吹いて、陽成と志月の髪を荒らしました。二人はうわっ、と揃って声を上げて、風が止むのを待ちました。

 風が止んだころ、陽成は志月の髪を見て、思い切り吹き出しました。


「……なんだ」

「お前、髪!」

「言っておくが、お前もだぞ」


 志月は嫌そうな顔をして、スマホを開きました。カメラアプリを起動して、髪を確認するためです。

 ロックを解除したあとの画面には、画像が映し出されました。それは、陽成と志月が写った写真でした。慣れない制服に身を包んだ少年たちは、笑顔で中学校の門前に立っていました。

 志月は写真を見て、頬を緩めました。陽成は不思議そうに、志月のスマホ画面を覗き込もうとします。


「プライバシーの侵害だぞ」

「うぉ。悪い悪い。いきなり笑うから何かと思ってよ」

「妹からトンチキなメッセージが送られてきていたから笑っただけだ」

「なんて?」

「あいつはお前が海外に行くと思っているらしい」


 陽成は声を上げて笑いました。志月もまた、口角をあげます。

 どこからか飛んできた花びらが、二人の足元に落ちました。


「あ、なあ、せっかくだしなんか飲み物買って乾杯しようぜ」

「いいぞ。合格祝いに奢ってやる」

「お、よっしゃ」


 陽成と志月は、太陽の方向に歩き始めました。

 桜は、芽吹いています。

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