ブランコを揺らすのは
千夜の趣味は、ブランコを漕ぐこと。
どんなに暑い日でも、どんなに寒い日でも、夕方、七つの子が流れるまで、ブランコを漕ぎ続ける。雨が降っていようと、雷が遠くで鳴っていようと、風が強く吹いていようと。
「変わってよ」と言われることはなかった。もう随分と寂れた公園は、手入れもされていない。草は生えっぱなしで、サビはついたまま。
ブランコも、漕ぐ度ギイと音が鳴る。その音は耳障りだったが、指摘する人はいなかった。
千夜以外、人っ子一人いないのだ。いるのは、虫くらいのものだった。
千夜は、ブランコを漕ぐ以外のことはしなかった。前後に揺れる馬も、砂場も、鉄棒も、どれも千夜の目を引かなかったのだ。
誰と遊ぶ訳でもない。声も出さない。ただ、ブランコを漕ぐだけだった。
そんな久しく千夜以外が訪れなかった公園に、ある日、キャップを後ろ向きに被った少年が現れた。もう虫も睡眠をとっている季節だというのに、半袖の上に何を羽織るわけでもなく、ぼんやりと、ブランコを見つめていた。片腕に抱えたボールが、落ちてしまいそうだった。
「何か用?」
千夜は視線に気がついて、ブランコを漕ぐのをやめた。揺れはだんだんおさまって、いずれ千夜の足が地面を擦った。少年を見つめる瞳には、怒りが滲んでいた。
千夜に睨まれた少年は、少し気まずそうに、頭をかいた。
「いや、こんなとこで何してんのかなって」
「見て分からない?ブランコを漕いでるの」
「それはわかるよ。けどさ、すぐ近くにもあるじゃん、ブランコある公園」
少年は山のある方を指差した。千夜のいる公園の、もう百メートルほど先に、管理もされていて、賑やかな公園があった。晴れた日には子どもの高い笑い声が聞こえるような公園だった。
千夜はそっと、少年から目を逸らした。ブランコの影は、千夜よりも大きかった。
「ちよは、ここがいいの」
千夜はハッキリとそう口にした。少年は何度か瞬きをして、千夜に近づいた。草むらをかき分けて、持っていたボールを、適当な場所に置く。ボールが転がることは無かった。
少年は、千夜の座っている、隣のブランコに足を乗せた。ギィ、という硬い音に少年は顔を顰めたが、力強く足を曲げた。
千夜は怪訝そうな顔をしたが、やがて興味無さそうに、再びブランコを漕ぎ始めた。
「いつもここにいんの?」
しばらく漕いで、二つのブランコが同じリズムを刻み出した時。少年は、ふと千夜にそう問いかけた。
千夜は能面のような顔を動かすこともなく、返事をする。
「そう」
「雨でも?」
「雨でも」
「台風でも?」
「台風でも」
千夜の返事に、迷いはなかった。千夜の声はブランコが鳴らす音よりも小さかったが、それでも少年の耳には届いたようだった。
「どうして?」
「会いたい人がいるから」
「会いたい人?」
「この公園でまた会おうって、約束したの」
力強い声だった。大きくは無いが、芯のある声だ。
少年は、ふうん、と相槌を打つ。
「会えたの」
「……見たらわかるでしょ。会えてない」
「じゃあ、なんで待ってるの」
「約束、したから」
千夜の声は、震えていた。
「ちよ、ここで待ってるって、約束したもん」
少年は、横目に千夜を見た。千夜のブランコの揺れは、少年のものよりずっと小さかった。ぎゅう、と鎖を握りしめている千夜の手は、少年のものよりずっと小さかった。
「会いたいの、その人に」
すん、と鼻をすする音がした。
「うん、あいたい」
あまりに、小さな声だった。
「どうして」
「だって、いってたもん。ちよにあいにきてくれるって、いってたもん」
「大事な人なの」
「だいじなひとよ。ちよが、いちばんすきなひと。ちよをね、おひめさまだって、いちばんだって、いってくれたの」
「でも、会いに来てくれないんだろ」
鼻を、すする音がした。
目をこすっても、こすっても、千夜は頬を伝う涙を止められなかった。
誰にも指摘なんてされてこなかったのだ。いつ約束したかももう、千夜は忘れてしまった、それでも、会いに来るという約束を信じて、毎日毎日、雨が降っても、雷が鳴っても、風が吹いても、この公園でブランコを漕いでいた。
少年は、足の動きを止めて、泣きじゃくる千夜を見つめた。
「でも、まってなきゃ、あえないもん」
「待ってたって、会えないよ」
「そんなことない! あいにきてくれるって、いったもん。ぜったい、あえるもん」
少年は、ブランコから降りて、千夜の前にしゃがんだ。少年は千夜の頬に手を伸ばして、涙を親指で拭ってやる。少年の黒くて丸い目は、千夜には涙でよく見えなかった。
「無理なんだよ、ちよちゃん。待ってても、会えないんだ」
「どうしてそんなひどいこというの?」
「ちよちゃん、自分の影、見える?」
千夜は、わっと顔を両手で覆って、泣き出した。
ブランコの影しかない。小さな女の子の影など、地面にうつっていなかった。
「会いに来てくれても、その人はちよちゃんのこと、見えないんだ」
「うそよ」
「ううん、うそじゃない」
「だって、あなたはちよのこと、みえてるもん」
少年は、顔を伏せた。
「見えるよ。だって、俺は……」
「うそよ、うそうそ」
千夜は首を横に振って、耳を塞いだ。
その瞬間、千夜はあっという間に姿を消した。
七つの子が鳴ったのは、その時だった。
次の日もまた、千夜は変わらずブランコを漕いでいた。しばらくすると、また少年が現れた。半袖に短パンで、キャップを後ろ向きに被っていた。片腕には、ボールがあった。
「なによ、また来たの?」
「ちよちゃんが心配で」
「そんなのいらないわ」
千夜は拗ねたようにそっぽを向いた。少年はへらりと笑って、同じようにボールをその辺に放った。空いているブランコに足を乗せて、また立ち漕ぎをはじめる。
しばらくすると、二つのブランコのリズムがあった。
「あなた、お名前は?」
「まひる」
「まひる? 変なの」
「失礼だな。万の昼だぞ」
「ちよだって、千の夜よ」
「千より、万の方が上だ」
「でも、夜の方がロマンチックだもん」
万昼はロマンチックってなんだよ、と苦笑いをこぼした。
「知らないの? 女の子はね、星空を背景に指輪を渡されたいものなのよ」
「最近のガキはませてんなあ」
「はぁ? まひるだって子どもでしょ!」
千夜はむう、と頬をふくらませた。その顔は年相応に幼かった。
「今日も、人を待ってんの?」
「そうよ! ユーゲンジッコー? しなきゃ」
「なにそれ」
「まひるってば、こんなことも知らないの?決めたことはさいごまでやるってこと!」
「へえ、賢いんだな」
「なによ、いまさら気がついたの? ちよは賢いの!」
千夜はぴょんっとブランコから飛び降りて、腰に手を当てた。びしっと万昼を指さして、胸を張る。
「とにかく、ちよは待ち続けるって決めたの! だから、万昼もつきあいなさい! どうせひまなんでしょう?」
「ひっどい言い草。暇じゃなかったらどうすんだよ」
「ぜったいひまよ! かけてもいいわ!」
「何をかけるんだよ」
「えっ? えっと……えっと……」
千夜は口に手を当てて、斜め下を見やった。千夜はお金なんて持っていないし、万昼に渡せそうなお菓子もなかった。
「あっ! ちよのだいじなひとに会える、けんりをあげるわ! こうえいに思いなさい!」
「俺が一緒に待つ暇がなかったら千夜ちゃんの大事な人と会えんの? じゃ、待ってたら会えないってこと? それ、俺が一緒にいたら千夜ちゃんも会えなくね?」
「えっ? どうして?」
「だって、俺が一緒に待ってたら、千夜ちゃんは俺に、大切な人に会える権利をくれないんだろ? かけるってことは、そういうことじゃんか。勝ったのに負けたヤツに千円払うなんて変だろ?」
「う、ううん……」
千夜はすっかり悩んで、眉間に皺を寄せました。そしてしばらく悩んだ末に、ああもう!と声を荒らげます。
「まひるはひまなの!? ひまじゃないの!?」
「暇だよ」
「ならはじめからそう言ってよ! もう、よけいなことに頭をつかっちゃったじゃない!」
千夜はふんす、と鼻を鳴らして、ブランコをまた漕ぎ始めました。万昼はやれやれと肩を竦める。
風が吹いていた。千夜と万昼の頬をくすぐるような、優しい風だった。
「ねえ、まひる。明日もここに来てね。約束よ」
「今日と同じ時間でいいか?」
「うん」
「うらぎっちゃ、嫌よ」
「うらぎらないよ。二人でいたほうが、退屈しないし」
夏の日。空は薄暗く、風が吹きすさび、雨が窓を叩き大きな音を鳴らす。
ある公園では、ブランコが二つ、同じリズムを刻んでいる。
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