及ばぬ鯉の。

Cyan

きっと、この想いは、最初から誰のものでもなかった。

 叶わないとしても伝えたい。そう思ったときにはもう遅かった。幼い時から関わってきた彼との関係は、ほとんど兄妹のようなもので。彼はきっと、私の恋慕れんぼに気付いていない。気づいているのなら、私を自身の挙式なんかに呼ばなかっただろう。一体どんな物好きが、完成された美の上に泥を塗ると言うのか。


 「新婦の入場です」


 町はずれの森の奥、静かにたたずむ小さな教会。白亜の内装は長きを経てもなお美しい。足許あしもとに視線を落とすと色とりどりの光のかけらが散らばっていた。

 緑、青、金――ステンドグラスが織りなす幻想的な模様の中に、不意に小さなシミが目に留まる。淡く滲んだそれはまるで時間に取り残された涙跡。輝きの中で孤独を抱える影。

 視界の端をドレスに身を包んだ新婦が通過した。白肌に絹の純白がよく映える、細見のスタイルだ。わずかに裾をずり、一歩、一歩とガラス細工の靴がレッドカーペットを踏みしめる動作までやけに遅緩ちかんに見える。あの足首をひっ掴んで靴を奪えば、私にも白馬の王子の迎えが来るのだろうか。運命の赤い糸さえ、すべて結び直せたなら。

 場にいる一同、彼女の美しさに目を奪われていたが私にとっては、タキシードをぴしりと決めた彼の方がよっぽど魅力的で、格好良い。豪胆ごうたんで子どもっぽい笑顔は何処どこへやら、まなじりしわたたえて新婦を眺めるのみだ。


「似合ってるよ」


 こぼした言葉は波紋のごとく静かに消えていった。彼に届いたのかも分からない。けれど、ほんの一瞬、彼がこちらを見た。気がした。ほんの少しだけ目を細めて、それから、何事もなかったかのように新婦へと向き直る。幸せのにじむ横顔がどうしようもなく愛おしく、同時に絶対に私のものではないと痛感する。

  祭壇にたどり着いた二人の世界が揺らぐ。否、揺らいでいるのは私の視界の方だ。ハンカチで両目を覆っても、溢れてくるぬるいしずくが止まることはなかった。  

 どうしたら良かったのかな。素直に伝えていれば、その笑顔もその唇も、全て私のものだった?

 祝福の声に包まれる新郎新婦が、あまりにも遠い存在に思えた。微笑みすら曖昧に揺れる瞳の向こう、私の影だけが取り残されていた。


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及ばぬ鯉の。 Cyan @pulupulu_108

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