夏の残響
まぁじんこぉる
夏の残響
「君は幸せでしたか……」
その言葉を嘉穂は心の奥で何度も何度も反芻する。
右手の人差し指に煌めくプラチナ製の指輪が静かな光を放ち、手に抱えた白いカーネーションの花束が、ほのかな甘さを鼻腔に運んでくる。木々で作られた緑のトンネルが、嘉穂の視界に優しさを運んでくる。
蝉時雨が木々を静かに揺らし、木漏れ日が嘉穂の漆黒の髪を彩っている。そんな静けさに包まれた石畳の道は、嘉穂のヒールの音だけをただ空気に残す。あの日、あの時、二人で歩んだ道のように、淡い輪郭だけれども、確かにそれは前へと続いている。
今でも忘れることができない、あの日に悠人がいったこと。か細い声で、それでも精一杯の気持ちをこめていってくれたあの言葉……。
「君は幸せでしたか? 俺はこれからも君を幸せにできますか?」
その時の嘉穂の答えは、迷うことなく「はい」であった。涙で滲む視界の中、嘉穂は差し出された指輪を右手の人差し指にゆっくりとはめていた。その指に、二人の未来への願いを込めるように……。
そして嘉穂は、悠人の痩せた手を、精一杯の想いを込めて強く握りしめる。
「もちろんだよ、悠人。私達、これからも、これからもずっと一緒だし、一緒でいる限り、ずっとずっと幸せなんだから……」
今にして思えば、そんな嘉穂の言葉は、強がりだったのかもしれない。でも、悠人はその言葉を信じるように、ただ、静かに頷き、やさしく微笑んでいた。
そして季節は巡り、また同じ夏が訪れている。森の中を吹き抜ける風が、過ぎ去った日々の香りを運んでくるかのよう……。苔むした石の涼しさ、遠くに咲く野花の香り、木々のざわめき、その一つ一つが、悠人と紡いた想い出のよう……。
するとその時、嘉穂の視界は開けて、花崗岩に埋め尽くされた風景が映る。指輪が陽の光を受けて煌めいている。嘉穂の強い決意を示すかのように輝いている。
そして嘉穂は迷うことなく、一つの花崗岩の前に歩みを進める。
「悠人」
そう名を呼ぶ嘉穂のその声は、不思議なほど澄んでいた。
「私ね、本当に幸せだった。毎日が宝物だった。あなたが教えてくれた『生きる』ということの素晴らしさを、私は今でも大切に抱きしめているの」
嘉穂が小さくそう呟くと、強い夏の風が嘉穂の頬をなで、カーネーションの花びらが舞い上がる。まるで悠人が優しく頬を撫でているかのように……。
「私、ちゃんと決めることができたんだ……。あなたとの思い出と一緒に、もっともっと生きていく。あなたを常に感じながら、毎日を生きていく。そして、この世界でたくさんの思い出をつくる。その思い出こそが、天国で待つあなたへの、私に大切な思い出をくれたあなたへの、最高のお土産になると思うから……」
嘉穂はそう言って、柔らかな笑顔を浮かべると、花束を花崗岩の、悠人の名が刻まれた御影石の前にそっと添える。夏の陽射しは益々眩しくなり、半そでワンピースの袖からでる嘉穂の二の腕を強く照らしている。しかし、それは嘉穂にとって決して厳しいものではない。それはまるで、天からの祝福のよう……。
「だからね、悠人。私、幸せだったよ。そして、これからも幸せだと思う。だって寂しくなったら、またここにくればいいだけなんだからね」
その瞬間、嘉穂の頬を伝うのは、感情の雫。しかしその表情にあるのは、不思議な微笑みであった。まるでそれは、永遠の愛の証のように輝いているなにかのようでもあった。
注釈1:
人差し指に結婚指輪をはめる意味(インデックスフィンガー):
右手の人差し指に結婚指輪をはめると、願いごとが叶ったり、現実世界に繋がる幸運を引き寄せられると言われています。また、自分の意志を強固にしたい時にもインデックスフィンガーを使うことが知られています。
注釈2:
白いカーネーションの花言葉:
「純潔の愛、あなたへの愛情は生きている」
夏の残響 まぁじんこぉる @margincall
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