マギア・マニア・エ・ペペロンチーノ~技師冒険者 魔王をつくる

河田 真臣

プロローグ

第1話  黒山羊亭チリコンカン(旨辛ポークビーンズ)①

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアス!」


 悲鳴が顔面を突き抜け、頭の後ろへ吹き飛んでいく。

 三編みカツラが俺の頭の上で、カッパカパと上下に揺れて踊っていた。

 うなじがチリチリと総毛立ち、背後に迫りくる魔物の群れから漏れる殺気で、今年も頭が変になる。


 勇者の剣が貫く魔王の心臓が、月を覆い隠して高鳴っている。

 新月の夜。魔法国家バーセルの街で見る空には、古の魔王の臓物が浮かび上がっていた。


 アレはそんなふうに見えるだけ。どうしたって、本物の血肉が浮いているわけじゃない。

 その通り。アレは幻覚なのだ、と誰かに教えられソレが常識となっている。

 証拠があるわけじゃない。そう言われているだけだ。一事が万事、世の中なんてそんなもんだぜ。

 結局、誰も明確な説明を受けてないし、答えられる者がいなければ、どれほど異様な光景だって見慣れた景色になっていく。


 血潮を送っているわけでもないのに時折、鼓動するかのような動きを見せるが、剣が心臓を夜空に縫い付けて動かさない。

 何年かに一度、国が調査するというお触れが出るが、そのうちウヤムヤになって消えていき、相変わらず、魔王のモツだのナンだのが、新月の夜に、ぼんやり浮いてそのまんま。

 嫌なら寝ちまえばいいし、夜空なんて眺めなきゃ済む。話のネタに誰かが言い出し、誰かが答えて今に至る。

 真相なんて、誰も彼もどうだっていい。


 ともかくも、慣れない者が、標高の高いレヴァンテ渓谷で走り回るのは自殺行為だ。

 すぐに息が切れて、卒倒してしちまう。まともな頭がついているなら誰だってわかる。

 その点で俺は有利である。もう何度も卒倒済みなのだから。あっはっは!

 冒険者にまともな頭なんてついちゃいないことは魔王のモツと同様に常識で、誰にとってもどうだっていい。


 真後ろに迫りくるオーガや無数のゴブリン、他多数の魔物の群れの生臭い息遣いと殺気が真後ろにまで迫っているのは振り向かなくてもわかっていた。

 というより、振り向いた途端に、首ごとオーガに噛み千切られて、胴体だけが麓まで駆けていくことになるだろう。


 周囲を見回し、岩を蹴って急旋回で角度をわずかにでも変えると、魔物の一群はあらぬ方向へ突っ走っていく。

 かっぱらいをしていた頃の逃げ足が、どこで役に立つやらわかりゃしない。


 息を切らしつつも、なんとか時間をかけて呪文詠唱をする。

 通り抜けた土を泥に変えて走り抜けると、オーガが泥で足を取られて、すっ転んでいく。


「うえへへへへえへえへえ! ゴホッ! ゴヘッ!」


 走りながら笑うものではない。

 すこしばかり上手くいったからといって調子に乗っていたら、咳き込んで苦しくて屁まで出た。

 とはいえ、もう走れない――などとホザいている場合では、もちろんない。

 放屁しながらでも、俺は走る。走る。そして屁も足も止まらない。止められない。


 それそれ。次が来たゾ。

 俺の横に走り抜けてきた痩せゴブリンが混紡を構えた瞬間、袖の下から吹き矢筒を抜いて吹く。

 ブッと吹いた毒矢が、ゴブリンの目のあたりに当たる。


 痩せゴブリンは瞼を掻き毟りながら後方へと掻き消えた。

 唐辛子入りの目潰しは効くだろう――と思う間もなく、さっきまで俺の首があった空間にヘルハウンドが飛びかかって齧りつく。短く悲鳴をあげて、俺は尻餅をついた。


 まずい。

 止まると、死ぬ。


 披露と魔物の群れが、俺の背中めがけて、一気に迫ってくるのがわかる。

 汗が噴き出し、思考が止まった。

 身体が重い。


 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。


「――ッ!! うおわあああああッ!」


 ヘルハウンドの追撃を仰け反って躱す。

 胸にナイフを挿し、腹まで裂いた。


 身体を動かせ。心を折るな。

 立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ!


 前転して、太ったゴブリンに回し蹴りを喰らわせる。

 またも、ヘルハウンドが追撃を開始した。


 生き返ったのか、と俺の思考は前後する。

 そんなわけがない。さっきの奴は内臓が出ていた。絶命したはずである。

 別の個体だ。


「そんなことは、どうでもいい!」

 ちくしょう! 一々、余計なことを考えてしまう。


 集中だ! 集中しろ! 集中しろ!


 ヘルハウンドが飛びかかってくる。


 しまった!


 前脚で肩を押さえつけられ、動けない。


 こいつ、俺がさっき別のヘルハウンドの腹を掻き切ったのを見ていたな。

 ヘルハウンドの股間を蹴り上げると、僅かに押さえつけている力が緩んだ。


 短い詠唱。

 バチッと火花が散った。


 俺の拙い雷魔法では倒すまでには至らない。

 基礎魔法のレベル一か二くらいしかない威力だが、目眩ましには使えるし、詠唱はほとんど一言で済む。


 鼻先に迸る電流に驚いたヘルハウンドの前脚が肩から擦れ落ちた。

 無我夢中でヘルハウンドを蹴り離し、転げ回って、地魔法を唱える。

 こればかりは、俺の主魔法なので多少なりとも攻撃らしいことが可能だ。


 口のなかが乾いている。

 喉が乾いて、汗も引いてきた。体力の限界が近い。


 こうしている間にも、魔物の群れが土砂崩れのように押し寄せて来ている。


 ――レベル十 ”沼墜ぬまおとし”。


「よし! 発現した!」


 魔力が充分だったら底なし沼を出現させる大技なのだが、今の俺では、どう頑張っても大きめの泥濘ぬかるみを作るので精一杯である。


 突如、発現した浅い沼地が魔物たちの足を絡め取っていく。

 転ばす程度だが、後続を一旦、断つには充分だろう。


 俺は沼にまりながらも噛みつこうとするハウンドドッグを蹴り飛ばし、またも転んでは、走りだす。


(もうダメだ)


 違う。思考するな。ただ走れ。走るんだ!

 視界の端に光が垣間見える。しまった。左に寄りすぎたか。


「ちくしょう! ここまで来て!」


 俺は地面を蹴って宙返りした。

 直角に方向転換した際に、勢い余った魔物たちが転んで折り重なっていくのを認め、見なきゃいいのに、後続の魔物を確認してしまった。


 確認なんか、しなきゃ良かった。

 沼から這い出してきた魔物を、後続の群れが踏み潰して駆け降りて来る。


 理性もなにもあったもんじゃない。

 こいつらに仲間意識などないのだ。


「違う! 考えるな! 光! どっちだっけ? あっちか!」


 俺は、また猛然と、目印の灯りを目指して走り出した。

 動け。走れ。仕事しろ。


 呼吸が乱れ、動悸が激しい。

 汗が冷たく、混乱し、錯乱しそうな考えは大声を出して掻き消して、なお走る。


「ちくしょおおおおお! ぎゃおおおおおああああああああああああああああ!」


 もうメチャクチャだ。

 自分を鼓舞するために大声を出した。

 いたる箇所に負った傷の痛み。空腹。焦り。喉の渇き。そして、なにより命の危機。


 山間に朝日が昇ってきて眩しい。

 魔物の群れに明らかな動揺がはしった。

 やはり、夜行性の魔物にとって太陽は最大の弱点なのである。


 それは、そうか。

 考えてみれば、太陽は光魔法の原点であり、闇属性の魔物にしたら苦手なのは当然だ。


「なに、分析してんだ! 馬鹿野郎!」


 俺は泣きながら走った。

 もう体に水分など残ってないから、涙など出ていないだろうが。


「おおい。生きてるかあ。子ブタどもお。そこのちっさいの! 生きてたら返事しろ!」


 小高い丘陵から声がした。

 冒険者ギルド黒山羊亭の総責任者。

 その所属冒険者が、よく通るこの声を聞き間違えるはずがない。


 アイギス・カプラ。

 A級試験の試験監督であり、魔法王国バーセルの魔法使い7万人を束ねる現役最高位の魔法使い。


 赤い革製のロングコートをなびかせて、赤いウエスタンブーツに、歪んだテンガロンハット。

 異世界帰りのファッションに賛否両論はあるだろうが、そんなことを言い出したら、魔法国家で生きてはいけない。


「三十七番! レジー・ローク! 生きてまーーーす!」

「おうおう! 元気だな!」


 元気なんか残ってねえよ、と言い返したいが、そんな度胸も暇もない。


「逃げ足は合格ラインだ! いいか! あと二百メートルで村の敷地に這入る! そこまで耐えろ!」

「了解!」と俺は声を枯らして返事した。


「エマ! 状況報告!」

 アイギスが大声で訊ねると、死角斜面からすぐに返答があった。


「は、は、はいいい! 初日受験者数、千五百九名! うち、異世界渡航者十六! 棄権者八百二十四! 失格三百五十七! 死亡三! 行方不明三百八! 続行中一! 以上でええす!」


 死んでんじゃねえか! あのババア!!

 始まる前に「たぶん死なない」って言ってただろ!

 冗談じゃねえゾ!


「一? 俺一人しか残ってないの?」

「はあああい! そうでえええす!」


 魔物が多すぎるとは思っていたが。

 他の受験者を追いかけていた魔物たちが、俺一人に集中しているのだ。


「アイギス! ちょっと! 魔物が多過ぎ――」

 俺は状況を報告しようとした。


「エマ! 行方不明者の探索に他の受験者をまわせ!」

「はいいい!」


 聞いちゃいねえ!

 尾根から尾根に声が行き交っても、俺は足を止めるわけにはいかない。


「逃げろや。逃げろ。ペペロンチーノになる前に――」


 あのババア、縁起でもない鼻歌うたいだしやがった。

 碌なもんじゃない。

 とにかく、コースを外れてはいないわけだ。

 行方不明者に数えられていたら、今までの苦労が水の泡だった。


 ――とはいえ。

 俺は振り返って足を止めた。ここでくい止める以外に方法がない。


「ああ! ちくしょう!」

 全魔力を大地に注いで、呪文を詠唱した。


 さあ。底なし沼となれ。

「――ッ!!」


 ならない。発動しない。顕現しない。

 本来なら地面から反応して返ってくるはずの手応えがない。


 魔力が尽きたのだ。

 土は硬いまま、魔物たちの足が近づいて来る。


「失格三百五十八名」


 俺の真後ろから声がした。

 精も根も尽き果てて、やっと振り向くと赤い魔女が立っていた。


 バケモノめ。どうやって、あの尾根から一瞬で降りてきたのか。

 ロングコートが、吹き下ろしの突風で跳ね上がり、例のごとく赤いテンガロンハットが飛んだ。

 帽子のなかでまとめていた腰まで伸びた髪が風に舞う。


 これが三英雄。

 これが伝説の魔法使い。

 背の高いダークエルフの耳に輝く黄金のピアスが、朝日に照らされて輝いていた。


 これがアイギス・カプラ。

 俺の後ろで凄まじい魔力が渦巻いている。


「我はレーテー(忘却)。ルガーP08」


 赤髪が逆立ち、双角が生えてきた。

 両手には異世界の神々と契約して手に入れた拳銃が二丁握られている。


 爆発するような魔力が空気を振動させた。

「お前、最終日まで残れ。落ちたとはいえ、俊足は使える。ただまあ、攻撃が軽すぎるな」


 絶大な魔力に当てられて動けなくなることがある。

 蛇に睨まれた蛙しかり。獅子の前のウサギしかり。

 金縛りや不動の魔法を発動したわけではない。

 ただ、巨大な怪物が俺の背中で火花を散らす。


 アイギスの召喚した神具ディウスは、魔物の群れを次々に弾き倒していった。


  ※ ※ ※ 


「み……水を……」


 俺はフラフラになりながら黒山羊亭レヴァンテ支部、通称“子豚亭”に息も絶え絶えにやっとのことで、たどり着くことができた。

 見知った顔を見付け、安堵して倒れ込む。


「おおい! フィオナ! 悪いが、水を――」


 少し離れた場所にいたドワーフの娘に声をかける。

 俺が水を要求したことに気がついてくれたようで、日焼けした顔を綻ばせると、彼女は踵を返して井戸へと駆けて行った。

 しばらくすると、井戸水をたっぷり入れた木桶を抱えたフィオナが全速力で駆け寄ってくる。


「おっしゃあ! 水じゃあ!」


 フィオナは走ってきた勢いそのままで、極冷の井戸水を、俺の頭から叩きつけた。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアス!」


「よし!」

「良くない! 違う! 違う! 飲みたいの! 喉が渇いてるの!」

 俺は口を開け、指さして訴えた。


「なんやて? そう言えや! ボケ! よし! わかった! ちょっと待っとれ!」

「待て。コップはないのか――」と喉を枯らして叫ぶ俺の声など、彼女の耳には届いていない。


 こうと決めたら突撃するのが彼女の長所であり、致命的な短所でもあると、たった今、気がついた。

 ただ、ちょっとだけ、気がつくのが遅かったように思う。

 フィオナは大急ぎで、井戸水の入った桶を持って来た。


「おう! 口、開けろや!」

「フィオナ。聞いて――」


 フィオナは渾身の力で、俺の顔面に向かって井戸水を叩きつけた。


「しゃあ!」


 “しゃあ”って、なんのしゃあだ。

 なにをやり遂げた時のしゃあだ。

 友人を殺しかけている時のしゃあか。


 俺は口から水を吹き出しながら転倒し、震えながらフィオナに「ありがとう」と言った。

「もうやめてくれ」と同意なのだが、彼女が理解しているのか疑問である。

 とにかく、もうなにも言うまい。


 元気が出ました。もう安静にしています。死にそうですが、大丈夫です。

 なんで、半死半生の上、試験に落ちた直後に、こんな演技をしなくてはならないのか。


 実際、これ以上、氷水のように冷たい井戸水を掛けられたら、本当に心臓が止まる。

 ある意味、魔物の群れより、フィオナの猪突猛進の方がよほど怖い。


 フィオナは魔鉱夫の娘として生まれ育ったので、これが彼女の常識的な給水方法なのであろう。

 荒すぎる。こんなもんが給水だといえるか。恐るべしドワーフ文化。


「もう一発イクか?」

 水の単位が一杯とかじゃなくて、一発なのか。

 俺はフィオナに心の底から恐怖した。


 フィオナはまた井戸へと向かって行った。

「もう行くな。行かないでくれ」という俺の声は、当然のように彼女の耳には届かない。


 水浸しになった三編みのカツラが、俺の頭上からボトリと落ちる。

 そして、フィオナは井戸水をたっぷり入れた木桶を抱え、再び全力で駆けて来るのだった。

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