温かくて、切ない。私の嫌いな場所

海空里和

第1話

 告白しよう。私は生まれ育った故郷が大嫌いだ。


「さむ……」


 冷えた手を自分の息で温めると、私は空を見上げた。どんよりとしたこの暗い気候も嫌いだ。

 毎年どかどかと雪が降り積もる故郷は、今年も大雪だろうと天気予報で言っていた。


「おう」

「圭、来てくれたんだ」


 幼馴染の圭が喪服姿で現れた。彼は近所に住む大学生で、小中高と同じ学校だった。いわゆる幼馴染というやつだ。

 私が就職のために上京をして道は分かれたが、それでも電話やラインをしょっちゅうしている。


「親父さん、急だったな」

「お酒ばっかり飲んでるからよ」


 父は母が他界してから、寂しさを紛らわすようにお酒ばかり飲むようになった。電話をしても酔っぱらって母の思い出を語るばかり。それが嫌で、私は父から疎遠になってしまっていた。


 叔母から父が入院したと知らされても、仕事を理由に帰って来なかった。薄情なのはわかっている。でも私にだって割り切れない感情があったのだ。


「ああ絵美ちゃん、気を落とさずにね。東京で頑張るのよ」


 私の実家から出てきた隣のおばさんは、それだけ告げるとそそくさと立ち去っていった。

 私が近所で何と噂されているのかは知っている。

 上京して「親を捨てた娘」だ。お葬式のときにも陰で言われているのを聞いた。

 他人の家のことなんて放っておけばいいのに。この閉塞的なコミュニティも嫌いだ。


「絵美ちゃん、後の手続きはやっておくから。あなたは心配せずに東京へ戻りなさい。ああ圭くん、来てくれたの? どうぞ入って」


 外へ出てきた叔母が私へ声をかける。叔母には親子ともどもお世話になりっぱなしだ。


 圭は叔母に会釈をすると、家の中へ入っていった。


「叔母さん、ありがとうございました」


 深々と頭を下げれば、優しい声が降り注ぐ。


「あなたにはあなたの人生があるのだから、やりたいように生きなさい。それがお兄ちゃんの望みだったから」


 父は本当にそう思ってくれていたのだろうか? 母の反対を押し切り、東京への就職を応援してくれたのは父だった。


「絵美、駅まで送ってく」


 線香を上げ終えた圭が玄関から呼びかける。


 私は圭の車で駅まで送ってもらうことにした。この田舎では大学まで車で通う人も少なくないだから、運転も慣れたものだ。


「おばさん、お前の母さんが虐待していたこと知らないんだな」

「お父さんもお母さんを美化していたからね」


 助手席に座る私は乾いた笑いで圭に返す。


 母は私を思い通りにしようと毎日暴力を振るう人だった。父は二人の問題だと、見て見ぬふりをした。だからこそ、東京に逃げたい私を助けてくれたのかもしれない。贖罪の意味で。

 その母は病気がちで、私が上京した翌年に他界した。


 正直ホッとした。母からときどき来る恨めしい手紙や電話が私を苦しめていたからだ。


 慣れない土地や生活、初めて社会に出て仕事をするということ。それだけで精神が蝕まれていくのに、私を乱す母に、離れてもなお苦しめるのかと嘆いた。

 その苦しみは母がいなくなってからも抱えたままで。母を美化する父にも言えなかった。


「私、親不孝よねー。顔も見せに来ないでさ」

「後悔しているのか?」


 圭の問いかけに私は黙ってしまった。


 車が駅のロータリーへと入っていく。街の中心地だというのに寂れている。

 

「さむ……」


 車を降りれば、シンと身体に冷気が巡っていく。


 トランクから荷物を下ろし、圭が持ってくれる。


「改札まで荷物持ちしてやる。職場へ土産も買うだろ?」

「え? でも車……」

「ここ、少しくらい置いといても大丈夫なんだよ」


 地元に住む圭がそう言うなら、大丈夫なんだろう。私は寂しさからか圭と離れがたく思い、甘えることにした。


 地元の特産品を使ったお菓子を買うと、改札まで向かった。


「じゃあ、身体に気を付けて頑張れよ」

「圭も就活頑張ってね」


 圭は小学校のときから虐待にあっていた私の話を聞いてくれていた。お互い幼く、どうこうできる問題ではなかったが、この事実を知ってくれているだけで心が軽くなった。

 いつも涙を拭ってくれていた圭と私の関係は、ただの幼馴染とは言い難く、また説明も難しい。


 お互い見つめ合う。

 

 そのときふいに、私は帰る場所を無くしたのだと気づいた。嫌いだから踏み入れないのではなく、もう踏み入る場所がない。


「……泣くなよ」

「え?」


 圭にそう言われて、頬に伝う生温かいものに気づく。


「いいよ。俺が会いに行くから」


 複雑で入り乱れた私の感情を拭うように、圭が私の涙を人差し指ですくった。


「美味しい店に連れていけよ? 社会人」

「ちょっと、高卒の安月給に無理言わないでよ!」


 茶目っ気たっぷりに圭がそう言うので、私の涙も引っ込み笑顔になる。


 圭はここで就職して、結婚して生きていく人だ。この関係はずっと続くものではない。そう思うのに、彼を離したくないと思うこの感情は――。


「またな、絵美」

「またね」


 私たちはそう言い合って別れた。そして日常へと戻っていく。

 

 

 故郷が今年最大の積雪量を観測したとニュースが報じた日、圭からラインがきた。


『俺、そっちの会社の内定決まったから。もうガキじゃないからさ、絵美を守れるよ』


 故郷には苦しい思い出ばかりじゃない。圭が、大切な幼馴染が一緒に過ごしてくれた場所でもある。

 きっとそう塗り替えられるまで時間はかかるだろう。でも大丈夫な気がした。


 私はスマホを握りしめ、テレビに映る故郷の雪を眺めていた。

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温かくて、切ない。私の嫌いな場所 海空里和 @kanadesora_eri

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