第2話 契約

私は荷馬車に揺られていた。

身体を硬い木製の牢に打ち付けられ続けたが、最早痛みもわからない。


一度荷馬車が停まり、なにか話し声が少し聞こえた後また動き始めた。

城門らしき小さな門を越えて、それほど高くないが地平線をなぞるような壁の列から離れていくのを私はぼんやり眺めていた。

これが私を買った男の敷地になるのか。


門を越えてからがかなり長かった。荷馬車は森を通るような長い山道をずっと走り続けてた。心なしか、漂う木々の香りから故郷の森を思い出し、私の瞳は戦場から今まで耐えてきたものから開放されたのか決壊し、牢の中で私は泣いた。



**********



ようやく荷馬車が止まり、牢が開けられた。


馭者に首の鎖を引かれ、私は外の世界へと出た。

暗い牢から急に出たせいで、眩しくてどのようなところに着いたのかわからない。


少しして目が慣れてきたところで、着いた場所がとても大きな屋敷の扉の前だということに気づいた。

そして、その扉の前に一人の女性が立っていた。


馭者とその女性は少し話したあと、荷馬車は去っていった。

そして女性が少し私を眺めたあと、私に近寄ってきた。


女性は私の首の鎖に手をかけた。

そして、鎖を外した。


鎖は霧散し、私と女性の間に繋がるものは無くなった。この人は魔女だ。


「ついてきなさい」


女性が話したのは、エルフの言葉だった。


私が呆気にとられていると女性は続けて言った。


「逃げようと思わないほうが良いわよ。この城の敷地はよりも広い。今のあなたじゃ外に出れず番犬の餌ね」


女性は感情の無いような言葉でそう言ったあと、そのまま門へと進んでいった。

私はその迫力に押され、逆らわずについて行った。



**********



城と言うだけあって、中はとても広く、歩く廊下はただただ長かった。


女性と私の間に言葉はなく、ただ無言で歩き続けた。


後ろからその女性を観察していると、あることに気付いた。

それは、耳が私達と同じく細く長いものであった。


この人もエルフだ。


それに気付いたあたりで、エルフの女性は立ち止まった。

そこは、今まで通り過ぎてきた部屋の扉と比べて特に大きく豪奢なものだった。


エルフの女性は扉をノックし、

「御主人様、連れてまいりました」

と言って、少し間を空けて扉を開いた。


「中へ」

エルフの女性に促され、私は中に入った。


扉の中はとても広い部屋だった。

装飾や置かれている調度品を簡単に見てみても、その辺には無学な私でも、とても高価なものであるとわかる。


そして、部屋の奥には大きな机があり、その背後にある窓の外を眺めている大きな人影があった。

競売で私を競り落とした男だ。


私の方を見た男の目は、あの時と同じように冷たく深淵のように暗かった。

ただ、見た目は同じであるが、理由はわからないが、あの時よりほんの少しだけ柔和な瞳に感じた。


私の背後で扉の閉まる音がした。

そして、エルフの女性は表情を変えず佇んでいた。


男の影がゆらりと揺れて、こちらに近づいてきた。

その足音は鈍く低く響き、威圧的だった。


私の眼の前に立った男は、しばらく無言で立っていた。

男を眼の前にした私は、一人の少女どころか部屋の隅で震える子ねずみのようであった。男の姿に目を離すことができず、私はただ立ち尽くしていた。


男は私に手を伸ばしてきた。私は情けなくもビクッと身を震わせてしまった。情ない。これが一騎当千の『戦妃』の姿か。


男は私の顔に触れ、目を覗き込んできた。そして、無言で眺めてきたあと、

「口を開けろ」と言った。

私は困惑しながらも言われた通り口を開くと、男は同じように口の中を覗き込んできた。


男が何も言わず、そのまま私から離れた。

すると、扉が再び開く音がした。


「どうもどうも公爵様、これですかい、新しい奴隷ってのは?」

扉からは二人の男が入ってきた。

そして、私の側に寄ってきて、笑みを浮かべて私を囲んだ。


そして、エルフの女が部屋のカーテンを閉めた。


嗚呼、また私は蹂躙されるのか。あの戦場のように…。

私は目を瞑り覚悟を決めた。


しかし、囲んだ二人の男は私を眺めるだけで、私の主となった男は机へと戻っていった。


すると男たちは、巻き尺を取り出し、「ちょっと動かんでね、お嬢さん」と言って私の身体を測り始めた。


机に戻った主の男は、何か書類を持って戻ってきた。


「時間が惜しい。そのまま契約の話をするぞ。これを読んでおけ」


私は、なにか細かい文字の書いてある書類を手に、されるがままに採寸されてとにかく困惑していた。


「質問は?」


主の男は感情もなく、机に戻りながら私に目もくれず背中越しに言ってきた。


私が呆気にとられていると、採寸していた男たちは部屋を出ていった。


「質問は?」

主の男はもう一度言った。一度目と全く同じ声色だった。

私は、何がなんだかわからないが、口を頑張って開いた。


「け、契約とはなんだ?王国の文字は読めないが、私は奴隷で…」


「そう、お前は奴隷だ。これは、奴隷としての雇用契約だ」


それから男は立て続けて難しい言葉をどんどん雪崩のようにぶつけてきた。私は敵国である王国の言葉はある程度学習してきたが、それでも知らない言葉だらけだった。


困惑して何も言えない私がまた何も言い出せず立っているのを見かねてか、男の側に立っていたエルフの女性が何か男に耳打ちした。

男は少し考えたようで黙ったあと、また話しだした。


「お前は敗戦国の兵で、先の戦争で戦利品として拾われ、奴隷として私に買われた」


男は感情もない声で続けた。


「奴隷は労働力であり、買われたお前は雇用契約で私の下で働いてもらう。自由は無いが、休暇が必要な場合は申請をして許可に足る場合に取得させる。勤務は毎日だが、当番制で管理するため当直以外は待機人員となる。休憩時間は…」


何がなんだかわからない。私の考えていた奴隷というのは、町中で見た…人々から聞いた…


「それで、これがこの契約で重要な部分だが」


私はハッと我に返った。何が言われるのだろう。


「軍事の要職であったお前が契約を反故にし、脱走、反逆等に出た場合、停戦状態から再度お前の故郷へ侵攻を行い、領地を併合する。特に軍事的なことで反乱分子と取られるような行動を取ったときは、契約違反としてお前の土地を焦土とする」


交換条件。奴隷が反乱分子となり、再び立ち上がらないように縛り付ける。

圧倒的な力を持つものに、私は逆らうこともできない。これは一方的な契約だ。


「この国での奴隷制では奴隷の主は奴隷の放棄や生殺与奪の権利がある。そのうえで、雇用契約を締結すればある程度の権利が保証される。つまり、雇用契約を結べば従業員として扱い、契約を断ればしてもいいことになる」


生か死か。もしくは町中で見てきた奴隷のように野良犬のような扱いを受ける世界に行くか。


「…契約にはどうしたらいい」


私が問うと。相変わらず顔色一つ変えず主は答えた。


「この契約書2部にサインしろ。1部はお前が保管しておくこと。言語は問わない。偽名は契約違反に繋がる」


そう言うと、机の上の契約書とペンが浮き上がり、私の方に飛んできた。エルフの女性の魔法だろうか。


私はペンを手に取り、契約書に向き合った。不思議と、怒りというか悲しみというか、そういうような感情はなかった。あまりの困惑で頭が処理できないのか、もしくはどこか安堵のような意識もあったかもしれない。


私がサインすると、ペンと契約書は戻っていった。


主、雇用主は契約書を無機質に受け取ると、自分の署名をして判を押した。そして、机の上のベルを鳴らした。


すると、突然背後の扉が開き、メイド姿の別の女性が入ってきた。


「ちょうど今来たんですよ!サイズに苦労しましたよ、身長に加えて胸おっきいんだもん。アリッサの分が合いそうなんで持ってきま…」


「フェレール、ノックしてください」

エルフの女性はため息混じりに言った。


「メルダ!お客さんが待ってますよ!御主人様の…」

別のメイド姿の女性が入ってきた。メルダとはエルフの女性のことらしい。


「アリエス、ノックを…」

メルダはイライラして言った。


雇用主は無言でもう関係ないという様子で、別の書類に手をかけていた。




ここはアウストロ王国バルバロイ公爵領。

雇用主はギュンター・バルバロイ公爵。私は、『戦妃』クラウシア。


奴隷として売られた私だが、なぜだろう、少し、ほんの少し、ワクワクしている私がいた。



(続く)



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