俺のママになりたかった幼馴染

ルピナス・ルーナーガイスト

第1話

 何の変哲もない高校生・藤(ふじ)田(た)浩(こう)正(せい)には、幼稚園に行く頃から一緒にいる幼馴染がいた。


 棚(たな)橋(はし)悠(ゆう)里(り)。

 艶やかな黒髪をポニーテールにして、快闊で可愛らしい顔立ちは日に焼けている。彼女は水泳部で――だが、その豊かな胸の膨らみは存分に抵抗がありそうだ――、唐っとした彼女の笑顔は気持ちが良い。

 彼女は言うまでもなく男子たちからモテ、その人懐っこさから女子たちのウケも良い。


 そんな彼女と、何の変哲もない浩正では釣り合わないのだが、幼馴染である彼女は浩正から離れることなく一緒に居てくれた。

 父親の単身赴任に母親がついていき、浩正は一人暮らしである。そんな彼のことを、両親からも頼まれているらしく、悠里は朝起こしに来、朝ご飯も弁当だって作ってくれていた。


 流石にそれは悪いからと浩正が言っても聞きやしない。

 浩正は別段特にだらしないと言うワケでもない。自炊も出来るし掃除だって出来る。それなのに悠里は両親に頼まれたからと言って浩正の生活に食い込んできていた。


 朝はそのまま一緒に登校して、クラスメイトたちからのやっかみを受ける。だが、最近ではいつもの夫婦の登校として生温かい眼を向けられていないこともない。

 それは、確かに浩正は何の変哲もない高校生ではあったが、蔑まれるほどの男でもなかったからだろう。ほどほどの成績で、運動神経も悪くはなく、顔立ちも可もなく不可もなく。

 それならば、悠里がこれほどまでに世話を焼いて絡んでいくのならば、生温かく見守ってやろうと思われる類いの二人であった。


 だが、二人に言わせると、別段付き合っているわけではないらしい。

 それは、この高校の七不思議の一つでもあった。



 学校が休日の今日は、いつも通り浩正の家へとやって来た悠里が朝食を作って、二人でぷらぷらと散歩に出かけた。


 春から夏に向かう、ちょうど良い日射しの晴れた日だ。

 明らかにデートであったが、浩正にとってはあくまでも幼馴染との散歩である。その隣を悠里は上機嫌そうに歩いている。


 悠里は浩正にべったりであったが、ちゃんと友人との付き合いもしていた。浩正だってそうである。最近はお互いにタイミングが合わず、こうして一緒に散歩をするのも久しぶりだ。だから彼女は普段よりも上機嫌そうなのだろう。

 そんな彼女の楽しげな横顔を見ながら、浩正はボンヤリと思った。


 ――こいつって、俺のことをどう思ってるんだろうな?


 幼馴染と思っているのは確かだろう。しかし、幼馴染だからと言ってこんなにも甲斐甲斐しく世話をしてくれるものではないだろう。

 それならば恋愛感情を持っている?


 ――はは、ないな。


 浩正は何の変哲もない男だったが、鈍い男ではなかった。――と、自分で思っているだけではなく、適度に鈍くはなかった。もしも難聴系主人公であれば、何の変哲もない男とは言えないだろう。


 その浩正の主観としては、悠里は自分の事を大切に想ってくれている。だが、そこに恋愛感情はゼロ――とまでは流石に確信は持てなかったが、限りなくゼロに近いとは思っていた。浩正の方からも、悠里は可愛らしく、魅力的な女の子だとは思うが、もはや家族のようなもので、恋愛感情を意識したことはない。……まったく意識しないかと言われれば嘘にはなるが、それは健康な男子高校生が可愛らしい女子に対する健康な反応程度である。


 もしも悠里に彼氏が出来れば、浩正としては祝福してやろうと思っているし、祝福できると思っている。ただし、悠里と付き合いたくは俺を倒せ、と言いかねないとも思ってはいるのだが。それでも自分が悠里と付き合おうとは思ってはいない。


 家族。

 悠里との関係性を表すのならば、やはりそれに尽きると思われた。そして彼女は、姉になりたがっている世話焼きな妹、と言ったところであろうか。

 きっと悠里の方も同じように、浩正のことを家族のように想ってくれているに違いない。


 ――こんな時間が続けば良いな。


 と、浩正は悠里の楽しげな横顔を見ながら思っていた。

 悠里もそう思ってくれていると嬉しい。

 そんなことを考えながら共に歩いていた。

 すると――


「へぇ、こんなところに神社があったんだ」


 と、悠里が言いだした。

 確かに神社である。鎮守の森らしき木々が生い茂って、その間を鳥居から参道が延びてゆく。この辺りは何度か通ったことがある。だが、浩正にはこんな神社は覚えがない。


「うん? 本当だ。でも、こんなところに神社なんてあったっけ?」

「気が付かなかっただけじゃない。ね、行ってみようよ、浩正」

「まあ、テキトウにぶらぶらしてるだけだから、良いか」

「えっと、鳥居を潜る前にも一度頭を下げるんだよね」

「へぇーそうなんだ」

「興味なさげ!」


 ケラケラと笑う悠里と共に頭を下げ、鳥居を潜った。

 途端、静謐な空気が浩正を包み込んだ。


 ――へぇ……。


 と浩正は内心で嘆息した。

 浩正は別段信心深い方ではない。だからと言って寺社仏閣に何も思わないというわけではなく、鳥居を潜る際には頭を下げるものだと言われれば下げる程度には意識していた。つまりはよくいる日本人だということだ。

 だが、そんな浩正でもこの神社は何かが違う、と思わされる空気感があった。


 ――ふぅ、ん……、神社ってものも捨てたもんじゃないのかな。


 そんな一歩踏み外せば罰当たりなことを思いながら、浩正は悠里と共に参道を歩んだ。悠里の方をチラリと見れば、彼女は「ふぅーん、へぇー、ほぉう」と、感心しているのかしていないのか分からない様子でいつも通りである。


 ――まったくこいつは……。


 苦笑しそうになる心を心地良く感じながら、浩正は悠里ともに本殿へと辿り着いた。

 静謐な空気ではあったが、管理されていない神社なのか、手水舎は見当たらなかった。しかし、こんな場所にあって管理されていないということがあるのだろうか?


 ――まあ、良いか。


 そう思いながら浩正は悠里と共に本殿の前に立った。


「二礼二拍手一礼だからね」と悠里が楽しげに言う。

「そうなのか」

「浩正はなんにも知らないんだから。まったく私が教えてあげないと駄目なんだから」

「へいへい」


 と、いつも通りに答える浩正は、その言葉に込められた悠里の感情の高ぶりには気が付かない。


 一礼、二礼。

 パンッ、パンッ。


 浩正は悠里と共に二礼二拍手を行い、手を合わせた。


 ――これからも、悠里と一緒にいられますように――。


 すると、



「浩正のママになれますように!」



「――え?」


 浩正は耳を疑った。

 今、彼女は、家族同然に過ごしている大切な幼馴染は何と言った?

 だが、呆然とする浩正を他所に、手を離した悠里は満足そうに一礼をした。

 むふん、といつも通りの様子で満足そう。

 だが、浩正には看過できない言葉があった。


「いやいやいやいや、悠里。今の、なんだ?」

「こら、浩正、ちゃんと一礼」

「お、おう……」


 と、浩正も一礼をした。


「よろしい」

「お、おう……。じゃなくって!」

「え?」


 パチクリ、と眼を瞬かせる悠里は可愛らしい。だが、今はそれどころではないのである。


「今、悠里、何をお願いした?」

「えー? 人のお願いを訊くのは駄目だよー」


 と彼女は楽しげに言う。が、


「いや、お前、今思いっきり口に出してたぞ。いっそ叫ぶくらいの力強さで」

「えぇっ⁉ そんな、恥ずかしい……ってことは……」


 恥ずかしげに上目遣いで浩正を見てくる。それには、いくら家族でも健全な男子高校生として心動かされないこともなかったが、それ以上に重要なことがある。


「お、おう……、なんか、俺のママになりたいとか……ははっ、冗談、だよな……?」


 と言った浩正だったが、悠里の瞳を見てぞくりとさせられた。


「…………本気、か?」


 ひゅぅっと二人の間に風が吹き抜けた。


「――ふふっ」


 と、悠里は笑った。

 嗤った。

 嗤う。


「あーあ、どうして? 私、心の中で言った筈なのに。もしかしてこの神社の所為?

 ――うんっ、そうだよ、私、浩正のママになりたかったの!」


 あっけらかんとした様子はいつもの悠里である。

 だが、それを心底望んでいるという様子には狂気すら感じられた。


「あ、でも、言っておくけれど、別に浩正のお父さんと結婚したいとか、そんなことはないよ。あくまでも私がなりたいのは浩正のママってだけだから」

「な、んで……?」


 止せば良いのに、浩正は訊ねていた。

 それは悠里の様子に、そして、この神社にあてられてもいたのだろう。


「なんでって? それはなりたいからなりたいとしか答えられないよ」

「……悠里が俺の世話をしていたのは……」

「そりゃあ、ママになりたくて。あーあ、浩正のことを産んであげられたらなぁー」

「ええ……?」


 今まで知らなかった、知りたくなかった幼馴染の秘めたる願望が次々と暴露されていた。浩正はそれに戸惑うしかない。

 浩正は悠里のことを、姉になりたがっている世話焼きな妹として見ていたが、まさか彼女自身は姉でも妹でもなく、母になりたがっていたのだとは。……いや、第四の選択肢、ママであったらしいのだ。


「そ、そうなのか……」


 と、悠里の様子に気圧されながらも、浩正はそう答えた。そうとしか言えなかったからだし、今の様子の悠里を刺激したくない、そして、悠里の秘めたる願望が分かっても、やはり悠里と過ごす時間は心地が良く、今まで通りの生活を続けたいと思ったからだった。


「悠里は今まで俺のことをそんな眼で……」

「うんっ、そうだよ!」


 ――イイ返事ダナー。


 浩正は白目を剥きそうになったなんとか堪え――切れてはいなかった。


 ――やっぱり、こいつとの付き合い方はちょっと考えた方が良いのかな?


 手放しがたくはあったが、そう思わざるを得なかった。


「じゃ、じゃあ、お参りも済んだし、帰ろうか」

「うんっ!」


 楽しげに答える悠里は、いつもの様子に見受けられた。




 家に帰れば、悠里はいつも通りに夕飯を作ってくれた。

 そしていつも通りに浩正が風呂を洗ったのだったが、


「浩正、お風呂洗ってくれてありがとう! いい子、いい子ー」

「えっ、えええっ……?」


 にこにこ顔の悠里が浩正の頭を撫でてきた。

 今まで彼女がこんなことをしてきたことはなかった。

 と言うことはつまり、浩正に秘めたる願望を暴露して、一つ吹っ切れてしまったということなのだろう。


 いつもならば「何するんだよ」とでも言って振り払っただろうが、浩正の方も悠里の願望を知ってしまった。だから振り払い難かった。――彼女を迂闊に刺激してしまうのではないか、という意味で。

 だが、これはむしろ悪手であっただろう。

 悠里は自分の願望が受け入れられたと思ったのか、嬉しそうにますます浩正の頭を撫で回してきた。それがちょっと心地良かったのは浩正だけの秘密である。


 その後も悠里にちゃんと「美味しい」と伝えながら夕食を終えれば、浩正が皿を洗った。

 そこで悠里は、


「ありがとう浩正、ママ嬉しい!」

「…………」


 どうしようこの幼馴染。

 誰か助けてください!

 浩正は家の中心で叫びたかった。


 ひとまず今日の所は乗り切って、浩正は悠里を家まで送った。

『ママを送ってくれてありがとう!』

 と言い出すかとひやひやしていたが、流石に自分の家の前でそんなことは言わず、浩正はホッと胸を撫で下ろした。


 ――悠里との付き合いは、マジで一度考え直した方が良いかも知れん。


 浩正はその想いを膨らませながら、家路についたのであった。



   ◇◇◇



 チュンチュンと、小鳥が朝を告げる。


「あー……」


 と、浩正は何故か今日は悠里が起こしに来る前に起きた。――起きられた。


「なんか、眠りが浅かったりしたのかな?」


 昨日、幼馴染の恐るべき願望を知ってしまった所為で。


「あいつが起こしに来るんだよな……。まさか、ママが起こしに来ました、とか言わないよな。……はは、笑えねぇ……ン?」


 と、頬を引き攣らせていた浩正は違和感に気が付いた。


「あー、あー、……なんか、俺、声高くねぇ? 風邪か? いや、風邪引いても別に声は高くならないような……って、は?」


 そうして自分の手を見た浩正は眼を見開いた。


「えっ……、俺の手、小さくなってる……?」


 ぐっぱっとすれば、明らかに子供  今も子供だが、それ以上に幼い手がぐっぱっと動く。


「……あ、あはははははは、いや、あはははははは、そんな馬鹿なこと……」


 と思いながら洗面所に向かおうとするが、


「ドアノブの高さが違ぇ……」


 洗面所に行く前に、浩正には現実が迫り来た。


「じょ、冗談だろ……? 俺、子供になってるのか……?」


 高校生もまだ子供ではあったが、もはやショタと言えるほどの子供になっていた。

 浩正は呆然としてしまう。だが。


「……待った、そろそろあいつが来るんじゃないのか?」


 浩正のママになりたかった女が。

 浩正は血の気が引くという音を初めて聞いた。


「ヤバい、ヤバいヤバいヤバい……。今の姿をあいつに見られたらどんな反応するか分からない……いや、分かりきっている、のか? ……いやっ、今はそんなことを言っている場合じゃない!」


 だけどどうしたら良い?

 隠れようにもすでにここは自分の家である。


 いや、今の大きさならばクローゼットに隠れることも出来るだろう。それに一軒家だから、隠れる場所はいくらでもあった。


「良し、隠れよう、急いで!」


 そう思って浩正がドアノブに手を掛けようとした時、


 ガチャリ……


「……あ、あ……」


 死ぬかという思いとはこういうことをいうのだろう。


「あれ? 浩正、もう起きて……え?」


 ショタになった浩正は、浩正のママになりたかった女と眼が合った。

 途端、


「おぉっ、神よっ!」


 悠里は跪き、諸手を組んで神に祈った。所謂GODへの祈りである。


「い、今のうちに……」


 浩正はソッと逃げようとした。だが、逃してくれる筈がない。


「浩正っ! うぅんっ、浩くんっ! 私がママよッ!」


 浩正はガッチリと、まるで牝蟷螂のような幼馴染ママの手に、捕まえられたのであった。

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