一番に言いたかった

西出あや

第1話

 たったったったっ。

 この規則正しい足音が、私・大北美鈴の目覚まし時計。

 いつものようにベッドから半身を起こすと、カーテンを小さく開ける。

 窓の外をそっと覗き見ると、お向かいの門を開けて入っていくあいつ――小西雄真の背中に、自然と目が吸い寄せられた。


 雄真のこの早朝ランニングと帰宅後の素振りは、中学で野球部に入ったときから始まった。

 昔はあんなに小さくて頼りなさげだったのに、いつの間にか広く逞しくなった背中。

 背だって、昔は私と変わらないくらいだったのに、今では頭ひとつ分以上も抜かれてしまった。

 そんな大きな体を目一杯使った雄真のバッティングは、いつだってチームに勇気を与えてくれる。

 ピンチのときは、そのバッティングでチームを鼓舞し、チャンスのときは、そのバッティングで確実にチャンスをモノにする。


 玄関ドアに手をかけた雄真が、ふっと二階にある私の部屋の方を振り仰ぐ気配に、慌ててしゃっとカーテンを閉めた。


***


「おはよー、雄真」

「はよ、美鈴」

 いつも通り7時半に家を出ると、向かいの家から雄真も出てきた。

 隣に並ぶと、いつも通り石鹸の香りがふっと鼻をかすめる。

 ふわぁ~と大きなあくびをする雄真に、

「夜ふかししてゲームばっかしてたら体に悪いよ?」

「ちげーし」

 と、いつも通りの会話。

 あくまでも気付いていないフリを通す。

 雄真が、毎朝始発列車が走り始める前からランニングをしてるってことには。

 だって、あんなふうに毎朝覗き見してるなんて知られたら、「キモいからやめろ」って言われそうだし。


 雄真とは、お互い幼稚園入園前にこの新興住宅街に引っ越してきてからの腐れ縁。

 いわゆる幼馴染ってやつだ。

 高校までずっと同じ学校で、いまだに幼稚園から続く習慣で、一緒に登校する日々を送っている。

 もちろん、カレカノなんていう関係ではない。

 ここまでくると、ほとんど兄弟みたいな関係と言った方がいいかもしれない。

 どちらが上かは――この議論になると、いつもケンカになるのでご想像にお任せする。


「お互いカレカノができたらこの関係も終わりだねー」なんて言いつつ、今日もいつも通りの登校だ――と思っていたのに。

「あーっと……そうだ、ごめん。来週から、俺先に学校行くわ」

 雄真がとても言い辛そうに、そう口にした。

「え……あーそっか、そっか! ついに雄真にも春が来たかー」

 前を向いたまま、何度もうなずく私。

『ついに彼女ができたんだ。よかったね』

 そう言おうとして、喉の奥が張りついたように言葉が出てこない。

 しかも、なんで泣きそうになっているんだ、私。

「? まあ、春は来たよな」

 そんな答えを返してくる雄真の方をそっと覗き見ると、葉桜になった桜の木を少しだけ見上げていた。

 やっぱり――そういうことなんだ。

 そうだよね。いつまでもこの関係が続くだなんて、そんなことを考える私が甘かったんだ。


 小学生の頃に聞いた雄真の夢は、『プロ野球選手になって、いっぱい活躍して、お立ち台に立ってヒーローインタビューを受けること』。

 今は「一生野球ができればいいや」なんて言ってるけど、きっとあの頃の夢は、今でも雄真の心の真ん中にあるんだよね?

 だからね。本当は言ってやりたかったんだ。雄真の夢が叶ったときに、一番に。

『いつかきっと夢を叶える日が来るって、ずっと信じてたよ』って。

 だって、私は知ってるから。雄真が、人一倍努力してるってこと。

 でも……その役目はもう、私じゃないんだ。

「……雄真に彼女ができても、私はずーっと雄真の夢を応援してるからね!」

 心の中に渦巻くいろんな思いを断ち切るようにして、とびっきりの笑顔を雄真に向ける。

「は? そーいうのは、俺に彼女ができてから言ってくれよ」

 雄真が深いため息を吐く。

「え……だって来週から彼女さんと一緒に学校に行くんでしょ?」

 だから私とは一緒に行けないんだよね?

「なに寝ぼけたこと言ってんだよ。朝練だよ、朝練。今週いっぱいで仮入部期間が終わるからさ。俺たち一年も、朝7時からの朝練にやっと参加できるんだよ」

 朝……練……?

 呆然として立ち止まる私に気付いた雄真が、足を止めて振り返る。

「なにやってんだよ。早く行くぞ。ったく、大丈夫かよ。来週から早朝ランニングする時間もなくなるから、美鈴のこと起こしてやれねえぞ?」

 え……私が毎朝見てたの、バレてたってこと!?

「だ、大丈夫だしっ。っていうか、私も朝練行くし。私だって来週から朝練来ていいって吹部の先輩に言われてるしっ」

 任意だって言ってたから、本当は朝練なんて行くつもりなかったけど。

 思わず行くって口走ってしまった。大丈夫か、私?

「ふぅん。そっか。じゃあ、朝6時15分に家の前な」

「6時15分!? わ、わかった」

 少しだけ嬉しそうな顔をする雄真なんか見たら、やっぱり朝練やめるなんて言えない。

「遅刻したら、遠慮なく置いてくからな」

「私だって」

 それに、まだしばらくこの関係が続けられるなら、早起きくらいどうってことない。

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一番に言いたかった 西出あや @24aya

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