第20話 人材を得る山師
十一月。飛騨大野郡天神山
この日、氏理の前に一人の客人が訪れていた。
「右近衛少将様におかれましてはお初にお目にかかります。某、信濃守護、小笠原大膳大夫長時が嫡男又次郎長隆と申します」
そう名乗りながら頭を下げる長隆。
見た感じの年は14か15と言ったところだろうか。
「丁寧な挨拶痛み入ります。内ヶ島右近衛少将にござる」
「し、少将様! 頭をお上げくだされ!」
そう名乗りを上げながらペコリと頭を下げる氏理。
その姿に誰よりも焦ったのは、頭を下げられた長隆である。
なにせ今の彼は、信濃守護の嫡男……と言えば聞こえは良いが、その実態は先年武田晴信に敗れて所領を失陥したがために、なんの力も持たない身。
少し前まで没落した身である小笠原家の主だった面々は、姉が嫁いだ村上家の厄介になっており、彼らは非常に肩身が狭い思いをしているのが現状であった。
それと言うのも、村上義清は彼らを親族であり信濃守護として扱ってはいるものの、村上家自体が晴信によって行われた度重なる攻勢に対処するため万事に余裕がなかったし、武田からの調略を警戒して南信濃との連絡を絶っているせいで、南信濃を地元とする小笠原家の面々に出来ることがなかったからだ。
とはいえ、村上家からすれば小笠原家というのは多忙極まる中であっても『信濃守護』と言うだけで厚遇をせざるを得ない立場の相手であることは紛れもない事実である。
それを理解した上でも、この存亡の危機という非常事態に際して、今のところ何の役にも立っていない、文字通りの無駄飯喰らいでしかない彼らの存在が面白いはずがない。
このような事情もあって、村上家に於いて彼らに向けられる視線は日に日に厳しいものとなっていたのである。
そんな彼らに声をかけたのが、氏理からの命を受けて村上家に資金援助をしに行った塩屋秋貞という男であった。
彼は飛騨の国人でありながら、その名が示すように飛騨国内に於ける塩の流通を一手に握る商人でもあったことから、ある意味で堂々と飛騨から越中、越中から越後、そして越後から北信濃へと移動することができる、氏理にとっても大変貴重な存在だ。
その秋貞が氏理から頼まれていたのが、村上への資金援助(この場合は輸送も含む)と人材の発掘だった。
この年、越中の騒乱に乗じて土地と山を得た氏理であったが、それ以前は二万石しかもたなかった(もっと言えばその二万石を得たのも一年前のことである)彼が、飛騨と越中を合わせて一〇万石に膨れ上がった所領の管理など出来るはずもない。
よって氏理は、家督争いが終わってようやく混乱から立ち直りつつある越後や、未だに戦が続く信濃から国人を引き抜くことを考えていた。
元々越後の国人どもは、軍神と謳われた不識庵謙信を相手に何度も反旗を翻すほどに我が強く、その強すぎる自尊心のせいで彼に滅ぼされた者も数多く存在する。
そういった連中の中から土地に対する執着の少ない子供(とその家臣)を引き抜くことが出来れば、最低限の管理は可能になる。そう氏理は見込んでいた。
加えて、越後の国人を根切りにすることに抵抗があるであろう景虎に対しても(景虎に抵抗がなくても他の家臣には抵抗が有る)『反旗を翻した当主以外を越中へ追放してはどうか?』という形で話を進めることで『越後から不穏分子を除くと共に長尾家の直轄領を増やすことができる』と誘導し、景虎に恩を着せるつもりであった。
越中に渡った国人が景虎に敵意を抱いたら?
虫は己が手を出せない身中にいるからこそ厄介なのであって、外に出てしまえばその限りではない。
氏理から提案を受けた景虎はそう解釈したし、事実その通りである。
とにもかくにも、長尾家を継いだばかりでありながら、すでに越後の国人たちが挙げてくるわがままに嫌気が差していた景虎は、氏理からの提案に一も二もなく飛びついた。
基本的に行動力が高い景虎の行動は氏理の想定よりも早く。既に腹心の宇佐美定満とともに、これまで家を潰した際に助命した国人の子供やその家臣を越中へと追放する手はずを整えており、来年の春には実行に移されることが確定しているとかいないとか。
このように、いっそ喜々として国人を追放しようとしている景虎の姿を見れば、彼がどれだけ越後の国人を嫌っているのかが良くわかると言うものだろう。
それはそれとして、越後での仕事を終えた秋貞が次に話を持って行ったのが、村上家で無駄飯喰らい扱いをされていた小笠原家の面々であった。
彼らはなんだかんだ言っても信濃守護。
守護としての格式もそうだし、小笠原流弓馬術礼法宗家と言う箔もある。
これを捨てるなんてとんでもない。
それに、もしも彼らのうちの誰か一人でも武田に調略されてしまえば、武田に信濃を統治する権限を得られてしまうことになりかねない。
武田の山賊っぷりを正しく理解していなかった秋貞であったが、信濃に入って彼らが何をしたのか。またどのような戦をして、信濃衆や民をどのように扱っているかを知った今、彼らに飛騨の隣国である信濃を治めさせることが良いこととは到底思えなかったのだ。
攻め込んだ相手への略奪や乱暴狼藉はともかくとしても、自分が治める甲斐や信濃の民を売った金で米を買うのが当たり前なら、売られた民が蓄えていた米や財を奪って軍費の足しとするのも当たり前。
戦で死んだ国人の土地を直轄地とし貯めていた財を奪うのも当たり前。
内応した国人にやる褒美が惜しいからと『不忠者は信用できぬ』と言って処刑するのも当たり前。
国人に対しても、民に対しても残虐非道。
甲斐武田家の統治に信義の文字は無い。
(あれは駄目だ)
甲斐武田家の遣り様を見た秋貞は、国人としても商人としても、これ以上彼らが勢力を拡大させることがないよう、全力で村上を支援することを心に決めた。
その一手が信濃守護、小笠原家の確保。
「秋貞から話は聞いておりましょうが、当家には貴殿を客人として遇する余裕がございませぬ。よってそれなりに働いて頂く心算ですが、それでもよろしいか?」
「はっ! 新参で若輩者の某にお役目を頂けるのならばこれに勝る喜びはございませぬ!」
「新参はともかく若輩は、な。貴殿は手前よりも年長でございましょう?」
「あ、いや。そう言った意味では……」
「ふふっ。
「……はっ」
苦笑いをしながら己を宥める氏理を見て、長隆は己と氏理との間に存在する差を確かに実感し、素直に頭を下げる。
元々秋貞は小笠原家の面々に対し「一度越後か飛騨に避難する気はございませぬか? 長尾様と内ヶ島様には某からお話をさせて頂きますし、そのための銭も用立てますぞ? おそらく守護様には長尾様と内ヶ島様の間を取り持つお役目が与えられましょう。……無論見返りは頂きます。それは、武田が信濃から追い払われ、守護様が無事に信濃守護へと返り咲いた時に某を御用商人としていただくことです。どうでしょう?」とただ勧誘するだけでなく小笠原家の面々の矜持をくすぐる巧みな提案を行っていた。
その結果「これ以上、村上家に負担をかける訳にはいかぬ」という理屈で自身を納得させた長時は、嫡男である長隆を飛騨へ、そして自身は幼い息子と共に越後へとその身を移すことを決めたのである。
これにより小笠原家は長尾家と内ヶ島家が滅びない限りは家を残すことが出来るし、長尾家と内ヶ島家との間を取り持つ役目を勤めることができるので、無駄飯喰らいからも脱却出来る。
長尾家は何時でも信濃に介入する権利と、内ヶ島との交渉役を手に入れることとなり、村上は無駄飯喰らいが居なくなったことで無駄が省けた。
内ヶ島家も信濃へと介入する口実と長尾家との交渉の窓口を得た上に、若輩とはいえ守護の嫡男とその家臣を得ることで領地の管理が出来る人間を得ることが出来たと言う、三方どころか四方良しである。
まぁ、その分甲斐武田家は扱いが悪くなるのだが、彼らに関して言えば自業自得以外の何者でもないので同情には値しないと言うのが、関係者一同の偽らざる思いであった。
「では貴殿には長尾家との交渉役を担って頂きます。それに伴い所領を越中新川郡、弓庄城周辺の一万石をお預けしたい。如何か?」
「い、一万石にございますか?!」
「む? 一万石では不服かな?」
「め、滅相もございません! しかし、本当によろしいのですか?」
流浪の身、それも何の実績も無い14か15の小僧に一万石を与えるなど、通常ではありえない厚遇、否、厚遇どころではない破格の待遇である。
このようなことを許せば、元からいる家臣が反発し家中の乱れとなるのは確実。
わざわざ指摘するまでもなく愚かな行為だ。
しかし氏理には氏理で計算があってのこと。
「あぁ、そう言うことでござるか。……まずは貴殿の勘違いを糺すことから始めましょうか」
「勘違い、にございますか?」
「うむ。某は貴殿を囲い込む為に雇い入れるわけではござらん」
「?」
「そもそも貴殿は、今でこそ流浪の身となっておりますが、そのお立場は間違いなく信濃守護小笠原家がご嫡男。そのような方を雇い入れるのに、万石を用意するのは当然の事でしょう?」
「当然、ですか?」
「左様。加えて、客人ならばそうでもありませんが、某に仕えて頂く形となる上に、他家との交渉と言う役目を与えるのです。猶更『格』が必要だとは思いませぬか?」
「……なるほど」
外交でモノを言うのは『格』である。
それを念頭に置けば、数百石で雇われている小姓と、万石を与えられている家臣ではその発言力はまるで違うのは確かだし、内ヶ島家が長隆に求めているのは越後を纏めた長尾家との交渉の窓口となることだ。
ならば長隆にも信濃守護の嫡男と言う家柄だけでなく、確固たる地盤が有った方が良いのは間違いない。
長隆は、氏理が自身を飼い殺しにするのではなく、本気で使い潰すくらいの感覚でいることを理解した。
「どうやらご理解いただけたようですな?」
「はっ!」
だからと言って不満や不信はない。
むしろ氏理の期待に応えようとする気持ちが強く出ていた。
一所懸命を旨とする武士とは、言い換えれば土地を与えれば死ぬまで働く社畜である。
「この又次郎長隆、少将様から受けた御恩に報いる為、犬馬の労も厭いませぬ!」
社畜精神を刺激された長隆は、今この時、雇い主である氏理に対し全身全霊で仕えることを心に決め、感激のあまり目に涙を浮かべながらそう宣言した。
「そうですか。いや、そうか! では又次郎殿、これからよろしく頼むぞ!」
「はっ!」
本心から己に仕える事を決めた長隆を見た氏理は、彼に声を掛けながらも内心でほくそ笑んでいた。
(ククク。係争地である越中にコヤツを差し込むことで越中へ不識庵を誘い込む下地が出来たわい。さらに越中の安全の確保も出来た。……今後、もし神保や椎名が結託し新川郡を取り戻そうとしても、長隆は儂だけでなく越後にも援軍を要請するだろうからのぉ。まぁ連中が何もしなくとも我らの間に居座る椎名は長尾家にとって邪魔者となる。いずれ挟撃の誘いが来るだろうから、儂らはその時に備えていればよい。その上、こうして何の実績も無い若造に一万石を与えたとなれば、越後や他の国人達も誘い易くなる。ククククク。人材不足で土地が余っておるのも悪くはないものだ。……さぁ次の調略先は何処の誰に致そうか)
周辺国の地図を頭に思い浮かべながら、次なる一手を何処に打つかを考える氏理。
感激で眼を濡らし、赤心を示す為に全力で頭を下げていたが故に長隆はその表情を見ることは無かったが、もしこのとき長隆が氏理の表情を見ていたら、間違いなく氏理への忠誠が揺らいでいただろう。
……今の氏理の貌は、彼が最も警戒する男が策を練っているときの貌とあまりに酷似していた。
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