レイドボス幼女は辺境エリアを開拓中 〜βテストで無双したらレイドボスに採用されたので、担当エリアの開拓始めます!〜

渡瀬真琴

プロローグ

1:地獄の試験会場より、愛を込めて

 しん、と静まり返った巨大な講堂内で、数百人が息を殺し、一点を見つめている。


 その異様な空気に、わたしの心臓は今にも張り裂けそうだった。びりびりと震える両手で、必死に制服のスカートを握りしめる。


「試験、開始!」


 試験監督の無情な声。それを合図に、数百人が一斉に問題用紙をめくる音が、まるで地鳴りのように会場を満たした。


 一斉に動き出すペンの音。誰かの深呼吸。椅子のきしむ音。

 その全てが、わたしの鼓膜を、わたしの神経を、容赦なく削り取っていく。


 違う。音じゃない。ここにいる数百人の人間の「存在」そのものが、重たい圧力となってわたしの全身を押し潰そうとしているのだ。


 ──あ、だめだ。息が、できない。むり。死ぬ。


 思考がぷつりと途切れる。視界の端から黒い靄がかかり始め、耳鳴りが全ての音を塗りつぶしていく。

 世界がぐにゃりと歪んだ。


「きゃっ!?」

「おい、どうした!?」


 誰かの小さな悲鳴と、試験監督の慌てた声が遠くに聞こえる。

 ああ、わたし、倒れたんだ。椅子ごと、派手に。


「しっかりしろ! 大丈夫か!?」


 駆けつけた試験監督が、血相を変えてわたしの顔を覗き込んでいる。大丈夫なわけ、ない。

 薄れゆく視界の中、かろうじて首をふるふると横に振ると、わたしはかすれた声で呟いた。


「ひ、ひ、ひと…………」

「人!?」

「ひとが……人が、多いよぉ……」


 大学入学共通テスト本番。

 人生で一番頑張らなければいけなかった、その日。


 わたしは、人生で一番情けない大失敗をしでかしたのだった。



 ◇◇◇



 夜長よながわらび、高校3年生。18歳。


 特技は嫌なことでもそれなりに真面目に取り組むこと。成績はそれなりに優秀。……保健と体育以外。


 模試でも志望校からA判定を貰っていたはずのわたしの大学受験は、「共通テストの試験開始直後に気絶する」という笑えないお笑いで終了した。


「ど、どどどどどどうしよう……!」


 その日の夕暮れ。

 救護室でしばらく休んだ後、試験不可能と判断されすごすごと家に帰ってきたわたしは、四畳一間の隅で頭から布団を被り、ひたすらガタガタと震えていた。


「き、共通テスト受けられなかったってことは……こ、国公立の大学、どこも行けない……!」


 いっそ泣き出したいが、もうそういうのはとっくに通り越している。ただ一つ言えることがあるとすれば。


「わ、わたし……人生、終わった……?」


 ぽつりと呟いた言葉が、誰に聞かれることもなく、狭い部屋に虚しく響く。


 成績だけは良かった。


 志望校にはA判定を貰っていて、テストの順位は学年でも常にトップクラス。けれど、わたしは超がつくほどのコミュ症、いや、もはや対人恐怖症と言っていいレベルだった。


 知らない人がたくさんいる場所に行くと、息ができなくなり、頭が真っ白になってしまう。今日の共通テスト会場は、まさにその極致だった。


 学費の安い国公立大学に進学して、できれば奨学金をもらって、そして人との関わりが少ない職に就ければ──それが、わたしの唯一の希望だったのに。


 その道は今日、完全に断たれた。


 両親は昨年事故で亡くなった。他に身寄りもなく、いくつかの親戚を頼ったけれど、どこもわたしを気味悪がった。わたしがまともに目を合わせられず、声もろくに出せなかったからだ。


 結局「高校に近い方がいいだろうから」というもっともらしい理由をつけられて、このアパートに一人で押し込まれた。月に一度振り込まれるわずかな生活費だけが、わたしと親戚との唯一の繋がりだ。


 積まれた参考書の一冊に目をやる。


「……参考書、図書館に返しに行かなきゃ……」


 呟き、布団の中で虫のように背を丸める。……うう、これからどうしよう。

 働くにしても、この時期から就職先なんて見つかるのだろうか。いやそもそもこのコミュ症ぶりで働ける気がしない。


 じゃあ浪人? いや、このぶんだと間違いなく来年も同じ失態をやらかすに決まってる。


 二年連続共通テストで気絶なんてお笑いだ。もう間違いなく試験監督の終生の鉄板ネタにされるし、「最初は面白かったけど三年目くらいから飽きてきたんだよね~」とか言われる絶対言われるそうに決まってる。


「う、うぅ……追試験の対象にもならないって言われたし、どうしたらいいの……」


 ぐすん、と滲んだ涙が薄い敷布団に吸われる。

 その時だった。


 ピロンと、型落ちのスマートフォンから気の抜けた電子音が鳴った。メールの受信音だ。


 迷惑メールだろうか。友達なんていないし、連絡をくれる親戚もいない。期待するだけ無駄だと思いながら、それでも、何かにすがるような気持ちでメールアプリを開いた。


 受信トレイには、一件の新着メール。

 差出人は『クロス・ファンタジア・オンライン運営事務局』。


「クロス・ファンタジア・オンライン……CFO?」


 思いもよらない名前に首を傾げる。

 CFO。

 それは、世界初のフルダイブ型MMORPGとして世界中で話題になったゲームタイトルだった。


 あれは、夏休みのことだ。たまたまSNSの懸賞で当たった最新型のVRゲーム機。

 それを試したくて、本当に軽い気持ちでβテストに参加したんだった。確か、正式サービスももうすぐ始まるはずだ。


 βテストに参加したわたしは、勉強の息抜きとして、一日一時間だけと決めてCFOの世界に没入した。

 現実では半径5m以内に人がいるだけで呼吸の仕方を忘れて窒息しかけるわたしも、ゲームの中では自由になれたのだ。


 βテストで使っていたのは、なんか強そうだし個人的に筋肉が好きだから、という理由でキャラクリした筋骨隆々の男アバターだった。


 現実のわたしとは似ても似つかないその姿で、わたしはCFOの世界を楽しんだ。


 モンスターと戦い、その過程で知り合った他プレイヤーにはハワイのタワマンに住む30代男(二児の父)という特盛のホラを吹き、ちょっと交流を持った他プレイヤーを「ブラザー」と呼び、趣味は車と吹聴しては本当に車好きのプレイヤーに愛車を聞かれて苦し紛れに「なんかあのベンツの一番新しいやつ」と答え、そして高難易度のクエストを次々とクリアした。


 思い返すと色々あったが、CFOでのひとときはこの息苦しい現実を忘れさせてくれる唯一の時間だった、のだが。


 ……何でその運営からメール?


「正式リリースが近いから、そのお知らせかな……?」


 そう思ってメールを開いたわたしは、その文面に目を疑った。


『夜長わらび様。先日のクローズドβテストへのご参加、誠にありがとうございました。

 さて、貴殿のβテストにおける卓越したプレイスキルと、類まれなる戦闘センスを、わたしども運営一同、感銘と共に拝見させていただきました。


 つきましては、誠に唐突なお願いではございますが、CFO正式サービス開始にあたり、“レイドボスの中の人”として、ゲーム運営にご協力いただけませんでしょうか?』


「…………はぇ?」


 レイドボス? 中の人?


 意味が分からなかった。

 手の込んだ詐欺メールだろうか。


 いや、でも、差出人のメールアドレスは、公式サイトに記載されているものと一致する。これは本物だ。本物の、CFO運営からのメールだ。


『もちろん、これは正式な雇用契約となります。貴殿には、弊社規定の給与をお支払いいたします』


 給与、という文字に、心臓がどきりと跳ねた。


 ハワイのタワマンに住む二児の父どころか四畳一間に住む身寄りのない18歳である今のわたしには、お金がない。


 国公立大学への道が閉ざされた今、私立大学へ進学する学費も到底用意できない。かといって、このコミュ症でまともな就職ができるとも思えない。


 八方塞がり。人生が終わったと思っていたその時に舞い込んできた、あまりにも奇妙な、けれどもしかしたら唯一の……。


「……これしか、ない?」


 詐欺かもしれない。怪しい仕事かもしれない。

 でも、今のわたしにはこれ以外に道はない。


 ゲームの中なら、わたしはわたしじゃなくてもいられる。現実から逃げられる。しかも、それでお金がもらえる……?


 わたしは、震える指で返信ボタンをタップした。


 そして、たどたどしく、しかし確かな意志を込めて画面を叩いた。


『詳しいお話を聞かせてください』


 こうして、わたしの人生で一番最悪だった一日は、ほんの少しだけ奇妙な光が差し込んだ、忘れられない一日になったのだった。

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