第29話




 江上さんは私を個室のある料亭に連れて行った。

 その個室はテーブル席だった。

 高そうだな、とそわそわしていると、江上さんは微笑を浮かべて言った。


「ここは私が出しますから気にしないで」

「そんなわけには」

「遠慮しないでください」

 私は困って、結局、お礼を言った。断るのも失礼な気がして。


 今日のおすすめコースを二人で食べた。

 おいしいはずのそれらは、あまり味がしなかった。


 江上さんは私の心をほぐすように楽しい話題をふってくれた。

 こういうところ、さすがだと思う。

 だから人気があるし、私も憧れてた。

 食べ終わってデザートが出たタイミングで、彼は切り出した。


「今後のことですが……聞いてもよろしいですか?」

「はい」

 私はうつむいた。

 それきり、沈黙が降りた。

 彼は私が言い出すのを待ってくれている。言わなくちゃ。でも、なにをどうやって。


「迷っています」

 私はようやく、それだけを言えた。

 私の言葉に、江上さんはただうなずいた。


「一人で育てていけるのかどうか」

 言った直後に、涙が浮かんだ。

 それ以上、なにも言えなかった。


 カズがいたときには前向きになれていたのに。決心したはずなのに。

 今ここに彼がいない。ただそれだけで、どうしたらいいのかわからなくなる。


 江上さんは席を立ち、私の背を撫でてくれた。

 そのまま、彼に押し付けるように抱きしめられた。

 どうして!?

 私は思わず顔を上げた。

 そこには江上さんの優しい微笑があった。

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