sweet dreams baby

雪片花

読み慣れた本

「眠れん…」


水民夢子みずたみゆめこはベッドの上で大の字になりながら諦めたようにため息をついた。

時刻は午前2時。草木も眠る丑三つ時だというのに、夢子の中の睡魔はすっかり息を潜めて襲うのをやめてしまったらしい。


「もぅ…、明日も仕事なのに…全然眠くない…」


もう一度 はぁ、とため息をついて天井を見上げる。不眠症というわけではないが、昔から寝つきが悪い方なので、今日のようにうだうだと眠れぬ夜に悩まされる事がたまにある。


仕方ない。と夢子はベッドスタンドを点けた。オレンジ色の暗い光が灯る中でスマホを手に取る。とはいえ、ネットサーフィンをするわけではない。ブルーライトが睡眠の質を下げる事は当然夢子も知っている。

電話帳を開いて画面をスクロールする。そしてある番号の発信ボタンをタップした。


2コールほど鳴った所でプツッと相手が出る音がする。


「お電話ありがとうございます。こちらは睡眠相談室でございます」


落ち着いたテノールの声が夢子の耳に届く。こちらも静かな部屋だが、相手の背後からも何の音もしない。

無音の世界で二人だけが通話をしているみたいだといつも思う。


「あ、こんばんは。水民夢子です」


「水民様。いつもありがとうございます。本日はいかがなさいましたか?」


「実は今日も全然眠れなくて…。寝る前にコーヒーも飲んでないし、スマホも見てないんですけど…」


「左様でございますか。それはさぞお困りのことと存じます。では本日も私、富戸ふとが微力ながらお手伝いさせて頂きます」


電話だから顔は見えないが、富戸が執事のように恭しくお辞儀をする姿がイメージできる。


この電話先は睡眠相談室といって、眠れぬ者が困った時に眠れようアドバイスをするサービスなのだと最初にかけた時に富戸が説明をしてくれた。


人間は人生の3分の1を睡眠に使う。そして眠らずにいれる人間は存在しない。ショートスリーパーもロングスリーパーも時間の長さに違いはあれど、皆等しく眠りに就く。そして朝を迎える。だから1日を少しでも健やかに過ごすためにこのサービスはあるんです。と話してくれた。



♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯



「では、日付けが変わる前にベッドに入ったものの眠れないまま今に至るという事ですね」


「はい…明日も仕事なのに参っちゃいますよぉ…」


うぅ~。とベッドの上で体を捻って反り返りながら夢子は唸る。


「何か寝る方法はないでしょうかー…?」


「かしこまりました。では今夜は『読み慣れた本で読書』をご提案致します」

「え?読書??」


夢子は怪訝な顔で眉間に皺を寄せる。


「はい。寝る前の読書は物語の続きが気になってしまい、ついついページを捲ってしまうので夜更しのイメージがあるかと思います。ですが何度も繰り返し読んだ本ならば続きが気になることもなく、程よく脳と目に疲労が与えられて眠気が訪れます」


「そうなんですか…。ま、どうせ寝れないし久しぶりに読書してみます。……えーっと確かこの辺に……」


ベッドを一度降りて、本棚替わりにしているカラーボックスからお気に入りの恋愛小説を取り出す。

ベッドに戻った夢子はさっそく読み始める。

余談だが、睡眠相談室はアドバイスを聞き次第通話を切るのと、眠れるまで通話を続けるのと選ぶ事ができる。ちなみに夢子は後者の方である。眠くならなかった場合に次のアドバイスを聞く為と言うのが主な理由だが、すっかり馴染みになった富戸と眠くなるまでポツポツ話をするのが好きだったからだ。


「そういえば読書なんてしばらくしてなかったなぁ。たまには図書館にでも行こうかなぁ」


「それは良いですね。最近は涼しくなりましたし、秋の夜長は虫の声を聞きながら読書をするとリラックス出来ますよ」


富戸の言う通り、開けた小窓からは虫の囁き声が聞こえてくる。そよそよと入る涼しい風も相まって気持ちがいい。

しばらくそのままページを捲っているとだんだん瞼が重くなってきた。

重ねて欠伸も出てしまう。


「ふぁ~あぁ……。ねむ…」


「どうやら効果が見られたようですね。お疲れ様でした。どうぞごゆっくりお休み下さいませ」


「はい…。富戸さん、今日もありがとうございました…」


本を閉じてベッドにごろりと転がって掛け布団を被る。ゆっくりと瞼を閉じると数時間前が嘘のようにあっさりと睡魔に襲われた。


「…お休みなさい。良い夢を」


そう富戸が囁くのが夢の世界に落ちる寸前に聞こえた気がした。

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