第8話 安全係
「お前、受付に立ってみろ」
週明けの勤務日。
机で業務規則を読み込んでいた俺は、ダークブラウンの制服に身を包むダリ課長にそう言われた。課長のジャケット――その濃茶の色味は、学校職員の管理職を示す色合いである。
「受付……ですか」
「おう。まだ書類仕事はわかんなくてもな、立ってるくらいできるだろ?」
「おっ! ヨダレン君、受付に立つのかい?」
クリクリとした声で近づいてきたのは、メリル課長補佐である。紺色の長髪をふわふわ跳ねさせながら近づいてくる見た目年齢20歳推定実年齢30歳の彼女は、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「ヨダレン君って背高いし、受付に立ったらきっと良い感じになるよ! 格好いい職員がいるって、話題になっちゃうかもね〜!」
「よし。じゃあ立ってみろ」
「わかりました」
生徒課の受付は、事務所に繋がる形で並んでいる。運営部棟の一階はその全体が生徒課のスペースであり、待ち合いのためのホールと事務所が一列の受付によって区切られている。言われた通り、俺は受付の一つに立ってみた。
「…………」
黙って立ち、ふと見てみると、俺の様子を眺めているダリ課長とメリル補佐は、眉間に皺を寄せて腕組みしていた。
「……うーん……」
「なにか、おかしいでしょうか」
「いや別に……立ってるのに悪いも何も、無いんだけどねえ〜……」
メリル補佐は苦笑いして言った。
するとダリ課長が、頬を指で引っ張って見せる。
「もうちょっと
「殺し屋……」
「生徒が怖がっちまうよ」
「こうでしょうか」
可能な限りの
「……いや。やっぱり真顔の方がいいわ」
「なにか、おかしかったでしょうか」
「……こりゃ難しいねえ」
受付でそんなことを話していると、2階へ続く階段からペギーが降りてきた。
彼女は真っすぐこちらへ近づくと、ダリ課長に声をかける。
「課長。ちょっとヨダレン借りて行っていいですか?」
「あ? どうした」
「安全係、2人必要じゃないですか」
「ああ、そうだな」
何かに気付いた様子の課長は、俺の背中をポンと叩く。
「いいぞ。こいつにな、ちゃんと教えてやれよ」
「もちろんです。新人、行くわよ」
「あ、ああ」
「行ってらっしゃい、お二人とも〜!」
メリル補佐は、そう言って手を振ってくれた。
言われるがままにペギーに付いて行くと、運営部棟を出た所で尋ねる。
「安全係とはなんだ?」
「魔法術の実技演習を行う時は、生徒課の人員を2人監視に付けるのが決まりなの。それが安全係」
「なぜそんなのが必要なんだ?」
「学部の教授に任せてたら、生徒が怪我するかもしれないでしょ。特に執行学部なんて、実力主義が行き過ぎてておっかないんだから。授業で魔法術を扱うときは、私たちみたいな学部外の職員がついて、安全基準を満たしてるか確認しないと駄目なの」
「そういうものか」
歩きながら、俺はふむと頷く。
俺が幼少の頃に受けていた
「それで、どこに行くんだ」
「執行学部よ」
◆◆◆◆◆◆
————執行学部。
東に位置する執行学部の拠点は、厳格な左右対称によって作られた荘厳な建物群である。学部施設にはそれぞれ見てわかる特色があり、執行学部の施設は
施設内に足を踏み入れると、学部受付にて諸々の手続きを行ったペギーに付いて行き、とある建物2階の広い講義室に辿り着いた。無数に並ぶ席には十代も半ばの生徒達が百人単位で座っており、みな静かに講義の開始を待っている。執行学部の生徒だけあり、まだ休み時間にも関わらず無駄話もそこそこ、厳粛な雰囲気が漂っていた。俺はペギーと共に、その生徒達の真ん前、4メイルは優に超えるだろうかという高さを誇る複合黒板の脇に立つ。
「まあ、とは言ってもね」
数百人という生徒達の前で背筋を伸ばしながら、ペギーは言った。
「こうやって突っ立ってるのが、安全係の仕事よ」
「立っているだけでいいのか」
「居るってことが大事なの。私たちが見てれば、無茶な実技はできないでしょ」
「無茶な実技とは?」
「魔法術で生徒を戦わせたり、そーゆーことする教員がいるのよ」
「実戦形式の戦闘は、有用な経験だと思うが」
「ぜぇーったい駄目よ」
ペギーがそう言ったとき、講義室の教員用の扉が勢いよく開かれた。
それを見て、彼女は一段襟を正す。
「来たわよ。大人しくしてなさい」
「…………」
俺は講義室に入ってきた者を、じっと見つめる。
目を離すことはできなかった。
その姿を見た瞬間、半分切り落とされたはずの首が疼く。粉砕された左腕の骨が軋む。死に体に投げかけられた数々の罵声の音色が耳にこびりついている。
教員用の扉から入ってきたのは、漆黒の執行官装束に身を包んだ赤髪の男。長い脚を振って黒板の前へと歩いてきた彼は、講義室に詰める生徒達に向かい、笑顔で話し始める。
「やあ、初めまして。今日は特別に、みんなに魔法術の実践を教えに来た……」
彼は、しばしもったいぶってから続ける。
「首席執行官の、ジャドーだ」
彼の名乗りを聞いて、講義室は大いに沸き立った。それまで厳粛な面持ちで静かにしていた生徒達が、興奮のあまり歓声を上げる。最前列に座っていた生徒の一人が、上擦った声で尋ねる。
「あ、新しく首席執行官に就いたという、ジャドー様ですか!?」
「その通り。みんな、よろしくな」
にこやかに返すジャドーを見て、隣に立つペギーが「ひゅー」と口笛を吹いた。
「へえ……彼が。“処刑人ヒューラ”の後任っていう、新首席執行官」
「…………」
俺は何も答えず、奴の様子を黒板の脇から注視していた。
ジャドー…………
まさか、これほど早く再会できるとはな。
「あの!」
興奮しきりの生徒達は、次々と立ち上がって手を挙げる。
「先代の首席執行官……伝説の“処刑人ヒューラ”と会ったことがありますか!?」
「どんな御方でした!?」
「まあまあ、みんな。落ち着きたまえよ」
ジャドーは得意気な調子で、生徒達に対応する。
「君たち執行学部の生徒が、僕に憧れるのはわかるが……ちょっと落ち着いて。首席執行官といえど、耳は二つしかないんだ」
ワッ、と講義室が沸いた。
生徒達がこれだけ興奮するのも、無理はない。
執行学部は、法の執行を司る執行官の育成教育機関である。執行官の職責は“法の執行”という根本職能を中心として、多岐に渡る。事件の捜査、犯人の追跡、拘束、尋問、移送、刑執行……それら全ての実行主体たる執行官は、
ゆえに、現役の執行官は彼ら生徒達の憧れの的。その最上位者たる首席執行官が目の前に現れたとなれば、彼がどんな寒いジョークを飛ばそうとも、講義室は爆笑に包まれそうな雰囲気が出来上がっていた。
「首席執行官は、僕たち生徒の前には絶対に現れないと聞いていましたが……」
「それは、シャイな先代までの話だ。僕はもっとオープンでいたくてね」
たっぷりとした身振り手振りを混ぜながら、ジャドーは語る。
「君たち生徒達の育成も、重要な職務だと思っている。だから今日は、僕が直々に、みんなに魔法術のイロハを教えに来たわけさ。お願いだから寝ないでくれよな? といっても僕もみんなくらいの年齢の時は、講義室でグースカ寝息を立てていたけど」
ワッ……と生徒達は笑った。
そんな様子を見て、ペギーは身体を傾けて小声で囁く。
「なんか……思ってたより気さくな人なのね」
「……かもな」
すると、女子生徒の一人がおずおずと手を挙げた。
それを見たジャドーは、その生徒を指差す。
「じゃあ、質問は彼女で最後だ。なんだい?」
「あの……先代の、“処刑人ヒューラ”ですが……」
女子生徒は、震える声で話す。
「どうして……死んでしまったんでしょうか。あんなに、強かったのに……」
「…………」
ジャドーはふと黙った。
彼女の震える声色に、俺自身、どこか感じ入るところがある。若返る前——“処刑人ヒューラ”と呼ばれていた俺は、世間の評判というのをほとんど気にしたことはなかった。目の前の任務、凶悪な極刑指定達を狩ることに精一杯で、自分がどう思われているか、何と言われているかなど、いちいち確認などしていられなかった。それでも、その職責を数十年という長きにわたり勤め上げると、いつしか俺の活躍が生ける伝説として語られ始め、まるでヒーローか何かのように扱われているらしいという話は、ちらほら耳には入って来ていた。
顔も知らないのに、俺の死を悲しんでくれている人も……確かにいたのか。
「先代首席……処刑人ヒューラが先月亡くなったことは、みんなも知っての通りだ」
ジャドーはもったいぶりながら話す。
「実はあの夜……僕も、彼の死に立ち会ったんだ」
それを聞いて、生徒達が一斉にざわついた。
「激しい戦いだったよ。彼はその中で、首を半分切り落とされながらも戦い続けたが……ついに力尽きた。そして死の間際。彼は僕に、首席執行官の地位を託したのさ。“お前しかいない、後は頼んだ……”てね」
シン、と広い講義室が静まり返る。
「そうだったのね……」
隣に立つペギーも、胸打たれたように囁く。
俺は呆れかえってしまい、何も言う気になれなかった。むしろこれほどの虚言を自信満々に、それもこれほどの演技力で語れるのは大したものだ。感心さえ覚える。しかしその脳内には、血をゲエゲエと吐きながら奴に浴びせられた罵声と高らかな笑い声が反響して仕方ない。安心してくたばれよ、とも奴は言ったな。
お前は絶対に許さん。
笑っていられるのは今の内だ。
必ずお前の首を切り落とし、晒してくれる。
「さあ、しみったれた話はここまでだ!」
パン! と手を叩いたジャドーは、声色を一段上げて話し始める。
「これから実戦演習を行う。実戦において重要なことは何か? それは魔法術による攻撃がどんなものか、実際に見て、肌で感じてみることだ! 多種多様な魔法術は、剣とも棍棒とも弓矢とも違う……それを今日は実際に見て、感じてもらおう!」
捲し立てると、彼は手を挙げてみせる。
「誰か——僕の魔法術を、実際に受けてみたい者はいるか? 手加減するよ?」
「待ってください!」
ペギーが声を上げた。
振り返ったジャドーは、生徒達から死角となる角度で不機嫌そうな表情を見せる。
「……なんだね?」
「生徒に魔法術をかける行為は、安全基準に反しています。どうか、別の方法で」
「はあ、これだから!」
ジャドーは呆れたように言った。
「安全安全って、これじゃあ何もできやしない。みんなもそう思わないか? 執行学部の生徒たるみんなは、いつか危険な犯罪者たちと魔法術で戦わなきゃいけない! それなのに、手加減した魔法術すら受けられないって? それでどうやって実力を付ければいい!?」
彼は大仰に肩をすくめ、ペギーを見据える。
「これじゃあ、何も教えられないよ」
「規則は、規則です」
「……ったく! これだから
肩をすくめてみせたジャドーに、生徒達は賛同した様子だった。
講義室は、完全に彼のペース。
どちらかといえば、悪者はペギーの方である。
柔軟な思考の現役執行官ジャドーに、頭の固い職員ペギー。
そんな対立構造が生まれつつある光景に、俺はやや不快感を覚えた。
「それじゃあ、こうしたらどうだろう!」
ジャドーは振り返ると、今度は俺に視線を向けた。
「生徒に受けてもらうのは駄目でも……そこにいる安全係の職員殿に、俺の魔法術を受けてもらうのは?」
「駄目に、決まってます!」
ペギーが返すと、ジャドーはニヤリと笑う。
「本当に? そういう規則があるの?」
「いやそれは……生徒でなければ、厳密には、ありませんが……」
「なーらいいじゃないか! そこの職員さんは体格も良さそうだし、きっと耐えられるだろ。どうだい。受けてみないか?」
背後に居並ぶ生徒達を焚き付けるように、ジャドーは問いかける。
彼のペースに乗せられている生徒達は、もはや安全係である俺たち二人を目の敵にするように沸き立っていた。そんな中で、ペギーが俺の袖をギュッと引っ張る。
「断りなさい。こんなのおかしいわ」
「…………いや」
俺は彼女の手をそっと退けると、シャツの袖を捲り、色眼鏡の位置を正した。
「いいだろう。受けて立つ」
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