につめる

とまそぼろ

につめる

 砕いたあなたが在るのなら、おろしたての、私たちの小室しょうしつを映す小鍋で煮詰めて、甘い、甘あいジャムにするでしょう。

 あなたが微笑ほほえんだぶんだけ広がる草原の、あなたを伝う涙のぶんだけ降った通り雨の後に育んだいのちを掻き分けて、そこに、あなたより肉付きの悪い腰を降ろします。


 ええ、あなたがお気に入りだったバスケットに詰めたのは、薄く切った手焼きのパン。あなたをたくさん頬張れるように、あなたの味が掻き消えてしまわないように、薄く薄く切ったパン。かざすと、その先にあなたがいるような幻が嘔気おうきを誘う、そんなパン。いつもより塩気が強かった気がしたのは、きっと隣でいさめるあなたがいなかったから。大雑把な私だから、あなたというはかりなしにはきっと、救えない。


 ほら、薄へらで、ところどころに小穴の空いたパンが見えますか? それなら彼岸であざけること。六文銭が余っていれば、望遠鏡でも買ってください。みじめな痴態がようく見えますよ。ただし、泣き腫らした目元は見ないでくださいね。帰らないあなたをちっぽけな数百粒でう姿なんて、情けなくて傍目にも恥ずかしい。八等星のほうが幾分目にいいです。もっとも、恒星を失った星を見つける術があるかどうかは、私には分かり兼ねますが。


 草々の背を折って腰を降ろした横には、蝶のつがいがいますね。憎らしくも私たちとは違って、ありふれた恋模様のようですが。ほら、鱗粉りんぷんが舞っていますよ。きれい、きれい。あなたをしのばせる綺麗な羽根は、陽をあちこちに照らしている気さえする。気がつかないようにしていたけれど、あなたはきっとそうだった。あちこちを照らす光を私だけに向けるようにしたから、きっとねじれた。あなたは、無垢に誰彼だれかれを明るみにするほうがきれいだった。ごめんなさい、ごめんなさい。


 そよぐ風に嘲られる。その温い風は、あなたと見紛わない。熱を帯びたあなたの吐息はもう少したおやかで、気品と愛を孕んでいたから。そうか、それなら、きっと私たちの遺すことのできた証は気品と愛ですね。憎しみが産まれなくて、よかった、よかった。


 あなたをふんだんに、お気に入りのスプーンでパンに塗りつけて、恥じらいの残るひと口を頬張る。甘かった。あなたの味は、砂糖漬けにせずとも、とても甘い。きっと毒にも劣らない。私に眠る稚児ちごに、遅くも生まれたての私に愛気混じりに与え続けていたから、だから患っているんだ。


 喉元を過ぎても味が続く。醜いくずに変わるまでが、あなたを味わえるタイムリミット。眠ることすら惜しいですね。忘れることが苦しいから。でもあなたはきっと忘れることを望んでいる、そうでしょう? そんなことの容易い馬鹿じゃないことを分かっているのに押しつけるなんて、いやなひと。愛してる。


 ああ、次の咀嚼そしゃくをしているうちに、あなたに口角こうかくを撫でられる感覚をひさに覚えた。とくんとして心地がいい。風が止んだから、いっそう私の心音が跳ねる。うるさいなあ。あなたの微笑ほほえみだけが反響している草原に、調を乱すれ者が一人。こんな私をも愛してくれたあなたは、どれだけ。


 ひと通り頬張ったから、バスケットはがらんどう。あなたは私の中で溶かされていく。消えない綺麗事だけを反芻はんすうして、あなたは次第に薄まっていく。でも、形骸化したあなたという存在を忘れることは、いつだってないと断言できる。きっと、いつまでも、いつまでも憶えている。覚えている。厚みを失った、いつか色褪せる、微笑んだあなたが、私の傍にいなくても。


 風がまたそよぎだした。果てにいるあなたの薄ぼんやりとした大好きな笑い声が、小さくもしかと背を伸ばしている隣の草々を撫でたような、そんな薄ぼけた明白だけが、さびのないいかりになった気がした。

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につめる とまそぼろ @Tomasovoro

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