(3)
「ねえ、なれあうって、どういう意味?」
これだからガキは嫌なのだ。あれほどわかりやすく拒絶の意思を示したというのに、まったく意に介さないばかりか、さらにズカズカと踏みこんできやがる。油断しまくってみっともない醜態を晒したことで、余計に腹が立った。
「ねえ、おじちゃん、いま言ってた『なれあう』ってどういうい――」
「うるせえな。どっか行け! わかんなきゃ家帰って母ちゃんにでも訊けばいいだろっ」
自分でも思った以上にきつい声が出た。普通なら良心が咎めるところだが、いまの俺に、そんな持ち合わせは欠片もない。相手は、まったく空気が読めないずうずうしいクソガキなのだ。ここで追い払えば、もう二度と会うこともない。泣こうが傷つこうが、知ったこっちゃなかった。
「でも、帰っても、いない……」
「ああ?」
「ママ、毎日お仕事で忙しいから。それに、すごく疲れてるし」
だから訊けない、とでも言うつもりか? そんなん俺が知るかってんだよ。
「いいから行け。邪魔なんだよ」
犬の子でも追っ払うように、しっしと手で払う。だがガキは、なおもぐずぐずとその場に留まっていた。
「おい、いい加減にしろっ。おまえがどっか行かねえなら俺が――」
「クマゴロー……」
「あ?」
半分腰を浮かしかけた俺のほうを見ながら、ガキは指さした。
「クマゴロー。ずっと、おじちゃんの下敷きになってる……」
言われて、指の先端が向いているあたりを見下ろすと、左側のケツと腿のあいだあたりから、茶色いなにかがはみ出ていた。
重心を少し右側に寄せて引っ張ると、出てきたのは、薄汚れて弾力をなくした布の塊。すっかりくたびれた様子でだらりと垂れ下がったそれは、クマの形をしたファンシーなぬいぐるみだった。
「なんだこれ。おまえのか?」
親指と人差し指で片耳をつまんだまま目の前にぶら下げると、ガキはそれを凝視したままこっくりと頷いた。
なるほど。ただ意味もなく近づいたわけではなく、俺がこいつをそれと知らずに尻の下に敷いていたせいで声をかけてきたということのようだった。
男のくせにぬいぐるみかよ、と思わなくもなかったが、これでガキがいなくなるならそんなのはどうだっていい。ぬいぐるみだろうがリカちゃん人形だろうが、好きなだけ持っていけばいいのだ。
「ほらよ」
小汚えぬいぐるみを指先でつまんだままガキのほうに突き出すと、ガキは大事そうにそれを受け取った。これでようやくうるさいのから解放されるかと思いきや、
「これね、ママが買ってくれた友達なの」
ガキは立ち去るどころか、数歩下がった位置からさらに近づいてきて横に並んだ。
……おいっ。
「ママ、いつも忙しくて一緒にいれないからって、これ買ってくれた。ぼくが五歳のとき」
ああ、そうかよ。聞いてねえよ。
「それからずっと一緒。おかしい?」
「ああ?」
「ぼく、男なのにぬいぐるみ持ってるの、変?」
ガキの目線がいつのまにか下になっている。気がつけば、すぐ横にちんまりとしゃがみこんでいた。その目が、おずおずと見上げてくる。殺処分待ちの捨て犬かよ、とか思ったら、ついまともに返事をしてしまっていた。
「べつにいいんじゃねえの? 男だって甘いもん好きだったり可愛いもん好きだったりする奴、ざらにいるだろ」
はじめに一瞬だけ、男のくせにとか思ったことはたしかだが、こうやって見ればなんの違和感もない。俺が抱いてたらそりゃ滑稽だし変質者としか思えないだろうが、そもそもこんな乳離れもしてないようなガキに男も女もあったもんじゃなかった。
「よかった」
ガキはひどく安心したような、はにかんだ笑みをこちらに向けた。
変なガキ。
「おじちゃんも好き?」
「あ?」
「おじちゃんも、可愛いもの好き?」
「べつに好きじゃねえよ」
「そうなの? でもずっと、クマゴロー持ってたでしょ?」
「持ってたんじゃねえよ。ケツの下に転がってたことに気づかなかっただけだっつうの」
「そうなんだ。ぼく、てっきりクマゴローが可愛いから、だれかに取られないように隠してるんだと思ってた」
おいおい、それじゃ完璧に変なシュミまるだしのキモい奴じゃねえか。ってか、俺もなに普通に相手しちゃってんだよ。
内心で思わずツッコミを入れる。さっさと追っ払おうと思ってたはずなのに、なぜかガキと並んで座って会話しちゃってる自分に戸惑った。
そういや、いつぶりだ? こんなふうにだれかとやりとりすんの。
思って、直後に苦笑が漏れる。ひさしぶりに会話すんのが、まさかこんなガキとはね、と複雑な気分になったのだ。
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