あなたの夜が明けるまで

名無

第1話 あなたの夜が明けるまで

時刻は深夜1時過ぎ。


モニターの光に照らされた部屋で、いつものようにモニターと向かい合っていた。


モニターに映し出される文字と映像と音から得られる情報を整理し、自分の色に合わせて改変する。


その自分の色を忘れないようキーボードで打ち込む。それの繰り返し。


作業が一区切りつき、凝り固まった体に気づく。


固まった体をほぐしながら、チラリと時計を見る。


「...後少しだけ。」


本来なら睡眠をとったほうが良い時間ではあるが、今は調子がいい。


この状態でできるだけやっておきたい。


ピンポーン


突然、自宅のインターホンが鳴り、びくりとする。


「...?」


普段来客の少ない僕に、こんな時間に家を訪ねて来る人など心当たりはない。


そう言えば最近、この近くで不審者が出たと家政婦さんから聞いた。


「悠さんも気を付けてくださいね。」と言っていた家政婦さんの言葉を思い出す。


「....まさかね。」


そう思いながらも、無意識に音が出ないように歩きながら部屋を出る。


リビングに備え付けのインターホンモニターを恐る恐る見る。


「響花?」


そこには見知った、いや記憶とは遠く離れた幼馴染が立っていた。


時刻は一時過ぎ。僕の家を知ってるとはいえ、こんな時間に来るなんて普通ではない。


慌てて玄関に向かい、鍵を開け扉を開ける。


「響花、どうしたの?こんな時間に。」


玄関の奥にいたのは幼馴染である響花だった。


高校卒業後、互いに忙しく会う時間がなく、少し疎遠になっていたが、昔は僕の家に入り浸るくらいの仲だった。


少し昔のことを思い出す。そういえば最近、彼女の歌を聞いていなかったな。


「...響花?」


過去の記憶に浸っていた僕を引き戻したのは、彼女の表情だった。


僕は彼女の表情にすぐ違和感を感じた。


記憶の中の彼女は笑顔が綺麗な子だった。よくニコニコしており、感情の表現が豊かだった。


でも目の前にいる彼女は違った。


目の光は消え失せ、表情は何も読み取れないほど、無表情だった。


「どうしたの?何かあった?」


いったいどうしたのだろうか。僕はあまりに記憶と違う彼女の様子に少し驚きながらも彼女の言葉を待った。少しして彼女はゆっくりと口を開いた。


「私、今日死のうと思うの。」


そう言った彼女の表情からは何も読み取れなかった。





時刻は深夜1時半頃。


響花と共に少し夏の気配を感じる街を歩く。




「私、今日死のうと思うの。」


その言葉を響花から聞いたとき、思考が停止した。


確かに様子はおかしかった。でも、まさか響花からそんな言葉が出るとは思っていなかった僕は、その言葉の意味を理解できずにいた。


何も返事ができず、僕はその場で固まってしまう。


「じゃあね。」


僕が固まっていると、彼女はそう言って歩き出す。


何かを言わなければ。そう思い、振り絞った言葉は僕も予想していない言葉だった。


「最期に散歩に行かない?」


「...分かった。」


普段家から出ない僕にとっては出るはずのない言葉だった。


けど、これで時間を稼ぐことはできた。




その後、僕たちは夜の街を特に何も話さず歩いていた。


正直、まだ理解できていない。


なぜ響花がそんなことをするのか。


なぜ僕の元へ来たのか。


分からないことばかりだった。


でも、この時間で答えを出さなければ響花は死んでしまう。


きっと彼女のあの言葉は嘘ではない。


僕は、直感的にそう感じていた。


「...何も聞かないの?」


僕が悩んでいると、響花が話しかけてきた。


「...ごめん、まだ整理できてなくて。」


「そう。」


僕は偽らず素直に言うことにした。


今の彼女には偽りの言葉は届かない。


僕があたりさわりのない言葉で彼女を止めようとしてもきっと届かない。


少なからず、今分かっているのは響花の様子がおかしいということだけだった。


あの時の響花の目、表情、そして今の声色。


昔の響花からは考えられない様子から恐らく、何かがあったのは確実だろう。


「...どこ行くの。」


「えっと、昔行ったことある所に行ってみない?」


「分かった。」


僕は、未だ纏まらない思考をまとめるため、時間を稼ぐことにした。


少なからず彼女は今日、死のうとしている。


それを止めるにしろ、そうじゃないにしろ。


まずは考えをまとめる必要がある。


そのために響花に何があったのかを、知る必要がある。





それから数十分。とある見慣れた場所に着いた。


ここは僕にとって思いで深い場所の一つだ。


「響花。見て、あそこ。」


「なに。」


「覚えてない?昔二人で来たことあるんだけど...」


「覚えてる。昔二人でここで歌ってた。」


「そう、懐かしいよね。」


「うん。」


昔二人で来たことのある、小川。


ここで二人でギターを弾きながら歌ったのをよく覚えている。


ギターをひいている響花の表情をよく覚えている。


静かな音色を、彼女の落ち着いた、優しい。でも、どこか壊れそうな歌声を。


...もしかしたら彼女はあの頃から、


「悠は、」


「ん?」


僕が少し考えていると彼女が僕の名前を呼ぶ。


慣れない彼女の声色にまだ少し違和感を感じる。


「悠はまだ続けてるの?歌。」


「うん、続けてるよ。さっきも作業してたんだ。」


「そう、変わらないね。」


「響花は....」


「....?」


その言葉の続きを話すべきかどうか少し迷い、言葉を続けた。


「響花はどうして死にたいの?」


少しの沈黙。響花の表情を見やると、少し目を伏せていた。


「...生きてる意味が、分からなくなった。」


「...響花。」


「...何。」


「何があったのか、話してほいい。」


僕がそう言うと、響花の表情がさらに暗くなる。


きっと聞かないほうが良いのだろう。でも、今聞かなければきっと何も進まない。


彼女の手を取り表情を見る。


響花は焦りと不安と、恐怖が入り混じったような。そんな表情をしていた。


「ごめんね。お願い...できないかな。」


「...分かった。」


その後、響花から聞いた話は正直、信じれないものだった。





響花は優等生だった。成績も良く、人柄もいい。周りをよく見ていて、気遣いもできる。


でも、それは本人の意思によるものではなかった。


彼女が物心つく頃から、親の望む理想の自分を演じるようになった。


勉強ができて、人柄がよくて、親の言うことをちゃんと聞く偉い子。


今までは何も感じなかった。それで親が喜んでくれるのなら構わなかった。


時折、やりたいことをさせてもらえないこともあったが、特に不満は感じなかった。


そうやって響花は親が望んだいい子になり、今まで生きてきた。


大学入学後、響花の両親は離婚した。


親は理由を話してくれなかったが結果、響花は母について行くことにした。


特に理由はない。強いて言うなら父がついて来いと言わなかったから。


母は父によく従っている人だった。仕事でなかなか帰ってこない父親に代わり、母は私をいい子に育て上げた。


だが離婚後、母も思うところがあったのか、響花にこう言った。


「自由に、好きに生きなさい。もう、あなたを縛る人はいないのよ。」


母は泣きながら私にそう言った。なぜ泣くのかは分からなかった。


でも、母がそう言うならそういう生き方にしよう。


それから、響花が気付くのにそう時間はかからなかった。


分からなかった。自由な、好きな生き方が。


何が本当に好きなのか、何が楽しいのか、言葉使いも表情も。


己の感情すらも。


些細なことですら作っていた響花は、本来の自分を見失っていた。


それでも、響花は頑張った。自由に、好きに生きるために、自分を探して。


簡単ではなかったし、前に進めているのかも分からなかった。


でも、母が望んだから。頑張ることをやめることはなかった。


いつか、母の望む自分になるために。


ある日。なんてことはない日。母の言葉ですべてが終わった。


「あなたをみていると夫を思い出す。もう、やめて。その顔をしないで。」


そう泣きながら母は言った。なぜ泣いているのかはやっぱりわからなかった。


でも、響花の中の何かが。自分の知らない大切な何かが、砕ける音がした。





その話を聞いたとき、僕は何も言えなかった。


なんて理不尽なんだ。


彼女はただ、親の理想の自分を演じていた。


それを急に放り出し、「自由に生きろ」と言われても、それでも彼女は答えようとした。

自分をなくしても。好きなことも、嫌いなことも、自分の感情すらなくしても。響花は前に進もうとしていた。


それはきっと不安で、怖いことだったと思う。


そんな彼女に向かってかけた言葉は、彼女を壊すにはあまりに十分だったのだろう。


母親の言葉は響花を殺すには十分だった。


「理不尽だ...」


無意識にその言葉が出たのに気づき、思わず口を両手で塞ぐ。


響花はその言葉を聞いても無表情で言葉を紡いだ。


「でも、私はお母さんを恨んでいない。お父さんがいなくなってからお母さんの様子はおかしかった。きっと見せないだけでお母さんも苦しかったのかもしれない。」


「だからお母さんは悪くない。」


そう言って微笑んだ彼女の表情をみて、背筋が凍った。


そうか。彼女はずっとこの笑顔を使っていた。


誰の前でもどんな時でも。きっと...


僕といた時ですら。


「....ごめん。」


「なんで悠が謝るの。」


「ずっとそばにいたのに、気づいてあげられなかった。」


僕は彼女と長い間一緒にいた。それでも僕は彼女の偽りに気づけなかった。


僕がどこかで気づければ。こんなことにはならなかったかもしれない。


僕がずっとそばにいれば。こんなことにはならなかったかもしれない。


「それは悠が悪い訳じゃないよ。」


ふと空を見上げながら響花はつぶやいた。


「きっと...誰も悪くない。」


その横顔を見て、「あぁ、これが本当の響花の表情なのかな。」と思った。





あれから数十分。僕たちは会話もなく歩き続けた。


響花はどこに行ってるのか分からない風だったが、僕は目的地を決めていた。


「見えてきた。」


「...?」


眼前には小さな公園。遊具はなく、あるのはいくつかのベンチくらい。


周りに住宅は少なく、人通りも少ない公園だった。


「ここは...」


「そう。覚えてるかな。」


僕はベンチへと向かいそこへ座った。


響花も僕に続きベンチに座る。


「覚えてる。私と悠が初めて会った場所。」


そう。ここは僕と響花が初めて出会い、彼女が僕に教えてくれた大切な場所。


「なんでここにき来たの?」


「...響花が今日死ぬって言ったとき、正直どうすればいいか分からなかった。

久々に会ったと思ったらそんなこと言うものだから、かなり戸惑った。」


「何か...わかったの?」


僕はそっと彼女の手を握る。


「...ごめんね、僕には響花がどんな思いでいたのかは、全部分かってあげることはできなかった。でも、」


響花の顔を見つめる。答えるように彼女も僕の顔を見つめる。


僕にはきっと分かることはできない。彼女の思いを全て理解することは、今の僕にはできないだろう。


それでも、


「分かりたいと思った。」


僕がそう言うと彼女は少し目を見開いた。


「僕は最初、君を止めるべきか迷った。止めて僕に何ができるのか分からなかった。もし、何もできなかったら、ただ君を苦しめるだけになるんじゃないかと思った。」


響花の表情が少しずつ歪んでいく。


「でも、決めたんだ。」


何もできないかもしれない。響花を苦しめるだけかもしれない。そう思うと、少し怖い。


でも、それでも、僕は。


少し強く、響花の手を握りなおす。


「君が、また笑えるように。生きててよかったと笑えるように。君のそばに居たい。」


これが僕の気持ち。迷いも惑いも、もう僕の心にはない。


「で、でもっ...」


彼女は顔を俯かせると何か言葉を探すように話し始めた。


「きっと、悠に迷惑をかける。」


「そんなのどうってことないよ。」


「き、きっと嫌になる。」


「嫌になんてならないよ。」


「...なんで、」


彼女が顔を上げ、僕をじっと見つめる。その表情は無表情のような、困惑しているような。そんな表情だった。


「なんで!空っぽな私に優しくするの!何もない私を、どうして救おうとするの...!」


叫ぶようにそういう彼女の手を、僕は撫でる。


「...響花は空っぽなんかじゃないよ。」


「え...?」


「君はつらいと思える心がある。誰かを許せる心を持っている。誰かを心配できる心がある。そんな君が空っぽなわけない。」


彼女は今まで辛い目に合ってきた。それはきっと僕の想像を凌駕するほどのものだろう。親を恨んだとしても、攻める人はいないはずだ。

でも彼女は「誰も悪くない」そう言ったんだ。そんな優しい彼女が空っぽなはずない。


「ねぇ響花。僕も君と初めて出会ったとき、空っぽだったんだよ。」


「...え」


「やりたいこともない。求められもしない。楽しいこともなければ、悲しいこともない。僕の心は空っぽだったんだ。」


昔のことを思い出す。客観的に見ても、あの頃の僕は空っぽだったと思う。でも、


「でも、君が。君だけが僕の心を満たしてくれたんだ。」


「私...が...?」


「そうだよ。初めて君の歌声を聞いたとき、綺麗だと思った。儚くて美しくて。どこか壊れそうな歌声。僕もそんな風に歌えるようになりたいって。初めてそう思えたんだ。」


「...そう、だったんだ。」


「だから...次は僕が。」


目頭がじんわりと熱くなっていき、自然と僕の目から涙があふれてきた。


「次は、僕が君を救いたい。」


彼女の手から熱を感じる。響花は生きている。どれだけ苦しくても生きてきた。


僕が、この熱を繋ぎ留めたい。いつか、君が僕の熱を繋ぎとめてくれたように。


彼女が握り返してくれた手に力が入るのが分かる。


「...いいの?そばに居て。」


「うん、もちろんだよ。」


「きっと、大変な思いをする。」


「それで響花が救えるなら、構わないよ。」


暖かい雫が手のひらに落ちる。響花の瞳は、夜の月明かりで優しく照らされている。


僕は彼女の頬を伝う涙を拭いながら、その瞳を見つめる。


「僕は、君に生きてほしい。僕と共に、生きてほしい。」


僕はただ君に生きてほしい。いつか笑いながら生きててよかったと言えるために。


その時、そばで一緒に笑ってあげるために。


「ごめん...ごめんっ」


彼女の体が僕に触れ、腕を背中に回される。僕は答えるように彼女の背中に腕を回す。


「いいんだよ。」


「私...生きたいっ...」


「うん。」


「頼って....いいの...?」


「うん。いいんだよ。」


僕は腕の中で小さい子供のように泣きじゃくる彼女を抱きしめる。


きっと彼女を救うのは簡単じゃないだろう。それでも。


僕は彼女を、救いたい。


「帰ろう、響花。」


きっと今日のことはきっかけに過ぎないのだろう。


でもいつかこの選択が響花を救うことにつながる。


いつか響花と笑いあう未来に繋がる。


そう、僕はそう信じてる。




窓から差し込む日差しが眩しくて、目が覚める。数度瞬きをして、ぼやけてる意識を覚醒させようとする。


見慣れない天井を見上げながら昨日のことを思い出そうとするが、覚醒しきっていない頭はうまく働いてくれない。


少しして、肌に触れる温もりと、静かな寝息に気づく。


「...そっか。」


昨日私が泣き止んだ後、悠に連れられお家にお邪魔した。


その後、泣き疲れた私を、悠は寝かせてくれたのだ。


昨日、悠が言ってくれた言葉を思い出す。



「僕は、君に生きてほしい。僕と共に、生きてほしい。」



あの言葉は嘘でも夢でもない。悠が導き出した言葉だ。


きっと簡単な選択ではなかっただろう。でも悠は、その言葉を私にくれた。


「...ごめんね。」


きっとこれから迷惑をかける。大変な思いをさせる。


それでも、私は悠の言葉を。悠を、


「信じてみるね、悠」


彼の顔のに手を伸ばして頬を触れる。柔らかな髪に指を絡めながらなるべく優しく頭をなでる。


少しくすぐったそうにした後、悠の目が開く。


「...どうしたの?」


そう微笑む彼の手が私の目元に伸びて、優しく撫でてくれる。


「腫れちゃったね。」


「うん...」


今はまだ、この選択が正しいのかなんて、私には分からない。


もしかしたら、間違いなのかもしれない。


それでも今は、この温もりを信じたい。悠がくれる、この温もりを。


「おはよう、悠」


先ほど言い忘れていた言葉を、悠にかける。


少しポカンとした後、悠が微笑みながら答えてくれる。


「おはよう響花。」


きっとこれから大変な思いをするだろう。


それでも、悠がいるなら大丈夫だと。そう思った。



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