第20話 まだ多感なお年頃
荘厳な大聖堂で、新国王フェリックス陛下の戴冠式が厳かに執り行われる。
近隣諸国からの特使も列席するなか、ダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドなど様々な宝石が隙間なく埋め込まれた絢爛豪華にかがやく王冠が、フェリックス陛下のまだちいさな頭に載せられた。
即位が王国法に基づいた法的手続きであるのに対し、戴冠式はそれを神々と民衆にひろく知らせる厳粛な儀式だ。
聖職者が正式な王号を長々と読み上げ、王国の守護神である女神に祈りを捧げる。
「ギレンシュテットの国王すなわち、スコーグ王・ヴァンドリング王・モーネ=ステルナ王・フロード王・スコグベール王・ヴィルトマーク王・グルドカンヨン王・コッパル王・ヴェクスト王・ブロッマ王・フィエール大公・ヴィットダール大公・ヴェーデル伯・シェールゴ群島の王に、……女神の祝福があらんことを」
わたしも、覚えるのはとても大変だった。
すべては、オロフ陛下が征服し併合した国々の君主号だ。
ただ、オロフ陛下はギレンシュテット国王としてだけ戴冠されたので、この長い王号が戴冠式に用いられるのは初めてのこと。
オロフ陛下の偉大さを伝える王号だけど、侵略されて滅亡し君主号を奪われた国から帰順した貴族たちの耳には、どう響いているのだろう……。
つづいて、姉トゥイッカが新国王フェリックス陛下から正式に〈王太后〉の称号を賜る。
そして、わたしには〈王太側后〉という前例のない称号を賜った。
王子を産まなかった側妃は、国王が亡くなれば王室を離れるのが通例だ。
再嫁は許されず、年金をもらいながら慎ましく余生を過ごす。
だけど、
「……フェリックスの治世を支える王族が、あまりにも少ないの……」
と、姉からあたまを下げられたのだ。
わたしは王太
ただ、姉が言うには――、
「ふだんは離宮にいてくれたのでいいから。王太側后が王宮とは別に控えていてくれることが、貴族たちへの牽制になるわ」
と、これまで通りの生活を送っていいらしい。
離宮に匿うアーヴィド王子のこともあるし、政務のことは分からないし、内心ホッとしたのだけど、
なんだか〈影の権力者〉役を演じさせられるようで、すこし居心地が悪い。
けれど、姉からの初めての頼みごとだ。
わたしなんかで姉と甥の役に立つのならと、喜んで引き受けた。
ところが、場を王宮に移すと、謁見の間で国王陛下の玉座より一段高いところに、姉とわたしのための瀟洒な椅子が並んで設えてある。
新国王フェリックス陛下の頭に載る王冠を見下ろす席に座り、居並ぶ貴族たちを見下ろした。
――え、えらいことを引き受けてしまったな……。
と、正直、思った。
オロフ陛下の座られていた玉座の背面に、これほど素晴らしい意匠がほどこされていたことを、初めて知った。
その玉座を、わたしが見下ろしている。
けれど、「やっぱり、やめた」という訳にもいかない。
姉王太后が厳かに、新国王の治世が始まることを宣言する隣で、しずかに微笑んだ。
Ψ
近隣諸国の特使や、主だった有力貴族を招いた晩餐会が、王宮の大会堂で盛大にひらかれた。
見渡す限り、すべて貴族。
正直、ここまでの規模のものには、出席した経験がなかった。
というか、秋の収穫祭など正式な儀礼を除けば、社交の場自体が久しぶり。
わたしの社交界デビューとほぼ入れ違いに、アーヴィド王子が要衝での太守の任に就かれ、なんとなく足が遠のいていた。
そんなわたしの前に、長蛇の列。
高位貴族、その令嬢、令息たちが、わたしとの交誼を求めて次々に挨拶してくる。
内心あたふたしながら、共同摂政たる王太側后陛下にふさわしい微笑みを頑張る。
重臣と仲良しになるどころではない。
そんなわたしとは違い、姉王太后トゥイッカの嫋やかで優雅なふる舞いは堂々たるものだった。
可憐にして妖艶。まさに、社交界の華。
わかき美貌の王太后に、男女を問わず皆の視線が釘付けだ。
王国の東に国境を接する大国、エルハーベン帝国からの特使にも臆する様子はなく、和やかに談笑している。
麗しいいでたちが目をひく帝国の特使。
おそらく帝国に7人しかおられない選帝侯のおひとり、わかきドルフイム辺境伯、カミル・ピエカル閣下だろう。
女性的にも見える顔立ちは面長で、たかくシュッと伸びた鼻筋に、切れ長の瞳が印象的。
ウェーブのかかった長い栗色の髪は背中まで伸び、襟がたかく光沢のある白い上着をいやみなく着こなす細身で長身の体格。アーヴィド王子よりすこし身長がたかい。
離宮住まいのわたしにも隣国からの噂話が聞こえてくるほど、数々の浮名を流されてきたお方で、姉の美貌に歯の浮くような賛辞を歌うように述べている。
ただ、それを受け流す姉トゥイッカの所作も優雅で、歳は若くとも国王陛下の母君――国母に相応しい威厳を放って見えた。
労苦に満ちた王宮暮らしが、姉の美しさを磨き上げ、花開かせていたのだろうと、心のなかで仰ぎ見た。
――これは……、暴虐の王も命懸けでご執心になるはずだわ……。うん、飲んじゃうな。怪しげな強壮薬、わたしでも飲んじゃうな。
と、すこし良くない考えも浮かぶほど、姉トゥイッカの美貌は華やかに輝いていた。
そして、晩餐会の最後に、
「妹ヴェーラは、ながく側妃――第2王妃でありながら、初夜を迎えぬままにオロフ陛下を亡くしました……」
――な、な、な、なにを言い出すのですか? 姉上? 姉君? 姉様? そんな……。
と、姉を凝視してしまった。
数多の男性貴族からの視線が、わたしに集まる。いや、女性貴族、ご令嬢たちもわたしを見てる。
――姉から妹が、18歳、既婚、処女と暴露される……、な……、なんの時間?
自分の顔が真っ赤なのが分かる。
「……まさしく〈白い結婚〉でした。オロフ陛下の清らかなる愛情を象徴するのが〈白い太后〉ヴェーラであると、
――白い結婚……。言われてみれば、そういう考え方もできる……のか……な?
臨終間近のオロフ陛下の指先が、貪るようにわたしの肌を這った感触を思い出し、鳥肌を立てながら苦笑いした。
――清らかなる愛情って……。
そして、ハッと今さらながら気が付いた。
――あれほど覚悟を固めていた、わたしが暴虐の王の閨に召される日は、訪れることがなくなったのか……。
怒涛の日々に押し流されるばかりで、自分のことを考える余裕がなかった。
「ですから、妹のことを〈白太后〉と呼ぶのが良いと
広大な大会堂に、割れんばかりの盛大な拍手が響き渡る。
わたしは、通称として〈白太后〉と呼称されることになった。
そして、王国中に、いや近隣諸国にも、わたしが処女だとひろく宣言された。
処女ヴェーラ、18歳。なお、未亡人。
いや……、別にいいんだけど……。
ほんとのことだし……、不名誉なことでもないし……、たぶん……。
ただ、わたし……、まだ多感なお年頃なのよね……。
カミル閣下の切れ長の瞳が、ジッとわたしを見てる気がするし……。
もう、姉様ったら……。
真っ赤にした顔を、しばらく上げることが出来なかった。
Ψ
気が付けば、暴虐の王オロフ陛下の死は、王国の空気をどこか軽くしていた。
幼い国王にかわり、わかく美しい王太后が執政の座に就いたことも、貴族や民の心を、どこか晴れやかにしている。
離宮暮らしの謎の王太側后(処女)が、どう思われているかはともかくとして……、
春の訪れと同時に、王国に明るい新時代の幕が開いたみたいだった。
そして、わたしの離宮も急に賑やかになった。
「おぉ~! これが噂の弓矢ですかぁ~!」
と、狩り小屋で目を輝かせているのは、わたしのひとつ歳下17歳の女騎士ミア・テュレンだ。
姉トゥイッカから、わたしの侍従騎士に加えるようにと頼み込まれたのだ。
はじめはフレイヤも「王宮からのスパイでは?」と警戒していた。
けれどすぐに、
「……あの娘、王宮からやっかい払いされましたわね」
と、苦笑いした。
とにかく元気で、なんでもズケズケ言うし、グイグイくるし、ケタケタ笑う。
王宮の近衛騎士だったらしいけど、とても務まるとは思えない。賑やかで。
そして、姉トゥイッカが頭を抱えたのが、
「ミア……、テュレン伯爵の娘なのよ……」
テュレン伯爵は枢密院顧問官で、王政を支える重臣29人のひとり。
わたしにオロフ陛下のご危篤を報せる密使を務めてくれた、謹厳な初老の紳士だ。
その娘となれば、無碍な扱いもできない。
言われてみれば、鮮やかな赤毛は父親譲りか。ただ顔立ちは溌剌と可愛らしく、体格も小柄。フレイヤよりすこし小さい。
テュレン伯爵の大きな鷲鼻が似なかったのは、女子としてはなによりだ。
伯爵が老いてから出来た末っ子で、のびのびと甘やかして育てたらしい。
「……といっても、ワガママではないし、剣の腕も立つし、ただ……、ちょっと、うるさいのよ。王宮で務めるには……」
と、姉トゥイッカの苦笑いを初めて見た。
いまも狩り小屋で、フレイヤが苦笑いして眺めている。
姉からのふたつ目の頼みごとであるし、わたしの離宮で引き取ることにした。
あとで、隠し部屋のアーヴィド王子にも、
「えらく、賑やかな娘が来たね」
と、苦笑いされた。
隠し部屋の入口は、それと知らなければ簡単にバレるようなことはない。
それよりも王国の貴族令嬢でもあるミアが、レトキ族の習俗である狩りに興味を持ってくれたのが嬉しくて、つい狩り小屋に入れてしまったのだ。
そして、王国貴族の全員に苦笑の渦を巻き起こすのではないかという勢いで、熱心にわたしの作った狩具を見学している。
「これはなんですか!? どうやって使うものなんですか!? なにを狩れるんですか!? どうやって作るのですか!? ヴェーラ陛下が作られたのですか!?」
とまあ、うるさいし、元気いいけど、意外と気品は備えているし、どこか憎めない。
やっぱり苦笑い気味に説明してあげると、
「ほへ~っ!?」
と、感心している。
一度、狩りに連れて行ってあげようか? と、わたしが言ったときだった。
ミアの視線がなにか一点を見詰めて、かたまっている。
なにが、この好奇心旺盛な娘の心をとらえたのだろうと、視線の先を見ると、山から戻ったイサクがいた。
「お、お名前は!?」
「……は?」
荷物を降ろしてしゃがんでいたイサクが、怪訝そうに顔をあげた。
「惚れました~~~~~~~っ!!」
「…………、はあ!?」
と、イサクとわたしとフレイヤの声がそろった。
「好きです! 結婚してください! あ、違う。お名前は!? アタシはミア、テュレン伯爵家の三女で……」
とりあえず、フレイヤが羽交い絞めにして、ミアを狩り小屋から追い出した。
ポカンと呆気にとられるイサクの顔がおかしくて、ぷっと吹き出してしまった。
だけど、眉間にシワを寄せたイサクの「どうされました?」という言葉で、
わたしの頬に、ひと筋の涙がつたっていることに気が付いた。
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