第4話:死んだよ
その日以降、私は三人と一緒に居ることが増えた。代わりに私を避ける人も現れ始めたが、三人と一緒なら何も怖くなかった。無敵になれた気がした。
海の第一印象はクールな人だったが、恋人の話をする時は乙女のように可愛らしかった。いつしか、彼女の口から恋人の話が出ることが苦しくなるほどに。けれど、恋人から奪う気にはなれなかった。自分は、楽しそうに恋人の話をする彼女が好きなのだと、自分に言い聞かせていた。
しかし、それから一年後、彼女は恋人と別れた。恋人は、男性を選んだらしい。憔悴しきった顔で語る彼女に、私たち三人は何も言ってあげられなかった。その話をした翌日から彼女は学校に来なくなった。
「月子と帆波は海の家知ってるの?」
「知ってるけど……今はそっとしておいてあげた方がいいと思う」
月子はそう言ったが、帆波は何も言わなかった。何か考え事をするように遠くを見つめていた。
海と会えないまま数ヶ月が過ぎ、高校三年になったある日のこと。帆波が私を呼び出して言った。「美夜、海のこと好き?」と。
「な、なに急に」
「いや……海が居なくなってからずっと元気無いからさぁ」
「……帆波は、あれから海に会った?」
「会ったよ」
「……そう。……元気そうにしてた?」
私の質問には答えず、彼女はスッと一枚の紙を差し出してきた。そこに書かれていたのは住所だった。
「海は今、カサブランカっていうバーで働いてる。これはその店の住所」
「バー!? 未成年なのに?」
「裏方だけなら法には触れないらしいよ」
「でも、どうしてバーで……」
「さぁ。詳しい話は本人に直接聞いたら? 海はあれから恋人出来てないみたいだし、チャンスだよ。あんな女のこと、忘れさせてやりなよ」
この時彼女は、どういうつもりで私に海の居場所を教えたのだろうか。当時の私はその意図を考えもせず、彼女にお礼を言ってその日のうちに海に会いに行った。彼女に会える。それがただ嬉しくて、帆波の意図など考える余裕なんてなかった。
帆波が教えてくれたバーの扉を恐る恐る開けると、アルコールの香りが鼻をくすぐった。明らかに、高校生は場違いな雰囲気だった。
「嬢ちゃん、いくつ? ここは未成年が来るようなところじゃないよ」
カウンターに座っていた男性が、ワイングラスを傾けながら諭すように言った。店内を見回すが、海の姿はどこにも無かった。聞こうにも、上手く声が出なかった。するとシェイカーを振っていたバーテンダーの男性が言う。「もしかして君、海くんに会いに来たの?」と。全力で頷くと、彼は「ちょっと待ってね」と言ってシェイカーの中身をグラスに出し切って客に提供してから裏に入って行った。客からの視線に耐えながら待っていると、バーテンダーの男性と一緒に不機嫌そうな海が出てきた。彼女は私を見ると驚くように目を見開いた。
「美夜……!?」
「海……」
「海くん、今日はもう上がっていいよ。友達と話してきな」
バーテンダーの男性がそう言うと、彼女はため息を吐き「外で待ってて。すぐ行く」と私に言った。素直に外に出て待っていると、言葉通り彼女はすぐに出てきてくれた。その姿を改めて見た瞬間、思わず涙と共に「生きてたんだ」と言葉を溢してしまった。彼女は勝手に殺すなよと苦笑し、ここに居ると分かった理由を問う。帆波に教えてもらったと素直に答えると、余計なことしやがってとため息を吐いた。冷めた態度に思わず、こっちがどれだけ心配したと思っているのかと怒ってしまうと、彼女は突然、学校辞めた日に死ぬつもりだったのだと話し始めた。
「は……? 死ぬって……なにを馬鹿なことを……」
「安心して。今はもうそんなつもりはないから」
学校辞めたあの日、死のうとしたところをたまたま目撃したバーテンダーの男性に止められ、なんやかんやで彼の店で働くことになったのだと彼女は語った。私の方は一切見てくれなかった。
「ああそれと、最近はもう一つ仕事を始めたんだ」
「もう一つ?」
「……風俗」
「は、はぁ!? ちょっと! あんた……」
「大丈夫。客は女性だから」
「いや、そうじゃなくて……そもそも未成年でしょう!?」
思わず肩を掴むと、彼女はようやく私を見た。そして微笑んで話を続ける。「僕はもう高校生じゃないし、十八歳以上だから法的には問題無いよ。別に僕は知らない女抱くことに抵抗ないし、むしろ好きだし。天職だよ」と。
私の知る彼女は、そんなことを言う人ではなかった。恋人に対して一途な人だった。知らない女を抱く仕事が楽しいなんて、嘘だ。嘘だと、言ってほしかった。
「あぁそう……元気そうで安心した」
「ははっ。顔と言葉が一致してねぇけど」
「……変わっちゃったね。海」
「幻滅した?」
へらへらと笑いながら彼女は言う。私の恋心に気付いて、わざと幻滅されるようなことを言っているのだとすぐに気付いた。だけど嫌いになれなくて、首を横に振る。彼女はため息を吐いて、ポケットからタバコを取り出して私に勧めた。身体に悪いからと断ると、彼女はだからこそ吸ってると答えた。長生きしたくないから寿命を縮めたくて吸っているのだと。風俗の仕事を始めたのも、自傷行為の一環なのだろう。
「ダサ」
思わず溢れた罵倒に、彼女は言い返すどころか同意した。そして改めて問う。「幻滅した?」と。その煩わしい恋心を早く捨てろと圧をかけてくる。
「あなたはそんな人じゃなかった」
「幻滅した?」
頼むから嫌いになってくれ。そんな彼女の想いは、むしろ逆効果だった。好きと溢すと、彼女は呆れるようにため息を吐いた。そしてまた目を逸らして話を続ける。
「……でも、君の好きな僕は今の僕とは違うんだろう?」
「……違わない」
「あなたはそんな人じゃなかったって自分で言ったじゃん。……君が好きな僕はもう死んだんだよ」
「死んでない。今目の前に居る」
「別人だよ」
意地でも冷たく突き放そうとする彼女に、思わず縋る。お願い、私を遠ざけようとしないでと。私を見据える冷たい瞳の奥では、私の好きな優しい彼女が今にも泣きそうな顔をして私を見ている。助けてと叫んでいる。そう信じたい私に、彼女は冷たく笑って言う。
「なら、うちにおいで。抱いてあげる」と。
動揺する私に、追い討ちをかけるように囁いた。「ずっとしたかったんだろう? 叶えてあげるよその夢」と。確かに私は彼女が好きだった。だけど、好きだったのは今の彼女ではない。恋人に一途な優しい彼女だった。今の彼女は違う。そのはずなのに、同じ顔をした目の前の冷たい人に抱いてあげると誘われ、心臓は高鳴っていた。
「ち、違う……そうじゃない……」
「何が違うの? 好きなんでしょ?」
「っ……」
言葉を失うと、彼女はふっと笑って優しく諭すように言った。「帰りなよ。美夜」と。
「嫌……帰りたくない……帰ったらあなた、二度と会ってくれないでしょう……?」
「その方がいいと思うよ。僕のことなんて忘れて新しい恋しなよ」
「忘れたくない……」
意地でも突き放そうとする彼女に必死に縋り付く。彼女は煩わしそうに舌打ちをすると深いため息を吐き「そこまで言うなら、一生忘れられないようにしてあげる」と言って私の手に指を絡めて歩き出した。引っかかっているだけで握り込まれていない手は、いつだって離せた。だけど離したら彼女とはもう会えない。私が好きだった優しい彼女にもう一度会いたい。元の彼女に戻ってほしい。きっと根は今も変わっていない。だからこれはただの脅し。本当に酷いことなんて彼女はしない。そう信じて彼女の手を握った私に、彼女は「やっぱ抱かれたいんじゃん」と呆れるように言う。
「ち、違う……」
「違わないよ。君は僕の見た目が好きなだけだ。中身なんてどうでも良い」
「よくない」
「なら、変わってしまった僕にショックを受けて、それでも好きと言えるのは何故? 今の僕は君の好きな僕とは違うんだろう?」
「違う……けど……違わない……」
「……はぁ」
話しているうちに、彼女の家に着いた。玄関のドアを開けて私を引き入れると彼女は、逃げるなら今のうちだよと優しく笑って忠告をした。その忠告を無視して、私は自ら玄関の鍵をかけた。
「か、帰らないから……」
「……ああそう。分かった」
冷たく返事をすると彼女は私の腕を引いて再び歩き出す。向かった先は寝室だった。置かれたベッドに向かって、彼女は乱暴に私を投げ倒して馬乗りになる。思わず押し返そうとすると、その腕を押さえつけて強引に唇を奪った。それが私の、ファーストキスだった。心臓が騒がしかったのは、恐怖や後悔だけのせいではなかった。
「……何その顔。言ったじゃん。抱くって。君の知る優しい僕は死んだって。今の僕は平気でこういうこと出来るクズだよ。……だからさ、逃げなよ。美夜」
彼女はそう言うと押さえつけた腕を離し、私の上から退こうとした。今のキスは脅しだ。それ以上踏み込んだらこれくらいじゃ済まないぞという脅し。だけどその脅しが、逆に私の恋心に火をつけてしまった。衝動のままに、離れようとする彼女の首に腕を回して唇を奪う。
「……好きなの。あなたが。……どうしようもないくらい、好きなの」
涙と共に溢れた言葉に、彼女は「馬鹿が……」と恨めしそうに返し、もう一度唇を重ね、優しく私を抱いた。遠ざけるために傷つけるようなことをしたくせに、恋人を抱くように丁寧に。仕事でもそんな風にしているのだろうか。彼女の意図が分からなくて苦しいのに、拒むどころか、身体は彼女を求めてしまう。
「っ……美夜……」
溢れた私を呼ぶ声は、勘違いしてしまいそうなくらい切なかった。どんな顔をしているのか見たくなくて彼女の胸に顔を埋めた。この時ちゃんと見ておけば、彼女と向き合っておけば、彼女を救えたのだろうか。
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