波に委ねて

小狸・飯島西諺

短編

 中学の三者面談を終え、母とどうでもいい会話をしながら、私は家に帰っていた。母と先生は私の成績を褒めてくれたけれど、その言葉は一ミリも私に響かなかった。彼女らが見ているのは成績であって、私ではないからである。


 なりたいものもない。


 したいことが、あるわけでもない。


 なぜなら大人たちの言う「現実」とやらでは、それは叶わないことになっているからである。


 中学くらいからになると、大人たちは急に「現実」を語り始める。


 まるで自分は人生の先輩で、酸いも甘いも噛み締めてきた人間であると誇張しながら。


 いや、実際人生の先輩というのはそうなのだろうが、それは世代差や時世の差を無視している。急に親面されて人生を語られても、私には私なりの、積み重ねてきた人生観がある。


 人間は生まれた時から序列が付けられている。


 親の所得や容姿がまさにそうだろう。


 可愛い子はアイドルになれるし、親が金持ちの子は医者になれる。


 私には何もない。


 人より多少お勉強ができる。それだけである――それも市内中学だけの序列付けの話である。世の中は広い。きっと高校に出たら、私は「井の中の蛙大海を知らず」状態になるのだろう。


 毎日鏡で自分の顔を突き合わせているけれど、間違っても私は器量が良いとは言えないから、アイドルなんて夢のまた夢だろう。それに医師なんていう責任と責任と責任の伴う仕事はしたくない。人の命を預かる? どちらも無理である。


 かといって、何もしたくないとも断言できないのが、この私である。


 何もしなければ、ニートや引きこもりと言われたくない。


 指を差されて笑われたくない。


 何かには、ならなければいけないのだ。


 でも、一体何に?


 母に一度、真剣に相談してみたことがある。


 将来やりたいことが分からない。どうすればいいのか分からない、と。


 母は、こう答えた。


 ――まだ定まっていなくとも大丈夫だよ。


 ――このままで良いんだよ。


 ――いずれ見つかるよ。


 ――いつか分かるよ。


 ――これからの人生でそれを探すんだよ。


 と。


 適当でそれっぽい、曖昧な言葉を言われてしまった。


 子どもながらに、この人に相談するのはもう辞めようと思ったものだった。


 このままで良いわけがないだろう、私が引きこもりやニートになったら、世話してくれるとでもいうのか。嘘だ。働け、仕事しろ、と言うに決まっている。母には、今の成績しか見えていない。数値化された人より少し良いだけの成績が、母の自尊心を満たす。


 いずれっていつだ。


 いつかっていつだ。


 これからの人生って、いつまでこの状態でいれば良いんだ。


 


 早く始める人は、もう既に準備を始めていることだろう。


 私の人生は、こうしている間にも消費されてゆく。


 焦りだけが、私の中に募っていた。


 そんな夏休み。


「あ」


 クラスメイトに、偶然近くの図書館で出会った。


 男子であった。


 小学校時代から、時々話すことのある男子である、大人しく肌が白く、いつも図書室に籠っているような子で――六年生の時、一時は「デキている」なんて嫌な噂を流されたこともあった。そこから何となく疎遠になって、だから、こうして真正面から遭遇したのは、久しぶりであった。


 1学期の中間も期末も、私が学年1位を取って、彼は学年2位であった。


「や、朝倉あさくらさん。何してんの?」


「ああ。うん、ちょっと読書感想文の本を借りに来たってだけ。君は何してるの?」


「あー、うーん、何ていうか。勉強?」


 戸惑っている? 

 

 彼が?


 見たところ、勉強をしている――ようには見えたけれど、置いてある本から、それは違うのだろうと確信することができた。


 ちらりと、彼の手の隙間から、その本の題名が見えてしまった。


『小説家になるには!』


「君、小説家目指しているの?」


「あはは、バレちゃったか。この図書館なら、同じ中学の奴、いないと思って油断してたな」


 そう言って、照れながら、彼は続けた。


「うん、そうだよ。目指している。ホントに目指しているのは脚本家だけどね」


「……そのために、今から脚本の勉強、しているってこと?」


「うーん、まあ、色々な『小説家のなり方』みたいな本を読んだんだけど、結局一番は、書き続けることが力になるって書いてあるから、今実際に書いてみているところなんだ。流石に見せらないよ? 恥ずかしいし」


「ふうん」


 書いて、いるのか。


 その脚本の内容にも興味があったけれど、私が一番驚いたのは、彼がもう既に、将来を決めているということだった。


「なんか、すごいね」


「何が?」


「いや、中1で夢持って、それに向かって努力している、それって、すごいと思う」


「そうかな」


「そうだよ。大抵の人は、何も決めきれず、何となく高校入って、何となく大学入って、何となく、就きたくもない職業に就いて――少なくとも私の周りは、そういう人ばかりだった。それで幸せだって自分を錯覚させているような、人たちばかりだった」


「……まあ、皆流されて生きちゃうような世の中ではあるからね。波に委ねているだけじゃ、僕は駄目になっちゃう類の人間だって思っている。でも、そんな生き方も別にアリだと思うよ。本人が、幸せだと思えば。結局本人の感じ方の問題ってのが大きいんじゃないかな。何になろうとも、何になれなくとも、幸せになることはできるんだし」


「幸せ、かあ」


 深いね、と私は言った。


 浅いよ、と彼は笑った。


「きっと僕よりも、もっと人生をより深く考えている人からすれば、『脚本家なんて今から目指すなんて無謀だ』『競争率が高すぎる』って言うだろうね。逆に、いつか、どの作家先生だったか忘れてしまったけれど、『作家は誰にでもなれる』『だから初めから目指すものじゃない』と称した方がいてさ。その通りだとも思うんだ。実際書いてみて、色々と分かったよ。パソコンとキーボードさえあれば、誰にでも書けるんだ。でも、それでも、僕の脚本は、僕にしか書けない。そう思って、そう思い込んで、僕は夏休みを過ごすつもりだよ。ある意味、朝倉さんの言うような錯覚かな。目指せ今年中に一作、って感じだけどね」


 ひらひらと原稿用紙を揺らめかしながら、彼は笑った。そこには、びっしりと文字が書かれていて、どきりとした。


「それで――もし脚本家になれなくとも、君は良いの?」


「なれなかった時のことは、なれなかったその時に考えれば良いと思っているよ。僕はそれで良いし、これで良いんだ。だって自分で選んだ生き方なんだからね」


「……そっか」


 自分で選んだ生き方。


 それはあくまで、彼の生き方の指針であって、私の生き方ではないけれど。


 今までの、暗闇の中で全て諦めて波に流されるままの私とは違う。彼のその言葉が、決定的な分岐点となったことは、間違いなかった。


 そうか。


 


 後悔しようともせずとも、自分で選んだんだから。


 私は家に帰って、この前母に買ってもらった職業指南書を開いた。


 まずは、どんな職業があるかを、知らなければならない。


 焦ることはない。


 ただ、私はこのままの私では、嫌だと思ったのだ。


 波にあらがおうと、私は決めた。




(「波にゆだねて」――了)

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