第37話 第七犠牲者(4)

「むぅ……こいつは……」


 その一部始終を、ロビーでホランドはスマートフォンの映像を通して見ている。サングラスを拭きながら、自身が理解を深めるために呟く。


「ルールを把握してるゴードンが、殺す強さで締めた訳は無い。あれは失神のはずだ。だが、ダブルKOとなると」


 一時間で目覚めなければ、ゴードンの右目は貫かれる事になる。


「いやこの場合……ルールの対象は俺って事になるのか? デジタル越しでも『見た』と判定されるのか? クソ、あのガキは……」


 画面の中では足だけが映るイグナスは、ぴくりともしない。


「ちっ。まあこの期に及んで見る訳が無い、か」 


 ホランドは口にチョコレートを放り込み、淹れたコーヒーで甘さを溶かしながら考える。

 どちらにせよ阻止するのは簡単な事だ。地下に降りて、ゴードンを起こせば良い。

 だがそれは、クチナとの直接接触の危険性を孕む。


「――様子を見よう。どの道一時間近くはセーフティだ」


 ホランドはあっさりとそう棚上げする。今ここに、他の仲間達がまだいたならば、彼は何がしかの行動を起こしただろう。しかし、最早この館に残るは彼とゴードンのみだ。

 であれば、今のホランドは――自身の安全を最優先する。


「情報が欲しい。日々の眠りじゃなく、外からの干渉で気絶したこの化け物は、何をする?」


 それとも、何も出来ないのか。ならばこれでゲームセットだ、とホランドは画面を睨む。

 時計表示は、午前五時二十分。

 持久戦だ。ホランドはコーヒーを淹れ直した。


 ――そこから十分は、何事も無く過ぎた。

 変化はホランドが一度便所に立ち、戻ってきた時。


「! おいおいおい」


 クチナが。ベッドから上体を起こしていた。慌ててホランドはソファに座る。

 スマートフォンの画面の中で、彼女はゆるゆると周囲を見回している。


「? 何だ……?」


 そのクチナの顔に違和感を覚え、ホランドは首を捻る。

 ――カメラ越しのやや荒い映像では、クチナの瞳の色が金色になっている事には気付きづらかった。


『ふ、ふ、ふ』


 クチナは横にうつ伏せになっているゴードンを見て、愉快そうに笑った。


『んっ、よいしょ……っと』


 彼女は、少しだけ苦労してゴードンを仰向けに返した。


「何をするつもりだ……?」


 ベッドに膝を乗せたクチナが、まるでトカゲのように手を付いて、至近からゴードンを眺めている。


『あは――――』


 その笑い声はたまらなく嬉しそうで、まるで知りたくてたまらない秘密を暴く喜びに満ちているような声音だった。

 クチナの手がそっと、愛撫するようにゴードンの腹を撫でた。――誰が気付こう。それは、彼女が首を絞められた時にしていた手つきと同様であると。

 そのまま、彼女は腰をくねらせて脚を上げ、ゴードンの体に跨がった。そして僅かに、しかし確かに存在する体の隆起を密着させる。

 艶めかしく、淫靡に。黒のナイトドレスの少女が、太股も露わに男の体の上に這っている。


「――あのバケモノ女、おっさん趣味か何かか?」


 裏ロリータポルノじみた展開に、ホランドは顔をしかめ――


「あ!」


 一転、はっとする。もし――気絶したままのゴードンを、クチナが犯したならば。


「まずいぞ……!」


 ば、と首を並んで寝ている仲間達――ブルースへと向ける。クチナを襲い、股間に大穴を開けられた、彼の二の舞になるのだとしたら。


「向こうからヤっても、危害を加えたって判定になるとしたら……」


 流石に、ただ殺されるならば黙って見ている訳にはいかなかった。ゴードンは起こせばまだ働いてくれる。


「くそ! 行くしか――?」

『………………うう』


 立ち上がったホランドは、スマートフォンから僅かに聞こえた男の声にばっと振り向いて、再び画面を注視した。



 ゴードンが、目覚めていた。 うっすらと視界が開く。ゴードンは覚醒した瞬間、素早く頭脳を働かせた。


(私は何分気絶していた? クチナ=ホオズキは部屋にいるか? あの娘を見なければ。意識の無い時に質問されていた場合はどうなるのだ?)


 だが。回転する思考を嘲笑うかのように、開いた視界の至近にクチナの顔があった。金色の瞳と、目が合う。


「おはようございます、ゴードンさん」

「……!」


 どくん、と脳内で血流が走る感覚をゴードンは得る。記憶が想起されている。


「やめろ……!」


 声は、自身の脳と目の前の少女、両方に向けられていた。


「どうしてですか? こうされていると、誰かを思い出すからですか?」

「な――」


 思わず、クチナからの質問にも関わらず声を失った。そんなゴードンの体を、艶めかしく動く少女の掌が、熱持つ吐息が優しく擦る。


「ふふ、私の手に、はっとしていましたものね。?」

「違う……似ていない……!」


 反射的に答えながら、嘘だとゴードンは思っていた。それを糾弾するように、クチナは言葉を連ねる。


「毎日お祈りして、毎週教会に行って。


 クチナとの会話で、ゴードンははっきり自身の来歴を語った訳では無い。だが、完全に答えないという事も、彼女のルール故にまた出来なかった。

 クチナは数々の断片的な答えと、ゴードンの反応――身じろぎ、視線の動きを含めた反射と癖――を観察し、彼の人生に起こった『何か』を組み立てていた。


奥様と娘さん」

「やめろ……」

「それと、おしごと」


 耳に入る言葉、触る手。それらがゴードンの記憶を嫌でも呼び覚ます。


「正義に燃えて、尊い任務で行かれたのですよね?」

「違うんだ」

「御無事に帰り着いて、良かったのでは?」

「違う……」

「何が、あったんですか――?」


 駄目だ、黙るな。質問だ。答えろ。何か。ああ、でも。

 思い出すな。思い出すな。思い出すな。


派兵。砂。ゲリラ掃討。暑い。歩く村人を撃つ。民家のドアを開けて撃つ。神よ。「お前はタフな奴だ」倒れた、娘と同じ年頃の。爆発。腕だけの戦友。吹き飛ばす。家ごと。「アレはゲリラを支援する家だ」本当です。瓦礫から見える腕だけの子供の。神よ。ゲリラなんだ。本当です。神よ。帰還。「五年もよくやってくれた」お許しください。自分の家。知らぬ人間の臭い。寝室。五年。絡み合っている何か。罵声。「今頃何よ」硝煙。飛び散る血。神よ。面影だけ残して変貌した娘。細い体の殴打の痕。五年。「埋めよ、パパ」血塗れのベッドシーツ。「間男と逃げた事にしてさ」絡みつく細い腕。五年。神よ。優しく腹を撫でる手。「もう離さないで、パパ」突き放せなかった。粘膜。熱い。自分と違う、若く弾けるような肉体。お許しくださるな。転がる注射針。銃声。墓。神よ。



「うう、ううううううう、うううううううううううううう」


 超常の力など使わずとも、人を壊す術はある。


「あは、あはは。うふふふふふふふふ」


 クチナ=ホオズキは、瞳をぐるぐると忙しなく動かすゴードンをすぐ近くで眺めている。


「蛇、め……」


 背徳の園で唆すもの。この少女はまるでそれだ。

 そしてそれは、容赦など無い。


「奥様、どうされたのですか?」

「う……あ…………」


 金眼を見返しながら、言えない。ゴードンは言えない。

 そんな彼を、たまらなく愉し気に、淫靡に。魔性の蛇は笑って見ている。


「ああ……、いけませんよゴードンさん。もう二度目です」


 いけない? そうだ駄目だ。でも何がいけないんだ。

 心は千々に乱れて、荒い過呼吸、冷や汗が次から次へと流れ出る。

 そんなゴードンの胸へと、誘惑の蛇のように服の上から口づけて。

 クチナは最後の問いを投げかけた。


「――娘さんと、何をなさったのですか?」


 言えない。思い出した。三回。ルールは分かっている。それでもゴードンは。


(この女は、悪魔だ。楽園でアダムを唆した、蛇の化身だ)


 これまで罪深き我が心を保ってくださった、神の御名において。

 このような罪を、悪魔に懺悔などしてたまるものか。

 


(この罪は私と、神だけのものだ)


 信仰にかけて。


「――――――――――――――――」


 その苦悩と穢れた信仰の中で口を閉ざしたゴードンの顔を見て。

 音も無く。クチナは大きく、大きく口を開けて、最上の笑顔を形作った。ゴードンは、それを見る。


(なんという、楽しそうな、顔をする――)


 その視界が、波打つ赤い肉に塞がれた。


 見よ。その肉の上下には牙がある。

 それはアンディの、ファズの、イグナスの目を貫いたそれだ。

 開かれた口が、その中の肉を、今から呑まれる者だけに晒している。

 それを見ている彼の者は既に、彼岸に在るがゆえに。

 泣き叫ぶ哀れなエーラが、最期に見た光景だ。

 そして今、ゴードンも。



 スマートフォンの画面の中で。ぞる、と。宙の見えない何かに呑み込まれるかの如く、ゴードンの頭が消えた。


「………………………………!」


 ホランドは絶句する。

 次いで、クチナが跨がったままのゴードンの上半身が持ち上がり、虚空へ消えていく。ゆっくりと、しかし止まらず。不可視の喉の蠕動すら感じさせるように。

 ごくり、ごくりと。無音の嚥下が。


「ゴー、ドン……」


 彼の体が腰まで消えた時、僅かにびくんと、一度だけ足が震えた。

 それを最後に。ゴードンの体は、地下室から、ベッドの上から、スマートフォンの画面から。

 跡形も無く消え去った。

 最後には、ベッドに膝で立つクチナ=ホオズキだけが残っていた。


「嗚呼、ふふ、可哀想な方――」


 哀れむような、悦に入るような顔で。

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