第6話 第一犠牲者(3)
「あああああ……ぎぃぃあああああ」
地下室の中で。アンディの呻き声は未だに続いている。
(なんだ? なに? なにがあったの?)
それを見るイグナスは混乱の極致だ。悲鳴で目が覚めた時、彼が思った事は、
「いけない、おねえちゃんが自分を見てろって言ったのにねちゃった」
であったが、目に入った光景でそんな思いは吹き飛んだ。
「ひぎっ、ぎぐぐぐ、があぁぁ……!」
意識が落ちる前の最後の記憶では、誘拐グループの一人――アンディはただゲームをしていただけだ。それだけで、イグナスは指一本触れてはいない。
(そ、それなのに……! あいつの目? 目が。おねえちゃんが何かしたのか!?)
しかし、クチナもまたイグナスの最後の記憶とほとんど変わらず、ベッドの上で困ったようにアンディを眺めている。服装の乱れも無い――と。
「あら、起きられたのですね。良かったです」
彼女はイグナスの方を振り向いて意味が分からない事を言った。
「おい! 何してんだ!」
「っ!」
勢いよく扉を開け、入ってきたのはブルースだ。クチナもそちらを振り向く。イグナスは繰り返し殴られた記憶が甦り、とっさにベッドの陰に身を隠した。
ブルースが、床でのたうち血を流す顔を抑えるアンディと、それをベッドから気の毒そうに見つめるクチナを認めた。
「痛い、痛い、いだぃいいいいいぃいぃいい」
「アンディ! おい、どうした!」
「ああああ、はがあ、いぎいぃぃ」
尋常でない様子を、ベッドの端から恐る恐るイグナスが覗き見る。床で息荒く悶えるアンディを、ブルースが屈み込んで確かめていた。
「おいお前、何をした。それともそこのガキか?」
「ちっ、ちが……! ぼくじゃ」
スキンヘッドの男がクチナ達へ凄むが、彼女は困った顔のまま首を傾げる。
「大丈夫だと仰っていたのですけれど……」
「ああ!? 何訳の分からねえ事……?」
そこまで言って、彼等はクチナとイグナス、両者の服にも手にも、返り血ひとつ無いと気付いた。アンディの傷と流血に比して、明らかに綺麗すぎた。
「うわ、こりゃひでえ。見ろよダイソン」
ブルースの声に、スキンヘッド――ダイソンと呼ばれた男はそちらを向く。そこでは、ブルースに手をどけられたアンディの顔が見えていた。
血で真っ赤に染まる右の瞳。中心に黒い穴を開けられていた。
「うえ、ぇ……!」
女性の一人が口元を押さえた。イグナスも思いは似たようなものだ。
瞳孔に重なるような、五ミリ程度の丸い穴だ。かなり傷は深い。失明もあり得る――と見る者に思わせるものだった。
「やってくれたな、ったく……おい、一旦アンディ運び出すぞ。誰か鍵頼むわ」
ブルースがそう言って呻くアンディに肩を貸し、地下室を出て行く。気味悪げに他の者も出ていき、最後まで残った壮年の男が、クチナを見つめていた。
イグナスを全く無視して、クチナだけをだ。彼は自分に確認するように呟いた。
「……眼鏡は半分ずれていたが、アンディの耳にかかっていた。だが眼鏡には傷ひとつ無かった。そしてアンディは確かに貧弱ではあるが、それでも成人男性だ」
漏れ聞こえたイグナスには理解の追い付かない事であったが――
つまり男は、アンディに輪をかけて華奢な少女が、眼鏡をかけた彼の目玉だけを、鋭利な何かで貫いたという事実を怪しんでいるのだった。
「――見張っておくべきだな」
そう言って、椅子に座った。どうすべきか。迷って、イグナスがクチナを見る。
にこり、と。クチナは、全く動ずる事も無く。その男を見て笑っていた。
「ゴードンだ。……よろしく、お嬢さん」
名乗った男は、クチナを見返す。
目を潰され叫び回る男と同室にいて、その男が運び出されて。それがどうかしたのか――と言うように泰然とした、彼女を。
「あまり、目をお離しにならないでね。でないと――」
でないと、どうなる。男が問い返す前に、彼女はふっと視線を外した。
ゴードンは咳払いをひとつ。彼女を見つめた。
(な、なにが、起こってるの……?)
そんな渦中で、ただ一人。騒ぎから弾き出されたように。
イグナスは、混乱の中で狼狽える他無かった。
◇
誘拐グループ達はロビーに戻り、瞳を洗浄しガーゼと包帯で応急処置をしたアンディを寝かせている。
「痛い、痛いぃ……」
「おいアンディ、とりあえず何をされたか言え。女か? ガキか?」
ホランドが問うが、アンディは首を弱々しく振った。
「わか、いぎぃ、分かんないよ。彼女は、ひぃ、ベッドにいたはずなんだ。子供の方も、あぁぁ、座って、ぎぃぃ。そ、そしたら急に、うぐ、目に黒い点が……ぐ……病院、病院に……」
ちっ、とホランドは立ち上がって舌打ちする。
「駄目だこりゃ、錯乱してやがる」
「傷口は指より細かった。あのガキ、ドライバーか何か隠し持ってるんじゃねえか?」
「あのナイトドレスひとつで連れてきたんだぞ? まあ仮に刃物のひとつやふたつ隠し持ってたとしても、ゴードンならまさかはないだろうがな……」
壮年の男――ゴードンには、リーダー格のホランドも一目置いているようであった。
「それより、アンディ病院連れてかなくていいの? しんどそうだけど」
パンクファッションの女が顔をしかめて聞いた。ホランドは嘆息して首を左右に振る。
「少なくとも今晩は駄目だ。誘拐殺人事件で町は今捜査中だ」
彼等は仮に捕まっても、『ストラ』の庇護により結局は不起訴となるだろうが、それを頼みに犯行自体はかなり大胆に行われている。車を見た人間はそれなりにいるだろう。
「孤児のガキどもさらった時とは違うんだ。今回のお嬢さんはな」
そして、この場所は山の上だ。病院に行くにしろ、救急車を呼ぶにしろ誘拐に使った車は人目についてしまう。
「警察だって犯行現場近辺で目撃された不審車を見つけりゃ、事情聴取くらいはする。そうなりゃ明日朝の『ストラ』への引き渡しはおじゃんだ」
「そん、そんなぁ……焼け、焼けるみたいに。目が熱いんだよぉ」
「片目だ、死にはしない。終われば病院連れて行ってやるから我慢してろ。そもそもお前が、あんなガキども相手に下手打つからいけない」
哀れを誘うアンディの声に、ホランドが冷たく告げた。
やむなし、という空気がロビーに広がって、誘拐グループはそれぞれに盛り下がった表情になる。
「ちっ……あんなガキに仲間やられて黙ってんのも面白くねえ。おいホランド、身代金の電話しちまおうぜ。この不祥事の責任も親に取らせようや」
舌打ちしたブルースが顔を上げた。時間は現在、夜の八時。ホオズキ家の父親が連絡を受けて帰るには充分な時間だ。
「ン……そうだな。ブルース、頼む」
リーダーの許可を受けたブルースが、クチナと共に屋敷から持ってきた白いスマートフォンを取り出し――誘拐した時からスリープ機能を切っていた――、連絡帳から『お父様』と書かれた連絡先をタップする。
「はっ。お父様、と来たかよ」
コール音。ざざっ、ざざ、と。奇妙なノイズが走った。
「電波悪いか……いや、繋がったな」
呼び出し音が一度終わる前に、電話は繋がった。
『――ホオズキだが』
スピーカーにしたスマートフォンから、疲れたような中年男性の声が返ってくる。ブルースはアンディを除いた仲間達と頷き合う。
「ミスターホオズキ。こんばんは。いい夜だ。苦労が多いな?」
数秒の沈黙が返る。ブルースはこの台詞が言いたかった、とばかりに言葉を続けた。
「心配事はひとつずつ消していかないとな。アンタんとこのお嬢さんを預かってる」
息を呑む声が聞こえた。これだよ、とブルースは嗜虐的な快感を噛みしめる。
『お……お前達! あれをさらったのか!』
ホオズキ――家の主であり、クチナの父であるジロウ=ホオズキの、切迫した声がロビーに響いた。
先ほどまでの不機嫌が吹き飛んだ顔で、ブルースはにやにや笑いを浮かべた。
「そうだよ。クチナちゃんは預かってる。シッター代として――そうだな、五百万ドル払ってくれりゃいい」
再び、沈黙。電波の先の焦燥を想像して楽しみ、ブルースは付け加える。
「娘さん、随分駄々っ子だな? ウチの仲間が一人痛い目に遭わされちまったよ。その分の金も貰わないとなあ」
「…………!」
身代金交渉のセオリーとして、プロの交渉人を雇っての値引き要求があるだろうが、そもそもホランド達に付き合う気は無い。
(そもそも返す気が無いしな。金が振り込まれる頃には、あんたの娘さんは金持ち共の遊びの的だ)
サディスティックな想像を脳内で遊ばせながら、口座を伝える。
お決まりの警察に言えば無事は保証しない云々――等とも言っておく。正直なところ『ストラ』の庇護を受ける彼等にとっては必要ない口上なのだが、こういうのは様式美だ、とブルースは思っている。
さあどう来るか、と彼は仲間と瞳を見合わせて笑った。だが、
『――いいか。君か、君達かは知らんが。今から言う事を良く聞け』
電話口から返ったのはこんな言葉だった。
「ああ? 何を――」
『アレはどこかの一室に閉じ込めなさい。その上で、いいか、これが重要だ。誰かが常に見ているように。さもなくば、大変な事になる』
流れるように。ジロウ=ホオズキは文面を読み上げるように告げる。
「あん?」
『君達が殺害したのは、うちのその役目の者達だ。一時間以上目を離すのはいけない。まずこれを覚えておけ』
「はあ? 一体何のことを」
『用足しなどで一時的に目を離すのは大丈夫だ。しかし――』
ブルースの事を全く無視するような調子に、彼のこめかみに血管が浮いた。
「おい! いい加減にしろや!」
『アレに見られて目を合わせた場合は、目を――』
かっ、とブルースの脳内が憤怒に染まる。
「もういい! 黙ってろこのカルトのキチガイが!」
◇
「目を――おい! もしもし! もしもし?」
切られた。そう思いながらジロウ=ホオズキはスマートフォンをポケットに仕舞った。
ホオズキ家だ。誘拐に入られた家は、未だあちこちにその痕跡を残している。
「くそ、堪え性の無い若造が。伝え方を失敗したな」
誘拐に加え、二件の殺人も行われた犯行だというのに、現場検証にやってきた警察はおざなりに仕事を済ませて帰っていった。
「……碌な捜査進捗も出まいな、これでは」
「申し訳御座いません、ジロウ様」
誘拐グループに拘束されていた執事に、ジロウは首を左右へ振った。
「いや、いい。君らが無事で幸いだった」
そうして彼は、先刻まで立入禁止のテープが貼られていた、クチナの部屋がある離れへ視線を飛ばす。
「あの二人は……可哀想な事をした」
誘拐されるクチナを取り戻そうとし、銃で殺されてしまったのが彼等だ。クチナのために雇っていた人員である。
「彼等は、長く勤めておりましたから……」
「残念だ。家族には見舞金を出さねばな」
死者を悼むようでいて――彼等の口ぶりは、それが前座でしかないという様子だった。
一人娘が誘拐された。それこそが、目下最大の問題だと。
とはいえそれは血を分けた子供であり、未だ進行形の事件である事を考えれば無理からぬ事とも言えるが――しかし、ホオズキ家の当主と執事の表情からは、決してそれだけでは無い苦渋が満ちていた。
「彼等の目的は身代金でしょう。もう一度、かけてきてくれれば良いのですが」
重々しくジロウが頷く。
「うむ……そうだな。アレがとぐろを巻く前に」
◇
「もういい! 黙ってろこのカルトのキチガイが!」
罵声と共に、ブルースが通話を切る。舌打ちして、ソファに乱暴に背をもたれた。
「ちょっとブルース――」
「聞いてたろケリーも。ワケ分からねえ事をグダグダと。家をあんな風にしてる奴だ。カルトのイカれた教義聞かされるだけだぜ」
不満そうなパンクファッションの女――ケリーへ、ブルースがうるさそうに手を振った。
「まあ、必要最低限の事は伝えたんだ。もう少ししてからまた電話してもいいだろう」
ホランドが場を取り成して、未だ呻いているアンディを眺めた。
「何をするか分からん娘ってのは確かだ。見張りはいるだろうな」
それに、ブルースが上機嫌で立ち上がった。
「なら俺に任しとけよ。跳ねっ返りを大人しくさせるのは馴れたもんだ」
その口元に、好色な笑みが浮かんでいる。
◇
「あのこのかあさん おめかししたの
ほんのすこしの あいだだけ
あのこからめを はなしてすぐに
からだをきゅっと ほそめてしぼって
あかいふくきて ころげてた
あのこのばばさま どこかへいった
ほそくなった およめのかわり
あのこをみてたの しろくじちゅう
あれなにこれなに あのこがきくから
やかましやかまし どこかへいった」
地下室に、歌が響いている。星夜に鳴る草木のさざめきのような。
声の主は、ベッドに腰掛ける少女――クチナだ。
(なんだろう。ニホンの曲、みたいな――あ)
そこまで思って、イグナスは気付いた。歌の歌詞は英語に変えられてはいるが、クチナはそもそも日本人の容姿で、名前もそうだ。
ゴードンは歌を止めるでもなく、彼女を観察している。
「めがつぶれ めがつぶれ――」
そのまま、牧歌的な曲調にどこか不穏な調子を滲ませて、歌は終わった。
(なんだったんだろう……)
イグナスは拍手したものかどうか、悩みながらそれを聞いた。
「んん……英詩にしてみましたけれど、すこぅし音程がいまいちでしたね」
クチナは、まるでゴードンがいないものであるかのように振る舞う。くすくすと笑って、イグナスに視線を向けた。
「ねえ、今の歌。よおく覚えておいでなさい、貴方。でないと――」
でないと、どうなる。イグナスとゴードンの無言の問いにも、クチナはそれきり答えなかった。ただ涼やかな歌声が、再び地下室に再び響き始めた。
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