丘の上の雑貨屋と魔王モール

登石ゆのみ

第1話 転生、100億借金、土器の少女

 その森の闇は、不安に満ちていた。

 空には紅を一滴落としたような、赤金色の月。


 襲いかかる巨体のモンスター。

 飛び出した小さな影。

 赤い魔法の光。蹴り。

 逃げていく巨体。


 「大丈夫。私は……味方だから」


 そう言うと小さな影はゆっくりと――倒れた。

 

 これが彼女、――ルルドナとの出会いだった。


***  

 ブラック企業を転々とし、空白の10年間を引きこもってネットばかり見て過ごし、コンビニバイトを一日でクビになり、トラックにはねられて、転生した俺。


 気がつくと谷間の山村を見下ろす丘の上にいた。  

 広大ななだらかな草原、だけど、どこか懐かしい風景。

 姿形は転生前の若返った普段着の格好。黒いズボンに無地の灰色ワイシャツに深緑の薄いハーフコート。

「ああ……転生か」


 ――そこで重大なことに気がつく。

「ここの土、かなり上質だ! いい焼き物ができるぞ!」


 ……最高じゃないか! 土こねてスローライフ系の異世界ライフを楽しもう!

 すぐ近くに、立派な屋敷がある。 玄関に張り紙が書かれていた。


『売り家、1000万ゲル』(文字は自動翻訳)


「これって、いくらくらいの価値なんだ……?」


 張り紙に書かれている住所を頼りに、ふもとの町の不動産へいった。


***

「これはこれは、日本からの転生者さま! 実は私もでして!」

「あ、そうなんですか」

「通貨価値も同じ、生活水準もほぼ同じ!」


 1ゲルが約1円らしい。


「ということは1000万ゲルも妥当か」

「そうです! 今なら転生者ローンもあります!」


 大きな屋敷に大きな山がついて1000万なら、妥当な気がする。特に良質な土があるし。


 ――結果、買ってしまった。


 細かいことは気にしていられない。サインをして屋敷に戻る。

「スローライフ、やるぞ!」

 丘の上の空き家の前で拳を突き出す。


***

 ――だけど、機嫌良くスタートできたのは、わずか半日だった。

 機嫌よく土をこねていると、契約書が届いた。

 ……それを読んで目を疑った。


『ゼロが多くて桁を言い間違っていました。そこ、100億ゲルです。しかし契約済みですので、いかなることがあろうと変更は許されません。年利は1億ゲルです』    


(転生前、時給1000円だった俺の、年の利子支払額が1億……? )


 転生したのに借金スタートかよ。

 混乱した俺は……粘土をこねだした。

 精神安定には粘土をこねるのが一番だ。


***

 しばらくしても粘土は、水の配分を間違ったのか、全然固くならない。

「あれ、固まらない……」


〈ポタポタ……〉


 涙が落ち続け、粘土は固まりきれなくなっていた。

 悲しいんじゃない。……もっと別の、虚しいとか悔しいとか入り交じった別の感情だ。

 転生し人生をやり直そうとしたのに、すぐに騙される。


 ――もう、この俺という人間そのものが、むなしすぎる。


「転生したのに、全然変われてない……。俺が、いったい何したんだよ……」

 泥を足し、程よく硬くした。

「粘土細工で借金なんてすぐ返してみせる」


 空元気でも、そう言わずにいられなかった。

 ……粘土細工を、ハニワの形に整え家を飛び出す。


 ***

 森の中を進む。残された創作物……ハニワが、静かに俺を見ている――そんな気がして、振り返れないまま山道を進む。目的地もない。

 行けども行けども、同じ木々と土の匂い。

 足音が吸い込まれるようで、不気味なほど静かだった。

 その沈黙を破るように、茂みの奥から――咆哮。


〈グオォォ……!〉


「これ、ヤバい……?」

 森から現れたのは、クマとゴブリンを合わせたような巨大モンスター。


「クマゴブリンってやつか……」


  心臓の音が喉の奥からこみ上がる。鋭い爪が月光を反射している。

 走り出す。逃げ場はない。

 道なき道を進むが、すぐ追いつかれ、転んでしまう。

 巨大な腕が振り上げられる。


「だ、だれか……!」


 その瞬間――

 ドッと胸が鳴る。

 次の瞬間、光が爆ぜた。

 月明かりのような白い紋様が地面を覆い、夜が昼に変わったように明るい。


 一撃を、光るハニワが受け止めていた。その直後。


〈ドォン!〉


 光の魔法陣がはぜ、クマゴブリンを吹き飛ばす。

 だが、クマゴブリンも最後に一撃を――。


〈パリン!〉


 助けに来たハニワは無残にも真っ二つに……割れた。


***

 視界が白く弾けた。強いめまいを覚え、這うように割れ崩れた欠片に近づく。

「おい、まさか」

 背後にはクマゴブリンがゆっくり迫る。


 振り返ると、跳躍しこちらに襲いかかる巨体が見えた。

 まるで世界が時を止め、音を無くしたように、ゆっくりとその光景を演出しているようだった。


 そのとき。世界が一変した。


 ――空には赤金色の月。


 空中でクルッと回った小さな影。

 赤い光を纏い、空中で一瞬だけ静止し、


 ――直後、力強く巨大モンスターにかかと落としをする。


〈ドォン!〉

「グオオオーー!」


 モンスターは頭を抱え、逃げていった。

 

 助けてくれた影がふわりと俺のそばに降り立つ。

 

 それはまるで――神々の時代から飛び出してきたような、紅赤の髪の少女だった。

 深紅の瞳がこちらをのぞき込む。

 体中にヒビが入り、手足は生成中でギプスのようになっている。


「大丈夫。私は……味方だから」


 そう口にして、彼女はその深紅の瞳を哀れむように揺らしたあと、ゆっくりと目を閉じ、――倒れた。


「ちょ……!?」


 慌てて受け止める。

 その体は、妙に軽い。

 これが彼女、――ルルドナとの出会いだった。


***

 見上げると静かに赤黄金の月。俺は、紅赤の少女に救われた。

 腕の中で穏やかに眠る彼女の寝顔。素焼きの土器のような色の肌にヒビが入り、欠けている。

 それを見つめながら、ため息をつく。


「とんだスローライフになりそうだな……」


 返事はない。

 見上げた空に浮かぶ赤金の月が、静かに揺れる。

 このときはまだ、俺は知らなかった。


 “借金色の月”が暗示していたことに――。


 スローライフを目指すことが、

 世界の運命を変えることになるとは、……まだ、何も。

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