サゲの種類とその活用についての一見解(『落語にとって笑とはなにか』巻末資料より抜粋)

山本楽志

第1話



 本郷のらくは、すっかり数少なくなった東京の寄席のなかでも、一際地味な存在だ。

 そもそも外観からしてかなり年季の入った雑居ビルで、エレベーターのある玄関ホールのさらに奥に看板がかけられているため表からわかりにくく、通りに幟は出ているものの入り口がそんな具合だから通行人の目に留まりにくい。

 とはいえ歴史は古い。江戸後期の地図に名前が記されていて、そのままの地所で現在まで営業を続けているほどだ。

 もっとも、これまでには何度か経営の危機もあり、そのたびに敷地は狭まり、現在のビルも上部階はオフィスとして貸し出されている。

 それでも日々の公演が成り立っているのは、喜らくにしかない特徴があって、それを目当ての客が一定数いるためである。

 寄席独特の分類の一月を十日ずつで分ける上席・中席・下席のうちの中席で、喜らくは落語演芸協会と大衆落語協会双方の団体の噺家を共演させている。別段いがみ合っているわけではない二つの団体ではあるが、噺家との契約で細かな差異もあり、他の寄席では同じ所属の噺家のみで番組が構成されるのが常である。

 この特例が現在までつつがなく続けられているのは、両団体のできた戦後まもなく、当時の席亭観音坂かんのんざかきぬたによる根回しが功を奏したとされる。

 トリを飾るその興行の責任者である主任を交互で、奇数月は落語演芸協会、偶数月は大衆落語協会の噺家が務め、出演は両協会で半々になるようにするという取り決めで、不都合はその時その時で協議され改正されてきた。

 そうしてその日もいつもと変わることもなく、落語演芸協会所属の真打港庵こうあん木楽いちいが中トリとして高座に上がってきた。

 出囃子とともに中央に歩み寄ってきた、若白髪の目立つ三十絡みの男は、座布団に腰を下ろすと深く頭を下げた。


           *


 落語のはじまりなんてかんたんなもんで、こんな風に座布団に座って頭を下げりゃ、とりあえず「ああ、はじまったんだな」って思ってもらえます。大体名前だって、そこのめくりがあるから、どうにかわかってもらえるわけで、寄席にまで来るお客様でも全員の顔と名前が一致するわけじゃないでしょ。やってる方だってわかってないのに。

 お辞儀にしたって、陸上のスタートや水泳の跳び込み、相撲の立ち合いみたいに、その出来不出来が勝負を決めるなんてこともありませんから実に気楽なもんです。

 ただ、一度ここに座りましたら、次に立ち上がるのが難しい。どんな噺だってはじめたからには終わらせないといけないし、その終わりを気付いてもらわないといけない。

「え? 終わったの?」

 お客さんがそんな風に思っているのに立ち上がって帰るわけにはいかない。いや帰ったっていいけど、こっちだって拍手で送り出してもらいたいじゃない。

 だから、噺のきりのいいところで、「ここで終わりですよー」っていうサインを出して、それをみなさんにわかってもらわないといけないわけだ。

 そこで噺には大概サゲが用意されてるんですね。

 噺を終えて噺家が舞台から下がるからサゲ。

「へえー」って感心するんじゃないよ! 口から出まかせだよ! まったく油断も隙もあったもんじゃない……

 それで一口にサゲといいましてもいろんな種類があります。

 そりゃそうですよね。どんな噺でも、

「冗談いっちゃいけねえ」

 で終わるわけにはいきません。

 あー、でも、それで終われたら楽だなあ。

「ひのふのみのよのいつむななや、蕎麦屋さん今何時だい?」

「冗談いっちゃいけねえ」

「ああ、また騙された! お前の本当に怖いものはなんなんだよ!」

「冗談いっちゃいけねえ」

「おいおい大袈裟にいっちゃいけねえよ、瘤なんてどこにもありゃしねえじゃないか」

「冗談いっちゃいけねえ」

 やっぱり無理があるね、こりゃ。

 だから噺ごとに異なるサゲが用意されていまして、一説によりますと、それらを内容で分類していきますと十一種類になるという話です。

 知らないよ。俺が調べたわけじゃないんだから。そういう話だっていったろ。

 世の中、なんだって分類しないと気が済まないやつがいるんだよ。そうしないと不安になるんじゃないの?

 でもこういうのを覚えておくと、お客様の方でもなにかと便利なんだよ。噺の途中でぼーっとしていたって、ぽろっと噺家がこぼしたサゲっぽいセリフに反応できて、まわりから置いていかれずにすむ。

 大事だよ、まわりと歩調を合わせるのはさ。

 俺も同期に気が合うのが三人いたんだよ。歳も趣味も違ってたけど、いっしょになにかをするのに肩がこらなくて自然に合わせられるってのが、そのかわり一人、二人と顔を合わせたってそんなたいしたもんでもないんだけど、三人、俺を含めたら四人になったらこれがひどい。

 ひどいなんてもんじゃないよ。そこに酒が入ったら、もう悲惨の極み。馬鹿丸出しでさ、奇声はあげる、踊りだす、落語家じゃなきゃとても許されないね。

 みんな落語家辞めちゃったけどね。

 潮家うしおや恭之助きょうのすけみなと条斗じょうと今昔亭こんじゃくてい能美のうみっていうんだけど……。何人かうなずいてくれたお客様がいるね。知ってた? 本当?

 潮家恭之助は恭蔵きょうぞう師匠のところにいたんだけど、急に親父さんが倒れて田舎の家業を継がなきゃならなくなったんだよ。何店舗かやってる定食屋のチェーン店でさ。二ツ目で暇な時は手伝ってたから、同い年の正社員より勤務日数が多くて、おかげで代替わりもうまくいったってさ。それがなにを思ったか高座のあるカフェをやり出して、結構受けてるみたいなんだ。たまに俺なんかも呼んでくれてんだ。いつもお世話になっております。

 湊条斗は声が高くてしゃべりが速いやつでね、滑舌がいいからラジオの仕事なんかはこの四人のなかだと一番はじめにもらってきたんだ。こいつは今何やってんだか、まったく不明。連絡はたまにあるんだけど、教えてくんないんだよ。よっぽど危ないことをやってるんだと思うね。みなさんも新聞・ニュースをチェックしとくといいよ。「元噺家逮捕!」とか出るからさ。

 今昔亭能美。こいつが一番びっくりさせられたよ。もともとやることが極端でね、普段はおとなしいんだけど、振れ幅の大きいやつだったね。ある日突然「これからはマンガの時代だよ!」とか言い出してさ。

 これからじゃねえよ。何十年も前からだよ。なにをさも自分が見つけ出したみたいな口きいてんだよ。

 それでマンガ家になるって噺家辞めちゃったんだ。

 びっくりするだろ? さらにびっくりなのは、本当になっちまったんだよ、あの野郎。

 能美美能って名前で、青年向けの週刊誌で描いて、売れてんだか売れてないんだかわかんない本出してるみたいだよ。

 俺のこの手拭いとか、独演会やサイトで販売しているグッズやCDジャケットは、その能美がデザインしてくれたもんなんだ。本当にいつもありがとうございます。


 そんな四人が集まるわけだから、そりゃ冗談みたいなことも冗談にならないことも次から次にしでかします。

 ある冬の日でしたよ。ちょうど先ほどいいました、落語での十一種類のサゲに当てはまるようなことが続いて起こりまして、いい機会ですから、是非ともこれで覚えて帰ってください。

 まだ二ツ目になってさほど経っていなかった頃でした。あたしと能美――今マンガ家やってるやつね――はその日の出番を終えて、帰りを合わせて寄席――根岸の村〆むらしめを出ました。

 寒い夜でした。耳が切れそうなほどの凍てついた風が吹きつけてくるので、マフラーを口もとまで巻いてジャケットの中で身を縮こまらせていました。

 冷静に考えれば冬だってそうそう寒い日ばかりじゃなかったはずなんだけど、思い返すと冬は凍えるほどに寒くて、夏は逆に汗どろになって全身ゆで上がるほどに暑かったことがまず浮かんできます。金がなかったからだろうねえ。

 だからその日だって、実際のところはさておいて、俺の記憶だと最強寒波が到来して記録的な冷え込みが襲ってたってことになっちまうんだ。

「ねえ、見てよ、アレ。アレ、恭之助じゃないかな」

 寒風のなかで不意に能美がそんな声をあげました。

「ああ? 恭之助? どこに?」

「ほら、あそこでこっちに向かって手を振ってる」

 しかしそこには、閉め切りになった商店のシャッターに、スローガンが書かれ多分そのあたりが選挙区になるのでしょう政治家の写真がでかでかと使用されたポスターが張られているだけです

「ありゃ、政党の宣伝用ポスターだろ」

「違うよ、恭之助だよ。ね? ね?」

 けどニヤニヤして頑なに認めようとしません。

 大体こういうのはくだらないことを思いついた顔なんですが、放っておくといつまでもしつこく食い下がってくるので、仕方なく話を合わせます。

「ああ、いわれりゃ恭之助かもしれないな」

「でしょ! いざって時にスベりそうな顔だもの!」

                       ――一、仁輪加落ち(地口落ち)

 まあ、これが十一種類あるうちのサゲの第一番目で、仁輪加落ち、地口落ちともいわれていますね。要するにシャレ、ダジャレだね。

 いや、こんなもんだからね。皆さんだって初めてじゃないでしょ、なにカマトトぶってんだよ。落語のサゲなんて大概「なんだこりゃ」みたいなもんだろ。

 とにかく、能美のおかげでますます冬の冷たさが身にしみるように思えだした直後です。

「どしたの、今帰りかよ?」

 あたしと能美の肩が叩かれました。

 振り返ると、ちょうど話題だった恭之助が立ってるじゃないですか。

「うわああああああ、恭之助だ!」

「おおおおおおおお、本当だ、恭之助じゃねえか!」

 さっきのへたなシャレで空気が冷えたこともあったんでしょうね、能美もあたしもその反動でテンション上がっちまって大きな声でわめき散らかしてしまいました。

 普通、そうなると流れがわからないやつが取り残されて、しらけるもんなんです。

「そうだあああああっ! 俺だ俺だよおおおおおおっ!」

 恭之助のやつはあたしらよりもさらに大きな声で、胸を張りながら叫びやがったんです。

「すごいよ、恭之助だよ!」「恭之助だ、すげえ!」「そうだ、俺はすごいんだ!」「人の噂も七十五日だね!」「それをいうなら人の口に戸は立てられないだろ!」「なんだよ一口で一戸建てを立てるとか景気のいい話だな!」「そうだよ、めでたいんだよ!」「こんなことそうそうあるもんじゃないぞ!」「だとしたら俺らだけで独り占めにしてちゃおかしいよな!」「そうだね!」「そうだ!」「条斗にもお裾分けだ!」

 というわけで条斗にも報告しないといけないということになりました。

                              ――二、拍子落ち

 むちゃくちゃでしょう。でもそのむちゃくちゃにみんな気付かないんです。馬鹿だから。

 こういう内容なんて置き去りにするくらいの勢いで噺をぶった切って終わらせてしまうのを拍子落ちといいます。「とんとん拍子」っていう時の拍子を想像してください。

 さて合流するっていったって、先立つものがないのは能美や恭之助も変わりありませんから、外で落ち合うなんて気の利いた発想になるやつは誰もいやしません。途中で閉店誓いスーパーに立ち寄りまして、もろもろ買い込み三人でどやどやと条斗の住んでいたアパートに押し掛けました。

 マンションとは間違っても呼べない、あの頃にしたってよくあんな建物がまだ残ってたなって感心させられるくらいの、二階建てでね、「アパート!」って感じの、まわりのちょっとしたビルにも高さで負けて、一日のほとんど陽の差さない、幽霊でも出るんじゃないかっていうアパートでした。

 外付けの、歩くたびにカンカン音をたてる階段をのぼりまして、二階の一番端が条斗の部屋でした。

「条斗、いるかいー。開けてー、ぼくだよー」

「おい、だまされるなよ、条斗! こいつじゃない! 俺だ!」

「やめろよな、お前ら! ご近所に迷惑だぞ! 俺ならわかるよな! 俺だから!」

 誰一人として名乗らずに、ちゃんとインターフォンもあるのに玄関ドアを力任せに叩きながらこんなことを叫んでるんです。どこに出しても恥ずかしくない不審者です。下手したら警察沙汰ですよ。留守だったらどうするつもりだったんでしょうね。

「バカヤロウ! 今何時だと思ってんだ!」

 幸い条斗はすぐに扉を開けて顔をのぞかせました。

「あー、いたー! ありがとう、ぼくの声で反応してくれたんだよね」

「お前図々しいな。俺が呼んだからに決まってんだろ」

「条斗、こいつらのことは聞き流しとけ。俺にはちゃんとわかっとるから」

 そうしたらそうしたでまた大騒ぎなんだから、つける薬がないっていうのはこういう連中のことですね。

「お前ら酔っ払ってんのかよ」

「ふざけるな! 外で酒飲む金があると思うか?」

 代表して恭之助がびしっといってくれました。怖いだろ? まだ一滴も飲まずに素面でこれだったんだぜ?

                             ――三、間抜け落ち

 それでこれが三つ目間抜け落ちです。説明はいいよね?

「そうか帰れ」

 それに対して条斗は玄関ドアの前で不動の構えで、あたしらの侵入を断固として拒んでおりました。

「ちょっと、それはあんまりじゃない?」

「寒い中やって来た俺らの身にもなってみろ!」

「友達は大事にしないといかんのと違うか。なあ、そうだろ?」

「どの面さげて友情を語ってんだよ。この寒い夜に連絡もなしにどやどや押し掛けてきてそれどころかドアを叩くわ蹴るわおかしな声におかしな理屈でわけのわかんないことまくしたてておいてあんまりだのお前らの身になれだのってじゃあ俺の身にもなってみろってんだよこんな時間から酒に飲まれているわけでもないおかしな連中に囲まれて家に上げろって迫られてそれを断るのがそんなに変な話かよ友達思いだっていうんだったらそこはどうなんだよ? なにかいえることあったらいってみろよ!」

 一気にそうまくしたてます。条斗は本当に舌がまわるやつでね、おまけにアドリブも利いたから口喧嘩になったらまず相手を圧倒してましたね。

「おやおや条斗さん、そんなことをいってもいいんですかねえ?」

 ところがそれにひるまず、能美が猫なで声をたてます。

「どこにも悪いところはないだろ」

「ところが、このサバ缶を見ても同じことがいえるかな?」

 コンビニの袋からおもむろに缶詰を取り出しました。サバは条斗の好物だったんですね。

「なに!?」

「味噌煮だけだと思わないでね。水煮だってあるんだから」

「お前、卑怯だぞ!」

「なんとでもどうぞー。あー、条斗がいらないっていうなら持って帰っちゃおうかなー」

 あの時の条斗の表情の変わりっぷりったらなかったね。それまで目つきで人を殺せんじゃないかって眼光をしていたところが、ひとつ大きなため息をついたかと思ったら、ぱっと相好を崩して、

「そう短気になるなよ、ちょっとした冗談じゃないか。俺とお前達の仲だろ。俺の身にもなって、ちょっとはそこらへんも汲んでくれよ」

 と、自分から身を引いて通してくれたんだから。

                              ――四、逆さ落ち

 登場人物の立場が逆転する。こういうのを逆さ落ちといいます。


 錆の浮いたトタンの壁がいかにもいかにも景気の悪いくたびれたアパートでしたけど、その内側、条斗の部屋は輪をかけてひどいもんでした。

 ちょっとニュアンスは異なりますが、ボロは着てても心は錦なんて殊勝なところは一切ありません。

 ただただ狭い室内は荒涼とした有様を呈しておりました。

 そこかしこいろんな物が乱雑に積まれていて、ほこりまみれのゴミまみれ。トイレの電球は切れたまま。いつから使いまわしてんだかわかりゃしない食い終わった食器やら、飲みさしのコップは床に直置きっぱなしで、足の踏み場なんかありゃしません。

 で、薄暗いんだ。なにしろ明かりときたら積み重ねられた物の上にデスクランプ――学習机についていたような、半円のシェードがついてアームが折り曲げられるやつ、ああいうの――がぞんざいに置かれてるだけだから。

 もっとも、人様のことをいえた義理でもなくて、あの頃は俺の部屋も、能美や恭之助も似たようなもんだったけどね。

 だから、「相変わらず汚ねえなあ」とかいいながらも、その実たいして気にするでもなく、そこらのゴミだかそうじゃないかわからないものを適当に隅に押しやって、座る場所を確保しておりました。

 そうしてコタツに足を突っ込みまして、やっと一息つけます。室内に暖房はこれきり。冬場の生命線でした。

 ワンルームというよりは一間という方がしっくりくる狭い部屋でしたが片隅にパソコンが置いてありましてね、この業界、今でもスマホも持たずネットには一切手も触れないっていう人間が多いにもかかわらず、条斗は真逆で、当時からテレビはなくてもパソコンは必須って男で、こたつでもそのすぐ傍が定位置になっていました。

「それで?」

 こたつの四辺にそれぞれ収まったところで条斗がたずねてきました。

「それでって?」

 小首を傾げて能美がたずね返します。

「それでどうした御用件で今日はわたくしめの部屋にまで御足労くださったんでしょうかねえ」

 あえて丁寧な言葉遣いで、でも早口で改めて聞いてきます。

「おっ、そうだ。俺も聞きたかったんだ。めでたいめでたいっていってたけど、一体なにがそんなにめでたかったんだ?」

「恭之助も知らないのかよ」

「ああ、甲太郎こうたろう師匠に稽古をつけてもらった帰りに、たまたまこの二人を見つけて声をかけたら、えらく喜んでてさ。そんなにめでたいことがあるなら、条斗にも教えてやらないとってことになったんだよ」

「なんだそりゃ、ったくどうしようもないな。じゃあ、能美に木楽いちい

 条斗だけではなく恭之助の目線もこちらに集まりました。

 けれどもあたしと能美は顔を合わせて、たがいに小首を傾げます。

「おい、お前ら、まさか特に理由もないなんていわないだろうな」

「まさか」

「そんなわけないだろう」

 キッと顔を険しくして反駁したものの、より悪いことに二人とも事の経緯をすっかり忘れてしまっていました。その場の思いつきの下手なシャレでしたからね、聞いた方はもちろん口にした方だって記憶から即消去しようっていう自己防衛本能が働くんですね。とはいえこの状況で忘れましたなんていえるもんじゃありません。

「今日は俺と能美は、村〆で出番があったんだ」

「そうそう、ぼくが『猫の皿』をやって木楽が『たけのこ』でね」

 交互に言葉をつないで、最初からいきさつを説明しつつ、なにか思い出すきっかけになるものはないかと探り探り、あわよくば相手に丸投げできないものかと虎視眈々と狙っておりました。

「それで恭之助を見つけたんだよ」

「ん? 話が違ってこないか? 恭之助から声をかけたっていってたろ」

「そうだよ、俺がお前たちの肩をたたいたんじゃないか」

 どうせ他愛ないってわかっている話をわざわざ丁寧に聞いてくるものですから、こちらも腹が立ってきます。

「それはそうなんだけど、そうじゃないんだよ。こっちにも都合があるんだよ」

「そうだよ、ものには流れがあるんだから、邪魔をしないで。でも、待って、そうだよ、恭之助に見つかる前に恭之助を見つけたんだよ」

 ようやくここらであのポスターの存在が頭をよぎりました。

「そうだ! 恭之助を見つけたとこで恭之助に見つけられたんだ。それでこんなことはめったにあるもんじゃない、めでたいってことになって!」

「めったどころかありえないだろう、そんなこと」

「恭之助を見つけて恭之助に見つけられた? どういうことなんだよ」

 恭之助と条斗は目を白黒させています。

「だからさ」

 そこで俺と能美は声をそろえて恭之助に向かって頭を下げ、

『このたびは立候補おめでとうございます』

                            ――五、ぶっつけ落ち

 こういうのがぶっつけ落ち。噛み合わない会話を重ねた不条理さで締めるんだね。


 話に区切りがつきますと、馬鹿の集まりですから、それ以上あえて誰も深掘りしようなんて思いません。部屋に押し入られている条斗でさえその通りで、むしろ飲み始めればこいつが率先してコップをあおってるくらいです。

 そうして夜も更けて酒の酔いも深まってゆきますと、話の前後の脈絡なんかもなくなってきまして、そんな頃にふと恭之助がつぶやきました。

「こうやって条斗の部屋では毎度騒がせてもらってるけど、実際どうなんだ? お隣さんから苦情がきたりしないのか?」

 いるでしょ、お客様の知り合いでも。それまでいっしょになってふざけてたくせして、急に真面目な顔をしだして自分は最初から反対してましたよってヤツ。いない場合は気を付けてください、あなたがその当人の可能性がありますからね。

 あたしらのなかでは恭之助がそのタイプでしてね、今だと経営している店の従業員に煙たがられてるでしょうね。

「ていうか、お隣さんっているの? ぼくは一度も見たことないよ」

「そういえば俺もないな。明かりがついてたこともないんじゃないか?」

「そうか? おい条斗、そのあたりどうなんだ?」

 能美とあたしの疑問を受けて恭之助が条斗に質しました。

「え? うん、そうだな……。いたりいなかったりだな」

 けれどもしばらく考え込んで返ってきたのはそんな答えでした。

「なんだそれは。そんなの当たり前だろう」

「そうだねー、在宅ならいてるし留守ならいないよね」

 はぐらかされたと思ったものか恭之助は口をとがらせて、能美はアルコールが入った時のお定まりで上機嫌で笑いながらそういいます。

「まあ待てよ。俺はなにも適当なことをいおうってんじゃないよ。でも、本当に聞きたいか? 後になって、そんなことなら聞かなきゃよかったっていわれるのは勘弁だからな」

 そういう条斗の顔はアルコールが入って赤らんではいましたが、案外と真剣なものでした。

 しかし、ここまできて「じゃあいいや」とは誰もいえません。

「そもそもおかしいと思わないか、このアパートを。場末とはいえ二十三区内で、築何十年のあちこちくたびれたまま放置しているっていうのが。改装して階数増やしたらもっと家賃も高くできるし、人だってもっと入れられる」

「かわりに条斗はいられなくなるがな」

「食い詰めの二ツ目の落語家に住まわしておくには惜しい立地だってことだよ」

 恭之助の茶化しもさらりと受け流します。

「だとしたら、どうして万年金欠の落語家を安い家賃で置いてやってるんだ?」

「お隣さんだよ」

 条斗は指で隣室を示します。

「隣?」

「そうさ、隣のせいで、このアパートは建て直しも取り壊しもできないんだよ」

「まさか本当になにか出るっていうんじゃ……」

「話を急ぐなよ、物事には順序ってもんがあるんだから。そうだな……」

 まるで勢いをつけるかのように、もう一口コップの酒を流し込みました。

「おかしなことはあったんだよ。誰もいないと思っていた隣から話し声が聞こえてきたり、いきなり壁が向こうからバンッて突かれたような大きな音のしたこともあったな」

 再現のつもりか、条斗はこたつの天板を手のひらで叩きました。あまり強くはありませんでしたが、それでも余韻で室内が急に静まったように感じました。

「それだけだったら、俺も気のせいだと無理にでも信じ込むこともできた。けどな、決定的なことがあったんだ。外の階段だけど、お前らも使ってるからわかるだろうが、上がり下りするのにえらい音が鳴るんだ。部屋の中にいても聞こえてくるくらいにな。特に夜はまた響くんだ。それで、あれは、今よりはもう少し温かくなった頃だったな。そろそろ寝るかと支度をしていたら、カンカンカンってしてきたんだよ。しかも続く足音もどうにもこの部屋の方に向かってるみたいじゃないか。階段からこっち側はこの部屋か隣しかない。それで耳を澄ましていたんだが、ドアの開く音もしないし、もちろんまた階段を下っていった音もしない。さあこうなるとのんびり横になるわけにもいかない。何か動きはないかと息を殺して待ってみても、しんと静まり返っているばかりだ。しかたない、俺は玄関まで歩いていっておもむろに扉を開けたんだ」

 ついついあたしと恭之助、能美は、玄関に目をやりました。

「けれどもそこには誰もいなかった」

 かろうじて明かりの届いているそこには乱雑に脱ぎ散らかされた我々の靴が転がって、その向こうには無機質なドアがあるだけでした。

「ほっと息をついて、やれやれと扉を閉めようと半ば表に出た体を引っ込めようとする、すると自然顔は横を向いて隣の部屋の前あたりに目線がゆく。そうしたらそこにな、いるじゃないか」

 条斗はぐっとこんな具合に顔を前に突き出して、あたしたち以外に聞かれるのをはばかるかのように声をひそめてつぶやきました。

「女だった。ロングコートを着て、長い髪を垂らした女が隣の玄関の前で小さくうなだれたように立っているんだ。どう見たってただごとじゃない。関わり合いになっちゃいけないと頭で警告音が鳴ったけど遅かった。俺が気づいたのと同じように向こうだってこっちに気づいた。途端に、扉に向かった姿勢のままで、首だけを曲げて長い髪を振り乱し俺の方を見てきた。階段の下り口につけられた蛍光灯だけが明かりで、それを背にしているものだから、その顔はほとんどわからない。けど、目だけはかっと見開いて爛々と輝き俺を見据えてくる。その鬼気迫る様子に、俺は慌ててドアを閉めて部屋の中に駆け戻ると、ふとんを頭からひっ被った。でも寝ようったって寝れるもんじゃない。そうしたら、しばらくして、隣からすすり泣きがしたかと思ったら変な声に変わって、前にも増した激しく壁を打ちつけるような音が聞こえてきた。もうそれから一晩中気が気じゃなく、やっと空が白んできて窓から光が差し込んできた時にはほっとしたよ」

 聞いていたあたしら三人も一区切りということで同時にため息をつきました。

「さてそれで日が上って気持ちも落ち着いてきてから、隣の玄関の前を改めて見てみても、もちろん誰もいないしなんの痕跡もない。ノブに触れてみたが、鍵が掛かっていて動きもしない。そこで昨晩の体験についてたずねにいくことにした」

「大家にか」

「いや、こういうことは直接聞いたってはぐらかされるだけだろうからな。下の階にこのアパートに昔から住んでいる婆さんがいるんだ。その人に事情を話して、なにか思い当たることはないかってうかがってみたのさ」

「どうだったの?」

「はじめはとぼけたり口の重いふりしてたけどさ、結局あの手の婆さんはなにかきっかけがあったら話したくってうずうずしてるんだから、頼み込んだら結局は教えてくれたよ」

「うんうん」

「婆さんいわく『あの娘は大家のコレだよ』」

 そういって条斗はこんな具合に小指だけを立たせました。

「ん?」「はあ?」「待て待て」

 聞いていた俺らは同時に声を出さずにはいられなかったね。

「なんだよ、そのおかしな声は」

「おかしな声も出るだろ。今どき小指立てるようなやつがいるか」

「そこじゃねえよ。どういうことだよ」

 あたしは恭之助につっこみを入れて、その傍らで条斗に質しました。

「どういうこともこういうこともねえよ。大家の彼女、大家は結婚してるから不倫相手だな。その女が会いに来てたんだよ。隣の部屋は逢引用の、いってみたらヤリ部屋なんだよ」

                             ――六、見立て落ち

 はい、聞いている側の予感や先入観を利用しまして、それをすかしてしまうサゲのことを見立て落ちといいます。

「いや、女がいたっていったろ?」

「不倫相手なんだから女じゃねえか」

「隣の部屋の前で立ってったんだよね?」

「玄関を開けるのを待っていたのか、後から大家が来るつもりだったのか、いっしょには来なかったんだろうな」

「目が合ったらすごい顔してたって」

「そりゃいきなり隣の部屋の玄関が開いて知らない男が見てきたら、びっくりして見返すだろう」

 条斗はこちらの問いかけに飄々とまるでよどみなく答えていきます。あらかじめこういうやりとりを想定していたようで、まんまと乗せられたのが癪に障ってしかたありません。

「部屋に入ってしばらくしたら泣き声らしいのが聞こえてきたっていうのは?」

「そこは完全に想像でしかないけど、事が事だけにお忍びだったわけだ。だからこっそりと夜に会いにきていたのに、それがこんなやり方でばれたとしたら、そりゃ泣きたくもなるんじゃないか」

「じゃあ、それからの変な声とか、壁を打ちつけるような音っていうのは……」

「お前、不倫現場でそれは聞くだけ野暮ってもんだろ」

                              ――七、考え落ち

 お客様の想像力におまかせするのが考え落ちです。本当に解説するだけ野暮ってもんです。

「なんだ、じゃあ隣の部屋は、大家がよろしくやるためにプライベートで使ってるってことかよ」

「あれ? でも、それと、このアパートが古いままっていうのと、どう関係するの?」

「なんでも、大家は他にもいくつかビルを持っていて、そのうちの一つがここらしいんだよ。多分、所有の中でも目立ちにくいところなんだろうな。これまでばれてこなかったっていうこともあるし、自分から敢えて改築なんかを計画して、家族やまわりの人間の目につくようなことはしたくないんだろう」

「そのおかげで条斗も安い家賃で寝る場所を確保できてるってわけか」

「そういうこと。ま、もちつもたれつってやつだな」

 いけしゃあしゃあと条斗がぬかしました。

「どこがだよ。完全にお前が得してるだけだろ」

「いやいや、おちついて考えてみなって、もし俺が、隣から変な物音がするって、事情もわきまえずに騒ぎ出してみろ。今の世の中、事を公にする方法は、なにもテレビや新聞・雑誌ばかりってわけじゃないんだぜ」

 いいながら背後のパソコンを示して、暗にインターネットなどをほのめかします。

「大家の知らないところで広まってみろ、どんな藪蛇になるかもしれないだろ。俺が注目を集めたいっていう承認欲求を抑えることで、大家も安心して暮らしていける。いってみたらこの部屋は俺の手腕で守っているみたいなもんだ。な? もちつもたれつだろ?」

 能美は心底うんざりした顔になっていました。

「こんなことなら聞くんじゃなかったよ」

「だからはじめにそういったろ」

                             ――八、トタン落ち

 これがトタン落ちで、お客様が「ここで落ちるな」と考えるところで落ちを持ってくることをいいます。


 もったいつけた条斗の話も終わりますと、飲んで食っての乱痴気騒ぎはいよいよ軌道を失いまして、惨状といっていい醜態をさらしてまいります。

 紳士淑女にお集まりいただきます寄席にはそぐわないことおびただしい見苦しさ聞き苦しさですので、その様子は割愛させていただきますが、その後の有様をお伝えさせていただきますと、おおよその経緯は想像いただけるかなと存じます。

「んあっ? あっ? あー、眠っちまってたか……」

 どのくらい時間が経ったものでしょうか、背筋にぞくぞくと冷えを感じてあたしは目を覚ましました。

 明かり、といいましても先だって申しました通り、荷物の上に積まれたデスクランプと、この部屋で唯一の高級品であるパソコンのディスプレイがともっているだけの薄暗さではありましたが、それを頼りに確認してみれば、飲み食いの最中に眠ってしまったようでした。

「うへえ、どいつもこいつもひどい寝相だな、本当に」

 寝ぼけ眼でなんとなく見渡した室内の、やはり寝入っている三人の同期の姿を目にすると、そんな感想しかこぼれません。

 隣にいた恭之助は素っ裸になって、その胸にはペンでいろいろ落書きされています。筆跡が一種類じゃないので他の面々にも書かせたもんでしょう、見たらあたしの字も乳首の近くにしっかり残っています。ちなみに、さすがに下半身はこたつに収まっていましたが、丁寧に自分のズボンを枕代わりにしていたのでそちらもすっぽんぽんだったのは間違いありません。

 向かいの能美はこたつの天板に突っ伏して寝息をたてていました。それだけならかわいらしいものですが、買ってきていたおでんを取りよけた皿に頬を押しつけているもんですから、厚揚げはまだクッションになってくれてるみたいでしたけど、大根はつぶれてだしを飛び散らしているし、卵が特に悲惨で、食べかけだったんでしょうね、崩れた黄身が押し出されて砕けた細かな破片が髪にまでまといついている始末です。

「それで、こいつは、どうしてこんなことになるのかね」

 一番ひどかったのは部屋の主の条斗でした。

 なにしろこたつに頭からつっこんで、大体スウェットの膝から下あたりだけ出しているって状態だったんですから。

 窓の外はまだ真っ暗で、起きるにしては早い時間帯です。

 もう一度寝なおそうと思ったところで、またも背中に寒気が走りました。他に暖房のない部屋ですから、しっかり肩まで温まるにはこたつに深くもぐり込んで横になるほかありません。

 けれども、それには隣で頭をつっこんで横になっているやつがつっかえて邪魔になってきます。

 しかたありませんので、思い切って立ち上がりますと、条斗の体をまたいでその足首をつかみました。つま先が天井を向いているので、どうやらこいつ、仰向けでもぐり込んでいるみたいです。

「そーら! こんな格好だとのぼせちまうぞ!」

 そう声を掛けながら足首から体をこたつの外に引きずり出しました。

 その瞬間でした。

 ジャーッと水の流れる音とともにトイレの戸が開いて、中から条斗が姿を現したじゃありませんか。

 だらしない部屋の主は、トイレの電灯も切れたままで放置していたのでした。

「おいおい、誰だよ、こんな夜中に騒いでいるのは……」

 酔いが醒めて起き出していたのは、どうやらあたしだけではなかったようです。

 そして条斗は敷居のあたりから、あたしがこたつから引っ張り出したものを目にしたようで、こんな顔になってしまって……

                     ――九、仕込み落ち&十、しぐさ落ち


 というわけで伏線回収の仕込み落ちと、読んで字の如くのしぐさ落ちを含めまして十のサゲの種類につきましてをお聞きいただきました。

「おかしいじゃないか」「十一種類あるっていったじゃないか」

 やいのやいのいわない。ここで全部いっちまったら、本編の楽しみがなくなるだろ。

 はい。はじめに申し上げました通り、落語にあるとされるサゲの十一種類のうち、これまで仁輪加、拍子、ぶっつけ、逆さ、間抜け、見立て、考え、トタン、仕込み、しぐさの十種類をお聞きいただきました。

 では残るもう一種類はどのようなものか。

 どうぞ、それを頭の片隅にでも置いていただいて、これからの噺がどんな風に落とされるのかと予想いただければと思います。


「ちょっと、あんた、そんなところで寝てたら風邪ひいちゃうわよ。ねえ、あんたってば……」


           *


 そうして港庵木楽はその日の本編である「天狗裁き」に入っていくのだった。


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サゲの種類とその活用についての一見解(『落語にとって笑とはなにか』巻末資料より抜粋) 山本楽志 @ga1k0t2

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