第21話 失われた名前

 涼は校舎の廊下を駆けていた。


 ——佐伯悠真を、忘れるわけにはいかない。


 けれど、世界は確実に彼を消し去ろうとしていた。


 「佐伯を知ってる奴なら、必ずいるはずだ……!」


 そう信じたくて、涼は次々とクラスメイトに声をかけた。


 「おい、佐伯悠真を知らないか?」


 「え?……誰、それ?」


 「バスケ部の佐伯だよ!同じクラスだろ?」


 「……そんな人、いたっけ?」


 何度、何度聞いても、返ってくるのは同じ答えだった。


 焦りが胸を締めつける。涼の息は荒くなり、視界は次第に滲んでいく。


 ——このままじゃ、悠真は……!


 「涼くん!」


 振り返ると、息を切らした葵が駆け寄ってきた。


 「……葵。頼む、思い出してくれ。佐伯のことを——」


 「……ごめん。何度考えても、思い出せないの」


 葵の瞳には本当に困惑した色が浮かんでいた。それでも、涼は食い下がる。


 「お前、俺たちと一緒にいただろ?悠真と、文化祭の準備をしてたじゃないか!」


 「……うん。でも、その“誰か”の姿が、どうしても思い浮かばないの」


 葵の声は震えていた。自分でも、何かが欠けていることに気づいているのだろう。


 「ねえ、涼くん……佐伯くんって、本当にいたの?」


 その言葉は、涼の心を鋭く抉った。


 「——いたよ!」


 叫ぶように答えたその声は、誰よりも自分自身に向けたものだった。


 「……俺は、覚えてる。佐伯悠真は、確かにここにいたんだ。お前と、佳奈と、俺と——四人で、ずっと一緒にいたんだ!」


 涼は必死だった。葵に、いや、世界に訴えかけるように。


 その時——


 「涼!」


 今度は佳奈の声が響いた。彼女もまた、焦った表情で駆け寄ってくる。


 「大変……!保健室に、佐伯くんがいるかもしれない!」


 「……え?」


 涼と葵は目を見合わせ、すぐに走り出した。


 保健室の扉を乱暴に開ける。


 ——けれど、そこには誰の姿もなかった。


 「……間に合わなかった?」佳奈が唇を噛む。


 「いや、まだだ」涼は周囲を見渡す。「何か、彼がいた証拠が残ってるはずだ」


 だが、どれだけ探しても、佐伯の持ち物らしいものは見つからなかった。


 その時、ふと涼の視線が、机の上のノートに吸い寄せられる。


 ——“S.Y.”


 それは、佐伯悠真のイニシャルだった。


 「これ……!」


 ノートを開く。けれど、ページは真っ白だった。書かれているはずの文字も、記憶も、まるで最初から存在していなかったかのように。


 涼の手が震える。


 ——もう、何もかも遅いのか?


 「……涼くん」葵がそっと、涼の手を取った。「私……怖いの。なんでかわからないけど、すごく……すごく不安で」


 その声には、かすかな涙の気配があった。


 佳奈も、沈黙の中でそっと涼を見つめている。


 ——まだ、終わっていない。


 涼は自分にそう言い聞かせる。


 「絶対に……悠真を取り戻す」


 その瞬間、保健室の窓の外に、何かが横切った。


 「——佐伯!」


 涼は迷わず、駆け出していた。








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