第15話 揺らぐ記憶

 放課後の教室。


 日が傾きかけ、窓際の席に座る佳奈の横顔が赤く染まっている。涼は教室の後ろで、そんな彼女の姿をぼんやりと眺めていた。


 「この日が繰り返されてる気がする」


 昼休みに佳奈が言った言葉が、涼の頭の中でこだました。


 彼女がループの違和感に気づいたのは偶然ではない。少しずつ記憶のズレが広がり、やがて無視できないほど大きくなってきている。


 葵と二人だけではなく、ついに佳奈も。

 ——となれば、ほかにも気づいている人間がいるかもしれない。


 涼はゆっくりと佳奈に近づき、机に手をついた。


 「佳奈、もう少し話せるか?」


 佳奈はノートを閉じ、涼の方を向いた。


 「うん……いいよ」


 二人は誰もいない廊下を歩き、静かな階段の踊り場で腰を下ろした。


 「昼に言ってた話、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」


 佳奈は小さく息をつき、スマートフォンを取り出した。


 「実はね、これを見てたの」


 画面には、幼いころの彼女の写真が映っていた。


 「私、小さいころはよく父さんとここで遊んでたんだって。でも、昨日この写真を見たとき、違和感があったの」


 「違和感?」


 佳奈はスマホを涼に見せる。


 「この写真、何かが違う気がする。でも、それが何なのか、うまく言えないの」


 涼は画面を覗き込んだ。


 確かに、何の変哲もない昔の写真に見える。

 佳奈が気づいた「違和感」とは、一体何なのか?


 「それだけじゃない」


 佳奈はそっと手を握りしめた。


 「最近、何かを思い出そうとすると、頭の中がぐちゃぐちゃになるの。まるで記憶が塗り替えられてるみたいに」


 涼の背筋に冷たいものが走った。


 ——記憶が塗り替えられている?


 「私、もしかしたら……大切なことを忘れさせられてるんじゃないかって思うの」


 佳奈の言葉に、涼はすぐには返事ができなかった。


 ループする世界の中で、彼女の記憶だけが曖昧になっているのか?

 それとも——。


 涼は昼間、葵と話したことを思い出した。


 ——「このループの中で、何かが変わってる気がする」


 ——「もしかすると、気づいているのは私たちだけじゃないかもね」


 涼はふと、葵にもこのことを話すべきかと考えた。

 が、その前にもう一つ確かめたいことがあった。


 「佳奈……今日、お前が朝、登校したときのことを覚えてるか?」


 佳奈は怪訝そうに涼を見た。


 「え? それは覚えてるけど……」


 「じゃあ、その前の日の朝は?」


 佳奈は口を開いたが、すぐに言葉を詰まらせた。


 「……え?」


 彼女は一瞬、思い出そうとするように目を閉じ、それからゆっくりと首を振った。


 「おかしい……昨日の朝のこと、思い出せない」


 涼は息を呑んだ。


 彼女の記憶がズレているのは確かだ。

 でも、それがただの思い違いなのか、それとも本当に「消えている」のか。


 「俺も確認してみる」


 涼はポケットからスマートフォンを取り出し、日記アプリを開いた。

 彼はここ最近、ループの違和感を感じてから、毎日簡単なメモを残していた。


 ——「9月8日 朝、葵と登校。昼、購買でパンを買う」

 ——「9月8日 朝、葵と登校。昼、購買でパンを買う」

 ——「9月8日 朝、葵と登校。昼、購買でパンを買う」


 涼は喉が渇くのを感じた。


 メモの日付が、全て「9月8日」のままになっている。

 記録はある。だが、その日付が進んでいない。


 まるで——本当に世界が止まっているように。


 「佳奈、お前が今までで一番、強く違和感を覚えたのはいつだ?」


 佳奈は少し考えてから答えた。


 「たぶん……昨日の夜。家でスマホを見てたとき」


 「何を見てた?」


 「昔のLINEの履歴」


 涼は身を乗り出した。


 「誰との?」


 「……佐伯悠真くん」


 その名前に、涼は目を見開いた。


 「佐伯と?」


 「うん……何か変だった。前に送ったはずのメッセージが、送信されてなかったり、逆に送った覚えのないメッセージが残ってたり……」


 「それって、もしかして——」


 涼の胸の奥で、これまで気に留めていなかった小さな疑念が、ゆっくりと膨らみ始めた。


 このループの中で、ただの傍観者ではなく「変化を加えている」人物がいる。


 それがもし、佐伯悠真だとしたら——?


 「涼……私、怖い」


 佳奈が小さく言った。


 「もし、このままどんどん記憶がなくなっていったら……。気づいたら、自分が何者かすら分からなくなってしまうんじゃないかって」


 涼は静かに佳奈の手を握った。


 「大丈夫だ。俺がちゃんと覚えてる」


 彼はそう言ったが、胸の奥に広がる不安は、簡単に消えるものではなかった。


 ——このループが、ただの繰り返しではないとすれば?


 誰かがこの世界に「手を加えている」可能性があるのなら——。


 涼は立ち上がり、スマホを握りしめた。


 次に探るべき相手は、決まっている。


 ——佐伯悠真。


 彼が、このループの鍵を握っているのかもしれない。

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