第4話 七草なずな
「やると意気込んだは良いものの、自分の耳で音を聞き取れないのは、かなり厄介ですね」
セリ兄弟が帰って数刻。僕は縁側でその神器とにらめっこしていた。この三味線は師匠から譲り受けし、ハヤリガミが代々継ぐ代物だ。だからなのか、所有者にある試練が課せられる。
それがまさか、楽器なのに演奏すると弦の音が聞こえなくなるとは。
「長年弾いていた人なら、感覚で分かるかもしれませんが。いや、慣れてない内に音が無いのは不幸中の幸いでしょうか」
もしも、だ。中途半端に弾いたことがあったのなら、余計に頭がこんがらがっていた可能性だってある。ここは割り切るしかない。
ただ問題は──。
「人を信じきれない、僕の心⋯⋯⋯⋯なのでしょうね」
満ちていく月に答えを求めるが、まだ正解を教えてはもらえないようだ。僕が親を探しに行こうと思ったのは、単なる興味にすぎない。元は暇潰しのつもりだった。
でも、師匠と話していて気付いたことがある。ナズナを育むべき立場の
『人を恨まず、己を鍛えよ』
過去に自分の出生を教えられた時、強く釘刺された言葉だ。それまで、この里が生まれ故郷と思っていた幼子の身体には、少々こたえる衝撃だったらしい。その影響で僕には、七歳からの記憶しか残っていない。
(忘れたのは想い出だけで、普通に生活できたのは良かったですけど。お陰様で人間不信は
とは言うものの、うかうかしていられない。修行にはこの三味線を使い演奏しなければならないので、代わりの耳を拝借せねば。
とりあえず二華へ協力は仰げた。明日はナズナの子に会いに行こう。そうして誕生日まで指折りの夜を過ごした。
早朝、また飽きずに酒を呑んだくれ伸びていた師匠を尻目に、二日酔いに効くお膳を作る。空き瓶を数えると徳利三本。囲炉裏に鍋が下がっていたので、おそらく
一体何を酒の
「すぐに作って、あの子達の元に行きましょう」
「甘味が欲しいご様子でしたし、別なのを用意しときますか」
蓋を開け湯飲みに
(あとは匂いに釣られて出て来るでしょう。あ、お湯も沸かさないと)
穴熊の生態をする師匠にそう結論付け、
*
自分の背丈よりやや短い三味線を、何とか運ぶ。引き
澄んだ空気を肺に満たし、誰もいない森へ呼びかける。
「おーい、三つ
すると、雪下がプクプク膨らみ、彼らが顔を出した。
「あ! お弟子さまっ」
「やあ、一華。おはよう」
「わぁお早いですねぇ、お弟子さまー」
その
「おはよう二華、三華」
「おはようございます!」
「はいー。おはようございますぅ」
「⋯⋯⋯⋯はよ」
三人の返事に性格が見て取れる。
そして僕はなぜか、彼ら、というより彼女達に好かれていた。師匠より背が低いから同族扱いされているのだろうか? 他にもナズナの子は見かけるのだが、姉妹のように集まるこの子らにいつも取り囲まれる。
「お弟子さま、お弟子さま! いつお役目を引き継がれるのですか?」
「えっ」
皆んな糸目なのでその瞳を拝めないが、おそらく開いていたらキラキラしているであろう顔で、そう尋ねられる。
しかし、僕はまだ修行中。もしかしたら合格をもらえずに、里とお別れということもありえるし。うーんと
「おでしさま、ハヤリガミ、ならない?」
その子は三人の中でいっとう小さく、まだたどたどしい口調がある子で、よく背中におぶっては遊んでやっていた。名は三華。今は
「ううん。そういう訳じゃなくて」
「しんぎ、ひきたい?」
的を得た言葉に、頷き返す。神器はナズナの子と繋がる命の源だ。山の群生地や、人里の様子を見て師匠は音を奏でるという。
ナズナは七草の中でも、とりわけ
(スズシロ様の結界も強いですが、それは民や本邸のお屋敷を護る
そういえば、まだ大根のお礼を直接言えていない。今度ご挨拶しなければ。
あ、いけない、いけない。まずは修行を頑張らないと会えないや。
「僕の三味線修行に、付き合ってくれるかい?」
「はい!」
「はーい」
「⋯⋯⋯⋯うん」
うーん、揃わない。そこが皆んなの良いところだけども。苦笑しながら乾いた石に腰掛ける。相変わらず重いそれを、よっこいしょと持ち上げた。まずは、師匠が弾いていたのを見様見真似でやろう。音は分からないけど、弦の響きで感じるしかない。
と、すぐさま──。
「お弟子さま! 脇をもう少し閉めましょう!」
「頭傾いてるー」
「⋯⋯ばち、もつ、ちがう」
鋭い横槍がズキズキ刺さる。
こ、これは前途多難だ。半日だけやるはずが、わずか数刻で筋肉痛になった。日がお気持ち程度しか動いていないのが、追い打ちをかけてくる。やっとの思いで別荘へ戻り、昼下がりは掃除やら足りない生薬を補充した。
「修行は順調ですか?」
警護隊員のために傷薬を取りに来た
「持ち方からてんで駄目です」
しょもしょもとお
「あ、そうだ。ナズナ様から言伝です」
四つ折りにした小さな和紙を渡される。師匠からなんて珍しい。帰って来てから見ていないなとは思っていたが、出掛けているのだろうか?
何のことなしに受け取るが、侍従殿の顔に影が差していた。ゆっくり開き、そこに記されていたのは──。
『 飯は要らない
しばらく一人にしておくれ 』
突然の拒絶。
これでは本当に巣篭もりだ。理由を問うが、彼は首を振るばかりで、自分も分からないと言う。
(師匠、どうしちゃったんだろう)
今は修行中なので、こちらから突撃するのはご
それからは
一日目。姿勢や所作の叩き込みで、全身筋肉痛に。指一本動かすのですら痺れた。
二日目。音階ごとの指の置き場を伝授される。
三日目。重さに慣れてきた。手豆ができて水を触るたびにヒリヒリ痛む。
そして四日目は──。
「お弟子さま、頑張ってください! あと少しの辛抱です!」
「お弟子さまぁ、頑張れー」
「⋯⋯⋯⋯れー」
「あ、ありがとう」
ナズナの子にひたすら応援される。わずかだが、指に伝わる弦の響きの違いが分かってきた。これなら一つ、演奏ができるかもしれない!
五日目。披露する曲を決め、
六日目。途中で吹雪になり洞窟へ駆け込む。セリ兄弟が昼ご飯を持って来てくれた。
こうして朝の半日は稽古。昼から別荘で過ごし、夜は復習を繰り返した。
迎えた七日目。修行の最終日にようやく一曲を通しでできた。前を向いて
(これでやっと師匠の前に立てる)
結局、あれから彼女に会っていない。言いつけを守り、接触しないようにしたが自分でご飯を食べているのだろうか?
まあ何はともあれ、目標達成だ。早る気持ちを抑えて、でもいつもより小走りで別荘へ戻る。入り口に誰かがいた。きっと師匠だ。そう信じて疑わなかった。
しかし、僕を出迎えたのは──。
「お弟子さん、落ち着いて聞いてください。ナズナ様が⋯⋯⋯⋯手折られかけています」
ナズナではなくセリの一族。
師匠の侍従殿、ただ一人だった。
*
ねえ師匠。あなたは言いました。次の僕の誕生日は祝えると。確かに、最後かもしれないと仰るヘンテコな予兆はありましたけど、誰もそんなこと望んでいないんです。
「師匠⋯⋯⋯⋯何で」
「遅くなってすみません。どうやら、あの祭事の後から体調が急変したらしいのです。ずっと寝込んでいたようで」
先に異変に気付いたという
「そなたに、愛せる者がいないのなら、この花を愛しなさい」
そうして差し出されたのは花とも呼べるか分からない野草。なぜなら、花びらがないのだから。
一週間ぶりに会った彼女は別人になっていた。布団の上に投げ出された腕を見ると、元々血管が浮き出るほど細かったのが、今や皮付き骨になっている。しかし、どこからそんな力が湧くのかギラギラと光を宿す瞳で語りかけてきた。
「それは名をナズナという。
「これが、花?」
師匠の名と同じ。
そして
あえて言えば、よく葉っぱと勘違いされやすい実の部分が、弦を鳴らすための
「でんでん太鼓のように遊ぶ草っぱですよね、これ。春の七草の一つだとか。僕にはただの草にしか見えないのですが」
「よく知っているじゃないか」と満足そうに八重歯を出して笑った師匠は、身体を起こそうと身じろいでいる。
僕の後ろに控えていた
「ナズナ様、ご無理はなさらずに」
「まったく不甲斐ないね」
よろけながらも、ナズナを握るこちらの手を包むように重ねてきたソレは、酷く冷たいもので顔を伺ってしまう。
「なんだい、そんな顔して。そなたも一人の男ならシャキッとおしよ」
おもむろに近づいてきた手で、いつものように額へ指弾きを食らった。
「あいたっ!」
「クククッ。まだまだ修行が足りないね」
意地悪に笑う姿を見ると、とても死にかけに見えない。痛みで少し涙目になりながら反抗する。
「
「今はまだ眠っているのさ。じきに、てっぺんの小さな花がそなたに春を知らせてくれるはずだよ」
「じきにって⋯⋯これの開花は三月です。あなたは、そこまでもたないでしょう?」
話しながらナズナを握る拳に力を入れる。語尾は、弱々しく消えていった。
「まったくこの子は。いいかい"
僕は師匠と同じ名で呼ばれる。
彼女の隣にいた
「二人して驚いて何さね。元より跡を継いでもらう予定じゃないか。だからこの子を、わざわざ見せたくない姿を晒してまで呼び立てたってのに」
「いや、しかし⋯⋯⋯⋯それではあなた様の命が」
「お黙り。覚悟の上だよ」
緊迫した空気に足裏から鳥肌がのぼる。
「なあに、どうせあと少しの命さ。なら、動けるうちにやれることをしなければ、ね」
「踊れる獅子が、今は眠れる獅子、ですか」
「そなたが継いでくれれば、すこーしは軽くなって踊れるだろうよ。今度は飛べるかもね」
いつぞや掛けた言葉を繰り返す。
こんな時でも彼女は変わらない。
なら、やることは一つだ。
「分かりました。師匠の意志を引き継ぎます。僕はあなたにとって、唯一の弟子ですから」
真っ直ぐにこちらを射抜く彼女の考えていることは、とうに分かっている。名を授けようとするのは、"資格があるか見る"という最終試験なのだろう。
頷き、脇に置いていた三味線を手に取る。
「師匠、聴いてくださいますか?」
「ああ。こんな
届けよう、この音を。
自分の背丈ほどの化身みたいなソレを構え、
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