2ピリオド ~準備⑥~

 残り時間7分


 かずみはボールを拾い、エンドラインからスタート。


 二乃が受け取り、かずみにリターンパス。


 かずみは相手が戻る前に攻めようと考えていた。


 かずみのマッチアップのミニバスの子はまだバックコートで戻れていない。

 そして三久のマッチアップもバックコートにいる。


「みく!」


 ノーマークの三久はパスを受け取ると、すぐにシュートモーションに入った。


 が――


「来た!」


 コート中央から一気に戻ってきた安達さんが、間に合っていた。


 彼の長い腕が、三久の視界を塞ぐように伸びてくる。


「っ――!」


 一瞬、打つか迷った。


 だがその躊躇が命取りだった。


 フォームを崩しかけたまま放たれたシュートは、ゴール手前でリングに嫌われ、大きく弾かれる。


 リバウンドに飛び込んだのは、五月だった。


 ――だが。


 相手センターと競り合い、ボールに手を伸ばしかけたその瞬間、身体がわずかにバランスを崩す。


 リバウンドはあえなく相手の手に収まり、再び速攻の形に。


(くそ……またか)


 戻る途中、かずみが思わず唇を噛む。


 攻めた。良い形だった。だが「決めきれなかった」。


 得点が遠い。


 それでも、少しだけ違っていた。

 三久の目に、迷いとともにほんの僅かだが「判断の早さ」が見えた。

 五月も飛び込んだ。負けはしたが、積極性があった。


 亮多はその一つ一つを、審判の位置から静かに見ていた。


(悪くない。少しずつ、流れに慣れてきている)


 その後も、攻防は続いた。


 守備では、かずみがドライブを読んで一度スティールを決めた。

 五月はルーズボールに誰よりも早く飛び込んだ。

 二乃は一歩遅れながらも、声を出しながらマークを探すようになった。

 そして三久は、次第に迷いながらも打つという判断を、数本のプレーの中で選び始めていた。


 けれど――


 決めきれない。


 残り3分を切ったころ。

 スコアは依然0対11。

 それでも、彼女たちの動きには少しずつ意志が宿り始めていた。


 だが、その瞬間だった。


 コートを駆ける高校生ふたりの動きが、綺麗なクロスを描いた。


 センターが一瞬前に出て、ガードがその背後を横切る。

 シザース――クロスカット。

 二乃と組んだ練習でも使っていたセットだ。


(……知ってる。練習でやった。でも、あのスピードと連動――が違う)


 かずみの身体が止まった。

 目の前で繰り広げられるのは、洗練された完成形だった。


 カットと同時にボールを持っているセンターが絶妙なスクリーン。

 かずみはその肩をかすめ、タイミングを崩される。

 遅れた一歩。

 その隙を突いて、ガードがスピードを殺さず一気にゴールへ。


「三久、カバー!」


 声を上げる二乃。しかし、三久が中に寄った瞬間――


「外!」


 もう一度スクリーンを使って逆サイドにパス。

 フリーでパスを受け取った安達さんが、ネットを正確に射抜いた。


 チームとしてのが、はっきりと可視化されていた。


 次の攻撃。

 安達さんがトップでボールを保持していた。

 ディフェンスは三久。わずかに前のめりになる。


 ――その時だった。


 二乃の背後から、ガードの高校生が一気にインサイドへ走り込む。

 バックドアカット。


「っ――しまっ……!」


 その一瞬の迷いを、安達さんは見逃さなかった。

 ノールックで放たれたパスが、ドンピシャのタイミングでガードの手に渡る。


 そのままレイアップ。スコアが開く。


 二乃はその場で硬直したまま、声も出せなかった。


(読まれてた……私が飛び出すのを、最初から)


 ただ教わったプレーを「なぞる」のではなく、

 相手がどう動くかを前提に、組み立てている。


 それが、戦術だった。


 そして、もう一つのプレー。

 スクリーンの連携から逆サイドに展開したあと、

 今度はミニバスの少年がスルッとフリーになってスリーを放った。


 リングをかすめることもなく、ボールは真っすぐネットを通過した。


「0対16」


 亮多は得点版に、数字がめくられていく。


(苦しいな……でも)


  失点が続いても、次第に彼女たちの反応が変わっていった。


 ――かずみが一度、ドライブを読んでスティールを成功させた。


 ――五月が、ルーズボールに誰よりも早く飛び込んだ。


 ――二乃が、遅れながらも「左!」「ヘルプ寄って!」と声を出し、

 マークを探し始めた。


 ――三久が、迷いながらも打つという選択を重ねるようになった。


 ミスは減らない。点差は詰まらない。

 でも、何かが確かに噛み合い始めている。


 亮多は審判をしながら目を細めた。


(自分たちができる戦術のシザースが通用しないことを知った。

 じゃあどうすればいいのか――それを、考え始めてる)


 残り1分。点差は0対19。


 ――その時だった。


 トップに上がった相手ガードのパスを、三久が読んだ。

 わずかに前に出て、その瞬間――ボールを弾く。


「ナイスっ!」


 かずみが即座に走り出す。


「かずみ!」


 三久の声が体育館に響く。

 低く速いパスが、一直線に飛ぶ。


 ボールを受けたかずみは、一瞬視線を後ろに流す。

 相手ガードが並走してきている。


 ――だが、今度は怯まない。


 「くるっ……!」


 かずみは振り返り、すぐに判断を切り替える。


 かずみは、斜めに身体を滑り込ませるようにして、相手の前に出た。

 あくまでぶつかるのではなく、という判断。

 ほんの少しガードの足が緩んだ、その瞬間――

 逃さず、かずみはパスを受けた勢いのままゴールに向かって踏み込む。


 これは自分たちの意地のワンゴール――かずみの中に、そんな確信があった。

 左手でボールを包み込むように持ち、柔らかく放つレイアップシュート。


 ボールが高く弧を描き、リングにふわりと落ちるように入った。


 2点。ようやく、一本が決まった。



   タイムアップの笛が鳴り響いてからも、しばらく誰も動かなかった。

 汗が肌を伝い落ちていく音だけが、静まり返った体育館にぽつりぽつりと響いている。


 その中心に、彼女たちはいた。

 中央に集まり、誰もが下を向いたまま――言葉を失っていた。


 その中で、茶髪のセミロングを汗で束ねたように濡らしながら、五月がぽつりと呟いた。


「……一本、取れたね」


 小さな声だった。

 でも、その響きに、誰もが救われた気がした。


 負けた。でも、ゼロじゃなかった。

 相手に対して、通用した瞬間が確かにあった。


 たった2点。けれど、それは今の彼女たちにとって、あまりにも大きな2点だった。


 亮多は、黙って頷いた。

 この試合で得られたのは、点数以上のものだった。


 やがて、彼がゆっくりと歩み寄ってくる。


「……よく、走ったな」


 それは、賞賛でも慰めでもない。

 ただ静かに、目の前で繰り広げられたすべてを見届けた者の言葉だった。


 顔を上げる者はいない。

 けれど、その一言が、胸の奥深くまで届いていることは、誰の表情を見ずとも分かった。


 亮多は続ける。


「今日の相手は、連携も、読みも、個の強さも、全部上だった。……でも」


 一拍置いて、目を細める。


「それでも、お前たちのバスケが、ってこと――ちゃんと見えてた」


 その言葉に、黒いヘアバンドが、濡れた前髪の下から少しずれかけていた。三久は、それを気にも留めず、そっと顔を上げた。

 その横で、青髪のポニーテールの毛先が汗に濡れ、背中のシャツもじっとりと貼りついたかずみは、袖で目元をそっと拭いながら、黙って亮多を見返していた。

 まだうつむいたままの五月は、拳をそっと握り直していた。

 そして、金髪のウェーブが乱れている二乃は、肩で息をしながらも、その瞳に悔しさと――かすかな希望を宿していた。


 亮多は、それぞれの顔を順に見渡しながら、静かに言葉を結ぶ。


「負けは負けだ。……だけど、いい負け方だった」


 目を横に向け、得点板を見る。


「今日の2点は、格上の相手にがむしゃらにしがみついた結果じゃない。

 最後にかずみが見せた、考えて動いたプレーで取ったものだ」


 その言葉に、かずみが小さく頷いた。

 ポニーテールが小さく揺れる。


 記録された数字。それは、ただのスコアじゃない。

 今の彼女たちの、確かな姿だった。


 ふと、体育館の隙間から吹き込んだ風がカーテンを揺らす。

 夕暮れの光が、わずかにコートに差し込んだ。

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