2ピリオド ~準備④~
次のディフェンスは、五月だった。
静かに構えようとするが、その表情にはわずかな不安が残り、
重心もどこか揺らいでいる。
笛の音が鳴り、三人のオフェンスが一斉に動き出す。
まず、かずみが軽くリズムをつけるようにドリブル。
続いて、ハイポストに入った二乃へパスを送る。
ボールを受けた二乃は、素早く左を向き、さらにパス。
左45度――三久がすでに走り込んでいた。
そのままカットイン。ディフェンスの対応は一瞬遅れる。
三久が勢いよくレイアップへ。
ボールは綺麗な放物線を描き、リングを経てネットを揺らした。
「くっ」
五月が悔しげに小さく声を漏らし、肩で息をつく。
「ナイス、三久!」
二乃の賞賛の声が響くが、亮多はその背後で黙ったまま立っていた。
シュートは決まり、パスの流れも滑らかだった。
だが――彼女たちは、まだこの練習の本質にたどり着いていない。
この3対1は、見た目こそオフェンスのための練習に思えるが、実際にはもっとも重要な役割を担っているのは、実はディフェンスだった。
そのことに、まだ誰も気づいていない。
ルールは単純だ。
オフェンス全員が一度ボールに触れ、14秒以内に完全なノーマークからのシュートを打つ。
だが、このルールにはひとつだけ抜け道がある。
二人目にボールが渡った瞬間、ディフェンスは三人目に張りついてしまえばいい。
極端な話、フェイスガードでボールに一切触れさせなければ、オフェンスはルール上シュートが打てない。
全員がボールに触れるという条件が、かえって彼女たちを縛るのだ。
14秒が過ぎれば、それでディフェンスの勝ち。
この盲点に、まだ誰一人気づいていない。
そもそもこの練習は、オフェンスが簡単に成功できないように設計されている。
だが亮多は、それをわざわざ説明することはしなかった。
伝えたのはただ一つ「完全なノーマークからのシュートを作る」こと。
あとはすべて、オフェンス練習のように提示された。
本当に必要なのは、守る側が本気になり、構造を読み、仕掛けを見抜くこと。
今のように、オフェンスがあっさり得点できてしまう状況では、それは練習の失敗を意味する。
(……ディフェンスが、攻める空間を与えてしまっている)
亮多は内心でつぶやく。
本来なら、守る側が縛ることで、攻める側には考える時間と圧力が生まれる。
どう動き、どこを使い、どのタイミングで誰を活かすか。
だが今は、ただ順番通りにボールが回り、ディフェンスはその後を追いかけているだけ。
(これじゃ、ただの順番ゲームだ)
それでも、亮多は口を開かなかった。
答えは、与えられるものではない。
自分たちで疑問に気づき、考え、試し、失敗して――そして本当に掴む。
その積み重ねだけが、チームを強くする。
「よし、次。ディフェンスは二乃。オフェンスは三久、五月、かずみ」
亮多の声で、選手たちは再びコートに散っていく。
次のセットが始まる。
ディフェンスは二乃。オフェンスの配置は、かずみが左45度、三久が左0度、右のローポストに五月。
笛が鳴り、かずみがドリブルでリズムをつける。
そのまま三久にパス。
三久は一拍置いて、トップに移動したかずみにリターン。
かずみは素早く右を見て、腰を落とす。右ローポストの五月へ、的確なバウンスパス。
受け取った五月はすぐにターン。
迷いのない動きでシュートモーションに入り、ボールはネットを揺らす。
「ナイス!」
三久が声を上げ、かずみが手を叩く。
合わせの質は、明らかに初期より向上していた。
タイミング、ポジション、視線の連動。
誰もが次に何をすべきかを、互いに感じ取りながら動いている。
だが――
(それでも、まだ届いていない)
亮多は、コートの端から彼女たちを静かに見つめていた。
パスは正確につながり、シュートも決まっている。
ミスも減った。
それなのに、どこか歯ごたえがない。
守りが、まだ練習を壊している。
誰一人、意図的にオフェンスを制限していない。
だからこそ、オフェンスは抵抗なく、理想的な形を繰り返せてしまう。
(もっと意地悪に、もっと厳しく守っていい。勝つためなら、徹底的に追い詰めていい)
この練習の鍵は、ディフェンスが構造に気づき、ルールを利用して縛りにかかれるかどうかだ。
だが、まだその兆しはない。
動きは良くなっている。連携も、確かに洗練されてきた。
けれど、その進歩ゆえに、抜け落ちているものの存在が、かえって際立っていた。
それでも亮多は、やはり何も言わなかった。
(まあ、最初はこんなもんか)
手応えの薄い成功が、やがて彼女たち自身に問いを生む。
その瞬間から、本当の成長が始まる。
最後のセット。
ディフェンスは三久。オフェンスは二乃、五月、かずみ。
配置は――二乃がトップ、五月が右ウイング、かずみが左ローポスト。
笛の音が響く。
二乃がゆったりとしたドリブルでテンポを作りながら、パスの角度を探す。
右の五月に一度ボールを預け、五月の背後を通って右0度へ向かう。
同時に、かずみがローポストからハイポストへ浮き上がる。
そのタイミングを逃さず、五月からパス。
受けたかずみはワンドリブルで後ろに下がりスペースを作った。三久が寄ろうとする一瞬を感じ取り3人目にパスをした。
そして、左0度へスライドしていた二乃へパス。
二乃の3P。軽やかに放たれたボールが、リングに触れてネットを揺らした。
「オッケー!」
かずみが拳を握り、小さく照れ笑いを浮かべる。
二乃と五月が頷き合い、互いに笑みを交わす。
これで、一巡目が終わった。
順番を入れ替えた二巡目も――すべてのプレーが「通ってしまった」。
誰も崩さず、誰も制限せず。
それが、かえって物足りなさを残していた。
練習終了の笛が、体育館に響く。
張り詰めていた空気がふっと緩み、選手たちは呼吸を整える。
「今日はここまでにしよう。お疲れ」
亮多の声が、静けさの中に吸い込まれていく。
四人は軽く礼をして、それぞれペットボトルに手を伸ばした。
額には汗がにじみ、肩も上下している。
けれど、それ以上の引っかかりは、まだ誰の顔にも浮かんでいなかった。
(……このまま、終わるなら、それでもいい。だが)
亮多は誰にも気づかれぬよう、小さく息を吐いた。
そして、静かに言葉を置く。
「――ああ、それと。明日から夜練を始める」
思わず顔を上げた四人を見ながら、亮多は続ける。
「時間は、夜の6時から8時。場所はこの体育館。内容は基本、ゲーム形式だ。今の実力を試してみよう」
その言葉が、空気にわずかな緊張を戻した。
誰もが、新しいステージの始まりを感じ取っていた。
ペットボトルのキャップを開ける音が、静かに響く。
言葉のない沈黙の中、全員がそれぞれ水を口に含んだ。
だがその沈黙は、ただの休憩ではなかった。
「夜練」――その言葉が、静かに心の奥で波紋を広げていた。
五月は汗を拭きながら、どこか落ち着かない視線を漂わせている。
緊張とも違う。けれど期待とも違う。胸の奥に残る、重たいもの。
「実力を試す」という言葉には、彼女たちそれぞれの過去が滲んでいた。
これまで、誰もが個で完結するプレーをしてきた。
だからこそ、これは初めてのチームプレー。
「夜練……やるんだね」
ぽつりとつぶやいたのは、かずみだった。
顔を上げることなく、それでも言葉には静かな緊張が滲んでいた。
その隣で、三久は無言のままタオルを握っていた。
(私がどうにかしないと)
首筋をぬぐう仕草に、彼女の中の決意がにじむ。
一方、亮多はその様子すべてを見届けながら、軽くうなずいた。
あとは任せて、待つだけだ。
体育館の照明が落とされ、重たい扉がゆっくり閉じる音が響いた。
その一瞬の暗闇の中、明日の光景を思い描いたのは、亮多だけではなかった。
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