2ピリオド ~準備③~

 午後の体育館に、ボールの音が響く。


 実戦形式の練習が始まった。


 2対2。ハーフコート。

 チームは、三久と五月。対するは、かずみと二乃。

 そして、ルールが一つだけ。


「俺が最初にパスを出してからスタートする」


 亮多の声に、四人の表情が引き締まる。


「つまり、最初のボールは選べない。得意な形に持っていけるかは、その後の動き次第ってことだ」


 あらかじめ整った状況からではなく、《ズレた状態》から始まる攻防。

 これは、個の強さに頼りすぎてきた彼女たちに必要な練習だった。


 亮多はボールを手に取り、コートの中央に立つ。


 全員の位置を見渡し、ほんの数秒の静寂。

 そして、迷いなくパスを出した。


 三久へ。


 すぐ近くには、左ローポストに立つ五月の姿。

 オフェンスもディフェンスも、左サイドに寄っている。


(スペース、狭い……)


 三久は瞬時に判断する。


 この角度からは、突破も展開も難しい。

 それでも――


「だったら……こっちで勝負する」


 左足でサイドライン沿いに踏み込み、かずみを引きつけるように仕掛ける。


 その直後、三久の左足は素早く右側へ向けてパスを逆サイドへ飛ばした。


「よし、さつき!」


「任せて!」


 五月は左ローポストから右のローポスト付近へカットしていた。


 だが、その瞬間、ほんのわずかに食い違いが生まれる。


 五月は右のローポストにポジションを取り、三久のパスは右0度の外へ。

 ボールはすり抜け、そのままサイドラインを転がっていった。


「――あっ」


 五月が追いかけるも、ボールはラインを越えてしまう。


 静かに、亮多の笛が鳴った。


「ストップ」


 三久はその場に立ち尽くしていた。


「ごめん、三久ちゃん……私、もうちょい外だった?」


「……いや。私のパスミス」


 短くそう返しながら、三久は内心で歯を食いしばっていた。


(こんなの、いちいち合わせてたらテンポも消えるし、自分のペースが崩れる)


(……でも、それを言い訳にしたら、試合に勝てない)


 7月末――あの大会で優勝できなければ、親に部活をやめさせられる。

 『本気でやるなら、クラブチームに行きなさい』

 そう言われている。


(勝たなきゃ、ここにはいられない)


 この四人で。部活で。バスケをやり続けるために。

 勝利という結果だけが、その道を残してくれる。


 「悪くない。判断は早かったし、崩せそうな動きだった」


 亮多の声が静かに響く。


「でも、《合わせる》っていうのは、正確に言えば《合わせきる》ってことだ。合わせたところで得点に結びつかなきゃ、意味がない」


 三久も、五月も、無言でうなずいた。

 ヘアバンドに押さえられた茶髪が、静かに揺れた。


 彼女たちはまだ、ひとつになりきれていない。

 だが、その未完成さこそが、このチームの今だった。


 切り替わる空気の中で、静かに熱を帯びていく気配。

 今、彼女たちは確かにチームになろうとしていた。


「じゃあ、次。かずみと二乃、オフェンス」


 亮多は右の0度――サイドラインに近い位置に立ち、ボールを持ったまま、様子を見ている。


 かずみは右の45度とトップを行き来していたが、マッチアップしている三久が鋭く動きを読み、簡単にはボールを入れさせない。


 一方の二乃は、左の45度――左ウイングに構えていた。

 自分の得意な場所。スリーポイントを狙える距離。


 けれど、パスは来ない。


(これじゃ意味がない)


 右サイドでかずみが広く動きすぎており、二乃から見てもスペースが潰れていた。

 自分が動いても、そこにパスを入れる隙が見えない。


 静かに息を吐き、二乃はゴールに向かって踏み出した。


 向かう先は、右ハイポスト。


 味方の動きの裏を読むように、素早く入り込む。


 それを見た亮多が、迷いなくボールを供給した。


 二乃がゴールを背に、ボールをしっかりキープしていると、すぐにかずみが動いた。


 右45度から、まっすぐ二乃に向かってカット。


「そのまま!」とだけ声をかけて、二乃の目の前で立ち止まり、手渡しでボールを受け取る。


 その瞬間、かずみは二乃を背にして動いた。

 まるで二乃をスクリーンにするように。


 三久が慌ててかずみを追うが、二乃が壁のように立ちはだかることで、微妙なズレが生まれた。


 そのズレを逃さず、かずみはジャンプシュートに持ち込む――が、


「……っ!」


 横から飛び込んできたのは、二乃のマッチアップである五月だった。


 長い腕がボールを叩き落とす。


 鋭い音とともに、ボールはコートに転がった。


 亮多の笛が鋭く鳴る。


「ナイスブロック、五月」


 かずみの顔には戸惑いの色が浮かんでいた。


(いまの動き……シザースか)


 味方との交差、スクリーン、手渡しのパス――偶然にしてはあまりに教科書的だった。


 だが、かずみの表情に「理解してやった」ような様子はない。


(感覚で動いてる)


 頭ではなく、体が先にプレーを知っているような動き。


 未熟だけど、だからこそ鋭くて、意図がないからこそ自然。


 二乃は汗を拭いながら、耳にかかる金髪を整えて小さく笑った。


 それは、自分のスリーポイントが封じられても――

 活かされる場所はあるのだという、手応えのような笑みだった。


 その後も、2対2の実戦形式は続いた。


 オフェンスとディフェンスを交代しながら、かずみと二乃、三久と五月それぞれが少しずつ相手の動きに慣れ、合わせようとする姿が見えてきた。


 どのセットでも完璧に噛み合うことはなかった。

 パスのタイミングがずれたり、スクリーンを見落としたり。

 声が出ずに、お互いの意思がすれ違う場面も多かった。


 けれど、ほんのわずかでも、連携が生まれそうな気配があった。


「オッケー、そこまで!」


 亮多が声を上げると、四人の動きがピタリと止まった。


 すでに額からは汗が滴り、ユニフォームの背中は湿っている。

 誰からともなく、体育館の隅へと歩き出し、床に座り込んだ。


 二乃は無言でノートのようなメモ帳を取り出すと、さっきのプレーを思い返すようにペンを走らせる。


 かずみが「ふーっ」と息を吐く。五月はストレッチをしながら満足そうな笑みでいた。


 三久はタオルで顔を覆ったまま、肩を小さく上下させていた。


 亮多は少し離れた場所から、その様子を静かに見つめる。


(まだチームではない。けど、今はそれでいい)


 ただの個性の集合が、少しずつ意味ある繋がりに変わっていく。

 それは、戦術ではなく、時間と経験の中でしか育たないものだ。


 休憩が終わり、再び体育館に緊張感が戻ってきた。


 亮多は、ボールを片手に持ったまま、四人をコート中央に集めて言った。


「次は、3対1をやる。オフェンス三人、ディフェンス一人。シンプルな形だけど、目的は一つ。完全なノーマークを作ることだ」


 かずみが小さくつぶやいた。


「三人で回して、一番最初に空いた人が打てばいいんじゃ……?」


「そう。でも、それを本当に空いた状態で実現できるかどうかは……難しい」


一拍置いて、亮多は続けた。


「だからルールを追加する」


四人の視線が、自然と集まった。


「まず、オフェンス全員が一度はボールに触ること。それから、14秒以内にシュートを打つこと」


「……結構、しんどいルールですね」


 セミロングの髪を整えながら、五月がつぶやく。


「簡単なルールに、制限を少し加えるだけで、急に頭を使う練習に変わる。この練習で意識するのは、タイミング、スペーシング、視野の共有。

 技術じゃなく、判断が問われる」


 沈黙が落ちる。


 三久が静かに一歩前に出た。ヘアバンドに押さえられた茶髪が微かに揺れる。


「守る。最初、私がディフェンスやる」


「了解」


 亮多は頷き、残る三人に目を向ける。


「ボールは俺でトップからスタートだ。ただし、全員触ること。14秒以内な」


 全員が各々のポジションに散り、バッシュの音がコートに響く。


 ボールはかずみに渡された。


 亮多はポケットからストップウォッチを取り出し、首から下げる。


「それじゃあ、よーい……」


 笛が鳴る。


 動いたのはかずみだった。右ウイングから素早くフラッシュし、フリーを作る。


 そこにいたのは、すでに読んでいたかのように三久。腰を落とし、静かに立ちふさがる。


 パスは入らない。かずみはすぐに位置を変えた。


 続いて、二乃が左ウイングから滑り込むようにトップへ。

 亮多から手渡しパスでもらうと、すぐにテンポよく左ローポストの五月へ。


 五月は一瞬ボールを持ったが、三久の重心が動いたのを見てすぐに戻す。


 流れるようなテンポでかずみに渡り、再び中央に展開。


 これで三人が一度ずつボールに触れた。

 残り、7秒。


 かずみがすかさず右へドライブ。

 三久がついてくる。その動きに呼応するように、二乃が左エルボーから中へカットを仕掛けた。


 かずみの視線がわずかにそちらを向いた、その瞬間だった。


「来る!」と、三久の判断が一瞬早く、コースに身体を入れる。


 パスは狭い間を抜けきれず、カットされる。


 ボールがサイドラインに転がる。


 亮多の笛が鋭く鳴る。


「ナイス読み、三久!」


かずみが眉をひそめ、二乃と五月が同時に小さく息を吐いた。


「パスは悪くなかった。けど、誰が打つかを決めないままテンポで回したから、ディフェンスに読まれた」


 二乃はうなずき、額の前に流れ落ちた金髪の一房を静かに耳にかけ直す。


 その瞳は、すでに次の展開を見据えていた。


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