2ピリオド ~準備①~

 教室の空気は静まり返り、ホワイトボードの前に立つ亮多の手が、マーカーを走らせる。

「目標:7月末の試合 優勝」の下に、新たな文字が加えられていく。


 戦術方針

 各自の強みを活かす。個性を伸ばす。

 プレースタイルの融合と補完。


「まずは、ポジションと役割を整理しよう」


 亮多がそう言って、まず一番上に名前を書く。


「センターは五月。リバウンド、スクリーン、そしてポストでの得点。体を張るプレーを一手に引き受けてもらう」


「うん、任せて。あたし、ゴール下でゴリゴリするの嫌いじゃないし」


 五月がにかっと笑い、力強く拳を握る。



「ウイングは三久と二乃。三久のミドルからドライブ、速攻まで対応、二乃はアウトサイドからの得点源になる」


「……バスケって、正解がひとつじゃないんだよね」


 三久がぼそっと呟く。

 その目には、確かな意志が宿っていた。


「シュートは任せて。でも、三久とも被らないように動くね」


 二乃が軽やかに返し、手をひらひらと動かして笑う。


 亮多はうなずき、最後の一人に目を向ける。


「ガードはかずみ。サイズはないけど、スピードとボールキープ力がある。トランジションの起点、守備の要としてチームのリズムをコントロールしてもらう」


「了解。ボール、絶対渡さないから」


 かずみはにやりと笑い、指をくるりと回してみせた。


「よし、それぞれの役割がはっきりした。あとは――この戦術方針をもとに、練習計画を組んでいこう」


 亮多の言葉に、教室の空気が少しだけ熱を帯びる。

 彼の背後では、葵優里香が静かに目を細めていた。


 亮多はホワイトボードに「課題:あと一人必要」と書き込むと、皆の顔を見渡した。


「試合は5人でやる。今のところ、うちには4人しかいない。あと一人、どうするか考えないといけない」


 五月が腕を組みながら尋ねる。


「新しいメンバー、どうやって見つけるの?」


 泉二乃が少し考えてから口を開く。


「誰か知ってるやつ、誘うとか?」


 上星も同意するようにうなずいた。


「練習も本格的になるし、早く決めないと」


 三久は静かに目を伏せてからつぶやいた。


「……でも、今は焦って適当な人を入れるわけにはいかない。みんなのバランスもあるし」


 亮多は真剣な表情で言った。


「そうだな。焦りは禁物だ。だけど、遅れてもいられない」


 校長の葵優里香は端で静かに見守りつつ、その決意を感じ取っていた。


「夜練を入れようと思う。練習時間が圧倒的に足りないからな。もちろん、まだ相談はしていない。でも、こういう場所を確保できれば、実戦形式の練習や基礎体力づくりの時間が確保できる。今のままの練習時間じゃ、到底足りないからな」


 亮多の言葉に、教室の中に静かな熱が走った。


「どうせなら本気でやったほうがいい。中途半端が一番きらい」


 上星かずみが小さく笑う。


「私は賛成。っていうか、もうそれくらいやらないと、勝てる気がしない」


 泉二乃は腕を組みながら、冷静に現実を見据えていた。


「うち……親に夜遅くなるって言ったら、ちょっと面倒くさいかも。でも……理由がはっきりしてれば、大丈夫かも」


 三久が不安げに言うが、その眼差しは揺るがなかった。


「五月は?」


 亮多が声をかけると、和田五月は少しだけ考えてから、うなずいた。


「夜の体育館、静かで集中できそう。わたしもやる。体力には自信あるし」


「よし」


 亮多は頷き、ホワイトボードに「夜練の確保」と書き加えた。


「じゃあ、まずは俺が知り合いに連絡を取ってみる。それが決まったら、本格的に試合に勝つための練習計画を進めていこう」


 その瞬間、チームとしての歯車が、少しずつ動き出した。

 亮多はホワイトボードの端に日付の枠を設け、そこにマーカーで一気に書き出していく。


「練習メニューの全体像を考えた。まだ仮だけど、こんな感じで組んでいくつもりだ」


 ホワイトボードに並んだのは、以下のスケジュールだった。


 月曜日:

 ・体力アップ(フィジカルトレーニング)

 ・パス練習(ショート・ロング、状況対応)


 水曜日:

 ・体力アップ(走り込み)

 ・個人の得意プレー強化(ドライブ、シュート、カットインなど)


 金曜日:

 ・体力アップ(走り込み)

 ・チーム全体の連携練習(セットプレー、オフボールの動き)


 土曜日:

 ・実践練習(2対2、3対1など少人数での状況対応)


 日曜日(夜練予定):

 ・試合形式(4対4) ※夜練習が確保できた場合


「基本的に体力づくりは毎回入れて走り負けない体を作る。

 その上で、曜日ごとにテーマを分けて練習する。個人のスキルと、チームの連携、両方を伸ばす形だ」


 泉二乃が腕を組みながら頷く。


「バランス悪くないと思う。パス練から始めるのも地味だけど大事だし」


「2対2とか3対1って、結構実践寄りだよね。楽しみ」


 上星も笑みを浮かべた。


「日曜の夜練が本格的にできるようになれば、さらに詰められそう」


 三久が真剣な表情でホワイトボードを見つめる。


「高校生相手にどうやって勝つか」


 五月は格上相手に勝つことを考えている。

 亮多は全員の様子を見てから、改めて口を開く。


「これをベースにして、必要があれば細かいところは随時調整していく。

 でも勝つための流れは、もうここから始まってる。――ついてきてくれ」


 頷く四人の目には、確かな意思が宿っていた。


   * * *


 金曜日/午前


 講義と講義の合間、大学のカフェスペース。

 テーブルにノートPCとスマホ、片手で水のボトルを持ちながら、亮多はスマホの連絡先を開く。


「……安達さん、今も夜の体育館、使ってるんだよな」


 鶴賀中のバスケ部で一緒だった友人の父――安達文雄さん。

 夜の時間帯に体育館を借りて、運動目的でシューティングをしていると聞いたのは去年のことだ。


「ここを借りられれば、練習の幅が広がる」


 そうつぶやきながら、メッセージを打つ。


「安達文雄さん

 お久しぶりです。中谷亮多です。

 今、鶴賀中の女子バスケ部の指導をしていて、もしよければ夜間の体育館使用について相談できないかと思い、ご連絡しました。」


 送信ボタンを押したあと、一呼吸置いて顔を上げた。


「……さて、午後だな。今日は全体練習。詰め込むぞ」


 午後4時、鶴賀中の体育館。

 扇風機の風が床を滑り、うっすらと埃を巻き上げる中、4人の部員が整列している。

 亮多はホイッスルを鳴らし、練習の開始を告げた。


「まずはドリブルラン。エンドラインから反対エンドランまで、ドリブルをつきながら全力で。往復3本、それを6セット」


「え、それって……18本!?」


 五月が眉をしかめた。


「そういうことだ」と亮多は冷たく言う。


 第一走、笛の音と同時に、4人が一斉にスタート。

 フロアにバッシュの擦れる音が響く。


 二乃は俊足を活かし、前傾姿勢で低く走る。

 ドリブル音が軽快に響き、最初の折り返しをトップで回る。


「いいぞ、二乃。そのリズムを崩すな!」と亮多が声をかける。


 だが3本目に差しかかった頃――

 彼女の肩が少し上がり、ドリブルがわずかに乱れた。


「っ……」


 足がもつれかけたが、二乃はすぐに体勢を立て直し、ギリギリでゴール下のラインを踏む。


「走るだけじゃない、次の一歩を残す体力を持て!」


 亮多の声に、息を切らしながらかずみは小さくうなずいた。


 一方、かずみフォームを崩さず、終始一定のリズム。

 五月はやや後れながらも、ドリブルの強さだけは誰にも負けていなかった。



「次。ドリブル突破。カラーコーンはディフェンスと思え。1対1で抜く意識でいけ」


 コートの間に、等間隔で置かれた5つのカラーコーン。

 その間をジグザグに抜けるよう、鋭く切り返すドリブルを求められる。


「いくぞ……」


 三久がボールを床に叩きつけ、スタート。


 右へ、左へ。重心移動は素早く、髪が跳ねる。

 手首のスナップと腰の切り返しが鋭く、見る者を圧倒する。


「こんなもん、余裕……!」と息巻いたが、6本目――


 膝が沈み、ドリブルがわずかに浮いた。


「っ……クソ、重っ……」


「力で抜くんじゃない、バランスとコントロールだ」と亮多が言う。


 かずみは細かいステップで緩急をつけ、コーンをなめるように抜いていく。

 五月は接触覚悟の直線的な突破を続け、最後の1本で転びそうになった。


「雑でもいい。突破しきれ。失敗してから学べ!」


 亮多の声が体育館に響く。


「ここからは、連携と判断の練習だ」


 最初は4人のみでセットプレーを組み、動きを確認。

 二乃がウイングからカットインし、三久がトップからボールを回す。


 ――だが、どこか噛み合わない。


「……スクリーナーが遅れてる」


「ボールの受け手が決まってない」


 そんな亮多の指摘が続く。


「次は俺が4番、インサイドに入る。これが試合形式だと思え」


 亮多がハイポストに立ち、かずみからのパスを受けた瞬間、

 逆サイドからカットインした二乃にタイミングよくボールを出し、レイアップが決まる。


「なんでアンタのパス、あんな通るの?」


 と三久。


「視線とフェイクの使い方。そのうち分かる」



「最後。オフボールの選手をノーマークにする動きをやるぞ」


 まずは五月がゴール下からトップへ上がり、スクリーナーに。


 その後ろをかずみが素早くすり抜け、ディフェンスを置き去りにしてノーマークに。


「打て!」


 亮多の声と同時に、かずみがシュートを放つ

 ボールは真っすぐリングに吸い込まれた。


 続いて二乃。

 自らがボールを受ける動きを何度も見せては囮になり、

 その裏で三久が裏カットでフリーになる。


「ナイスダミー、二乃! 完璧だ、三久!」


 フロアに響くボールとバッシュの音、

 互いの声と汗が交差し、チームとしての形が少しずつ見え始めていた。

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