1ピリオド ~出会い⑨~

 三久はしばらく黙ったまま、ボールを見つめていた。

 指先に残る感触。汗ばんだ手のひら。胸の奥に渦巻く悔しさ。


 それでも――負けは負けだった。


「……あんたは、強い」


 ようやく絞り出すように言う。

 その声は震えていない。ただ、まっすぐだった。


 亮多は、静かにそれを受け止めた。


 いくばくかの沈黙のあと、三久はゆっくり顔を上げる。


 その瞳には、まだ火が残っていた。

 負けを認めた先で、彼女はもう次を見据えている。


「でも……」


 ぽつりと続けた。


「選手として強いのは、分かった」


 にらむでもなく、媚びるでもなく、ただ真っ直ぐな目で。


「指導者としてのあんたは――これから見せてもらうから」


 その言葉は静かだった。

 だが、その重さは誰よりも真剣だった。


 安易に認めない。

 簡単には信じない。

 でも、否定もしない。


 ――その姿勢こそが、三久の強さだった。


 亮多は、小さく笑った。


「……ああ。期待してていいよ」


 その声には、挑戦を受け止める気概と、わずかな嬉しさが滲んでいた。


「……それと」


 三久はボールを脇に抱え、一つ息を吐く。


「この勝負、私が勝手に始めたことだから」


 その声は、まっすぐだった。


「みんなには、ちゃんと話す。……私が負けたって」


 亮多は驚かなかった。

 ただ静かに頷いた。


 三久は再び顔を上げる。


「これから、あんたに教わる。……みんなにもそう伝える」


 媚びるわけじゃない。

 ただ、自分で決めて、自分で責任を取る――強い意志だった。


 その背中を見て、亮多はほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 ──大丈夫だ。

 このチームは、ちゃんと前に進める。


 そんな確信が、胸の奥に灯った。


 三久はボールを抱えたまま、三人の前に立った。

 体育館には、まだ勝負の余韻が残っている。


「――負けたわ」


 ためらいのない言葉だった。

 悔しさを隠さず、でも弱くもない。


 二乃が「……マジで?あの三久が認めた⁉」と目を見開いた。

 けれどすぐに表情をゆるめる。


 五月はもじもじと指を絡めながら、三久を見る。


「……でも……その……ちゃんと伝えてくれて……よかった……」


 か細い声だったが、はっきりとした気持ちがこもっていた。


 上星はポニーテールをふわりと揺らしながら、穏やかに微笑む。


「で、みくはどうするの?」


 促されるように、三久はもう一度顔を上げた。


「これからは――中谷さんの選手としての強さは認める。

 でも、指導者としては……これから、ちゃんと見極める」


 二乃は真剣な顔で「そっか」とだけ呟く。


 五月は胸の前で両手をぎゅっと握りしめて、


「……三久ちゃんのそういうところ……すごいと思う……

 ちゃんと、自分で決めるの……」


 と、そっと言った。


 三久はきょとんとしたあと、ふっと柔らかく笑う。


「ありがと」


 上星は変わらぬ調子で頷く。


「私も、それがいいと思うよ。三久が決めたんだから」


 二乃も、照れたように笑った。


「じゃあ、私たちも……ちゃんと見極めるんだね」


 三久は三人を見回し、大きくうなずく。

 体育館の冷えた空気の中に、静かだが確かな結束が生まれた。


 そして――体育館の中央。


 四人が自然と亮多の前へ集まる。


 小さな沈黙のあと、三久が凛とした声で口を開いた。

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