1ピリオド ~出会い⑤~

 再び体育館の扉を押し開けた瞬間、空気ががらりと変わった。


 先ほどは挨拶に来た外部指導員だった。

 だが今は――選手として彼女たちと向き合う存在だ。


 その意識だけで、同じ体育館がまるで別の空間に見える。


 床を跳ねるボールの軽快な音、バッシュが擦る高い音。

 四人の部員はすでにコート中央に集まり、各々が集中の色を深めていた。

 俺が入ってきたことに気づいているが、誰も無駄な言葉は発しない。


(……懐かしい感じだな)


 試合前の緊張。

 相手と向き合う高揚。

 自分の力を量られるプレッシャー。


 高校時代、ほとんどベンチに座っていた俺も、こんな空気を遠くから眺めていた。


 視線を天井に向ける。

 昔より高く、光量も増えている。影が少なく、床の光の反射も鮮やかだ。

 あの薄暗い隅でひっそりストレッチしていた頃の面影はもうない。


(同じ場所のはずなのに……)


 変わったのは体育館だけじゃない。

 俺の立場も変わったのだ。


「準備はできた?」


 羽沢三久がボールを胸の前で揺らしながら言う。


「ああ。問題ない」


 軽くステップを踏み、感覚を確かめる。

 心拍が少しだけ速い。悪くない。


(今の俺が、どこまでやれるか――確かめてやる)


「始めるよ」


 その瞬間、体育館の空気に緊張の糸が張られた。


「……では、まずは私からでもよろしいでしょうか?」


 控えめな声が響いた。

 和田五月。センター、もしくはパワーフォワード。

 長身でフィジカルに強いが、話し方はどこか遠慮がちだ。


「構わない。ただ……俺はディフェンスだけでいい。オフェンスやっても結末は見えてるからな」


 和田が小さく頷き、ゴール下へ移動する。


「……オフェンス一本勝負でお願いします」


 ボールをつき始めると、先ほどまでの控えめな表情がわずかに鋭くなる。


(やっぱり……フィジカルがあるな)


 俺はゴール下でディフェンスの体勢を取った。


 そのとき――

 和田の内心では、別の感情が静かに燃えはじめていた。


(……思っていたより、強そう)


 試合前、和田は外部指導員が大学生という時点で軽く見ていた。

 自分のプレーができれば、誰が指導者でも構わない――そう割り切っていた。


 だが。


 実際に対峙すると、その印象は一瞬で覆る。


(体の使い方が、慣れてる……反応も速い)


 戸惑いが、じわりと本気に変わる。


 俺が半歩引いた瞬間――和田が踏み込んだ。


(おっ……!)


 予想以上に重い。

 剛ではなく芯のある押し込み方だ。


「……悪くないな」


 俺が呟いた直後、和田は鋭くターンした。


(来たな)


 その動きには迷いがない。

 もはや軽い気持ちなど欠片も残っていない。


(負けない……!)


 そう強く目が語っていた。


 和田のシュートが放たれる――


「……っ!」


 パシッ!


 跳躍した俺の指先が、かすかにボールを触れる。

 軌道がわずかに逸れ、そのままリングを外れた。


「え……?」


 和田が驚いたように目を見開く。


 俺は着地し、こぼれたボールを拾った。


「悪くない動きだった。でも、シュートが少し遅い」


「……そっか……」


 控えめな声。

 けれど、瞳の奥は明らかに悔しさをにじませている。


「フィジカルも強いし、タイミングもいい。ただ――」


 俺はボールを軽くドリブルしながら言う。


「読まれたら、普通のシュートは決まらない」


「……確かに」


 和田は腕を組み、真剣に考え込んだ。


 そのとき――


「……もう一回」


 絞り出すような声が聞こえた。


 視線を向けると、和田が強く唇を噛み、手を差し出していた。


「一本勝負だろ?」


「わかってる。でも……もう一回」


 控えめな口調。

 けれど、絶対に譲らない強さがあった。


(負けず嫌いだな……)


 俺は苦笑しつつ、ボールを渡した。


「一本だけな」


 和田はしっかりボールを掴むと、強く床に叩きつけた。


「――絶対に、負けませんから」


 その声は、先ほどの控えめな少女のものではない。

 真っすぐな闘志を秘めた、プレイヤーの声だった。

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